- Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344413528
感想・レビュー・書評
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とてもほっとする愛の形。
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友人と花屋を経営する斎藤慈雨と、古い日本家屋にひとり棲みの予備校講師・北村栄。お金をかけなくとも、2人で共有する時間は“世にも簡素な天国”になる。
「心中する前の心持ちでつき合っていかないか?」。人生の後半に始めた恋に勤しむ2人は今、死という代物に、世界で1番身勝手な価値を与えている。
裏表紙にあるこのあらすじがとても綺麗で素敵だったのでそのまま載せてみた。
慈雨と栄の2人に“死”という意識がないわけではない。でも悲劇的な空気はなくて、どちらかと言うとラブラブな2人の可愛らしさを味わえる。
章と章のあいだには必ず、短くいろいろな小説からの抜粋がある。
それに何の意味があるのか分からないまま読みきって、後から分かったのは、抜粋された小説たちは全て登場人物が死ぬ恋愛小説だということ。
(読書家の栄が慈雨に貸して慈雨が読んだ小説である、というダブルミーニング)
この小説が出る少し前、いわゆるケータイ小説だとか、登場人物が死んでしまうお涙頂戴系の恋愛小説がとても流行った。具体的にタイトルが出てくるわけではないけれど、たぶんセ●チューとかのことだと思われる。
それらが悪いわけではないけれど、あまりにも出来すぎたストーリーに辟易した人もいたはずで、この小説はそれらの対極にあるという…そういう位置づけ。
“死”は当たり前に誰の隣にもある。だけど話を盛り上げるために“死”を使うことはない。
40代、中年の2人の恋なのだけど、可愛らしさが溢れている。たくさんの過去を乗り越えて出逢った2人。一筋縄ではいかないことも多いけれど、何より2人でいることが一番幸せ。
「無銭優雅」とタイトルがびっくりするくらいしっくり来る小説。心の豊かさと経済状況は、必ずしも比例するとは限らない。 -
大人の恋愛小説。
何が大人か、と言うと主人公の年齢が、ということではなくて、
語り手としての主人公の「軽やかさ」が大人なのである。
歳を経て、経験を重ね、己を知り、恋を知り、人生を知り得たからこその、達観したかのようなこの「軽やかさ」。
そこに、「大人の余裕」を感じるのである。
「だって、感動的な恋愛小説って、大体どっちか死ぬだろ?」
「感動的な恋愛小説って、たとえば、この間、映画になったみたいなの?」
凡百の恋愛小説へのアンチテーゼみたいなこの台詞こそが、この小説の行先を暗示して、その方向へと読者を力強く牽引していることは言うまでもない。
けれどその途中に差し挟まれる幾つもの引用句が、軽やかなリズムをあえて乱して読む手を止まらせる。しかもその引用句は、次第に「死」の雰囲気を帯びていく。
解説によれば、それらは全て物語の陰で慈雨が読んだ恋愛小説たち(一部除く)であり、そのすべてに「死」という装置が組み込まれているのだという。
これは凡百の恋愛小説へのアンチテーゼと読むべきなのか。
それとも、全ての恋愛小説へのオマージュと読むべきなのか。
いずれにせよこの小説は、この世に幾百、幾千、幾万とある恋愛小説とはちょっと違う。
数多の小説たちとは居並ぼうともせず、それらを遥か高みから見下ろしている。
そんな小説である。 -
う~ん…好みじゃなかった。
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42歳の慈雨と栄は「栄くん」「慈雨ちゃん」と呼び合いながら“大人の恋”とは程多い“中央線の恋”にはまっていた。慈雨の家族の問題があり、終盤には、古い日本家屋に一人きりで暮らす栄の過去が思わぬところから明らかになるが、結局のところシリアスになりきれない。二人にとっては今、恋愛至上なのである。
私にとって42歳の恋愛は、その歳が近づきつつはあってもやはり慈雨の姪の言うところのオトコイ(大人の恋)であって、その対極にある慈雨と栄の恋愛は初めて触れる、もやもやふわふわした実態の掴みにくいものであった。
そういう意味で、地の文より、随所で引用されている古今東西の小説のほうが心に残って、あ、この本読んでみよう!とそんな事ばかり考えてしまった。 -
愛読書なのですが・・・また読んでしまいました。今回は文庫で。
なんとなくハードカバーで読むのと印象が違ったけど、どうしてかな?私の心持によるのかしら。ハードカバーにはない解説文がなかなか良かった。 -
好きな四文字熟語と問われ「斉藤慈雨」と答える。私も言われたーい。
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2年くらい前に、純愛小説ブームとされていた年がありました。主人公のどちらかが死に、悲劇のヒロインを演じている場面には、何度も遭遇したことがあるような気がします。そこで感じられることは、
「死って、恋のすげえ引き立て役なんだよなあ。」- pp10
ということだと思います。死は確かに恋の引き立て役かもしれないけれど、エンターテイメントの要素としてたやすく使うべきものではないと、本書を読み終えて思うようになりました。自分の知らなかった一面や知らなくて良かった感情がむき出しになるなど、死別というのはもっともっと重いはず。
本書の全編に渡って、「登場人物の誰かが死ぬ」恋愛小説からの引用が散りばめられていて、「無銭優雅」というまた1つの恋愛小説を読むことになります。本書の主人公が「死別」という物語の装置をを自分達の恋愛に使うことを提案し、死があるからこそ引き立てられる恋の部分をふたり楽しんでいる様子はまさに優雅でした。
「私たちは私たちで独自の道を進んでいますの。私と彼という組み合わせは、この世にひとつきりしかないのだから、それだけで独自だと思い込んでいますの。」- pp100
くだらないところほど良く、他の恋愛小説のようにムードのかけらもないくらいが、かえって登場人物の2人を特別な存在として見ることが出来ます。
(<a href="http://d.hatena.ne.jp/separate-ks/20090822/1250867783">http://d.hatena.ne.jp/separate-ks/20090822/1250867783</a>) -
他の山田詠美さんの作品と比べると好きではなかった。