希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想 (光文社新書)

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レビュー : 160
  • Amazon.co.jp ・本 (306ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334035785

作品紹介・あらすじ

最近、「コミュニティ」や「居場所」は、若者や生きづらさを抱えた人を救う万能薬のように語られることが多い。しかし、それは本当なのか。本書は、「世界平和」や「夢」をかかげたクルーズ船・ピースボートに乗り込んだ東大の院生による、社会学的調査・分析の報告である。なんらかの夢や希望をもって乗り込んだはずの船内で、繰り広げられる驚きの光景。それは、日本社会のある部分を誇張した縮図であった。希望がないようでいて、実は「夢をあきらめさせてくれない」社会で、最後には「若者に夢をあきらめさせろ!」とまで言うようになった著者は、何を見、何を感じたのか。若者の「貧しさ」と「寂しさ」への処方箋としてもちあげられる「承認の共同体」の可能性と限界を探っていく。

感想・レビュー・書評

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  • ピースボートの事例を見る限りではホネットの理論を素朴に信じるだけでは、社会変革の可能性は現状非常に小さいということを再確認させられた。


    そのうえで、引っかかっていることがある。

    確かに今の日本社会はクリアどころか「詰み」に陥ってゲームオーバーになってしまう人(自殺者)が毎年3万人前後いるほどにはクソゲーだ。
    そのくせ、ゲームプログラムの管理者(遠くで社会を動かしているとおぼしき人びと)は、基本的に「お前のプレイの仕方が悪い」となじってくる。
    そこまでいかなくても、「がんばってプレイスキルを磨いてくれれば、クリアできるかもよ」という「がんばれ」言説をそこかしこから垂れ流す。
    社会はすでに決定論的にプログラムされているという筆者の立場に立つならば、憤懣やるかたない怒りは確かにこのクソゲーを作ったメーカー、プログラマー、その管理者らを呼び出してぶつけるのが至極妥当なように思える。


    しかし、「がんばれ」言説の代表格として本文中でも何度か言及される自己啓発やポップ心理学は、それほどに(問題のあるレベルで)若者たちの心を蝕みうるものなのだろうか。

    何だか上手くいかない日常に「変わらなきゃ」と感じて自己啓発本を手に取るも、その内容を面と向かってはすすめることもできず、ソーシャルメディアで指向性をうやむやにしたうえで発信するのが関の山。他人に押し付けないほどには「やさしい」若者たち。
    もしそうした若者が自己啓発を広める組織を作っても、筆者の仮説によれば遠くない将来そこも承認の共同体として自己完結するから、「お前のプレイが悪いから私たちのやり方にしろ」という言説はそれほど他人に強制力をもったかたちでは蔓延しない。

    社会のクソゲーっぷりに日々いらだち、その再生産に大きく貢献する「がんばれ」言説を(自分含め)社会学の畑の人間は問題視するけれど、筆者の描くような若者がある程度広くこの社会に実在するのだとすれば、「やさしい」若者たちは「がんばれ」言説をいずれ死滅させうる存在であるともいえる。

    「クソゲーなんだからクリアしなくてもいい。放棄して日常を楽しめ」とすら、私たち畑の人間(自分はその取り巻きだけれども)は声かけする必要もないのかもしれない。そんな事を言う前に、彼彼女たちはその楽しみ方をすでに十分熟知している。ナショナリズムの危惧と同じように、「想い万能」のポップな言説すらも無効にしてしまうのが、「やさしい」若者たちなのではないだろうか。まるでアポトーシスの誘導因子のような存在だ。


    とはいえ、後著の『絶望の国の幸福な若者たち』では、筆者も社会のクソゲー度合いが高すぎることに言及せざるを得なくなっている様子だ。例えば今は承認によって隠されていながら、いずれ将来的に姿をあらわすものとしての貧困の問題にまで目配せしている。



    両著とも「それでいい」「いいじゃないか」という言葉が倫理的な「善さ」に絡んでいると受け取ると暴論だが、「そうなっている以上、そこからまた考え始めるしかないじゃないか」というように受け取れば、それこそ非常に問題提起に富んだ2作だと思う。


