本心

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (449ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163913735

感想・レビュー・書評

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  • 現在の延長線として納得できるくらいの近未来を舞台で、かなりの割合で主人公の自問で語られる人の関わりについての深い考察。
    気候変動、ウイルスの蔓延、高齢化、自由死、生活格差、仮想現実、AI。どの問題も今より少し悪化したものとして存在しており、この本をきっかけにそれぞれの問題に更なる関心を持つきっかけになりそうです。主人公の自問はとても知的な深い考察で、自分より他者を気遣う行動を取ることで若干共感出来ないところはあるものの、納得性はある。表題の「本心」はこの本の核となるテーマとも言える「母親が何故自由死を選んだか」に言及しながらも最後はうやむやになっていることには不満を感じる。〈母〉であるAI が本当の母の人格を得て自死を選んだ理由を語るのではないかと考えながら読んだのだが。

  • オーディブルで聴いた。平野啓一郎さん作品は「ある男」に続き2作目。
    初めの方は、面白かった。亡くなった母のVFを作って、写真やメールのやり取りの履歴などからAIを駆使して本人らしい言動をするなんて、未来にはあり得そうな話で興味が湧いた。
    でも途中、主人公が高校を中退するきっかけとなった、買春していた女子生徒のことを、愛していたのかもしれないとか言い出した頃から、何この人?と思い始め、なんか全てにおいて言い回しが難解でわかりにくい書き方をするなぁと思ってしまった。
    平野さんが提唱する「分人主義」というのも、わかるようなわからないような…私には難しい考え方だった。
    最後の方は、母の出番がほとんどなかったし、自由死、リアルアバター、仮想現実、障害者の恋、三好への恋心、精子提供、作家との関係、外国人の言葉の壁、なんかいろいろ詰め込まれすぎていて、何がテーマなのかわからなくなってしまった。
    終わり方も、イフィにもらったお金で福祉の学校へ行くつもりなのと、ティリとの今後の関係が気になる、希望が見えるラストで良かったけど、母のVFは今後も存在し続けるのか?結局母が自由死を願った「本心」とは何だったのか?V Fが何か本心らしいことを語るのかと思っていたが、いろいろわからないまま終わってしまった。

    でも、他の方たちの感想を読んで、あぁ、こういうことだったのか、こう感じればいいんだ、という発見がいろいろあったので、読んで良かった!!

  • すごく深い話だった。
    この人の小説は初めてだった。マチネの終わりにを映画で観ただけ。初めての人の本を読むときは少し構えてしまう。
    自分と合うだろうか、と。この人のこと好きになれるのかな?と。
    心の機微をとらえ、真剣に考える方なんだろう、と思う。何冊もこの人の話を読んでいたら息が詰まってしまいそうだが、出会えて良かった作品となった。

  • 今から30年弱後の話。
    自由死の選択、ロストジェネレーションの困窮、ヴァーチャルリアリティーの発達。
    色々な事が盛り込まれています。そしてテーマは、自分というものを規定しているのは何なのか。という事ではないかと感じました。
    ヴァーチャルで大事な家族を作り上げるという事は、これからの時代充分にあり得る話ですよね。いわゆる不気味の谷を克服したヴァーチャルは現実と変わらなくなって、人の心を癒すようになるのでしょうか。
    人間の想像力は無限なので、子供の頃ドラクエのドット絵ですら違う世界を旅していた気分になったんだから、本物と見分けがつかないヴァーチャル空間だったら、それは現実の一部と言えるのかもしれません。

    しかし時代がいくら変わっても、人と人は惹かれあうし、間違いを犯すし、思いは報われないし、時間は人の心を癒すのは変わりないでしょう。
    もはやSFとすらいえない位あり得る近未来のお話です。

  • 作者のいう分人主義を強く感じられる作品。近未来の軽くディストピアっぽい時代という設定の中、亡くなった母の本心を探る過程をミステリ的に展開していく流れでテンポよく読める。

    『最愛の人の他者性を受け入れる』(手元に本がないのでうろ覚え)がこの本の大きなテーマなのだとすると、主人公朔也は亡き母の他者性を受け入れる事で母への精神的依存から解放され独立した個として成長したと捉える事ができるのかと思う。

