三陸海岸大津波 (文春文庫)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167169404

感想・レビュー・書評

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  • 記録文学ということで身構えたのですが、意外と読みやすかったです。
    しかし、三陸海岸を襲った津波の悲惨さが十分に伝わります。
    「津波は、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人は滅多にいないと思う」という、津波を経験した老人の言葉が、41年後の東日本大震災を経た後に当時以上に重く響きます。

  • 230531

  • 三陸海岸を襲った明治29年、昭和8年、昭和35年のチリ地震津波について記録したものであるが、子供たちの視線で書かれた作文には津波の恐ろしさがひしひしと伝わるものがあった。しかし、これが書かれた1970年から41年後には、東日本大震災の津波の災害が発生してしまう。津波は避けられないにしても死ぬ人は滅多にないと思うと語った長老の言葉を読むと、つくづく歴史から学ぶ難しさと言うものを痛感する。津波があっても海の宝を捨てるわけにはいかないとその土地で生活を再建する人々を見ると、戻れない原発の存在がこの本にはない新たな脅威と言う事だろうか。

  • 記録文学として読んだが、あっという間に読み終わってしまった。
    そのボリュームが少なめということもあるだろうが、被害の様子や被災者の声を読むうちに次が気になってくる。そんな作りに感銘を受けた。

  • [読んだきっかけ] たまたま本屋で見かけ、買ってみた。
    [内容] 過去幾度となく大津波に襲われた三陸の記録 (記録文学)。
    [感想] 読後まず感じたのは、過去の大津波の様子が東日本大震災のそれとあまりにも似ている、ということだった。40年以上前に書かれたものなのに、読んでいると、東日本大震災のことを述べているんじゃないかと錯覚する。私も実際にその場にいたわけではないが報道や動画で見た惨状と同じものがここにあった。
    そして逆説的であるが、同時に思ったのは、東日本大震災の津波の犠牲者数はあれで少ないほうだったのではないか、ということだった。本書を読んで無知な私は唖然としたが、三陸の人々は昔から津波を知っていた。準備もしていたし避難もした。自然がそれを上回った結果、あの甚大な被害が生じたのではないか。まさに「自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる(P176)」という著者の言葉どおりに。
    史実とデータを簡潔かつ多角的に記述する吉村昭の技術が読者の津波への理解を助けている。情緒的にだらだら書かれたらこれほど読みやすくはならないだろう。
    大津波での被害は減ってきているという希望で本書は終わっている。皮肉なことだ。だがそれで本書の価値が減じることはない。三陸海岸を愛し住み続ける人々の気持ちがすこしわかるような気がする。そんな本である。

  • もっと早く読めば良かった。震災後平積みにされたのを知ってるけど、これは震災前に読んでおくべき作品だった。
    再読するには悲しい。
    経験した子達の淡々とした作文がすごく胸を突くから。この作品がこんな形で注目される時代が二度と来なければいいと思う。

  • 明治29年、昭和8年、昭和35年に三陸沖で起きた大津波について書かれた作品。
    2年前の東日本大震災でのすさまじい津波を映像で見ているので、作品中の描写は想像しやすいかと思う。
    こういった過去の歴史をしっかりと残し伝えようとした吉村昭はすごい。

  • 今このときだからこそ再読。

    明治29年・昭和8年・昭和35年に起きた大津波を、当時を知る人々からの聞き取りや文献から描き出そうとした記録文学の傑作。
    東日本大震災後、こちらと同じく版を重ねている『関東大震災』と併せて読むといいかもしれない。

    読んでいて恐ろしいと思うのは、津波そのものもさることながら、何より「~にちがいない」「~だろう」という人間の思い込みだ。
    「津波は来ない」という希望的観測によって避難せずに犠牲になった人の、何と多いことか。
    今のような情報伝達の術も警告通知の方法もなかった時代にあってはなおさらだ。

    三陸海岸を旅した吉村昭は
    「海にむかって立つ異様なほどの厚さと長さをもつ鉄筋コンクリートの堤防」
    に目を見張り、
    「一言にして言えば大袈裟すぎるという印象」
    さえ持った。
    けれどその大袈裟な、
    「呆れるほど厚く堅牢そう」
    な構築物も、「千年に一度」と言われる今回の津波であっけなく破壊されてしまった。
    その惨状、事後の経過が情報として伝わること、明治・昭和初期の比ではない。
    だけど5年後10年後、はたまた更に後、感情的・偏向的な情報が溢れ返る中で、このレベルでの冷静な“記録”が果たして世に出るのだろうか。
    語弊を承知で言えば、僕はそれが楽しみである。

  • 1.明治29年の津波
    2.昭和8年の津波
    3.チリ地震津波

    まだ19世紀の段階で,災害救助・犠牲者の扱いなどの流れが現代のそれとすでに同じであることに驚いた.
    本書が引用している記録を見ると,数十年ごとにはこの地域は繰り返し大きな津波の被害を受けている.それでもまだ人々はそこに住み続けている.→「津波を考えても,宝の海だから」ということか?,生まれ故郷への愛着? なぜ住み続けるのか? というのが本書を読んで感じたいちばんの衝撃だ.
    「田老町の防波堤を奇怪で殺風景だ」と批判するのはそこを通過する旅人の無責任な感情――という意見はもっともだ.
    田老町というところにいちど行ってみたい.(※田老町:毎回最大の被害を受ける地域)
    大地震→津波の共通現象:豊漁,井戸水が枯れる(=以上は前兆)→当日は,“大砲のような音”“稲光?”→海水が退いて海底が露出→津波来襲

  • あー、涙が止まんねだすけ

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著者プロフィール

一九二七(昭和二)年、東京・日暮里生まれ。学習院大学中退。五八年、短篇集『青い骨』を自費出版。六六年、『星への旅』で太宰治賞を受賞、本格的な作家活動に入る。七三年『戦艦武蔵』『関東大震災』で菊池寛賞、七九年『ふぉん・しいほるとの娘』で吉川英治文学賞、八四年『破獄』で読売文学賞を受賞。二〇〇六(平成一八)年没。そのほかの作品に『高熱隧道』『桜田門外ノ変』『黒船』『私の文学漂流』などがある。

「2021年 『花火 吉村昭後期短篇集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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