- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167124014
感想・レビュー・書評
-
行動は肉体の芸術である。にもかかわらず行動を忘れ、いたずらに弁舌だけが横行する現代の風潮を憂えて、男としての爽快な生き方のモデルを示したエッセイ集。死の直前に刊行された。(e-honより)
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最初の行動学入門は面白かったが、最後の陽明学の箇所はよく分からないので読んでいない。
-
「おわりの美学」以外わかんなかった。
その分「おわりの美学」の痛快さ、世間を穿って見るその視点が楽しかった。
当時の男女観なども垣間見える。おすすめ。 -
”「時間生産性高く仕事ができるようになる!」をテーマとしてダイレクト・ラーニングで読んだ一冊。”
-
普通の小説も書けるし、こういうエッセイも書ける。
あんな極端な死に方をする人には思えないけれど、所々にその片鱗を見せています。 -
朗読 序文
-
本書に収録されている、「革命哲学としての陽明学」に三島自死の理論的背景を垣間見る。
中国で生まれた陽明学が大塩、松蔭、西郷、乃木と日本で濾過されてきたことを根拠に、陽明学のナショナリズム化を図っている……と、この小論を単純化することは易しいだろう。いずれにせよ反時代性を貫くことのできる純粋な理論であれば、それは何ものであろうとも三島的であったのだと思う。たまたま先の大戦をまさに戦中世代として経験したが故に、平和な時代の空気やポリティカルコレクトネスとなったた左派思想に大衆社会的な欺瞞性や醜悪さを感じていたのではないだろうか。
理念の未達を前提とした政治、それでも極めて有効的な政治。それらに対する、精神的な闘いの手法として陽明学を提示する。しかし陽明学はそれ自身が現実的には無効であるが故に価値をもつ思想である。有効に対する無効。にもかかわらずなぜ三島は迷わず無効を選択することができるのか。それはニヒリズムを通過した上で価値の選択しているからだ。
その闘いには敗北が運命付けられているように見える。また三島も確信していたのではないだろか。しかし、行動への衝動を抑えることはできなかった。時代の欺瞞性を看過することのできなかった三島が、いかに潔癖なまでに行動を重視したか。そんなことをあらためて思い知らされる。 -
革命の哲学としての陽明学、のみ読了。/「良知」とは、単に認識の良知を意味するものではなく、「太虚」に入って創造と行動の原動力をなすものであり、また一見、武士的な行動原理と思われる知行合一は、認識と行動の関係にひそむもっとも危険な消息を伝えるものであった。/「身の死するを恨まず、心の死するを恨む」(大塩平八郎「洗心洞?記」)/肉体の生死をものともせず、ただ心の死んでいくことを恐れる人があるからこそ、この社会には緊張が生じ、革新の意欲が底流することになるのである。/