- Amazon.co.jp ・本 (587ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167114039
作品紹介・あらすじ
アンネは二種類の日記を残していた。自分に宛てた手紙のかたちで書いた最初の日記と、のちに公表することを期して清書した第二の日記である。没後半世紀、いまその全貌が公開される。思春期の夢と悩みを赤裸々に綴る鋭い感性と驚くべき表現力-アンネ像がぐっとふくらみました。今日からこの"完全版"が定本とされる。
感想・レビュー・書評
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むかし高校生のころに読んだのは普及版、今回再読は深町眞理子訳完全版。
第二次世界大戦ナチスドイツホロコースト、ユダヤ人ゆえの迫害の苦しみを知るのはもちろん、同年齢ゆえティーン女の子独特の吐露日記がまぶしかった記憶。
でも、あれ?完璧な自立志向のしっかりした女の子の日記になっているではありませんか。
ま、それはまえがきや解説にあるように最初の発行時1947年(わたしが読んだのは1958年!)の時代性で、アンネのオリジナル日記には現代において当たり前のこと、十代における女性の体のことやセックスの興味について忌憚なく書かれていたのを省いていたのであったということ。また他に対するはっきりした批判や自己主張が激しかったのであったから。
ほんとにしっかりした女の子のアンネ・フランク。思索のしっかりした組み立てなどは将来物書きになりたかったそうだが、なれたよね。「わたしのしの望みは死んでからもなお生きつづけること!」と日記に綴ったその通りに、短い人生がぎゅっと詰まった日記はやはり青春の読書本なり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
もし、アンネが生きてりゃ、
間違いなくノーベル文学賞を貰ってたね。
これ、俺が今まで読んだ本でも、ベスト3に入る良書だね。
もし自分が推薦する本を挙げろって言われたら、
間違いなくこの本を挙げる。
因みに、この本を読んだのは、
今から20年くらい前の話。
でも、この本の内容は今でも深く残ってる。
だけど、先に断言しておくぜ❓️
つまんねーから。読み物としては・・
そりゃそーだべさ❓だって、他人の日記だもんさ。
他人の日記見てそんな、スゲー面白い❗感動したわー❗
・・とか無ぇーだろ❓普通。。
延々と他人の日記を見るんだもんさ、、
途中でちょっと嫌気差してくる。
でも、我慢して最後まで読んでみ❓️
絶対いいから❗❗
アンネから学ぶこと、気付かされること、
この本からたくさんの事を得ると思う。
そして、今の時代がどんなに自由で幸せで、
この今の時代、この国に生まれて来たことが、
どんなにラッキーなのかって事に気付かされるよ。
多分、アンネって子は、頭いい子だったと思うんよ。
しっかりしてて、きっといい子だったと思うよ❓️
当時、14~5才くらいの女の子の日記だよ。
多感な時じゃん❓️やりたいこともたくさんあったと思う。
生きることさえさ❓時代が許してくれなかったんだよ。
そう考えると、俺は何か不憫でならんよ・・
アンネが生きてた時代に比べりゃ、
俺らが生きる今の時代ってすげーいい時代なんだよ。
でも、この時代ってのも、
自然発生的に生まれた訳じゃ無ぇーんだよな❓️
そこには多くの血が流れ、先人の尊い犠牲があって、
この平和な時代を造り上げた、俺らの先祖がいるんだよ。
アンネの日記を読んでさ❓️色々考えちまうんだよな。
俺らはこの時代をしっかり生きなきゃいけないんだよ。
結局、今の時代こうして、平穏無事に生きられるのも、
そういう時代を作ってくれた人のおかげ。
その時代をムダにしちゃいけねーんだよ。俺らは。
この平和な時代をしっかり生きて、
次の世代にちゃんと紡いでやんなきゃいけないって
俺は思うんだよな。
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アンネの日記破損事件があった時、この書物について認識していたものの、何が争点なのかを理解できなかった。戦時中、ナチスホロコーストのシンボリックな図書として、アンネの日記はあまりにも有名である。しかし、きちんと目を通した人は少ないのではないか。ナチスの目から逃れ、隠れ家で生活するユダヤ人家族。閉鎖空間での制限付きの住まい。しかし、これ自体は、強制収容所の記録であるフランクル著「夜と霧」とは雰囲気が異なる。家族関係の葛藤や、一人の少女としての悩みを抱えながらも、幸せな生活。悲劇は、日記が途絶えた後の事だ…。
