ソラシド

著者 :
  • 新潮社
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感想 : 46
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  • Amazon.co.jp ・本 (292ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784104491049

作品紹介・あらすじ

拍手もほとんどない中、その二人組は登場した。ひとりはギターを弾きながら歌い、もうひとりは黙々とダブル・ベースを弾きつづけた。二人とも男の子みたいな女の子だった。彼女たちの音楽は1986年のあの冬の中にあった――。消えゆくものと、冬の音楽をめぐる長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • すごくいい。
    すごく好き。
    出来ることなら★を100こ並べたい。

    ものすごく優しいお話。
    でも、ちょっと寂しい。
    そして、じんわりと温かい。

    「おれ」は探し物をしている。
    いや、「おれ」だけじゃなく、みんなが探し物をしている。
    探し始めた時には自分が何を探しているのか正確なところは分からない。
    だんだんと見えてくる。
    そうすると最初にイメージしていたものとは違うものだったことが分かってくる。
    いよいよ探し当てたと思い、「そうだったのか」と納得しようとすると、また新たな探し物が始まっている。
    気付かないうちに。

    「この物語はこういう物語です。」と言い切れません。
    ただ、とても美しい物語です。
    とても美しいものが描かれていると思います。

    • takanatsuさん
      ぴちほわさん、コメントありがとうございます。お久しぶりです♪
      この小説は本当にオススメです!
      機会がありましたら是非お読みください♪
      ぴちほわさん、コメントありがとうございます。お久しぶりです♪
      この小説は本当にオススメです!
      機会がありましたら是非お読みください♪
      2015/02/02
    • yocoさん
      こんばんは^^
      こちらのレビューを読んで本書を読みました。素敵レビュー過ぎて、読み終わった後に見返すと書かれていることが改めてよくわかる気...
      こんばんは^^
      こちらのレビューを読んで本書を読みました。素敵レビュー過ぎて、読み終わった後に見返すと書かれていることが改めてよくわかる気がします。
      静かで少し寂しげなんですが、心地いい音色もあり温かさもあり、美しくもいい小説でしたね。
      素敵なレビューありがとうございます^^
      2015/02/17
    • takanatsuさん
      yocoさん、コメントありがとうございます。
      この本の好きなところを言葉にするのが難しくて、なんだかよく分からなくなってしまったな…と思っ...
      yocoさん、コメントありがとうございます。
      この本の好きなところを言葉にするのが難しくて、なんだかよく分からなくなってしまったな…と思っていたのですが、わかる気がすると言って頂けて本当に嬉しいです。
      yocoさんのレビュも読ませて頂きました。
      この本の空気が伝わってくるレビュでとても好きです。
      そうそう、そうなんですよね!と頷きながら読みました。
      映画になったら私も絶対観たいなと思います。
      でも本が好き過ぎて、これ以上には好きになれないかも…とも思いますが…(^^;)
      2015/02/18
  • 雨の様に降り注ぐ
    幾千もの言葉を
    日々、ぼんやり目にしつつも
    思わず(はっ!)と、手で受け止めたくなる様な
    キラリに出会う事がある。

    それは自分だけに光るキラリ。

    音楽好きの彼が
    パラパラ捲っていた雑誌に掲載されていた
    ほんの小さなコラム。
    その記事がキラリと光った。

    (誰?聞いた事もないアーティスト…)
    それがソラシド。
    どうやら女性2人のデュオらしい。

    彼女達のコメントや弾いている楽器も気になる…

    早速NETで調べてはみたものの、
    彼女達は派手な活動をしていなかったらしく、
    全く手がかりがつかめない。
    でも、
    何故か追っかけずにはいられないし、
    そうせざるを得ない事情も出来た。

    それから
    彼がソラシドの足取りを巡る物語は
    まるで何千枚ものレコードを並べ(勝手に思い描いております。)
    一枚、一枚、のんびり視聴でもしている旅の様な展開となった。

