「毒親」の正体 ――精神科医の診察室から ((新潮新書))

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107566

感想・レビュー・書評

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  •  筆者が臨床の現場からまとめた、いわゆる「毒親」のパターン2種。

  • 毒親について興味があり読んだ。
    結構腑に落ちました。
    私は毒親になりたくない。

  • 話せばわかる、がそう簡単な話ではないのがよく分かる
    特に家庭という閉鎖環境で子供に逃げ場がないと、追い詰められ感が強いだろうなぁ。いじめとも共通する気がする。密室は怖い
    学校なり友達なりに逃げ場があればもう少し楽になるとは思うが、中学生未満だと難しいよね。自分は田舎や親戚の家によく逃げ出してたけど

  • 毒になってしまった親にも、
    いろいろな原因があったと知った。

    発達障害や幼少期のトラウマ、
    初めて知れて勉強になった。

  • 本で振り返る新語・流行語大賞2021(親ガチャ)

  • 発達障害からの観点でどこう家を考察した本です。とっても参考になる点が多くなるほどと思いました。大事なのは毒親には悪気がなくて発達障害の特性から毒親的な行動してしまう場合があるということでしょう。後半は毒親に向けてと、毒親の子供に向けてのメッセージが書いてあります。これを読んで癒される人もいるんじゃないでしょうか。

  • 毒親を自身の精神科としての経験から分析している本であり、すべてのタイプの毒親を網羅しているわけではない。しかし、発達障害からの分析は参考になる点があった。


    以下読書メモ
    ーーーーーーー
    ・複雑性PTSDとは、逃げ出せない環境において、主に支配的な相手から、繰り返し対人トラウマを受け続けることによって生じる病態です。実は「境界性パーソナリティ障害」と診断されている人の多くを、複雑性PTSDと診断し直すことができます。トラウマを親から受けたというケースも多く、いわゆる「毒親」を持つ人とも多く関わっています。相当重症な患者さんも数多く診てきました。

    ・「毒親」という言葉は、医学的専門用語ではありません。しかしこの言葉は、それまで人生における生きづらさを「自分のせい」「自分が悪かった」「人のせいにしてはいけない」と思っていた人たちに、「悪いのは親の方だったのだ」「自分が悪かったわけではないのだ」「自分と同じような悩みを持った人が他にもたくさんいたのだ」という新たな気づきを与え、救いになったという重要な側面もあり、比較的多くの人に使われるようになりました。

    ・実はこれでは解決には遠いのです。「毒親」と縁を切ることで、これ以上の被害を防ごうとしても、ふとした瞬間に親の言動がありありと蘇り、悩まされることになるでしょう。親にすり込まれた「おまえはしょせんこんな人間だ(わがまま、能力も根性もない、優しくない、など)」は、案外一生つきまとうのです。もう何年も前に親は死んでいるのにという場合も少なくありません。

    ・また、自分が親と同じようになるのを怖れて、子どもを持つことに消極的になる場合もあるでしょう。人生で初めて出会う人であり、その後も重要な生育期にそばにいた親は、それほど大きな影響を及ぼすものなのです。

    ・そして親に肯定されずに(多くが否定されて)育つことで、自己肯定感が非常に低くなるのもよく見られることです。自己肯定感の低さも、対人関係を難しくする代表的なものです。

    ・ 目的は、自分自身の心が安らかになり、自己肯定できるような「視点」を見つけることなのです。

    ・「毒親」の影響が特にきつく表れるのは一人っ子だと思います。また一人っ子でなくても、きょうだいの年が大きく離れている、きょうだい間で扱われ方にあからさまな差別がある、という場合には似た状況になり得ます。

    ・ 「この人は衣食住と教育を提供してもらって、ちゃんと社会に出してもらった。すでによい大人なのに、今さら『親のせい』?」
    冷静に「愛着スタイル」という精神医学的観点をはさんでみると、答えがはっきりしてくるのではないでしょうか。「毒親」は長年にわたり、子どもを振り回すことによってその愛着スタイルに大きな影響を与えます。あるいは先述したように、命に関わるほどの虐待や、性的虐待は、たとえ一回であっても子どもの愛着スタイルに大きな影響を与え得るものです。ですから、たまたま不機嫌な親がひどいことを言ってしまったとしても、日常的な関係性が安定していれば、愛着スタイルに致命的な影響を与えるわけではありません(性的虐待は別として、たまたま不機嫌だった、ということを伝えてあげれば、さらに安全だと思います)。
    また、不安定な愛着スタイルを身につけても、それで終わりなのではないことは先に述べました。その後の生き方や人との出会いによって、結果として安定した人生を歩むことができる人はたくさんいます。ですから、全てが「親のせい」というのは正しいとも言えるし、必ずしも正しくない、とも言えるのです。