これらが捏造との説がある。破損事件もこの説に関係する。今までに数度、この陰謀論は、裁判沙汰にもなっている。筆記に用いられたインクの製造が、日記が書かれた時代よりも新しいという説だ。
ある主張を世界に流布するため、プロパガンダは行われる。それを棄却するために、カウンタープロパガンダが起こる。有耶無耶にするだけでも、活動には、効果がある。世界の歴史認識では、このような活動が多く、そのためのロビー活動が蔓延している。事実か否かは、重要な事だ。善か悪かを裁く事で、賠償を得、共感を得る事で世論を味方にする。民主主義においては、共感こそ力であり、共感においては、ロビー活動こそ重要だからだ。従い、読書とは手離しで行うのは危険なのであり、時には意見を保留することも大事である。 -
オランダにあるアンネの隠れ家へ行く前に、予習として読んだ。
13歳から15歳までの日記である。子どもから大人へと一番変化する時期の正直な気持ちが綴られている。公表も視野に、アンネ本人が昔の日記に手を加えていたとはいえ、時系列に並んだ日々の記録から、アンネが大人になっていくのが読者にも分かる。まるでアンネが自分のように、友人のように、我が子のように思えてくる。
延々と続くかに思われた日記が、「じゃあまた、アンネ・M・フランクより」といういつもの言葉を最後に唐突にぷつりと終わる。そこで初めて彼女の日常や人生は本当に終わった(終わらせられた)のだなと実感する。親しい人が亡くなったかのような喪失感と友人が引いて行かれるような怒りを覚える。ただ一人残された父オットーの胸中は想像もできない。
アンネは前向きで聡明で、信念のためなら主張を厭わないタイプである。大人になれば、わがままで短気なところもなりを潜め、父親のようなやさしさや謙虚さを身に着けていっただろう。戦後も存命していたら、作家やジャーナリストとして、オピニオンリーダーになっていたと思うし、世界の歴史も多少変わっていたかもしれない。
ホロコーストも人種差別も最悪なのは当然で、そんなことは「アンネの日記」を読まずとも分かっている。分かっていなかったのは、差別され、蔑まれ、財産や仕事だけでなく、出歩く自由すら失った人たちも、私たちと同じようにふつうに生きていたという簡単な事実である。ホロコーストで亡くなった600万人にはそれぞれ家族がいて、生活があって、些細なことに怒ったり笑ったりしていた。立派な人もいれば、利己的な人もいたし、それぞれが長所も短所も持っていた。アンネはそれを書き残し、後世に伝えててくれた。本人の望んだかたちではないかもしれないが、「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」という願いが皮肉にも叶ったとのだろう。
アンネの日記の真贋について、未だに論争があるらしい。アンネ本人が加除修正していたり、オットーが初出版する際にライターが編集したり(原文に書き加えてしまったという説もあるよう)で、筆跡がバラバラというのが疑いを招くようだ。アンネの家で現物の開かれたページを見たが、確かに筆跡が混在していた。ただ、13歳のメモ書きと15歳の清書では筆跡が違って当然と思う。中学生くらいで急に筆記体を使いたくなる感覚に覚えがある人も多いのでは。
本人が書いたかどうか分からない箇所や、時系列が誤っている箇所は多少あるのかもしれないが、すべてが作り物ということはあり得ないだろうと思った。 -
友人の墓参りに訪れた広島で偶然アンネ・フランク展が開催されていたのが、この本との出会いです。
アンネのいきいきとした表現やユーモアに出くわす度に、この続きはもう読むことができないのだとやりきれなくなりました。
そういった想いが今までにないくらいの戦争への怒りとなり、どうしたら人間同士が才能や可能性を奪い合わなくてすむようになるのだろうかと考えさせられました。 -
アンネが文章を書き記したい衝動に駆られ、木の棒で地面に文字を書いて怒られる場面が印象的でした。
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10代の女の子が書いた日記とは思えない…面白い
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中学生以来の再読。