    活字を追っているだけなのに、
    頭の中ではゆるいメロディーが勝手に流れ出す。
    ザ、ザザザ…時折味のある雑音まで混じりながら。

    なかなか出会えないソラシドだが、
    キラリ光った時点で、もう会っていたのではないだろうか…

  • 耳元で心地いい音楽を聴いた後のような、すごく素敵な気持ちで読み終えた本でした。
    全体的に落ち着いたトーンで、コーヒーの茶色から始まり、ニューヨークのグレイ、冬の吐息の白、と浮かび上がるシーンが美しくて、なんとも言えない不思議な世界に迷い込んだようです。

    過去と現在、現実と空想が入り混じった世界は、映像がとにもかくにも美しい。古着屋とバー、世界の果てのような白い荒野、ダブル・ベース「エレファント」、1つ1つのシーンがにくいくらいに素敵で、とにかくうっとり。これは、映画化してほしい。
    美しいシーンも然ることながら、本書に登場する音楽を聴いてみたい。

    音楽には疎い私ですが、とある場面では鳥肌が立つくらい全身ぞわっとしました。読み進めるうちに、本当に耳元に音楽が聴こえる気がしてきます。

    冬を切り取ったような冷たさと一緒に、じんわりとした温かさが同時に楽しめることも魅力的だし、音楽で震える空気感も病みつきになります。

    装丁もすごく素敵で何度も眺めてしまいます。冬に読むのにお勧めな1冊でした。

  • 吉田篤弘先生の長編初めて読んだな・・・
    おおまかなエッセンスはいつもの吉田ワールドだけど、大筋のある長編だとこんな風になるんだな・・・

  • あらすじ
     おれ「ヤマシタ」は多分50歳代前半。若い頃は写真週刊誌のレイアウトを担当し、今はライター。音楽、特にレコードが好きでお金のすべてをつぎ込んでいた。亡くなった父親の後妻は自分より1つ下で、今26歳の腹違いの妹がいる。
     ある日、ふと26年前の雑誌から、ダブルベースの女性デュオ「ソラシド」を見つけ、当時その音楽を聴いたことがなかったことから興味を持つ。自分が住んでいた「空中長屋」、まずいコーヒーの喫茶店、デュオのソラとカオル、二人に音楽を依頼した映画監督などに思いを馳せながら行方をたどる。

     面白かったー。ぜひまた読みたい作品。吉田作品にしてみたら、ストーリーがあるし、登場人物の気持ちもわかりやすい。別にストーリーがなくても好きな作家だけど。四半世紀前って昔だよねーと思いながらも、変わらないものや、まだ動こうとしているものもある。いろいろだなーと思いながら読んでいることを楽しむ作品。

  • 謎の女性デュオ・「ソラシド」。
    1986年と現在をリンクしながら、彼女達の足跡をたどる主人公ヤマシタと、腹違いの妹・”オー”。
    レコード、不味いコーヒー、ダブルベース、小さな映画館…。
    雑多なものは淘汰され、洗練されつくされたように一見見えても、実はひっそりと息づいていたりする。あの頃の冬の空気と共に…。
    路地裏の雑貨屋のような、独特の空気感が漂う物語です。

  • レコードを蒐集することだけにすべてを費やしている主人公は、1960年代にごく一部で話題になっていた女性デュオ、ソラシドの現在を追うことになる。主人公には、親子ほどに歳の離れた異母妹がおり、二人で探し始める。
    音楽の話かと思いきや、二つの家族の絆の話だった。とても個性的な家族だが、読後は優しい気持ちになる。

  • 1986年の青春時代に思い入れのある語り手、今はアラフィフの作家ヤマシタ。プレイボーイだった画家の父と母親が離婚した後、父は息子より年下の女性・理恵と再婚。二人の間にはヤマシタと親子ほど年の離れた異母妹・桜(さくら、だけど主人公はオウと呼ぶ)が生まれ、今はもう20代、ヤマシタとはたまにメールしたり会ったりする仲。あるとき1986年の音楽ミニコミ誌に掲載されていた「ソラシド」という女性ユニットの記事が気になったヤマシタは、オウとガラクタ屋の青年ニノミヤと共にソラシドの音楽を求めて調査を始めるが…。

