食の終焉

  • ダイヤモンド社
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  • Amazon.co.jp ・本 (544ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784478007471

作品紹介・あらすじ

食の巨大なサプライチェーン、その裏で今、何が起きているのか?豊かさをもたらすはずのシステムが人類を破綻に陥れる。圧倒的な取材力で真実を描き出す問題作。

感想・レビュー・書評

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  • 読んでると暗ーい気持ちになる重たい一冊です。

    現代の食システムはどんどん巨大なサプライチェーンがふくらみ慣性がついて抜け出せなくなる一方で効率とは裏腹に脆弱になっている。
    生鮮食料品だけでなく冷凍食品もは0−157やサルモネラ菌の混入を防ぐことはできず、最後に消費者が適切な調理をするかどうかにかかっている一方で外食も含めて料理はインスタト化する。元々Oー157は胃酸で死ぬあまり問題の無い菌だったのが牛を早くするために餌が牧草から穀物に変わったことにより耐酸性の菌が生まれた。

    食肉の解体も機械化され効率化されるが個体差によってうまく処理できず内蔵が混ざることで大腸菌などに汚染される。鶏も胸肉が好まれるため胸筋が早く発達するように改良される一方親鳥まではまともに成長できなくなっている。それでもこれは世界中が肉を求めた結果だ。100億人に人口が増え世界がイタリア並に肉を食べたとするとそれを支える穀物を作る農地は残っていない。中国の鶏や豚の生産を支えているのはアメリカ、ブラジル、アルゼンチン、カナダ、オーストラリアとわずか5カ国から輸出されるトウモロコシなどの穀物で中国のCPIに占める豚肉価格の影響と必死でインフレを抑える中国政府の努力を見ていると例え肉の消費を抑えるのが唯一の解だとしても実行は難しいだろう。「誰が中国を養うのか」が第5章のタイトルだ。

    10億人の飢餓人口がいる一方で10億人が肥満に苦しむ。肥満は比較的低所得者層で増えるのは安くカロリーを得る手段がファストフードやスナック菓子だからだ。スナック菓子は比較的利益率が高く消費者の好みに合わせて創られている。例えば単純に消費者を満足させる手段は糖分、塩分、脂肪分などを増やすこと。糖分は知らないうちにあらゆる加工食品に増やされている。

    エネルギーや水の不足も大きな問題で例えば緑の革命で遺伝子組み換え植物は生産性の向上をもたらしたがそのために大規模な灌漑のため利用できる地下水は減り続けている。また肥料を撒いても養分は土壌にとどまらず表土は流出し農薬と肥料はもはや使わずに生産量を維持できなくなる。

    利益を上げるために農場は大規模化し単一食物に走る。農家にコストダウンを迫る食品会社も同様にウォルマートの様なスーパーマーケットからのコストダウン要求にさらされる。ちなみにウォルマートのコストダウンの最も大きな物は安い給料で働く移民など人件費による物らしい。スーパーマーケットはマクドナルドなどのファストフードとの安売り競争にさらされ、結局はより安く、より豊富でな食品を求める消費者がこの巨大なサプライチェーンを生み出したと言える。しかしこの巨大な食システムは例えば天候の不順やエネルギー価格、食中毒から鶏インフル、狂牛病等何か一つ狂うだけで大きなダメージを受ける。タイの洪水で歯車が狂ったジャストインタイム方式を連想してしまった。

    遺伝子組み換え技術や有機農法なども今の所は充分な解決策にはなっていない。特定の農薬に強かったり病気に強い遺伝子組み換え作物は作れても収穫を増やすにはもう限界が有る。小規模な有機農法と消費者を直結した取り組みで成功した例はある物の規模の限界を超える答えにはなっていない。どうも日常的に肉を食べるのをあきらめるしか答えが無さそうなのだがそんなことができるのか?

  • 「マクドナルドが世界最高のハンバーガーかどうかはわからない。しかし、それがいつどこで食べてもまったく同じ品質であることは間違いなくすごいことだ」と、スミスフィールドの前会長ジョー・ルターが述べている。

    これは、人間が生きる上で欠かせない「食」を経済活動に組み込み、工業化したことにより成り立ったことだ。この「食」の工業化は持続可能なのだろうか。

    比較優位論による低コスト、大量生産モデルを世界的規模に拡大することで、私たちは恩恵を受けるだけでなく損害を負った。
     【損害】
      ・農場や食品会社の急激な資本統合
      ・地域独自の食文化の崩壊
      ・大規模な畜産による水質汚染
      ・農業肥料由来の化学物質の流出と環境汚染
      ・余剰カロリーの氾濫に起因する生活習慣病