    他人の本心とは永遠に分からないものであり、自分からわかるのはあくまでもその人との関係性においてのみ、三好は本当は朔也を好きだったかも知れず本当はその言葉を待っている一方、朔也も好きであったにもかかわらず、三好は朔也にフラれた(もっと複雑なレベルで)と認識しているのかもしれないが、それも永遠に分からない事。結局、当事者の認識が全てで本心などは本人も実はわからないのかもしれない。

    AIはその象徴か。本心など存在しないと分かっていても受け取る側が勝手に本心を作り出してしまうというのは、結局自分自身の想像の範囲内でしか本心は存在しないどころかそもそも唯一の本心など初めから存在しない可能性すら示唆しているようにも思える。

    これら主題が、ミステリ的展開でテンポよく読める上に、朔也の前向きな姿勢のラストの爽やかさで読後感もスッキリしていていい作品だった。

    ただ一つ難を言うと…

    仮想空間、バーチャルフィギュア、温暖化の進行、貧困差の拡大などすぐ近くの未来の設定はおおよそ現代と変わりなく、特に本筋とは関係のないように思う温暖化の進行と貧困差の拡大はかえって舞台設定を安っぽくしてしまっている気がする。貧困は自由死とのセットかもしれないが、その死生観も単純で深みがなく残念。

  • 2040年、こんな時代になっているのか、なまじ想像の世界でもなく現実にあり得るなと危惧する。

    生きるということを強く意識することになる。
    そして自分だけでなく「最愛の人の他者性」についても。

    目次のタイトルそれぞれが深く心に刻まれる。
    この先の未来、生と死はどのように変化していくのだろうか、先が見えてきたこの歳に読んだ今、考え深い。
    そして難しい。

  • 何かのサイトで、著者が本作について「愛の話」というようなことを書いていたのを目にしていたので、てっきり「愛する人=恋人か妻」の「本心」やいかに?という物語だと思いこんで読み始めたが、主人公の朔也が、亡くなった母の「本心」が分からずに思い悩む物語だった。
    舞台は今から2~30年後の日本。日本は経済格差が広がり、社会保障制度も崩壊。お金持ちの人たちは日本に見切りをつけて国外に脱出。日本社会の底辺で生きる主人公、朔也は、小説の前半は世の中に半ば絶望していて、母が自ら死を望んでいた(未来では”自由死”といういわば安楽死のようなものが認められている)ことを、受け入れられずにいる。最終的には母は事故で亡くなったのだが、母が自由死を望んでいたのは「本心」だったのかどうか分からず、それを知りたいという思いや、自分が母の希望を叶えなかったのは間違いだったのかという迷いの中で苦しむ。そして母の不在の寂しさから、母のVF(ヴァーチャル・フィギア)を作成する。VFの中のAIに学習させ、〈母〉をよりリアルにするために、母が生前唯一親しくしていた女性に出会うことで、朔也の人生(物語)が動きだす。
    「自然死」は認められるべきか。この社会の「格差」を是正するにはどうすれば良いのか。自分は生きるために底辺の仕事をし続けるしかないのか。底辺の自分が、同じ底辺の仕事に就く人を見下してしまうのは、どういうことなのか。外国人労働者に対する差別…。朔也は懸命に生き、VFの〈母〉と対話し、内向していく。
    平野啓一郎くんはメディアでよく、自分たちの世代の格差について意見を述べている。団塊ジュニアの私たちの世代が、大学卒業時に超就職氷河期で、そのタイミングで就職の機会を逸したためにずっと定職に就けず、結婚も子育ても現実的に不可能になってしまった人が少なからずいることを問題視している。自分だって母子家庭で、どうなったかわからないという切実な想いをもって。それは私も同じだ。就職浪人の末なんとか今の仕事に就いて、仕事を続けられているのは、もちろん、文字通り血のにじむような努力をしたのだが、それ以外にいくつもの「運」も重なり、たまたまそうなっただけだ。同じくらい努力しても仕事に就けなかった人をたくさん知っている。それを、「努力が足りなかった」とは言えないはずが、子供の頃から「競争を勝ち抜け!」と教えられ、競争に負けたら自己責任だというメッセージを受け取ってきた私たちは、自分が非正規雇用のままであることは、やっぱり自分のせいなのだと思い込まされてしまう。また、そもそも最初から努力できる環境になかった人だっている。私たちの世代は、競争が激しすぎた。
    この物語の主人公、朔也の母は、団塊ジュニアで、大学を出て正社員として就職したのに(その時代の女性としては奇跡的)、朔也を生み育てている間は最低賃金の仕事でぎりぎりの生活をするしかなかった。そして70歳を前に「もうじゅうぶん」と言って「自然死」を望む。それは「本心」なのだろうか。
    内向していく朔也は、本当に心が綺麗で、ルームシェアすることになった女性、「三好」に対する想いが切ない。三好に自分の気持ちを打ち明けないことこそが、本当の「愛」だと考えて行動する。(そのあたりは、これまでの平野作品と同様、「本当の愛とは何か」という究極のテーマを含んでいる)。
    読んでいて、小説の最初では社会に絶望し、暗かった朔也が、最後の方にはどんどん魅力的な青年になっていくことに小説終盤で気づき、母のVFと一緒に滝を見ているあたりで大きな感動が襲ってきた。そしてあの奇跡の場面…。
    VFの〈母〉は心はもたず、あくまでAIが学習してそれらしい受け答えをしているだけなのだが、朔也は最後に奇跡的に母に出会い、その手に触れる。母の死を受け入れることができず、〈母〉に依存しそうになっていた朔也の心が、新しい未来へ向かっていく。涙。
    平野君作品では、私は、「ドーン」「ある男」「マチネの終わりに」がベスト3だったのだが、あぁ、これはどこに位置づけよう(悩)!しばらく余韻に浸ります…。