    ソラシドの手がかりを求めてだんだん彼女らの音楽に近づいていく過程はとても面白かった。双子の弟トオルとそっくりでボーイッシュなベーシストのカオルと、小柄で明るいボーカル&ギターのソラ。ヤマシタが書く二人についての想像の物語が入れ子になっている。

    基本的には面白く読んだけれど、なんだろう、なんか途中でたまに、吉田篤弘を読んでる気がしなくて、村上春樹?みたいな気分になることがあり、謎だった。うまくいえないんだけど、ただのオシャレ小説読まされてるみたいな。主人公がアラフィフなのに20代の妹と精神年齢に大差ないのがちょっと気持ち悪かったのかもしれない。吉田篤弘って、長編より連作短編向きなんだろうなあ。

  • もう まだるっこしいなぁ
    と 思うか
    いいねぇ このまったり感
    と 思えるか

    もちろん 後者になれる人は
    独特の浮遊感が
    なかなか たまりませんでしょうねぇ

    小説の筋というよりは
    そこに描かれている雰囲気を楽しむ
    そこが
    この 小説を楽しむコツでしょうか

    それにしても
    表紙の レコード は
    どんな 音楽 なのだろう と
    ずいぶん 気になってしまいます

  • 2023年8月30日読了

  • 幻のデュオ「ソラシド」を探す、ヤマシタさんとオーちゃんの物語。全体的にふわふわした吉田篤弘さんの世界観で進む。
    この雰囲気は嫌いじゃないのだけれど、あんまりずっとほわんとして、、少しほわんが長かったような気もする。

    ダブルベースを弾くカオルさんには、少し親しみを覚える(私はコントラの方だけれど)。ソラシド聴いてみたい。
    他の作品にオケの話も出てきたけど、吉田さんコントラバス(またはダブルベース)の経験があったりするのかな?

  • 「意見は言葉に出来るけど、思いは言葉にならないよね」とは登場人物のセリフ

    忘れ物を取り戻しに行くかそのままそっとしておくかは人それぞれだけれど、無かったことにはしたくないね

    というモチーフを感じた。

    それはそうとソラシド(作中に登場するユニット)の曲を聴いてみたい。自分の中のソラシドを見つける作業も楽しいかも知れない。

  • 内省的だけど重くしない独特のたゆたゆ展開。

  • 何冊か読んで、この著者の空気感が好きだと思ったのでこの本も読んでみました。
    でも今までで一番「おじさんが書いている」という感じが伝わってきてちょっと辛かった。
    あと私は音楽好きなのですが、出てくる音楽は全然わからなかった・・・
    音楽の趣味が合えば、すごくテンションが上がる話なんだろうな。

  • 途中までは時間軸が行ったり来たりで頭がごちゃごちゃしたけど、最後それがまとめられていくのが面白かった。音楽が好きな私にはとても共感できる内容でした!

  • ナンデモ屋を見下ろす場所から、二十数年前のバンドを探す。冬の音楽を奏でる、女性デュオ。
    レコードと雑誌と喫茶店のまずいコーヒー。雑踏の裏の街。
    吉田篤弘さんの作品はほぼリアルタイムで読んでるのに、何故か抜け落ちてた本作。
    吉田さんらしくて、好きなタイプの話でした。
    顔見知りかそれにちょっと毛が生えたくらいの間柄の人たちが阿吽で守る物語の優しさ。

  • ソラシドという女性デュオを探す。
    C0093

  • 女性デュオ・ソラシドを巡り、聞いたことのない音楽を求める男の義理の妹や母との距離感、父の影の話。レコードの音のような少し篭ったノスタルジーを感じさせる。

  • 昔のものは最近はネットでなんでも検索できるが、もしそれがマイナーすぎてネットにも引っかからなかったら自分で探すしかない。
    大変だけど、ネット検索よりリアルに当時の空気に触れられるような気がする。