「ずっと昔の遠い国の話」だと思っていたけど、大人になって読み直すと、アンネとの距離がグッと近く感じた。
10代らしいボーイフレンドの自慢や恋の悩みがあったり、隠れ家での食糧事情など、日々の生活が活き活きと描かれている一方で、ゲシュタポの恐怖に怯えながら暮らす様子の緊迫感たるや…
ユダヤ人に対する迫害がなければ、勉強も恋も好きなことだってたくさんできたのに、わずか15歳で命が奪われてしまうなんて。
戦争の愚かさをアンネの日記から、改めて教わった。
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2021/1/11 読了
反省 の箇所から一気に大人びた文章になったように感じた。
自分だけではなく、他人ともしっかりと向き合う。嫌なことがあっても、理由を見つけて納得し、心の中で消化し、軽快に前に進む。アンネは強い女性だなと尊敬する。 -
想像していたよりも面白かった。
日記は自分に宛てた手紙の形式で綴られており、約2年2ヶ月の間、毎日ではなく数日おきに書かれている。終了は突然で、日常がプツッと途切れている。
隠れ家生活がこんなに賑やかで大丈夫かというほどで、みな我が強く摩擦も多い。日記の中の出来事やアンネの考察がなかなかに面白い。感受性がとても強いだけでなく表現力が豊かなため読み手の心にも伝わる。当初はガキだった彼女が、出来事を通して自分を見つめ心身ともに大人になっていく様子が飾らずに描かれている。思春期の子供の思考や行動は自分と重なる部分も多く、時代や文化を超えて共感できる内容だ。
私は当時の日記を捨ててしまった。思春期を超えて振り返ると恥ずかしく思えたからだ。アンネの日記がそのまま発表となったことは貴重なことだと思う。 -
多様な読みがされ得る作品
WW2下オランダに2年隠れ住むユダヤ人家族の記録としてでなく
くわえてかつ
自らが誇る通りに文才ある十代前半の女性による
半ばまでしか発表の意思がなかった日記でもある
小説でこの作品を創り出すのはきわめて困難である点で不朽の価値を持つ -
前から気になっていた本。どんな気持ちであの時代を生きたのかよく伝わる。状況や気持ちなど表現の仕方がとてもアンネの人柄を現していて読んでいてその日記が終わってしまうことが辛かった。でもそんな中で生きた彼女の生活を知った上でオさオランダの記念館に訪れたいとも思えた一冊でした。
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アンネよりも年上なのに、私の方がまったく子供だと思った。14、5の女の子にガツンと背中を押された気がした。特異な環境下で大人になってしまったアンネの考え方、人生観、全てが詰まっている。
アンネとは同じ10代なので、自分の考えていることなど明け透けに話せない日本だからこそ、同じ年頃の娘はこんなことを思っているのかとかなり参考になった。自分だけが考えているんじゃないんだと安心できたり、こんな風に野望を持っているのかと感嘆したり。
迷い、悩みながらも「自分は必ず理想の自分に変われるはずだ」と一生懸命生きている姿に胸が熱くなった。
「理想はそうだけど、人はそんなに変われないよね」なんて達観したようなことを言っている人よりもどれだけカッコイイか!!!
アンネが望んだ形とはだいぶ違っているけど、アンネ・フランクはこうやって何十年もの間、人の心に生き続け、この先も決して死ぬことはない。 -
読み終わり 2017/06/18
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あまりにも有名な日記を読んだ感想とは思えないほど月並みってかアレな総括になってしまうけど・・・戦時中だけでなく、生活が荒んでると精神状態も荒んでくよねアンネ・・・って思ったよ・・・・・・。
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読み進めるうちに、ひたむきに生きようとする姿、アンネの成長がひしひしと伝わる。
ずっと読んでいたいのに、残りのページが減っていくことがとても辛い本 -
戦争と人間と生きるということ。
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本当に久しぶりに日本語で素晴らしい本に出会った。二日間貪るように読んだ。極限状態においても、希望を捨てず、勉強し続けたアンネをぜひ見習わなければならないっ!しかも、彼女は中学生っ!
