コ-ヒ-が廻り世界史が廻る: 近代市民社会の黒い血液 (中公新書 1095)
- 中央公論新社 (1992年10月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121010957
作品紹介・あらすじ
東アフリカ原産の豆を原料とし、イスラームの宗教的観念を背景に誕生したコーヒーは、近東にコーヒーの家を作り出す。ロンドンに渡りコーヒー・ハウスとなって近代市民社会の諸制度を準備し、パリではフランス革命に立ち合あい、「自由・平等・博愛」を謳い上げる。その一方、植民地での搾取と人種差別にかかわり、のちにドイツで市民社会の鬼っ子ファシズムを生むに至る。コーヒーという商品の歴史を、現代文明のひとつの寓話として叙述する。
感想・レビュー・書評
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題名の通りですが、コーヒーを基軸に世界史の知識が深められる本です。
以前に拝読した「おにぎりと日本人(増淵敏之著)」と共通した面白さがありました。
本書の中で、バッハのコーヒーカンタータ(1732年)が紹介されていたので、YouTubeで聴いてみました。当時のコーヒーの流行っぷりを音楽を通して感じ取れた気がします。
モカブレンド好きの私は、本書でモカの歴史を知れて嬉しかったです。
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◆モカについて
イエメンの「モカ」コーヒーが、オランダのアムステルダムに定期的に輸入されるようになったのは1663年。増大する消費量に対し、イエメンだけが産地であるコーヒーには、需要と供給に差があった。
利益が保証されているのなら、アラビアの商人を介在せずに、自分たちで作って売る方が稼げると気づいたオランダ人は東インド会社を設立。自分たちの植民地にコーヒープランテーションを作り始める。(1658年 セイロン、1680年 ジャワ)
その後、モカ港は衰退。理由は下記の通り。
①港の海底に砂漠の砂が溜まり浅くなった。
②土地が政治的混乱。1万トンのコーヒーを生産できなかった。
③ヨーロッパの莫大な資本で、ジャワ/西インド/中南米の国際商戦に敗れた。
◆コーヒーの飲み方。
元々、イスラムのスーフィズムのコーヒーは苦いものだった。
・砂糖を入れるようになったのはトルコ。
・コーヒーとケーキ文化は、ヴェネツィア。
ヴェネツィアは砂糖の貿易の中心だった。
(エジプト/キプロス/シリアから入る
砂糖の玄関口)
・フランスでは、カフェオレが生まれる。
当時のフランス人はコーヒーは心身に悪い
と思い込み、牛乳で毒性を抹消できると
考えた。(←ちょっと適当な感じが
フランスっぽいw)
◆ロシア人は、コーヒー派ではなく紅茶派。
小説「戦争と平和」で、ピエール/ナターシャ/ソーニャたちは、紅茶を味わっていたそう。
皇帝アレクサンダーのロシア軍が駐屯した際、パリは紅茶ブームになる。その時、多くのカフェはビストロと名称を変えた。これはロシア語の「быстро(ブイストラ) 早く」を意味し、出入りするロシア軍人に紅茶を早く出していたことが由来。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
初めて読んだのは大学の時。
日常的に何となく飲んでいるものを入り口として世界史が学べる、という驚きと感動を感じた本だった。
その後も近代について考えを巡らせるときには何となく読み返すようになっている。 -
コーヒーっていうと、ブラジルってイメージしかないから、
夜通し祈りをささげるためのコーヒーって意味で、イスラム社会から始まってるってのは意外だった。
あと、ブラジルでコーヒーを燃料とした蒸気機関車があった話とか、もろもろ。
世界史に通じていれば、もっと興味深く読めたのかも。 -
アフリカを経てイエメンから世界へ発したコーヒー
精神を高揚させる「ザムザムの黒い聖水」としてスーフィーに愛され、それがヨーロッパに広がり、やがては植民地のモノカルチャーを形成する