    比較優位論を農業にあてはめるには、常に安い輸入穀物をあてに出来るという前提が必要である。人口増社会であり、肉生産のためにも穀物を多量に必要とする現在の社会でこの比較優位論があてはまるのだろうか。食肉の消費量に着目してみると、牛肉0.45kgを得るために、9.07kgの穀物が必要になる。世界の食肉消費量がアメリカ並み(年間1人当たり98kg)になった場合、現在の世界の穀物収穫量では26億人しか養えない。イタリア並み(年間1人当たり78.4kg)になった場合でも50億人である。世界人口のピークとして予想されている95億人(2050年)を現在の穀物供給量で養うには、食肉消費量をインド並み(年間1人当たり5.44kg)に抑える必要がある。

    農地を集約し工業的農業で成功している国としてアメリカが挙げられるだろう。アメリカは世界で最もコスト競争力のある農業生産国であることは確かだが、政府の膨大な補助金によって成り立っている。例えば、2005年には1兆5200億円もの補助金が投入された。また、大規模な工業的な農業が効率的でコストがかからないというのは、水の汚染や土壌侵食などの外部コストを除外して見ているからである。農業通商政策研究所のスティーブ・サッパン研究部長は、「私たちは実際に安価な食料を生産しているわけではありません。多くのコストを外部化することによって、安価に見せているだけなのです」と言う。

    工業化された「食」では、食べることの意味が変質してしまった。従来は社会の仕組みやしきたりを維持する機能を担っていたが、現在では値段や手軽であることが最重要視されている。

    ミズーリ大学のジョン・イカード名誉教授は、「工業化された農業が強調している高収量とは、本来は"一時的"なものだ。なぜなら、それは、長期的な生産性の基盤となる天然資源や人的資源を搾取することによって支えられているものだからである」と言い、工業化された農業は、「自然を使い果たし、社会を疲弊させる。そして、そうした自然資源と人的資源がなくなった後には、経済を持続させる手段は残っていない」と警鐘を鳴らす。現在の課題への対策は、対処療法でしかなく、持続不可能なシステムそのものには触れていないのだ。これまでその場しのぎの改善を繰り返してきているが、「自分たちが食べるものをどう考え、それをどう作るのかを、もう一度根本から問い直してみる」必要があるのではないかと筆者は主張している。

    工業化された農業に対し、古野隆雄は、合鴨農法により大規模工業的農業に匹敵する、1年で1033万円の収入をあげた。古野らは未来の食システムは、限りある資源で莫大な外部コストをかけずに食料を作るには、多角的農業に移行するしかないと考えている。しかし、古野らが提唱するような統合的農業システムは、現代の工業的農業の大原則である"単純化"に大きく反している。アメリカの平均的な農家は収入の大半を農業以外の活動から得ているため、農業に長時間の労働力を割くのは難しい。

    農業の工業化が起こった背景には、「大半の消費者は目先の新しさや変化を求める一方で、外部コストを賄うための食品価格の値上げや、肉などの好物の消費を抑えなければならないような食経済は受け入れない」という背景がある。市場は強制されなければ変化しないため、コーネル大学の生態学者デイビッド・ピメンテルは、食システムを変えるには食料政策を変革する必要があると考え、外部コストを基準にして、肉、乳製品、卵などを高税率にする「持続性特別税」の導入を提唱している。

    筆者は、現行の食システムが消費者起因で形成されているため、変更されるのは、「これからシステム自身が引き起こすであろう数々の緊急事態への対処を繰り返した結果になる可能性が極めて高いだろう」と言い、「食物生産を他者に任せたことや、自分が食べるものの特性や優先事項やそれについての思いを、遠く離れた経済モデルによって決められてもかまわないと思ったがゆえに、私たちは食の衰退を加速させ、それと同時に、人生にとって重要な何かを失ったのではないかということだ」と述べている。


    食システムを持続させるには、多角的農業に移行する必要があるのだろう。その際に、兼業によって得てきた収入を維持することがネックになってくる。専業農業で収入の維持や、支出の削減を考えると、農業+発電のソーラーシェアリングによって一部でも自動的に収入が入ってくる仕組みが一つの案になるのかもしれない。

  • 食システムの危機をいかにして乗り越えるべきか?