    ・ASDタイプの人が常に攻撃的ということはありません。でも私がお子さんから愛ける相談の中には、いくら説明してもメチャクチャに攻撃される、というようなものがあります。前述しましたが、ASDタイプの人は、自分の領域を侵害されたと思うと、攻撃的になる場合が少なくありません。その間、頭脳はほとんど動いていないので、いくら説得しても、ますます怒らせてしまうことになります。

    ・なぜ人はアルコールなどに依存するのかと言うと、そこに逃げざるを得ない不安を抱えていることが多いからです。「不安型」の愛着スタイルの人が依存症になりやすいということは知られていますが、「不安型」だから依存するというよりも、「不安型」の人が、何らかの精神的危機に直面したときに、何かへの依存はとりあえずの逃げ場を与えてくれるということになるのでしょう。

    ・ DVを働く父親自身も被虐待児で、人間全体に警戒心を持っており、自分を否定する人間に極度に敏感だということもあります。妻や子どもが、自分の意見に反することを言うと、「自分が否定されている」と感じるのです。家庭をきちんとコントロールしないと自分の父親としての評価が下がるということをひどく気にしているのです。子どもは、よくわからないながらも、父親に従うしかなくなってしまいます。

    ・ 父親が妻の親の悪口を言ってばかりという場合もあります。配偶者の家風を「文化度が低い」「気取っている」などと悪く言う人もいます。自分の身近な人たちが悪口を言い合うこと、そして結局はそれを子どもが引き受けなければならないことは、いずれも子どもにとって安心して育っていける環境を作りません。

    ・「自分の成績表」として子育てをすることはまさに「子どもの私物化」であり、そんな親が「毒親」と見られるのも、仕方がないと思うことが知られつつありますが、未だに、親を悪く言う人は決して好意を持って見られない、というのは事実だと思います。
    親は自分をこの世に生み出してくれた存在(生み出された人生がどれほど辛いものであっても)。
    親は基本的に子どもを育ててくれる存在(その育て方が虐待的であっても)。こうした観念が強いため、例えば「不安定な愛着スタイルを与えたけれども、大学まで出した親」がいた場合、「大学まで出したのに」と言いたくなる人がいるのです。ですがそれは、あまりにも表層的でしょう。こうした「常識」が、「毒親」を持つ人をどれほど縛り、苦しめているでしょうか。

    ・あるいは、親のどのような言動が、子どもを混乱させ、人間や人生をプラスに受け止めることができなくなったか、ということを知るためです。自分が受けた被害と、現在の自分の「症状」の相関を知ることは、子どもの人生に計り知れないプラスをもたらします。

    ・ それどころか、親による自己正当化、あるいは「あなたの考えすぎ」など子どもに対する冷たい評価など、相手の反応によってさらに傷つき落胆する可能性の方が高いと思います。

    ・もちろん、社会的な体面というものもあるでしょう。親がいろいろと自己正当化するのも、「子どもをちゃんと育ててこそ認められる」という観念に基づく場合が多いものです。私も親だからわかるのですが、いくら自分が社会的に認められていても、子どもすらうまく育てられないというのは、「人間としてどうだろう?」という疑問を多くの人に抱かせますし、自分自身も自信を失うことになります。

    ・「毒親」には、期待できることと期待できないことがあります。例えば精神的なサポートは無理だとしても、お金を出してくれる親もいます。自分のメンツを保つためにか、純粋な愛情のためにか、子どもの学歴のためにはかなりの努力をしてくれる人もいます。親からほめてもらうという期待は永遠にかなわないとしても、「そういう言い方はやめてほしい」という要望に、できる範囲で応えてくれる「毒親」もいます。あるいは、「私はもう大人になったのだから、一切の口出しをやめてほしい」と言えば聞いてくれる親もいます。

    ・ 他にも、最低レベルの例の一つとしては、「治療費の負担」があります。その父親には、社会的地位と金銭的余裕はあったのですが、ひどいトラウマを抱えたDVタイプで、全く癒されていない人でした。配偶者にも暴力を振るっていましたし、息子の苦悩も全く認めようとしないばかりか「俺だって苦労して今の立場を築いた。どうしてそれがお前にはできないのだ」と怒り続けていました。患者さんのきょうだいにも精神的な疾患があると考えられました。第2章で「親のトラウマ症状」について述べましたが、この父親にもトラウマがあったのだけれど、それを決して認めようとしていなかったのだと思います。