  • 人は何かを探す過程で新たな物を知ったり、人と巡りあったり、過去の自分に再会したり。思いがけない出会いが生涯忘れられないものになったりするんだろう。

  • 時代と、街と、音楽、そして言葉。

    独特の透明な空気感。

    この人の作品世界には、言葉遊びのようなスタイリッシュな文体によって醸し出されるあざとさと、どこか高踏派的な空気感が漂っている。そして、行間ににじむほのかな哀愁、小粋なエスプリの快さ、ノスタルジアに彩られた世界の意味ありげでポエティカルな浮遊感を味わうために読むものであり、ブンガクって感じじゃない、大人の遊びゴコロ、バーでたわいなくひとときを楽しむ会話にも似たディレッタンティズムだ、と以前断じたことがある。

    が、様々な手法の実験的作品を重ねてゆくような氏の作風の変遷に触れ、そしてこの作品に至って、「吉田篤弘、文学!」という当初は思いもよらなかった考えが私の中でいきなりかたちになった、確立された気がした。それはなにか心の中で劇的な響きを伴った新鮮な驚きであった。そして、気づいた瞬間、その萌芽としての系譜が過去作品の中に浮かび上がり、それ以前の作品をもすべて含めて一連の作品群は新たな見地からの評価の可能性を得るものとなる。

    そして文学的なるものとは私にとって嗜好に関する言説でなく思考に関する論考としての批評に値するものをいう。

    スタイルへの愛、時代の持つ空気への愛着、風景への思い、言葉遊びへの執着。このような思い入れたちは一体どこから来ているのか。何かの「思い」は、一見どんなに通俗的で浅はかなものとして思えたとしても、突き詰めればそれは己と世界との関わりを模索する根本、すべての知の源泉のところへとたどり着く。すべても道はローマに通ず。

    サブカル、娯楽、アクション、ラブコメディ、エログロ、なんでもだ。
    およそ人間が生み出し嗜好する物語ならどの道も等しく至高のところへとたどり着く可能性を持っている。職業に貴賎がないならば文芸ジャンルにも貴賎はない。もともとは文芸そのものが最も賤なるものと最も聖なるものとしての両極から発生してきた。そのひとつの分野の上澄み部分を純文学、芸術として崇敬の対象とし、沈殿部分をことさらに俗として貶める対象とするのは、権力がその両極の」「外部」としての異形の力を持つ文芸を無力化し無害なものとするために放った支配のための物語戦略なのだ。

    芸能の系譜と同じだ。原始の時代神々にささげられたものが、文明の進化発展の中で神事の高貴な舞から中世の被差別民である河原者にまで分岐しそして意図的に分断された。両極からこの世の制度を枠どる。その外部から守りそこに繋がるための防壁でありメディアである。恐ろしい異形、未知なる力、畏敬と差別と侮蔑の対象、アンタッチャブル。

    …で、この人のこの作品でのモチーフである。とても興味深いと思ったもの。

    冒頭で述べたように、いくつものモチーフが絡み合っている。だがとにかく全編を通じて瀰漫しているこのほのかな哀愁、ディレッタンティズム、異界幻想やシニカルな諧謔の混交した作品世界を成立させている要素、それらのすべての共通項はただひとつだ。

    失われたもの、過去へのノスタルジア。

    だがそのノスタルジアは強い執着と偏愛の対象でありながらも決して「ああ若いころ、あのころ、昔は楽しかった。」という楽しい記憶というのではない。寧ろ陰惨で孤独な放浪と迷い惑い挫折のどす黒くにごって先の見えないさえない日々の思い出である。
    「岸に戻りたいのに、戻らない自分にうんざりし、ただただ安息を求めていた。(中略)(おれは救われなかった。)」

    …が、その卑屈な自虐の感情と同時に、それと結びついたままのジレンマに似たねじれをもちながらも、強い「そのような己」への執着、偏愛と矜持、いわばそのように生きてきたことへ肯定、誇りのようなもの、それ以外にはありえなかったのだという後悔のなさ、…いうなれば「矜持」を語っている。まずい珈琲を飲みつづけ、日銭を稼ぎながらすべてをレコード代に費やして売春宿の上の階の安アパートで毎晩レコードを聴き続けていた、その音楽とその時代の空気。時代のバブルの影の部分に生きてきたものたちの「1986年」がこの作品のキイワードとなっている。