  • 石川咲也はお母さんを事故でなくしてから、疑問に悩まされる。死ぬ直前にお母さんは「自由死」を望んでいたようである。けれど咲也にはその理由が全く理解できない。それで彼女の本心を探りたいので、お母さんそっくりのVF(バーチャルフィギュア)を作ってもらう。けれど無駄ということに気づく。

  • 色々な人の、色々な場面での"本心"。
    舞台は格差社会・IT化が進んだちょっと先の未来の日本で、私たちの"これから"の在り方を考えさせられる。
    自分の感覚としてはマチネとかよりも読みやすく、おもしろかった。


  • 「上質な文学とは弱者によりそうものである」
    という言葉をどこかで聞いた。それ以来、この言葉を物差しにしている。そういう意味で、この作品はとても上質だと思う。

    近未来の世界を背景に、人の普遍的なテーマを織り込んで、苦しく、切なく、、もがきながらも最後にはどこか希望に満ちた、優しい描写が心に残る。

    個人的に救われた、そして、これからも忘れられない一節を引用する。しかし、文中のある言葉を、貴方と置き換えさせてもらう。なぜなら、私にとっての最愛の人、それを示す言葉は母ではなく、貴方だからだ。

    「僕は、貴方の心を、飽くまで貴方のものとして理解したかった。 つまり、最愛の他者の心として。 すっかり、わかったなどと言うのは、死んでもう、声を発することができなくなってしまった貴方の口を、二度、塞ぐのと同じだった。僕は、貴方が今も生きているのと同様に、いつでもその反論を待ちながら、問い続けるより他にはないのだ。わからないからこそ、わかろうとし続けるのであり、その限りに於いて、貴方は僕の中に存在し続けるだろう。」

    なぜ?どうして?
    人は理由を探したがる。
    本心を、知りたがる。

    だが、知ることだけが、愛ではないのだ。
    答えのない問いを、知り得ない本心をすっかりそのまま受け入れて、わかったふりをせず、問い続けること、、少なくてもその間は、忘れず、貴方は私の中で生き続ける、そして、その問いを繰り返す私こそ、貴方の生きた証なのだ。

    悲しむなかれ。
    広大な宇宙の流れのほんの1点でしかない私達は出会うことも奇跡なら、同じ時間を生きたことは、さらなる奇跡なのだ。だからこそ、私は貴方に問いつづけ、話しかけ続ける。二人が生きた証として。

    それが、私にとっての「最愛の人の他者性」である。そして、作中のある作家が言う。

    「最愛の人の他者性と向き合うあなたの人間としての誠実さを、僕は信じます。」

    これは、長く別れの、喪失の苦しさにむきあったすべての人々に送られる優しい一言だった。
    むろん、私個人にとっても。

    とにかく出会えてよかった一冊であった。
    感謝とともに。

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著者プロフィール

作家

「2017年 『現代作家アーカイヴ1』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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