- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334035778
作品紹介・あらすじ
テレビ視聴率の低下、新聞部数の激減、出版の不調-、未曾有の危機の原因はどこにあるのか?「贈与と返礼」の人類学的地平からメディアの社会的存在意義を探り、危機の本質を見極める。内田樹が贈る、マニュアルのない未来を生き抜くすべての人に必要な「知」のレッスン。神戸女学院大学の人気講義を書籍化。
感想・レビュー・書評
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内田先生が教授を務めていた神戸女学院大学での講義をベースに書籍化したもの。メディアに関する授業であり、メディア志望の学生が多く聴講している授業であるが、メディアに対して、楽観的ではない論調の授業である。
医療と教育という、市場主義やイデオロギーをベースにものを語ってはいけないはずのものに対して、メディアがずっとそのように語ってきたこと。メディア自体も、医療や教育と同じく市場主義で語ってはいけないはずのものであったことに、メディア自体が気づいていないこと、そういったことにより、メディアの将来は決して明るくない、ということを書いている。
私はわこの本を電子書籍で電車の中で読み終えた。kindle unlimitedで読んでいるので、私にとって、本書を読むことの追加コストはゼロだ。また、私は図書館で本をよく借りる。それも、基本的にはコストゼロだ。そういった状況に対して異論をとなえる人たち、すなわち、図書館がなければ、自分の本を購入してくれて自分に印税をもたらしてくれていたはずなのに、それがなくなったために、自分は損をしている、と考える人たちがいることを内田先生は本書内で紹介している。それに対して、内田先生は、自分は全く構わないという考えを紹介している。
それは、もともとものを書く目的は、自分の考えを広く知ってもらうためであり、図書館で多くの人に自分の本を読んでもらうのは嬉しいことであること。まず読んでもらわないと、自分の本の中身を読者は知ることが出来ず誰も自分の本を買おうとしないはずであるが、図書館ではそのような機会を作ってもらえること。そういったことが、内田先生の考えの根拠である。内田先生が書いたものを、自分にとっての贈り物と考えてくれる人たちがいること、そもそも何かを書くというのは、まず商売ベースの動機で始まっているわけでもないだろうということでもある。
こういう考え方を初めて読んだが、なるほど、と思える考え方であった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
本好きが本棚に並べているのは、いま読む必要がある本ではなく、いつか読めるようになることを希望している本である。という内容が印象に残った。たしかに私やお父さんを見ても、本棚にある本をすべて読んでいるわけではない。「この人は、こんな難しそうな本も読んでいるんだ」と思われたい、とまでは、私はまだ思っていないが、その考え方も面白かった。
著作権についての話も、長く書いてあった。本そのものに価値が内在しているのではなく、受け取った人が「これには価値がある」と思ったときに初めて価値が生まれる、という話。本に限らずコミュニケーションや経済活動の根本はそのような様相らしい。よって、内田さんは本をタダ読みすることも否定しない。むしろ、それを否定する人たちを否定する。本を商品として、読者を消費者としてしか見ていないからこそ、そんな発想になるのだ、と。
本が売れないようになったからと言って、本を読みたい人が減ったわけではないともある。これは、紙の本を守りたい私からしても、心強い言葉だ。しかし私も本をタダ読みすることへの抵抗感が若干あった。読ませてもらっておいて、払わないなんて、と。しかし無料で読書する人を、もう責めまい、と思った。払う必要があるかどうかは彼ら自身が決めて良いことなのだ、きっと。 -
贈与で社会は成り立っているということと、"紙媒体の"本とを絡めた話が好きだった。
(読んだか読んでないかは別として、そしてそれは必ずしも重要ではなく)自分の本棚が、自分や他人にどう思われたいか、どういう人間になりたいか、という主観ありきで作っていけるところ。買って、積んで、並べて見ること。が紙の本を買うことの醍醐味だなと思いました -
神戸女学院大学で2年生を対象に行われた「メディアと知」という連続入門講義を元にしたものだという。ゆえに、わかりやすい具体例がたくさん引かれたメディア論になっている。
しかし、内容はたいへん深い。メディアの専門家が書くメディア論とは異なる、意表をつく論点が満載である。当然、過去の内田本と内容がかぶる面もあるのだが(著作権をめぐる論考など)、気にならない。
とくに「目からウロコが落ちる」思いがしたのは、「第三講 メディアと『クレイマー』」「第四講 『正義』の暴走」「第五講 メディアと『変えないほうがよいもの』」というシークェンス。この部分はまさに傍目八目というか、メディア内部の者(大新聞の記者など)がけっして気づかない、いまのメディアの本質的弱点を鋭く衝いたものになっている。