    そして主人公「おれ」の父親の年若い再婚相手を母とする、腹違いの妹の生まれた年。

    …作品の構造としては、時代の趨勢に背を向けたまま、己の禁断の恋心(同世代である義理の母への思い)を封じたまま生きてきた過去を清算し、失ったもの、あきらめてきたものを喪失として抱え込んだまま、いかにして己自身がそこから未来を切り開かねばならぬのか、その未来のための封印してきた過去を掘り起こし「現在」につながるものとしてのそれを読み直してゆくスタイルだ。ストーリーの大枠としては、主人公「おれ」は26年前、1986年に小説にしたいという思いから書き続けていた自分のノートを紐解き、そこから読み直される新たな何か(「謎の依頼のあった音楽に関するエッセイを書き綴るため」)を書きいだそうとしている、という流れになる。

    (ところでこのような骨組みを切り出して見てみれば、村上春樹の長編小説の多くもこれと同じ構造をもっていることに思い当たる。最近の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」もこれとまったく同様のスタイルをとっているものとして読むことができるものだ。過去を掘り起こし清算してゆく推理仕立て、その謎解きによって停滞としての現在を異なる過去に基づいた異なる物語へとして読み換え、そこから新たな未来へ向かおうとする。)

    で、とにかく吉田篤弘、文体のみならず、プロットの組み立て、作品構造そのものにもあざといほどに仕掛けが多い。虚実をないまぜにして読者をケムにまいてゆく、スタイリッシュにして人を食ったテクストである。

    がっぷり取り組むならば、複雑に絡み合ったこれら複数のモチーフをひとつひとつ取り上げて解きほぐしながら、ストーリーの流れにのせて統合させてみたいところだ。映画のフラッシュバック手法に似た手法で、回想と現在と夢想とを意図的に混濁させ、それらが多重奏を奏でながら同時進行する作品世界、書き言葉のトリックを駆使した虚実をない混ぜにしてゆく独自のこのストーリー展開手法。

    …だけどこれはまあやっぱりあんまり大変でとりあえずはやってらんない。ので、ここではとりあえずいくつかこの人のテーマで独自性の非常に強いものを大きく二点にまとめてメモ的に挙げておくことにする。

    まずは、バブルで繁栄する浮かれてきらびやかな社会の当時の風潮の影、裏側に押し込められたもの、はみ出てしまったもの、或いはそこから逃れた自由をもっていたものへの思い。その影(「外側」或いは「隙間」)の部分を駆逐しようとする大きな力へのひそやかな反感。失われたそれらかそけきものたちに対する哀惜だ。

    そこからはみ出てしまったものの系譜のひとつとしては、記憶喪失者のエピソードが語られている。
    恐らくかつてはプロのミュージシャンであったろう路上生活者チンパン。彼は「おれ」が街で見かけるごとに、郵便ポストやらなにやらをコンガに見立てて叩き、意味の通らない歌詞をしわがれた声で朗々と歌っていた。「そのプレイはじつに軽妙にして巧妙」。叩きながら歌いながら自動販売機周辺の小銭を拾い集めながら街をただ歩いていた。「彼くらい自由に街を生きたものはいなかった。」「彼は記憶を喪失するのと引き換えに自由を手に入れた。言い換えるなら、自由を得るためには記憶を手放さなければならなかったのだ。」

    (我々は一体に何によって自由を奪われているのか。これは己自身による枷についての問題提起でもある。)


    そしてふたつめ、これが非常に興味深いものなんだが。…双子的なるもの、あるいは己の存在の片割れのテーマである。

    双子のテーマって昔からひっかかっていた。例えば、いしいしんじ「プラネタリウムの双子」、村上春樹の初期のものに繰り返し出てくる双子の女の子のモチーフ、荻原規子「風神秘抄」で草十郎の世話をする遊郭の双子の女の子、或いは岡田淳「こそあどの森」のさえずるような双子の女の子のキャラクター。それはまた梶井基次郎の「Kの昇天」での己の影法師、ドッペルゲンゲルに通じるテーマでもある。