    しかし何より、すごい行動力。
    絶対に真似できない。
    この行動力は文化資本云々…ではなくて、あくまで属人的な超人プレイなんだととらえたい。
    とらえたい…願望だ。
    それが願望なんだと思うことで、自分も「あきらめる」ことがしやすくなる気がするから。

  • 社会学者として活躍する古市さんが修士論文として書き記した最初の1冊。鋭い考察力は、昔も今も変わらない古市さんの魅力!
     前半はなぜ人々は「旅」に出るのかという考察、後半はピースボートに実際に乗った筆者の考察及び船内での活動と人々の特徴が丁寧に考察されている。
     中でも前半の「何故旅に出るのか」という考察は興味深かった。現代の若者は、海外旅行になかなか出ないという。それは、お金や時間がないからという理由と同時に、海外に関する情報量が圧倒的に増えたからだと筆者は考察する。確かに、メディアで海外の情報が伝えられ、更には個人が発信するツイッターやインスタなどでも情報は得られる現代においては、国内にいながらも多くの海外の情報を手に入れることが可能だ。では、そんな時代の中で「旅」に出る理由はどこにあるのだろう。その1つとして、「自分探し」をするために旅に出る人が増えているのだそうだ。語学研修を兼ねた旅・ボランティアを体験できる旅など、経験値を積むことで「新しい自分を見つけて帰ってくる」旅に現代はシフトしているという。確かに、大学時代に学生用の旅行案内を見ていると「ボランティア体験ツアー」がパンフレットに必ず載っていたことを思い出す。
     普段当たり前に受容しているものに対して、一歩立ち止まってみることで考察を深めていく社会学に改めて魅力を感じる1冊となった。

  • ピースボートにはもともと興味があって、古市憲寿の本も読んでみたかったので読んでみた。
    ピースボートに関しては船での世界一周には憧れるが、若者が騒がしくしているのかと思うと二の足を踏まずにはいられない。
    認知度も高くなってきているのだから、船内でのイベントをあまり開催しないタイプのツアーも企画すればそれなりの需要があると思う。
    著者に希望難民と名付けられた日本の若者にはコミュニティが必要だ。
    けれど、そのコミュニティに属しているからといって夢や目標をあきらめる必要はないはずだ。
    船に乗りたければ乗ればいいし、一人で世界を見たいのなら一人で見て回ればいい。
    現状を変えたければ変えればいいし、現状のまま暮らしたければ暮らせばいい。
    少し硬い内容が多いが、ピースボート内の様子が分かり、著者の辛口な面白さもあって楽しめた。

  • 「へー、ピースボートってそうだったんだー」と思うと同時に「自分に不都合な事実は隠ぺいする体質もあるんだなー」と思ったり。
    で、この本の大事なキーワードとして、若者の夢や希望からの「あきらめ」としての「居場所」の存在が必要なのかな?と、思わされてしまう本書の展開に騙されたような気分の自分がいるわけで。
    古市憲寿の文体が好きならば、十分楽しめる本だと思います。私は楽しませてもらいました。

  • NEWSWEBやニッポンのジレンマでおなじみ古市憲寿さんのデビュー作。#life954 の影響を随所に感じる(鈴木謙介さんの『カーニヴァル化する社会』とか速水健朗さんの『自分探しが止まらない』とか)。

    要旨は
    ピースボートってよく名前聞くから実際に行ってみたよ

    意識高いことを簡単にやった気になれる仕組みが整ってるよ

    しかも友達作ってお手軽に承認欲求を満たせるよ

    無理に頑張るより、こういう風にまったりできるほうが若者にはいいんじゃない?
    (しかも、「がんばるリーダーとまったり楽しめる一般メンバー」という風に分ければプロジェクトとか成功しやすいし)
    といったとこか。

    「現実的に社会を動かすことをしたい」と考えている俺にとって、ピースボート的な自己啓発によくある「社会的なこと言うけど実際は仲間内でまったりしてるだけ」という環境を知ることは参考になったと思う。