このうち第三講、第四講は、日本がクレイマー社会になってしまった責任の一端はメディアにある、という話。
《医療崩壊、教育崩壊という事実にマスメディアは深くコミットしていました。メディアはこの事実について重大な責任を負っていると僕は思います。》
なぜ医療崩壊、教育崩壊にマスメディアが深く関与しているのか? 著者はその理由を、“とりあえず弱者の側に立つ”というメディアの「推定正義」の「暴走」に求める。
《裁判では「推定無罪」という法理があります。同じように、メディアは弱者と強者の利害対立に際しては、弱者に「推定正義」を適用する。これがメディアのルールです。(中略)個人が大企業を訴えたりする場合には、「理非の裁定がつくまで、メディアがとりあえず個人の側をサポートする」というのは社会的フェアネスを担保する上では絶対に必要なことです。でも、「推定無罪」が無罪そのものではないように、「推定正義」も正義そのものではありません。弱者に「推定正義」を認めるのは、あくまで「とりあえず」という限定を付けての話です。
(中略)
しかし、メディアはいったんある立場を「推定正義」として仮定すると、それが「推定」にすぎないということをすぐに忘れてしまう。》
「第五講 メディアと『変えないほうがよいもの』」は、マスメディアの世論誤導の責任を衝いたもの。なぜマスメディアは世論を誤った方向に導いてしまうのか? その根本原因を、著者は「変化するのは無条件によいことだ」という考え方に求める。
「社会制度の変化はよいことであるということはメディアにとって譲ることのできぬ根本命題」である。なぜなら、「社会が変化しないとメディアに対するニーズがなくなるから」。ゆえに、「劇的変化が、政治でも経済でも文化でも、どんな領域でもいいから、起こり続けること。メディアはそれを切望」する。それがよい変化であるか否かを、メディアは問わない。
しかし、世の中には「変えないほうがよいもの」もたくさんある。メディアが「変化はよいこと」という基準を適用して煽ることによって、その領域にも劇的変化が強いられてしまう。そんな強いられた改革が、医療崩壊、教育崩壊に結びついている、というのが著者の見立てである。
本書ではもっぱら医療崩壊、教育崩壊との関係が論じられるが、あらゆる分野の報道にあてはまる卓見だと思う。 -
神戸女学院大学講座を、書籍化。
大学講義が本で読めるなんて素晴らしいこと。
生きにくい世の中。何事にも好奇心を持たねば…。 -
学での講義を再編集したもの。分かりやすい。メディアの信憑性、正義、方向性について語られている。マスメディアは誰のために存在しているのか?改めて考えさせられた。贈与と返礼、著者の考えはとても共感でき、好きである。
召命 vocation(宗教用語)
天職 Colling
「他人のため」に働くとき、人間の能力は伸びる
「一緒に革命できますか」という判断基準
お客さま⇒クレーマーの増大
自分が不足、誤ったことを考え直す機会。
メディアの「とりあえず」の正義、、、もうなかったこと。
戦争とメディアは絶妙の組み合わせである。ピュリッツァー&ハースト⇒イエロージャーナリズム。
読書歴詐称という知的生活
本棚=前未来形で書かれている。
マスメディアvsミドルメディア
反対給付と義務 -
大学での講義が土台ということで、新書にコンパクトにまとめられていてとても面白かった。
メディアに対するラディカルな議論である。
消費者視点での議論や、贈与と反対給付の話は今までのメディア論とは一線を画す論点で興味深い。
メディアの暴走やクレイマー問題、権利ばかり主張する風潮に憂いを感じ、衆愚と化した社会にはうんざりしていたので、大いに共感します。
なるほど、このブクログも自分の「前未来形」でもあるわけですね。道理で安心すると思った。(笑) -
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手持ちの本,図書館で借りた本などの書評を1万冊書こうと思ったのは,子供たちに本だけ渡すのではなく,何を学んだかで,同じ必要があったときに手に...手持ちの本,図書館で借りた本などの書評を1万冊書こうと思ったのは,子供たちに本だけ渡すのではなく,何を学んだかで,同じ必要があったときに手に取ってもらおうと思ったためです。2011/10/04
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ものの見方の新たな視点をもらえました。
すごく刺激的でおもしろかったな。内田先生のファンになりました。
第1講 キャリアは他人のためのもの
人の潜在能力が開花するのは他人の懇請によりそれが必要になったときである。だから仕事について考えるとき、適正テストや「自分が何をしたいか」と問うことからスタートするキャリア教育には問題があるという主張にすごく納得した。
いまの自分と向き合うヒントもらえました。
第2講 マスメディアの嘘と演技
テレビのキャスターが「遺憾です」「こんなことが許されて~」と語りかける場面がどうしても白々しく感じてしまう理由はここにあったんだと納得。
