- Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198638504
感想・レビュー・書評
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藩札の意見の違いから脱藩し浪人となった主人公に東北の貧困藩から経済の立て直しの依頼がもたらされる.家老の大胆な決断(追放、切腹申し付けなど)は鬼そのものであったが、主人公の知恵と経済の新しい波に乗ることとあいまって政策は成功する.現在の会社経営にも通じるようなサクセスストーリー.
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傑作。
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覚悟。死を懸けた覚悟がいるのだ。鬼とはなれぬ人が、鬼となるには。
日本人は、元々金(かね)についての話を避ける傾向にあると思う。
士農工商という身分制社会に象徴されるように、金を扱う商人は最下層におかれる。
そして、金を儲けることはいやしいものとされ、あぶく銭などともよばれる。それは現代も変わることなく、金に真摯に向き合い獲得した所得は、しばしば不労所得などともいわれる。
他方、金が人々の生活を円滑にするために役立っていることは間違いなく、物と物、物と仕事など異なる性質のモノを交換するために、金は必要不可欠なものとなっている。
本書の主人公は、武士である。お役目は御藩主を間近でお守りする御馬廻り。家柄、武芸に優れた武士の華。その武士が、刃傷沙汰に巻き込まれ、半ば追いやられる形で勘定方藩札係に就くこととなる。
そして、そこで金のもつ意味を知り、その重要性を認識する。
金を扱うということで一見商いに近い行為とみられるが、経済政策を行うということは国の最大の敵貧しさと戦うことだと見切る。そしてそれを成し遂げることができるのは、死を賭して戦う、死と寄り添う武家のみだと知る。
我が国で経済政策を行っているものたちは、自分の責任を認識しているのだろうか?
政治家や役人は、自らを懸けて闘っているのだろうか?
二の矢、三の矢と徒に無駄な矢を射続け、自ら掲げた目標達成期限を、できそうにないから延ばしますと、自らの地位と一緒に延命し続ける者たちは...
また本書は、その責任をとらない者たちを追い詰めない、我々にも手厳しい。
ほんとうに貧しい国では、誰もが人に対して曖昧に、優しくならざるを得ない。相手に攻めを問うな、相手を追い詰めるなというのが習いになると。しかし、経済政策を断行するには、その優しさは仇となる。
自らの退路を断ち、組織の甘えを断ち、他人の命を奪い、自らの命を惜しまぬ。その鬼の心を持つことが、断固たる戦いを成し遂げるのだと。 -
「今日より、世間は、梶原殿を鬼と見るでしょう」 「もとより、鬼になるつもりでおります」 藩札板行によって東北の小藩を立て直すという経済小説の体裁だが、内実は武張った武家の物語である。
徳川の治世となって百五十年。太平の世も長くなり武家は存在価値を見失いながら何処の藩も経済が傾き始めていた。
そんな中で武士とは何か?と問い詰めると「死を賭すこと」だった。
二段構えのエピローグ。前段のニンマリする話と、最後の手紙、そしてその手紙に対する問いかけがよかった。 -
主人公の生い立ちに必然を感じさせられなく、前半は話が散漫になった感じ。後半は悪役の作り込みが足りなく、緊張感が持てなかった。ストーリーは嫌いじゃないけれど、もう少し書き込んで欲しかった。★2。
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直木賞候補作。(直木賞は『サラバ!』)
江戸時代の藩札掛をテーマにしたのは斬新だったが、葉室 麟のような濃厚で芳醇な文章でもなければ、起承転結、紆余曲折もない。
全てが上手くいき過ぎるストーリー。