    「こうならないように気をつけなきゃいけない」と思いつつ、262ページのファシリテーターのくだりにあるように、自己啓発とか承認欲求を満たせる仕組みといったものも使いようによっては社会を動かす原動力になりうる、とも感じた。

    Charlie的に言うと「希望の話をしてる」し、そーいう希望を持って具体的に何かしていきたい、と思わせる一冊だった。

  • 面白かった 目的を達成するための共同体が、いつの間にか目的を冷却するものになっている。

  • 1日で読んでしまった。いちいち引っ張り出してくる学者を茶化すので何度も笑いながら。
    自分自身も「あきらめきれない」人のうちの一人だと思う。なので、「ああ、この状況下なら自分はこうするだろうな」というのが読みながら容易に想像できた。

    論文をベースにしたとは思えないほど「カルい」(「カタい」の反対)文体に対し、参考文献の明示や理論の説明はやたら丁寧なので、そういう方向への足掛かりにもなるのかな、という印象。


    第1章は比較的見慣れた、読みなれたことが書いてある印象。タイトルとかから推測できる内容。
    第2章の旅の歴史はまあ「ふーん」って感じ。ただ一つ疑問なのは、さっぱり情報がない旅が旅の本質だという箇所。別にいろんな情報あってもよくないか?と思った。

    第3章で印象的なのは「頑張ったものには愛着がわく」という「仕組み」。別にそこを批判しても仕方ないじゃないかという感じだけれど、でもこの点はサークルとかで散々経験しているので共感できた。本文に書かれてはいないけど、このプロセスがイヤなら乗るのも嫌になっちゃうしね。

    面白いのは第4章以降。ピースボートには興味なかったけど読んでよかった。第4章、第5章は本当に面白い箇所がたくさん。

    4章の要約。
    ・乗った動機の多くは「自分を変えたいから」
    ・内田樹の引用をして、自分探し=自分以外の外部のリセットをすること
    ・小熊英二の理論を用いながら現代の若者はアイデンティティと政治との分離を説明。これって上の世代がそれだけ裕福だからなんだろうなと感じた。親がそれなりに裕福だから自分が政治の主体じゃなくなっている。

    5章。ここがおそらくピーク。
    横軸に共同性(他と積極的になにかをやること)、縦軸に目的性(政治性)のマトリックスを作って、参加者を4類型(セカイ型、文化祭型、自分探し型、観光型)に分ける。
    セカイ型…世界を変えたい、と、船内のいろんな活動にコミットし、さらに政治的関心も強い。
    文化祭型…セカイ型から政治性を抜いた類型。「楽しい」からイベントに参加する。
    自分探し型…政治的関心も強いが、積極的に船内活動にはコミットしない。
    観光型…政治的関心も船内の活動にも積極的でない。

    印象的なのは、船内でトラブルがあった際に、年配の参加者は主催者側に「訴訟を起こす」なんて強い態度で文句を言うのに対し、若い世代はセカイ型であっても「泣くことしかできなかった」こと。この世代は余計な対立を嫌うっていうのは本当によくわかる。

    6章。ピースボートが終わった後に参加者がどうなっていったかについて。
    セカイ型と文化祭型の人は似たような状況になる。セカイ型を結び付けていた平和とか、9条とかそういうキーワードは彼らにとってはどうでもいいこととなる。ただ、船内で生まれたコミュニティが下船後も続いていき、よりどころとなる。これが、セカイ型のひとにとってはブルデューやゴフマンの社会的老化や、冷却という理論で説明がつく。
    自分探し型の人は、ピースボートでも結局「自分」を見つけられなかったから、またワーホリなり他の活動に参加し、自分を探し続ける。
    観光型の人は、観光の思い出を語り、船内での活動を冷めた目で振り返る。彼らは「自分をあきらめる」ことに成功し、社会人に戻っていく。