問題が起こる前に報道の力で事態を未然に防ぐ力を持っていながら、また防げなくても予想できたかもしれないにそれをしなかったことについて、恥じるどころか「こんなことが起こるなんて信じられない」という言葉を責任逃れの常套句にしてしまっているメディア。報道を行う立場にある人や組織が「演技的無垢」により互いにもたれ合っている現状。
テレビや新聞の存在意義を問う大問題だと思う。
第3講 メディアと「クレイマー」
給食のときに「いただきます」ということに抗議した親がいたという話のくだり部分が印象的だった。
「人類史を振り返れば、そのような機会に恵まれた人類は全体の1%にも満たないでしょう。「給食を食べる」という現実は、食物の生産・流通システムの整備、公教育思想の普及、食文化の深まりといった無数の「前件」の結果、はじめて可能になったものです。その先人たちの積み重ねてきた努力の成果を享受している現実に対しては「ありがたいなあ」と思うのがふつうでしょう」
おっしゃるとおりです。
第4講 「正義」の暴走
「患者さま」という呼称はあきらかに医療を商取引モデルで考える人間が思いついたものです。
「患者さま」は消費者的にふるまうことを義務づけられる。
「消費者的にふるまう」というのはひとことで言えば、「最低の代価で、最高の商品を手に入れること」をめざして行動するということです。
メディアは弱者に「推定正義」を適用する。
しかしメディアはいったんある立場を「推定正義」と仮定すると、それが「推定」にすぎないということをすぐに忘れてしまう。
第5講 メディアと「変えないほうがよいもの」
社会的共通資本は、わずかな入力差が大きな出力差を生み出すような種類のシステムに委ねてはならない。
それにもかかわらず、社会的共通資本である医療制度や教育制度をメディアが変えようとするのは、社会が変化しないとメディアへのニーズがなくなるからという不可避な病理によるもの。だから絶えず現状をバッシングして変化を起こそうとしている。その内容はともかく、とにかく変わることが第一目的となっているという主張には目からうろこ。
納得するとともに、でも新しいよりよいものを医療・教育に取り入れていく姿勢も必要だと思う。もちろんそこには内容の吟味が必要で、そこにはかならず現場の声がなければならない。メディアはその辺りをわきまえ、ある程度の距離をもって報道を行うまでがその使命ではないかと思った。
第6講 読者はどこにいるのか
まだ存在しない読者さえも読者として認知して、その利便性を配慮した。電子書籍がもたらした最大の衝撃はこのことにあったと僕は思います。
そこにはたしかに読者に対するリスペクトが示されている。
電子書籍の、紙媒体に対する最大の弱点は、電子書籍は「書棚を空間的にかたちづくることができない」ということ。
とある。わたしもそう思う。書籍には知識欲の他に自己顕示欲を満たすという働きがあるということを見落とすべきではない。
第7講 贈与経済と読書
この章の内容についてはわかるようなわからないような、ちょっとぼんやりした感じ。
でも「贈与者」は「贈り物をされた」と思った人が現れてはじめて「贈与者」になれるのだということについてはなるほどと思った。
薄くて読みやすい本だったけど、内容盛りだくさんでした。
ちなみに小飼がブログに書いてた本書のオビ↓
さすが、うまいこといいますね。
* 就活、婚活がなぜ間違っているかがわかります
* マスメディアがなぜ年を追うごとに退屈になっているかがわかります
* クレイマーが最も傷つけるのは自分自身であるのはなぜかがわかります
* なぜ「正義」は「悪」より「悪い」のかがわかります
* 市場原理がなぜ教育を崩壊させるのかがわかります
* 電子書籍がなぜ「ヤバい」のか--いい意味にも悪い意味にも--がわかります
* 価格(price)と価値(value)の違いがわかります
* 明日は「分かる」ものではなく「活きる」ものだということがわかります -
キャリア教育について
現在の支配的な教育観は、「自分ひとりのため」に努力する人間のほうが、競争的環境では勝ち抜くチャンスが高い。しかし人間が才能を開花させるのは「他人のため」に働くとき。自分のしたいことや適性はどうでもよくて、任された仕事に対して「私がやるしかない」という状況が人間の覚醒を導く。自分が果たすべき仕事を見出すのは、本質的に受動的に経験によるものだ。
メディアについて
昨今のメディアの劣化について様々な角度から論じている。メディア独自の個性的でかつ射程のひろい見識に触れて、一気に世界の見通しが良くなった、というようなことを筆者は久しく経験していない。それが無理ならせめて、複雑な事象を複雑なまま提示するというくらいの気概はしめしてもよいのではないか。
メディアの危機に際会して
資本主義社会の商品とサービスが行き交う市場経済の中で、「なんだかわからないもの」の価値と有用性を先駆的に感知する感受性はすり減っていく。どのような「わけのわからない状況」も、そこから最大限の価値を引き出そうとする人間的努力が必要であり、今遭遇している事態を「自分宛ての贈り物」として好奇心を持って迎入れる人間だけが危機を生き延びることができる。
著者プロフィール
内田樹の作品






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