    ・大切な人が亡くなったとき、人は心の中で「悲哀のプロセス(喪の仕事で嘆などとも呼ばれます)」を歩みます。大きく言うと、まずは「信じられない、信じたくない」という「否認」、次には「絶望」を中心とする感情的段階(怒りや悲しみ、罪悪感なども含まれます)、それを経ると「脱愛着」(悲しみは続くけれども、その人がいない現在にそれなりに心を開いて暮らしていける)の段階に至ります。これは、人の死に特有のものではなく、何らかの喪失体験をしたときには、程度の差こそあれ、誰しもが通って行くプロセスです。

    実は、「毒親」問題もこの喪失体験のひとつに当たります。自分の親が「無条件で愛してくれる親」「自分の気持ちを慮ってくれる親」ではないという気づきは、「本来親に求めていたもの」の「喪失」を意味します。ですから、それを手放す、あるいは自分なりの整理をつけるためには、「悲哀のプロセス」を通る必要があるのです。「ものわかりのよい子」のままで、親に求めていたものを手放すことは不可能でしょう。

    ・ここで言う「ゆるす」ということは、私がボランティアで取り組んでいるアティテューディナル・ヒーリング(A日)における考え方です。これは、米国の精神科医、ジェラルド,G,ジャンポルスキーが創始した活動で、自分の心の平和だけを目的にした、心の姿勢への取り組みです。これは治療法ではなく、あくまでも「自分で行う、自分の癒し」なのですが、A日を体験することによって、精神科医にもなすことができなかった癒しを手にする人をたくさん見てきました。

    ・ 思い出す度に自分が傷つかなくてすむようになることを、AHではゆるしと呼びます。親がとった言動を正当化する必要はないのです。親は明らかに、子どもに対して不適切なことをしたのです。ただ、それを思い出す度に「自分に落ち度があったから⋯⋯」「自分はすっかり傷ものになってしまった」などと自分を傷つける必要はないということなのです。
    その際、「親に言われた」という「重さ」に悩む必要はないと思います。親になるための特別なトレーニングがあるわけでもないですし、親になったからと言って、その人自身の弱点や癒されていない傷を克服できるわけではないのです。「毒親」とは、突き詰めて考えれば、「不向きな人」が、突然「親」という役割を背負わされて、「子どもは親に従順であるべき」「ほめると子どもはわがままになる」などという迷信に振り回されて、あるいは単に自分に余裕がなかった(マルチタスクができないことも含めて)ために、子どもにひどいことを言ったりしたりしてきたに過ぎないのです。

    ・「虐待されたわけではないけれど⋯⋯」という言い方で「毒親」の存在を訴える人は、それが「精神的虐待」だったということを認めた方がよいでしょう。親が子に「あなたは遅く生まれた子だから悪い遺伝を持っている」「あなたは外見的に劣っている」などと言うことは、明らかに精神的虐待と言えるからです。

    ・あるいは、自分さえ努力すれば、親はもっとよい親になってくれるはず、という切ない思いもあるのだと思います。「どうすれば親がもっと優しくなってくれるか」「どうすれば親がもっと幸せそうにしてくれるか」を中心に生きてきた子どもは、「毒親」の周りにはとても多いのです。

    ・「毒親」問題を乗り越えた人の中には、「安定型」のパートナーを得たことが契機になった、という人が少なくありません。気分のむらなく一貫性がある人。距離を急に近づけたり遠ざかったりしない人。何を言っても受け入れてくれる人。そんな人と一緒にいると、「不安型」「回避型」の人は癒されていきます。

    ・ 対照的なのは対人援助を「相手を中心に考えていく」後者の場合です。「自分のことはさておき」というところがポイントなのですが、相手に対して一貫した姿勢で、それこそ安定的に関わる、というプロ意識を持つことができると、かなりの癒しを得ることができるのです。それまで全くルールの見えなかった人間関係に、一定の成果を見いだすことができる、という感じでしょうか。自分が相手を無条件に受け入れてみる。すると、相手は安心して信頼してくれる。ここから、自分の生育過程では学べなかった「健康な人間関係」を会得していく人は少なくありません。

    ・毒親には、実にいろいろな親がいます。子どもを無条件に愛してくれる親「毒親」もいます。親に感謝している人にとって、「毒親」の存在はショックでしょうし、助けてあげたいと思うでしょう。うまい相手が見つからなければ、適切な治療者を求めてください。そうすることによって、「毒親」に刷り込まれた、「自分はだめだ」という感覚を乗り越えることができるはずです。少なくとも私の患者さんたちは、そういう経過をたどってきています。