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P589
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日々のひたむきさが胸に迫った。国や人種や時代に関わらず、人は誰もがこんな風に成長していく。アンネは決して特別ではなく、文章が上手で感性豊かな普通の女の子。だからこそ貴重な作品。
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20数年ぶりに再読。前回は読み始めてすぐに挫折してしまったが、今回は、読み進むにつれてアンネの心の機微や物事の捉えたかなどが成長していくのがわかり、トイレ文庫(!)としてはかなりの早さで読了。10代で読んで感動したとか言っている人は精神的成長が早い(というか自分が遅い?)んだろうなぁ。
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(2011.06.10読了)(2007.09.23購入)
「アンネの日記」の初版がオランダで出版されたのは、1947年。日本語訳の初版が出たのは、1952年で、題名は「光ほのかに―アンネの日記」でした。初版が出てからもうすぐ60年になるということになります。
1947年版は、父親のオットー・フランクの判断で、セックスに関する記述や母親に関する記述(母親に辛辣な批判を加えている)が削除され、言葉づかいも手を加えたうえで出版されたということです。
父親のオットー・フランクは、1980年に亡くなり、アンネの自筆原稿は、オランダ国立戦時資料研究所に寄贈された。同研究所は、アンネの自筆原稿をそのまま生かし学術資料版「アンネ・フランクの日記」を1986年に公刊した。邦訳は、「アンネの日記 研究版」として1994年に刊行されている。
学術資料版のままでは、読みやすさが妨げられるという理由で、読みやすい版として刊行された本の翻訳版がこの本「アンネの日記 完全版」です。
その後、さらに1998年に新たに発見された5頁を加えた増補新訂版が2003年に刊行されています。
いつか読もうと思いつつ600ページほどの分厚さについつい先延ばしになってしまいました。小川洋子さんのエッセイを何冊か読んだら、その都度、「アンネの日記」についての記述が出てきますし、「アンネ・フランクの記憶」という著作もあります。小川さんの「アンネ・フランクの記憶」を読む前に「アンネの日記」を読まねばと思い、やっと読むことができました。読み始めたら、どんどん読み進めることができました。アンネのテーマの選び方、文章力、等、読む人を引き込む力があるのだろうと思います。
娘が高校生の頃だったでしょうか、読みやすい小説以外はほとんど読み切ることのできないはずなのに、「アンネの日記」を読んでしまったので驚いた覚えがあります。自分で読んでみて、娘が読みとおすことができたのももっともだと納得できました。
アンネ・フランクは、1929年6月12日に生まれました。この日記は、1942年6月12日に書き始められています。丁度13歳の誕生日です。そして、1944年8月1日で終わっています。1944年8月4日に≪隠れ家≫にドイツ秘密警察がやってきたためです。
マルゴーとアンネは、1944年10月末、ベルゲン=ベルゼン強制収容所に送られ、1945年二月末か三月初めにチフスで亡くなったと思われる。
●日記をつける理由(22頁)
私がなぜ日記をつけ始めるかという理由についてですけど、それはつまり本当のお友達が私にはいないからなんです。13歳の女の子が、この世でまったく一人ぼっちのように感じている、また実際に一人ぼっちなんだと言っても、信じてくれる人はいないでしょうから。
●自由の制限(24頁)
ユダヤ人弾圧のための法令が、次から次と出され、私たちの自由はどんどん制限されてゆきました。ユダヤ人は黄色い星印をつけなくてはいけない。ユダヤ人は自転車を供出しなくてはいけない。ユダヤ人は電車に乗ってはいけないし、たとえ自家用車でも、自動車を使ってはいけない。ユダヤ人は午後の三時から五時までの間にしか買い物ができない。ユダヤ人はユダヤ人の床屋にしか行ってはいけない。ユダヤ人は夜八時から翌朝六時まで、家から一歩も出てはいけない。ユダヤ人は劇場や映画館、その他の娯楽施設に入ることを許されない。ユダヤ人はプール、テニスコート、ホッケー競技場、その他いっさいのスポーツ施設に立ち入ってはならない。ユダヤ人はボート遊びをしてはいけない。ユダヤ人は公共スポーツに加わることは許されない。夜八時以降は、自宅であれ、知り合いの家であれ、庭に出てすわっていてはいけない。
●両親の思い(38頁)
うちの両親はたいがいの親と違って、成績が良くても悪くても、あまり気にしません。私が健康で、幸福で、それであまり生意気でさえなければ、それで結構、あとはどうにかなるという主義です。
●呼び出し状(43頁)
呼び出し状は実はパパに来たんじゃなく、マルゴー自身に来たんだって。マルゴーはまだ16です。本当にこんな若い娘を一人だけ連行するんでしょうか。
●北極探検(44頁)
