- Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167169404
感想・レビュー・書評
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明治の津波も昭和の津波も、その前から、大漁とか、発光とか、井戸の濁水とか、、地震が起きてからは海水がひいていた、、という予兆の記述が心に残る。
このほか、被災状況やその後の(民間を含めた)救助・支援の様子等が、町村ごとに、きわめて克明にまとめられている。
被災を体験した市井の人々(子供たちを含む)一人一人にスポットを当てており、豊富な手記も含めて、きわめて重要な記録。なんとしても継承すべき。
圧倒的な津波被災経験を経て、人々は防災意識を強め、それが避難行動に結びつく。
小学校の先生が生徒に作文を書かせたというのも、経験を心に刻ませる重要な行為だったと思うし、昭和8年の大津波以降毎年同じ日時に避難訓練を行ったというのもまさに地域に意識を植え付けたと思う。
著者吉村は、結びにあたり、「今後も自然現象である津波は幾度も三陸を襲うだろう」「でももう人々は防災意識を手にしたので、津波により今後人の命が奪われるようなことはないだろう」といったことを記している。
これを読んで、愕然とするのです!
東日本大震災をみて、吉村は何を思うだろう。
せっかくこれだけ根付いた防災意識が、やはり知らずのうちに希薄になっていたということの、何よりの証左だと思う。
文章のパワーもさることながら、東日本では初めて大規模な津波が映像として遺された。これが後世に伝わる強力な材料とならんことを祈る。
さて一つ印象的だったのは、東日本で大きな被害を出した被災地が、明治・昭和にも共通だったこと。
やはり地形上の要因で津波高や被害が固定化されているのだろう。
そのような観点で地域をみようとすると、古文書を解き明かすような歴史研究が津波分野にも求められるということを理解。そういう研究、面白そうだ。
またもう一つ、明治~昭和という激動期(戦時の混乱)に起こった話だという時代背景も大事だと理解した。
もっと早く読むべきであったが、遅すぎることはない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ここ100年程度のよく知られた(6年ほど前に嫌というほど思い知らされたと言った方が適切か)津波のお話。いつ来てもおかしくない程の間隔で発生していることがよく分かるし、その恐怖も6年前と何ら変わらない。
まぁ凄い話だなぁと少しばかり暢気に読み進めてましたが、最終部、ただ黙らされるばかり。津波発生時の死者数の減少傾向、大津波経験者の楽観論等、ついこの間に全てが否定されてしまった、、、作家含めて皆こんなことになると思ってなかったはず。誰かを責めることなど出来るはずもなく、ただ無力感を感じずにはいられない結末です。日本に生きる人間は必読かな。 -
三陸海岸沿いに住む方々は必読の書のように思う。明治と昭和の始めの津波は共通点がたくさんあった、井戸が濁り枯れ、魚は大漁になった、その後地震そして津波となった。チリ地震は例外なのだが、過去にも例はたくさんあったという。チリ地震後22時間かけて太平洋を渡ってきたという。
このあと、東日本大震災のwikipediaを全部読んでみるつもりである。
最後のページを開いたところ、最後の印刷が2011年4月20日とあった。あの大震災の一ヶ月後刷られたものと知り、やるせない気持ちになった。 -
何冊か読んだ吉村さんの本の中では、物語というよりもドキュメンタリー色がとても強い。
誰かの視点で描かれるのではなく吉村さんの目線で当時のことを聞いていくという感じ。
物語調のほうが私は好み。 -
貴重な記録である。明治29年、昭和8年、昭和35年。三陸海岸を襲った3度の大津波に関する、いわばフィールドリサーチの書。震度やマグニチュードなどの数値では伝わらない生々しい記憶が、生き延びた方の言葉や当時の小学生の文集にあった。
ここにある情報から津波の高さを想定していれば、福島原発の悲劇は無かったことは明白。東電は「想定外」ではなく「調査不足」である。 -
淡々とした筆致の積み重ねで迫力を生み出す安定の吉村節。
三陸地方は近年だけでも1896年、1933年、1960年、そして2011年に津波に遭っている。災害に限らず、圧倒的な何かに打ちのめされることは、今後我が身にも起こるだろう。カタストロフに対し自分はどうあろうと考えるか予め準備しておく必要がある。その時、このような「歴史」が最高の教材になる。 -
記録文学。
このすばらしい記録・内容に敬意を表します。 -
何か記録を残す仕事をするのならば、こんな本を書いて次世代に継いで行きたいなと思った。
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昭和45年に書かれた、三陸海岸を襲った過去の津波の記録である。2011年の悪夢の震災を鮮やかに思い出させるほど、状況は似ている。
明治29年、昭和8年、そして昭和35年に大津波が発生した。もちろんその前もあったのだが、著者は体験者に直接話を聞くことにこだわったため、ここまでしか遡れなかったようだ。
美しい村が一瞬にして海に飲まれ、人や家がさらわれていく。この本を読み終わると、「将来また津波があることが分かっているのだから、三陸海岸から数百メートルの平地にはもう家を建てるのを禁止したほうがいいのではないか」と思わされる。数十年の時が経つと、人々は教訓を忘れてしまうものだ。
チリで起こった地震による津波で、日本で死者が出るというのも恐ろしい話だ。のっこのっことやってきた、という表現がリアルで怖かった。
インターネットも無い時代に、よくこれだけ取材して調べたな、と感心する。おそらく著者は、なんとしてでも後世に伝えなくてはという使命感から書いたのではないだろうか。残念なことに、2011年の東北大震災では、過去の津波経験が生かされたとは言いがたい。著者は震災の前に亡くなっているが、あの状況を見たら嘆いたに違いない。改めて犠牲者の人たちにお悔やみを申し上げたい。