    ・ 言ったことを忘れるというのは、とりあえず反撃するASDTypeによく見られることです

    ・ 臨床で見ていると、父親が「毒父」である場合、「父親は嫌い」と、簡単に投げ出している娘を多く見ます。父親はそもそも対象外であって、より愛情を示すべき存在である母親が気になる、ということもあるのでしょう(もちろん、父親が温かい人で、母親〈妻〉の限界を見極めている場合には、父親が子どもの愛着スタイルをきちんと安定させてくれることもあります)。

    ・「あなたのせいでこうなった」などと言われたときに、どうしても防衛的になってしまい、結果としていつもの「毒親」パターンを繰り返すことになってしまうのです。

    子どもは親に直接対峙する権利があるでしょう。それを抑制することはできません。しかし、親御さんにお願いしたいのは、その場で言い返さないでほしい、ということです。とりあえは一旦話を聴いて、咀嚼する時間を持ってください。その場で言い返してしまうと、さらなる「毒親」になってしまいかねません。

    ・「毒親」を持つ多くの人は、通常の意味での反抗期を経験していないことがほとんどです。しかし、反抗期こそが、「大人になる」ために必要なプロセスなのです。それまで絶対的な存在だった親に対して、生理的な嫌悪感を抱いたり、「言っていることが間違っている」と思ったりして、距離を置く。その代わりに、友達や先輩など、より親和性を持つ人たちの意見を聞き、自分なりの考えを育てていく。それが反抗期です。反抗期が終わると、それまで親の価値観や親の人間関係の中で暮らしてきた「子ども」が、自分の価値観や自分の人間関係の中で生きていくようになる。それが、「大人になるということ」だと言えます。

    ・「大人になる」ために必要な、反抗期というプロセス。「毒親」を持つ人は、親の不安定さや、子どもに対するひどい全否定などのために、反抗期を体験できないことが多いのです。「反抗したら親がどうなるか」という不安や、「親が全否定してくる自分は、本当に価値がないのだな」という考えに基づくものだと思います。

    ・ 親は特別な存在です。それと同時に、所詮は自分と同じ、「完璧でない人間」に過ぎないのです。「毒親」を恨み続け、自分自身が子どもを持つ自信を得られないよりも、「私も不完全な人間だ。でも、『毒親』のおかげで、子どもにとって本当に辛せとは何かわかった。子どもを持つことにチャレンジしてみたい」と思える方が、ずっと幸せなのではないでしょうか。

  • 自分のペースで読むことを推奨する。無理に読み進める必要はないことは、著者も繰り返し注意書きしている。
    勇気が湧く書。

  • カッコ付き「毒親」の解説。とくに発達障害をもつ人が子育てする時「そこで何が起こっているのか」の解説が分かりやすく、その困難を想像できる。

  • 毒になる親、
    の衝撃はもう無く、毒親という言葉が一般的になった時代。

    毒親で悩んでいる人向け、
    毒親かもしれない人向け、
    全方位にすごく気を使ってかかれている印象。
    よって、どういうつもりで読むのか、
    決めて読まないと迷子になった。

    医学的?な観点から論理的に言葉にされているから、
    気になった時に都度、読めばいい本だと思う。

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著者プロフィール

水島広子【みずしま ひろこ】

慶應義塾大学医学部卒業・同大学院修了(医学博士)。慶應義塾大学医学部精神神経科勤務を経て、2000年6月~2005年8月、衆議院議員として児童虐待防止法の抜本的改正などに取り組む。1997年に共訳『うつ病の対人関係療法』を出版して以来、日本における対人関係療法の第一人者として臨床に応用するとともに、その普及啓発に努めている。現在は対人関係療法専門クリニック院長、慶應義塾大学医学部非常勤講師(精神神経科)、対人関係療法研究会代表世話人、アティテューディナル・ヒーリング・ジャパン代表。主著に『自分でできる対人関係療法』『トラウマの現実に向き合う』(創元社)、『拒食症・過食症を対人関係療法で治す』(紀伊國屋書店)、『怖れを手放す』(星和書店)、『女子の人間関係』(サンクチュアリ出版)、『自己肯定感、持っていますか?』(大和出版)、『「毒親」の正体』(新潮新書)などがある。

「2022年 『心がスーッとラクになる 世界の美しい文様ぬり絵』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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