    7章。社会学的なまとめ。
    ピースボートは「自分をあきらめる」プロセスであると本書は言う。
    著者は、冷却されるのはべつにいいことではないかという。それでつらい仕事をやりぬいていけるのなら。若者が政治的問題に関してまとまって声をあげる場所を作ることが、かえってその運動をしぼませてしまうとまでいう。レベルアップする制度が日本の社会にはないのに、それでも夢を追いかけるような泥船に乗らなくてもいいという。じゃあ誰が社会を変革していけばいいのかといえば、それは今もそうなっているように、マックスウェーバーのいう「それでもなお」なエリート層がやればいい、と。


    思うことはいっぱいある。問題提起は適格。でも自分は、それでもなんとなくでも参加できる「社会をよくするムーブメント」があるんじゃないのかな、と思っているクチだから、この結論にはちょっと納得できない。
    本田由紀も解説で書いているけど、そもそもそれすらも得られない人たちがいるのも間違いないので(絶対的な経済的貧困ということ)、そこはうーんと思ってしまう。

    ただ、ここで書かれていることが世の中のいろんな若者のいろんな「場」とか、政治運動と密接につながっていることは否定のしようがないと思う。SNSしかり、原発デモしかり。たとえば原発デモが成功するかどうかは、古市さんの言うとおり「ファシリテーター」次第かと。

    最後に思ったこと。あとがきにも書いてあったけど、ここでは本当に「著者」の存在が希薄。こう書き換えたのかもしれないけど、こういう風に俯瞰した態度で見てて、どう船内の人と仲良くしてたのかなーというのが結構気になる。自分が社会学専攻じゃないからかもしれないけど、インタビューを受けてくれる人にどう信頼されるかって重要だよね。

  • 自分探しの目的が、外部評価をリセットすること。内田樹
    冷却により社会に反抗せずに生きていく装置。
    このままでも生きていけるという感覚を得る。
    収入不足を社会資本で補う。
    一定の傾向を持った人々の集まりで、良いか悪いかは別として、その傾向を増長させるシステムになっているのかもしれない。

    今の自分と彼らとの違いは何かを考えた。
    実績と目的意識の具体性かな。

  • ピースボートでの長期共同旅行を通じて、著者が乗船客を対象に行ったフィールドワークから、若者の共同性と目的性について論じた一冊。

    前半はピースボートの説明に終始しているので、
    何が言いたいんだこの本は?という感じになるのですが、
    後半にかけてたたみかける若者観察の考察結果が鮮やか。
    若者にとってコミュニティは目的性を必ずしも帯びていない、
    むしろ過度な目的性に対する冷却装置であるという点は、
    とっても分かる。その感覚。

    その他、リアリティのあるフィールドワークの記録が、
    貴重なデータとして使えます。


    ただ、著者はやっぱりちょっと、なんというか、
    ひねくれてますよね、文体とか読んでると笑
    そこがまた、観察者としてはいいスタンスなのかもしれないけど。

  • ずっときになっていたポスター、「99万円世界一周」の裏側潜入ルポ的なフックから、ちょっと前の若年=世の中(日本)を書いた本。
    読みやすい砕けた文体の中に急に出てくる「AかつB」みたいな分析表。

    問題提起しているような・していないようなブラブラしたかんじが面白く読めた。

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著者プロフィール

古市憲寿(ふるいち のりとし)
1985年東京都生まれ。東京大学大学院博士課程在籍。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。株式会社ぽえち代表取締役。専攻は社会学。若者の生態を描出し、クールに擁護した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(講談社)で注目される。大学院で若年起業家についての研究を進めるかたわら、マーケティングやIT戦略立案、執筆活動、メディア出演など、精力的に活動する。著書に、『誰も戦争を教えられない』(講談社+α文庫)、『保育園義務教育化』(小学館)、『だから日本はズレている』(新潮新書)、『希望難民ご一行様』(光文社新書)などがある。2018年から小説を書き始めている。小説作に「彼は本当は優しい」(『文學界』2018年4月号)。『平成くん、さようなら』で第160回芥川賞ノミネート、『百の夜は跳ねて』で第161回芥川賞ノミネート。

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