家族一同、まるで北極探検にでも出かけるみたいに、どっさり服を着こみましたが、これもできるだけたくさん衣類を持って行くための苦肉の策です。私たちのような立場にあるユダヤ人が、着るものを詰め込んだスーツケースを持って家を出るなんて論外ですから。というわけで、私は肌着を二枚着て、パンツを三枚重ねてはいた上に、ワンピースを着て、さらにスカートとジャケットを重ね、サマーコートを羽織り、ストッキング二足と、編上げのブーツをはき、おまけに毛糸の帽子と、襟巻きと―もう数え切れません。
●パパとママ(113頁)
私がこれほどパパに執着するのは、ママに対しては日ごとに軽蔑の念が深まるだけだから、そしてパパを通してしか、家族愛の名残のようなものを持ち続けていられないからです。だのにパパは、ときどき私がママについて、鬱憤をぶちまける必要があるってことを分かってくれません。
●ユダヤ人狩り(128頁)
毎晩のように、緑色や灰色の軍用トラックが地響きを立ててやってきては、一軒ごとに家の呼び鈴を鳴らして、ユダヤ人はいないかとたずねまわり、もしいれば、即座にその一家を連行してゆきます。いなければ、また次の家の呼び鈴を鳴らします。隠れ家にでも身を潜めていない限り、絶対逃げられません。
●嬉しいニュース(234頁)
おとといの水曜日、(1943年)9月8日の夜、みんなが7時のニュースを聞こうとラジオの周りに集まったところ、真っ先に聞こえてきたのがこれでした「開戦以来の最も素晴らしいニュースをお伝えします。イタリアが降伏しました」
●喧嘩・いさかいの日々(241頁)
ここ1ヵ月の間に、このご立派な家の中で飛び交った口汚い応酬の数々、それを考えると、呆然としてしまいます。パパは絶えず唇をぎゅっと結んで、誰かが話しかけると、びくっとして顔を上げますが、その様子はまるで、またぞろ厄介ないざこざをおさめなきゃならないのかと恐れてるみたい。ママは興奮のせいか、頬をぽっと上気させていますし、マルゴーは頭痛がするとこぼします。デュッセルさんは不眠症。ファン・ダーンのおばさんは、一日中ぶつぶつ言ってますし、私は私で、完全に頭が変になりそう。
●母親(274頁)
お母さん自身の口から、私たち姉妹を娘としてよりも、友達として見ていると聞かされたんです。これはこれでもちろん結構なことですけど、友達はやっぱり母親の代わりにはなりません。私としてはお母さんに、見習うべきお手本になってほしい。尊敬できる母親であってほしい。ところがうちのお母さんは、多くの点でお手本ではあっても、それはまさしく私が決して見習いたいとは思わない、そういう意味でのお手本なんです。
●選ばれたる民(325頁)
ペーター「ユダヤ人は常に選ばれたる民だったし、これからもずっとそうなんだ」
アンネ「私はね、いつもこう思ってるわ――一度でいいから、“いい意味で”選ばれれば良かった、って」
●最高の良薬(332頁)
恐れる人、寂しい人、不幸な人、こういう人たちにとっての最高の良薬は、戸外へ出ることです。どこか一人きりになれる場所――大空と、自然と、神様とだけいられる場所へ。その時初めてその人は、万物がるべき姿のままにあり、神様は人間が自然の簡素な美しさの中で、幸福でいることを願っておいでなのだと感じるでしょうから。
●学校でのわたし(354頁)
学校でのわたしは、どんな子供だったでしょう?しょっちゅう新しい冗談とか悪戯などを思いつく張本人。いつもお山の大将で、決してめそめそ泣いたりしない。みんなが競って私と自転車を並べて通学したがったのも、みんなの注目がわたしに集まったのも、こうしてみると当然ですよね。
●戦争が終わったら(416頁)
ロンドンからのオランダ語放送で、ボルケステインという政治家が言っていましたこの戦争が終わったら、戦時中の国民の日記や手紙などを集めて、集大成すべきだというんです。もしこの≪隠れ家≫での物語を発表できるようなことになれば、どんなに面白いか、まあ考えても見てください。
●ハンガリーは(419頁)
ハンガリーはドイツ軍に占領されたももです。ここにはまだ百万人ものユダヤ人が残されていますから、この人たちは今頃、さぞひどい目にあっていることでしょう。(1944年3月31日)
●批評家(426頁)
『エファの見た夢』は、私の書いたおとぎ話の中では、一番よくできていますが、奇妙なことに、その着想をどこから得たのか、自分でもよく分かりません。『キャディーの生涯』にも、結構いい部分はありますけど、全体としては、大したものじゃありません。私の作品に対する最良の、そして最も手厳しい批評家は、私自身です。どこがうまく書けていて、どこがうまくないか、自分でちゃんと分かります。
●死んでからもなお生き続けること(426頁)
わたしは世間の大多数の人たちのように、ただ無目的に、惰性で生きたくありません。周囲のみんなの役に立つ、あるいはみんなに喜びを与える存在でありたいのです。わたしの周囲にいながら、実際にはわたしを知らない人たちにたいしても。わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!その意味で、神様がこの才能を与えてくださったことに感謝しています。このように自分を開花させ、文章を書き、自分の中にあるすべてを、それによって表現できるだけの才能を!