    筆者は、食そのものは本質的に経済活動でない、としている。しかし今や、食が資本主義経済に取り込まれてしまい、さらにはグローバル化してしまっている。資本主義的な市場システムのもとで作動する食システム(食の生産から消費までの全体像)は、確かに効率的になり、より多くの食料を生産・消費することに成功してきた。しかし、それは資源の過剰消費や、外部コストの発散によってなされたものだ(これは単純な需要―供給モデルでは分からない)。従って、現在の食システムは全く持続可能的ではない。何かしらの「想定外」(大型ハリケーン、鳥インフルエンザ、石油産出諸国の政治動乱…)が起これば、すぐにでも大打撃を受ける。仮にそれらの擾乱がなくとも、いずれ資源が底をつき、食システムは成立しなくなる。

    では、悪いのは誰なのか?
    本書では、生産者、加工業者、流通(小売)業界、国家のすべてを調査の対象としている。ここから分かるのは、どこもかしこも問題だらけだということだ。大農場も悪いし、ネスレも、マクドナルドも、ウォルマートも、政治家もとんでもない大悪である。だったら改革しろ!でなきゃ潰せ!と息巻きたくもなる。ところが、それでは解決にならない。
    そもそも、これらが激しい競争を推し進めているのはなぜだろうか?それは、消費者のせいである。そして究極的には、われわれ一人一人の問題なのである。競争を勝ち進めるために、分業と大規模化を進めざるを得ない。それはまさに、経済の法則に飲み込まれ、それに従っているだけの存在である。消費者が今と同じ効用の最大化(腹いっぱい旨いもの、特に肉を食いたい!)を期待している限り、企業は経済法則から逃れられないのである。

  • 経済を構成するひとつのアイテムとなってしまった食べ物の今と将来についての話。安い食べ物、安定供給される食べ物の裏に、添加物や農薬、土壌崩壊などの背景がある。化学肥料で土地はやせるし、オーガニックなものの多くは実は循環型になってはいない。そんな世界に、肥満と飢餓で苦しむ人数が同じぐらいいる。
    この背景にはどんな理由があるのか? 人口増? 生産者の怠慢? 食品会社の利益のため?
    一番の黒幕は、それらの背景で、「もっと安いものを安定供給しろ」と圧力をかける消費者たる僕たち…
    いいものをより安く、なんてやっていると、そのツケが溜まっていくことを、これでもかと紹介されてしまいました。

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1000930728

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99502495

  • SDGs|目標2 飢餓をゼロに|

    【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/57742

  • 食に関する「危機」が書かれているが、なるほどジャーナリストが書いたのだなと思わせる執拗なまでの煽りに溢れた悲観論を感じる。
    ある章では、穀物が溢れて価格が下落し農家の生活が危ない、と煽ったかと思えば、別の章では、食糧確保が困難で危ない、などと、煽りまくる。
    つまり、ある場所だけでは溢れていたり枯渇していたりと極端であるが、世界的に目を向ければ、大体は食料が足らなくなるだろう、という事なんだろう。
    インフルエンザの爆発が危惧されているが、別のウィルスでパニックになっているとは著者も思わなかっただろう。

  • 食糧危機への警告本というジャンルもいい加減マンネリ化してきたせいか、さすがに大手企業だけに責任を帰すような暴論にはなっていないが、それでも恐怖を煽るだけの本であるところは変わらない。
    それにしても本書は分量が多いせいもあってか、章が変わるだけで主張がブレるのには驚きだ。

    「大量生産のせいで穀物価格が安くなりすぎてヤバい!」といった次の章で「牛肉の消費急増で穀物が足りなくなってヤバい!」と言ってみたり。
    「後進国では他国から安価な食料が侵入してきて自国の生産業がヤバい!」といった次の章では「人口急増で食料が足りなくなる!」と言ってみたり。

    グラフや表どころか数値もほとんど用いられないのは、そうした章間での不整合に気づかれないようにするためか。
    「可能性がある」「可能性は否定できない」「最悪の事態が生じても不思議ではない」という言葉が多用されるが、それがどんな突飛であろうが確率が示されないのであれば、「豆腐の角で頭をぶつけて死ぬ可能性がある」とだって言えてしまう。

    また、数値で語れないので、意見は基本的に感情のみを重視したものとなる。
    家庭での食事が減って外食が増えることについては、女性の社会進出や分業による余暇時間の創出などのメリットを無視して『私たちの身の上に何か極めてよからぬことが起きるような気がしてならないのだ』と感情だけで危機感を煽る。
    『牛の運搬用トラックについては、ほぼ十台に一台の割合で病原性大腸菌が見つかった』などと食肉の不安を煽るが、筆者はすべての肉は生で食べられるようにするべきだとでも言うつもりだろうか?

