- Amazon.co.jp ・本 (541ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334752132
作品紹介・あらすじ
3巻の「図式論」と「原則論」では、カテゴリーの根拠づけが対象にたいしてどのように機能するのか、それと時間がどのように関係するのかが解明される。イギリス経験論(ヒューム)を根本的に批判し、認識の主体と対象の相互の関係を論じた観念論も批判する。
感想・レビュー・書評
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決して読んで分かったとは言えない。しかし、同じインタレストを共有できた納得の気持ちはある。三巻はより近づいてる。因果関係、時間、現象、物自体(あるいは病気自体)、空間。存在、観念論、反省といった僕ら臨床屋が毎日取っ組み合っている命題がここでは議論される。
カントの文章は分かりづらい。あえて言おう。文章が下手である。一説には当時のドイツ事情からわざと分かりにくくしたという説もあり、ドイツ語独特の長々した文章の特徴という説もあり、翻訳の問題という説もあるが、それを差し引いてもカントの文章が下手だ、という要素は大きいと僕は思う(素人が偉そうにごめんなさい)。中山元の解説を先に読むほうがよい。こちらはとても理解しやすい、納得のいきやすい文章である(難しいけど)。そのあとでカントの地の文を読むとずいぶん違う。
4巻も楽しみだ。一所懸命読みたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
人間が世界に触れる時、人の中では何が起きているのか。人が現実だと思っているものは、本当に現実なのだろうか。人は世界をありのままに捉えているのだろうか。おそらくそうではなくて、人はそれぞれ別の見方で世界を捉えていると思う。そして同じものを見ていても、人それぞれ捉え方が違うのだ。カントのこの本は非常に難解だ。もちろん読む価値はある。だからこそ読む価値があるとも言える。時間と空間を重要な要素として、現象とは何かについて考察する。
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全巻の中でも、かなり難解な巻で、通読するのに時間がかかった。まだまだ消化不足であるが、先を急いでいくことにしよう。
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感性が受け取る直感すなわち経験的対象に、カテゴリーがいかに適用されるかを論じる「図式論」とその各論となる「原則論」。この図式を用いて理性の定める原則との適合性をジャッジする「判断力」と、前分冊で出てきた知性が個別の直感をまとめ上げる際に用いられる「想像力」との関係がよくわからず混乱したが、どうやらそれぞれの「根拠づけ」の対象が異なるようだ(前者は理性、後者は知性に権限がある)。
しかしこの「図式論」も厄介な代物だ。現象とカテゴリーを媒介する純粋な形式としての図式即ち〈時間〉が多様な私的経験のうちに含まれているからこそ、客観性を担保するカテゴリーが感性のうちに与えられて自己の追加的な判断即ち〈総合判断〉が成り立つというのだが、本当にこのような複雑な過程を経てアプリオリな総合判断というものが生まれているのだろうか。そもそもこの感性・図式・カテゴリー・原則というメカニズムは実証不可能なカント一流の説明にすぎない。しかし、「現象などの物自体にカテゴリーは直接適用できない」というカントの金科玉条からすれば、特にこの図式は人間認識の制限項として導入不可避なメカニズムだったのだろう。
「原則論」はよく言われるように、「本当にこれだけの原則で概念が網羅されているの?」という素朴な疑問を否応なく惹起するが、僕に関しては特に力学的な原則(関係と様態のカテゴリーに対応する「経験の類比」と「経験的な思考一般の前提条件」)についてはある程度の納得感を伴って読めた。例えばスピノザやライプニッツ的な決定論に対し、因果律は人間が現象認識の結果として確立したものだというカントの主張は、若干情緒的に感じられはするが、人間中心主義的な世界観に立脚する点で共感を覚えた。
なお本分冊では全くメジャーな論点ではないが、個人的には原則論の観念論への反駁で出てくる「基体」の扱いが微妙だなと感じた。カントは我々が対象の変化を知覚する際に、時間そのものは知覚できないのでその代わりに不変なるものとの相対変化を知覚しているという。ここが外部の実体性を要請する点でバークリ的な際限のない懐疑論やデカルトの唯心論的懐疑に対する論駁の根拠となっているのだが、この不変な基体というものの実体が判然としないのだ。どうやら対象の変化というのは対象の不変な基体すなわち「実体」そのものではなく、その属性が変化するさまを指すようだが、やはりライプニッツが言うように「対象の実体」という変化しない本質というのはそれこそ人間が認識不能な「物自体」の最たるものではないのか。それとも、カントは人間に認識可能な「変化」を定義するためにそのような基体という概念を構成的に導入したのだろうか。つまり人間がアプリオリにもつ法則に従い変化を認識する際に、構成的に後付けで設定される基準点のようなものか。確かに「コペルニクス的転回」ではあるが、しかしそれだと循環論そのものになってしまうような気がするのだが…。 -
134-K-3
文庫(文学以外) -
第三分冊は「判断」に関する考察。第三分冊まで読んで、内容がつかめてきた。第三分冊が一番難解であると書かれているが、僕にとっては第一、第二分冊の謎を解明するものがこの第三分冊だと思われた。相変わらず無味乾燥かつ難解な主張が展開されるわけだが、ときどき、実例を交えた説明があり理解の助けになる。判断力とは天性のものであり、学校教育で教え込むことはできないというくだりは、ここ数十年来言われつづけてきた詰込み教育批判と通じるものがあると思った。
新たに発見した事として経験の類比がニュートン力学の3法則(慣性の法則、力の法則、作用反作用の法則)び対応しているということだ。
我々は論理的に筋の通った理論をいくらでも構築できるがそれが可能かどうかは別問題だ。おそらく場の空気と言ったアプリオリな規則に従う必要があり、その意味で論理的思考力だけでは限界があるんだろう。巷間盛んに言われる論理的思考力信仰について一石を投じるものであることは確かだ。論理的思考力を批判しているんじゃなくて、それだけじゃダメだということです。天才は論理的思考力に長けているんだろうけど。 -
訳:中山元、原書名:KRITIK DER REINEN VERNUNFT(Kant,Immanuel)
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ハイデガーの「カントと形而上学の問題」を読むために本棚から引っ張り出してきた。「観念論論駁」部分をとりあえず先に読む。
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