●ペーターと(456頁)
わたしがペーターの腕に身をすりよせ、彼の胸に胸を密着させ、頭を彼の肩に持たせかけて、その頭に彼が自分の頭や顔を寄せかけている、
●戦争は(479頁)
≪隠れ家≫のわたしたちは、しばしば絶望的にこう自問自答します。「いったい、そう、いったい全体、戦争が何になるのだろう。なぜ人間はおたがいに仲よく暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊が続けられるのだろう」
●戦争の責任(479頁)
戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家だけにあるのではありません。そうなんです。責任は名もない一般の人たちにもあるのです。もともと人間には破壊本能が、殺戮の本能があります。殺したい、暴力をふるいたいという本能があります。ですから、全人類が一人の例外もなく心を入れかえるまでは、けっして戦争の絶えることはなく、それまでに築かれ、つちかわれ、はぐくまれてきたものは、ことごとく打ち倒され、傷つけられ、破壊されて、すべては一から新規まきなおしに始めなくちゃならないでしょう。
●戦後の望みは(489頁)
わたしの望みはあらゆる意味で、戦争後に向けられています。はっきり言って私は、狭い、窮屈な世界で一生を過ごす気はありません。できれば、パリに一年、ロンドンに一年留学して、言葉を身につけ、美術史を勉強したいのです。マルゴーの望みは、パレスティナでお産婆さんになることですって。
●オランダが好き(517頁)
わたしはオランダという国を愛しています。祖国を持たないユダヤ人であるわたしは、いままでこの国がわたしの祖国になってくれればいいと念願していました。いまもその気持ちに変わりはありません。
●女性の自立(543頁)
学校教育とか、就職、世の中の進歩などによって、女性の目は開かれました。いまでは多くの国々で、女性は対等の権利を手に入れています。たくさんの人びとがいまでは、長年のこうした状態(女性を男性より劣ったものとして扱ってきた)がどれほど誤っていたかを認識していますし、近代的な女性は、完全な自立の権利を要求しています。
●日記の終わり(574頁)
1944年8月1日(火)
☆関連図書(既読)
「シンドラーズ・リスト」キニーリー著、新潮文庫、1989.01.25
「戦場のピアニスト[新装版]」 ウワディスワフ・シュピルマン著、春秋社、2000.02.10
「戦場のピアニスト」ロナルド・ハーウッド著、新潮文庫、2003.02.01
「運命ではなく」ケルテース・イムレ著、国書刊行会、2003.07.29
「マルカの長い旅」ミリヤム・プレスラー著、松永美穂訳、徳間書店、2010.06.30
(2011年6月22日・記) -
読んでて途中でだらけてしまい放置 そのまま返却 また気が向いたら読もう
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4167114038 589p 1994・9・30 7刷
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未読
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「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」
アンネの苦しい隠れ家生活、強い想いそして将来の夢、身近な人々、普通の女の子としての可愛らしい一面などを、圧倒的な執筆力で綴った日記。ちゃんと最初から最後まで読んだのは初めてだったのですが、いかにアンネがしっかりとした信念を持って生きていたかを知って、衝撃でした。そしてその文才と知識の豊富さにもただただ圧倒されました。
自分自身を包み隠さず語るアンネの日記は、突然終わりを告げます。そこに戦争の醜さとホロコーストの悲惨さを感じさせます。