    人間には、そういう根源的な感覚ってあるのだ。不思議な陶酔感を伴う己のドッペルゲンゲルの存在を感ずるその感覚。それは、どっちが本当?ホンモノの自分ってなんだろう、という根源的な己の存在への問い。信じていた己が、或いは影法師かニセモノであるかもしれない、という感覚、アイデンティティの危機。己の拠って立つ大地が、存在認識の土台の崩れてゆくような恐怖。(それはとても素朴な感覚なのだ。ドラえもんにだって自分の影が己にとって代わるような恐怖のアイテムが登場するよね。)

    これらは、或いは光と影がふたつでひとつのものという命題にも通じてくるような、オリジナルと代替物(あるいは投影される対象)という常に逆転性を孕んだ関係性の持つ意味というテーマである。それを探ってゆくことは、拡張されあるいは投影されあるいは分断された自己、対幻想的なるものと自己との関係性への疑問を孕みながら、己とは何か、そのアイデンティティとは果たして何なのか?という根源の問いに複合的な視点から答えてゆこうとする探求となってくる。

    ここでは、謎の女性デュオ「ソラシド」の片割れ、天才肌コントラバス奏者「カオル」と「トオル」の双子の関係が作品中のすべてのその代替物とアイデンティティのテーマを抱いたモチーフを表徴するキイ・モチーフになっている。

    相反するふたつの思いを抱えるということと己の片割れを持つということをアナロジーにとらえ、それぞれの登場人物がそれぞれのダブルバインドの停滞に決着をつけて未来を選んでゆく物語なのだ。

    「音楽によって時間や空間から逸脱し、当たり前なものに背を向けながら、どこかで安寧をもとめていた。逃げながら留まりたかった。前へ進みながら帰りたかった。そんな右と左を向いた思いをひとつにする術はないものかとずっと探してきた。」おれ。

    そして、「いま、ここにしかない」音楽の本質を残したい、というレコーディングへのジレンマを抱えたカオル。残したくないが残したい、それは生まれて生きた証。それは消えゆくものを消えゆくものというその本質を愛するがゆえに失いたくないと願うダブルバインドであった。

    その思いは、幻のただ一枚の試作品、真っ白なジャケットに包まれた誰にも聴かせない「封印されたレコード」として残され、「Don't Disturb,Please」の札を吊るした高円寺の路地裏の異世界じみた小さなバーの中でひそやかに俺の手に託されるものとなる。

    母理恵によって封印された母自身の愛したレコード、そして亡き父(画家)の絵、そして腹違いの兄「おれ」の封印した「おれ」の捨てた音楽の象徴、「おれ」の分身であったコントラバス、それらすべてあばきだし拾い出し、それを描き出すことによって新しい未来を拓く妹、オー。

    トオルの死を、己が己であることを封印し音楽を封印し、トオルになりきる人生を生きることを選んだカオルは、再びソラと出会い音楽を取り戻そうとする。

    そして、「おれ」のなかに父の面影を探していた理恵は解かれた封印とともに「おれ」自身と向き合うこととなる。

    「Don't Disturb,Please」。

    この言葉は、封印される思いと敢えてそれを破りその痛みの向こう側に未来をもとめようとするダブルバインドのさまざまなかたちを言い表し、繰り返し「おれ」の心に響く。そっとしておくこともあり、敢えて破ることもある。

    相反する二つを溶け合わせたそのソラシドの音楽、消えゆく懐かしい思い出の街の風景を現代に重ね、おれは痛みとともに封印を破り、再び痛み哀惜の念と共に封印する。謎はそのようにして解かれ、封じられた心は解放され、ダブルバインドはダブルバインドとしての保たれたままひとつの停滞は解かれてゆく。未来はその失われた思いを喪失を抱えたそのままに、そこから新たに開かれてゆくのである。

     *** ***

    よりファンタジックで幻想的、大人の洒脱なファンタジーの味わいの強い吉田篤弘の次の作品「電球交換士の憂鬱」においても、そのテーマは構造から言うとほぼ「ソラシド」に一致している。不死と消えゆくものの対比、そして己の分身。

