- Amazon.co.jp ・本 (401ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309463728
感想・レビュー・書評
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イタロカルヴィーノ「なぜ古典を読むのか」http://kawade.co.jp/np/isbn/9784309463728/ 読んだ。読書すばらしい。タイトルが問いかけだけど答えを提示する内容じゃなく読書案内と書評集だった。英米文学網羅は勿論だけど珍しく仏文が入ってるのはイタリアのお隣で文化的に身近だったからかな。教養を考える良書(おわり
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文学
読書
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なぜ読むのか、と言われてもそもそもなかなか手が伸びにくいものではある。あまりにも膨大で変なところに手をつければ崩れて埋もれてしまうんじゃないかと腰が引けてしまう。
そんなことはカルヴィーノも分かっている、ただ古典のほうから呼びかけ続けるものだから手をとるより仕方がない。ここで紹介される様々な古典はしたがって、書物のそれぞれの気候と眺望から描かれる。
彼の「見えない都市」と同じような手触りで、読めるようで読めないが、非常に楽しませてくれる。ぐいぐい手を引っ張りながらそれぞれの書物を訪問させてくれる。
訳者あとがきで述べられてるようにごつごつとわかりにくいところも多いけれども、また、古典の入門書でもまったくないが、読むことの愉しみがしっかりと詰め込まれている。
っていうか、訳者が須賀さんなのはわかってたけど、その上に池澤氏まででてきちゃうんだから、はぁ、僕のこの文章はそのうえのお節介なんてことになってしまうじゃないか。 -
表題作とパルムの僧院が白眉かな。須賀敦子さんの訳者あとがきにじんわりきた。
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4/15 読了。
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古典、ほとんど読んでいない…
ホメロス、ディケンズ、ヘミングウェイ、ボルヘスくらいかな。
でも読みたくなりました。
最後の池澤夏樹の解説を読んで納得。
ほんと、それが古典を読む意味ですよね。 -
『薔薇の名前』でイタリア文学に遭遇し、『冬の夜、ひとりの旅人が』でカルヴィーノに出会った。視覚の帝国としてイタリアを偶像化していた当時の僕も、彼の訥々とした語り口には洗練されたダンディズムを感じ、以来暫くイタリア文学に凝って読書を進めていた時期を思い出す。
さて、本書はそんなカルヴィーノによる古典文学案内である。まず冒頭の一章、古典の定義を、そのイメージの箱庭を彷徨うように模索しながら次々と提示してゆく鮮やかな筆致に舌を巻く。
古典という観念に対して躊躇いがちに、それでいて焦燥を匂わせながら続けざまに言葉を紡いでゆくこの仕方、語り方はそのまま彼の古典への、ひいては読書への態度を表明しているようにも思える。
それに続く各作品への個別的な言及は、内容自体に差こそあれ、導かれるのは一つの全体として作用する、精巧なキネオラマを思わせる相互的な読みである。
"古典倶楽部"の人間なら読みながら溜飲が下る箇所も多いだろう。また、古典の森の入り口に佇む人間にとっては暗がりを拓く暖かなランプにもなりうる良書である。
最良の読者は、あらゆる読書を古典として経験する読者なのかもしれない。 -
なぜ古典を読むのか、古典とは何か、といった類の疑問を抱いたことのある全ての人にお奨めします。
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イタロ・カルヴィーノによる古典文学講義。「なぜ古典を読むのか」という問いに論理的に答えてくれる。古典を読む際にまず衝突する最初の壁は理屈から古典を理解しようとするところからだと思う。古典とは理屈ではなく姿勢から読むものであり、そのためにいかに古典を定義すべきかが浮き彫りにされていくかのような内容が本書に記されている。「古典の読み直し」という課題自体時代の転換期に新しく課されるべきものなのかもしれない。
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カルヴィーノはイタリアきっての知識人。彼の前には偉大なイタリア文学者、作家がいて、彼はそれを担わなければ行けないと自覚していたのか必然とそうなったのか、彼は特異の冷静さを持って文学に向かっているような気がする。その冷静さが、レビューという形でも現れているがしかし、私が知りたいのはあなたのことなのだ。他人について語りながら自分について語るような狡猾さが欲しい。紹介など、二の次だ。