イギリスやフランス革命におけるカフェの役割や、ドイツ人の生活に与えたコーヒーの役割は大きく、たかが嗜好品、とは言っていられない
また植民地に与えたコーヒープランテーションの影響も大きい
現在コーヒーが世界中に広まったのはダイナミックな歴史とともに
これから一杯コーヒー飲むときにそんなロマンを感じられたらいいなあ、と思った。
後半はややこしくて著者の自己満に近い気がした -
だいたい、コーヒーというのは奇体な飲み物である。そもそも体に悪い。飲むと興奮する。眠れない。食欲がなくなる。痩せる。しかしそのコーヒーのネガティブな特性を丸ごとポジティヴに受け入れて、世界への伝播に力を貸したのがスーフィーたちであった。
(p.14)
海外活動は危険が伴う。保険が必要だ。しかしこれもない。どこかで始めなければならない。コーヒー・ハウス。正確かつ迅速な情報と遠隔地交易にまつわる事故の補償とは時代の要請であった。
(p.62)
プロイセンは男らしい国であった 。その昔、マールブルクのエリーザベト教会のステンド・グラスに変描いたアダムとイヴの絵で、アダムを誘惑するイヴが女であったという事実に耐えられず、イヴまで男として描いたドイツ騎士団以来の強引な男っぽさが魅力であった。その中でもひときわ男らしく、大王の名に値する傑物がフリードリッヒ大王である。男の中の男といっても並ではない。女人統治時代の男の中の男である。
(p.146)
しかし、たまに密輸品のコーヒーが市場に現れたとしても、フリードリッヒ大王の昔と同じようにふたたび庶民には手の出ない高値をつけていた。庶民の手元に残ったのはふたたび、あの「君たちがいなくても、健康に、豊かに」とまるで負け惜しみの権化が国家ピューリタニズムを着飾ったような「ドイツのコーヒー」だったのである。なんでもいい。一つとして持続的に飲まれない以上、次から次へ発明と開発の手が加えられた。キク芋、ダリヤの球根、タンポポの根、ゴボウ、菊の種、アーモンド、エンドウ豆、ヒヨコ豆、カラスノエンドウ、イナゴ豆、トチの実、アスパラガスの種と茎、シダ、小判草の根、飼料用カブラ、トショウの実、アシの根、レンズ豆、ヨシの穂軸、野生のスモモ、ナナカマドの実。まだまだある。ヘビノボラズ、サンザシの実、クワの実、西洋ヒイラギの実、焼いてみて多少、褐色の焦げ目がつけば何でもいい。文字通り焼け糞である。カボチャの種、きゅうりの本体、ひまわりの種。これですべてではない。しかしもういいであろう。いかにもドイツらしいのを一つだけ付け加えておけば、ビールのホップからコーヒーを作る試みもある 。大地の糧が、というよりは、大地そのものがコーヒーを名乗りかねないような勢いである。 ドイツ語ではこうした代用コーヒーを「 ムッケフック(Muckefuck)」といい、おおよその語源的意味は「朽ち果てた褐色の大地」である。赤面したくなる。しかし赤面してはいけない。この程度で赤面していては、この国と付き合ってはいけないのだ。
(p.151-152)
作者がノリノリで書いた本は、多少筆が滑っていたとしても総じて読み物として面白い。
第一章では比較的抑揚をおさえた文章も、頁を重ねるにつれてどんどん饒舌になっていく。
ドライブ感のある講義を聞かされているようで、最後まで持っていかれました。 -
最初は戦国時代の茶の湯によって
当時の政治や経済が回っていく様と
イメージを重ねて読んでいた
だんだんNHK特番の
「映像の世紀」を観ているような
感覚すらしてきた
頭の中であのテーマソングが流れてきた
思っていた以上に面白い本だった
市リユース文庫にて取得 -
欧州中心の歴史に加え、コーヒー誕生のストーリーが著者の粋な文章で、楽しく読めた。たださすがに歴史を理解するのは難しいので、欧州の歴史についてもっと知りたい。
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世界商品シリーズ、今回はコーヒーです。
ザムザムの黒い水、知性のリキュールと呼ばれるコーヒーですが、
この手の世界商品って(紅茶・たばこ・砂糖・綿など)
プランテーションとか奴隷貿易を抜きにはあり得ないよなーと、
しみじみ思いつつ読みました。勉強になったです。
2010/3/1読了