    この作品では、影武者、ドッペルゲンゲル、ホンモノとニセモノのテーマが繰り返しその象徴となる対象をさまざまに取り替え、変調し重層しながらうたわれており、バー「ボヌール」で、強烈な個性を持つ正体の知れない常連たちの虚々実々の言葉の駆け引きの中、アイデンティティは非常に不確かなものとして揺らいでゆく。消えゆくものを交換しつづける電球交換士が主人公十文字である。

    「おれは神崎になりかわって電球を交換し続けてきた。ヤツはヤツで〈十文字ランプ〉になりすまして、自分の電球をつくりつづけた。そういう意味で云えば、おれたちは『似ている』というより二人で一人だった。神崎でも十文字でもない一人の『男』を、おれとヤツの二人で演じつづけてきた。」
    永遠と不死身という言葉を繰り返し、決して切れない電球を選ぶ神崎と、消えゆくものを選んでゆく「おれ」。

    共通した特徴としては、結末に、あまりクリアな解決や結論はない、というところか。ただ、謎が解け、封印がほどかれる。ひとつの停滞がほどかれ、ほのかな希望と未来への意志とともに人生に次のステージが開かれるのだ。

    「標的は、はっきりしたが、おれの銃弾は依然として、なにひとつ撃ち落とせない。」

  • ぐわしと一気に世界に引き込まれる感はなんなんだろうなぁと毎回思う。強引なところは全くなく。
    途中ちょっと中だるみ感があったけど,終盤の展開にはやはり脱帽。

  • もう一度、The Beatlesの音楽が聴ける喫茶店で読み直したい。

  • かつて奏でられた音を求める物書きの話。
    読後に、文章で読んだ光景が自分の記憶だったように錯覚する、そんな一冊。
    音と当時の空気を閉じ込めた一枚のレコードは、耳にした人に影響を与え、文章として記述され、読み手は音を求める。
    なんて穏やかで、心地良いループだろう。

  • 「新潮」の連載でちょいちょい読んでいたのだが、
    これは一冊の本の方が楽しめた。

    相変わらずの心地よい空気感のある作品。
    ただ、「ソラシド」という名前しかわからないミュージシャンを探し求める、とゆーストーリー上、
    ちょっとミステリーチックでもあり、いい意味でずっと緊張感、みたいなものが作品を通してある。
    彼女たちが今どうなっているのか、という疑問を
    登場人物たちと同じように、持ちながら読み進める。

    妹との関係にどーもラブっぽさを感じてしまったのだが、
    よく考えたら血、繋がってるんだよなー。

    冬の音楽。
    聴きたいです。

  • 読み終えるのに時間がかかった。不思議な印象。

  • だいすきな本になった。

    吉田さんの本は、読んでいてにやついてしまうことがある。

    ノート。1986年。ダブルベース。ソラシドの2人。音楽。言葉。レコード。コーヒー。

    今のこの気持ちをうまく言葉にできない。
    何度でも読みたい。

  • 1986年。まずいコーヒーを飲み続け、給与の大半はレコードを買い集めることに費やし、腹違いの妹が生まれた年を、中年になった男が改めて追いなおす物語だ。
    ソラシドというユニット名の音源の残っていない女性デュオに惹かれ、導かれるうちに浮かび上がってくる過去と現在を美しく描写している。
    この人の作品って出てくるものは何気ないアイテムなのに(ピザの箱、割箸で食べるカレー)なんでだか洒落てるんだよなぁ。

  • ん〜。
    何だったんでしょ。

  • 読まなくても良かった。なんだかな。
    なんだかなー。

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著者プロフィール

1962年、東京生まれ。小説を執筆しつつ、「クラフト・エヴィング商會」名義による著作、装丁の仕事を続けている。2001年講談社出版文化賞・ブックデザイン賞受賞。『つむじ風食堂とぼく』『雲と鉛筆』 (いずれもちくまプリマー新書)、『つむじ風食堂の夜』(ちくま文庫)、『それからはスープのことばかり考えて暮らした』『レインコートを着た犬』『モナリザの背中』(中公文庫)など著書多数。

「2022年 『物語のあるところ 月舟町ダイアローグ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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