    2008年に書かれた本書によれば、政府や巨大な食料組織に対抗するため『彼らの不満を爆発寸前の状態までふくらませた』二百万もの"組織"が『主催者もメディアも未確認だが、おそらく、人類史上最大の社会運動』に参加しており、『この大規模な動きがそのうち、ある種の臨界点に達し、頑強に抵抗する政治家や産業界のロビイストでさえ阻止できないほど、大きなうねりとなって、改革への原動力となることは十分に考えられる。』とのことだ。

    良書というのが何年も、時には何百年もの批評に耐えうるものだとすれば、そうでない本は数年でその正体が暴かれる。
    時事問題の理解のためには、新刊に飛びつくよりも、数年前の本と現時点での状態を比較すると、新しい側面で語れるようになるかもしれない。

  • 手軽で美味しいモノに低価格まで求めたら、食の安全が犠牲になる…なんて少し考えれば分かることだけど、それにしても凄まじい。無理が通れば道理が引っ込む、だわな。

    マクドナルドやウォルマートはこんなことやってます、「緑の革命」はこうなった、との事例報告で手一杯。ローカルヴォアとかオーガニック、シエラクラブや不耕起農法とかの話が駆け足になってるのは紙幅の都合か。日本人に馴染みのない言葉にちょいちょい訳者注が入っているのが親切。

  • 食のシステムとしては全体を見るという意味ではよくまとまっているが、主義主張という点では著者の想いが先行し、複雑な背景も相まって綺麗にまとまっているとは言い難い。農業史的な意味では「食糧と人類」が、フードチェーン的な意味では「フードトラップ」が良い枕となったし、本書をきっかけに農業経済の分野としての必要性・重要性についても理解できたと思う。答えを知るための本ではないが、興味のきっかけを持つ本としては十分と思う(その割にはちょっと長いが)。


  • 1.最近海外の農業形態について読むことが減ったので購入しました。

    2.キーワードとなるのはグローバル企業による搾取と消費者の気づきの2つです。経済効率を優先する社会を作りあげたのは両者であると著者は述べています。食料を商品としてしまい、大切なこたを見失ってしまっているのが現代の食経済の悪い部分で、どのように悪いのかを調査によって述べてくれている本です。

    3.大方の予想通りの内容でしたが、読み応えがある本でした。
    食料増産による人口増加という悪循環やグローバル企業によって搾取と利益を受ける立場の人間という複雑に絡んだ状況が現代を取り巻く環境の事実なので、消費者側は、なにが自分に出来るのかを今一度考えていかなくてはいけないと思わせる一冊でしたり。

  •  取り上げられている個々の事象はある程度知っているつもりだったが、それらがこんな風に繋がっているという提示に驚いた。サプライ・チェーンならぬ「サプライズ・チェーン」。

     訳者解説の「食を見ればグローバリゼーションの本質が見える」が本書を端的に表している。

     地球上を網羅する巨大資本のサプライチェーンは大規模小売店に食材を豊かに溢れさせながら、反面、再生産能力に限りのある大地からの強引な搾取と化している。「もっと大量に、もっと安く」を目指す、生物としての本来能力を超えた食物の無理な大量生産は、土壌の疲弊、化学合成品の混入、環境汚染、耐性細菌の拡散、遺伝子組み換え作物同士の意図せぬ交配の危険性増大というしっぺ返しを孕んでいる。

     伝統的手法では、家畜を飼い、その排泄物を肥料として土壌を肥やしていた。現代社会ではそんな手間の掛かる手順を踏んでいては(巨大サプライチェーンに依存する限り)利益が出ない。「売れる」食材の大量生産を目指すなら、農業であれ畜産であれ、工業的に単一種に集中するのがセオリーだが、そのためには自然の恵みだけでは足りず、化学合成物質の大量投下が欠かせない。本来の生命力を欠いた食材の不都合を、食品メーカーは様々な添加物を投じて覆い隠す。

     巨大資本の「悪行」に当初憤りを感じるが、読み進める内に「真犯人」が分かってくる。

  • 新鮮な食べ物がいつでも安く手に入るのは、消費者にとしてはありがたい。それを実現するために、農業でも、機械や安価な労働力の利用による大量生産、つまり単一作物の大規模栽培による効率化の追求が進んだ。そのおかげで農産物の価格は下がったが、それは、利益の確保が必要な生産者にさらなる効率化つまり生産規模の拡大を強いる圧力となり、それが再び農産物の価格の下落を招くという悪循環に陥っている。その過程で、化石燃料や資源の浪費、環境の破壊といった問題が生じただけでなく、水の不足、土壌の喪失といった食料生産の基盤を危うくするような事態も発生している。持続可能性を失った農業はいつ破綻してもおかしくない。原書は、2008年の刊行。今頃は世界の食料の生産と流通の仕組みが破綻していても不思議ではないような書きぶりだが、幸いなことに、まだそのような事態には至っていない。これを食い止めるには、最終的には消費者の意識改革が必要。生存に必要不可欠な食料を他の工業製品と同一視して、その生産を経済原理に任せてはいけないということか。デイビッド・モントゴメリーの「土の文明史」と同様、食糧不足を解消するためにやむを得ず都市部でも小規模農業を復活させたキューバの取り組みを評価している。土壌の観点からも経済の観点からも、似たような結論に至るところが興味深い。2012年4月1日付け読売新聞書評欄。「炭素文明論」の参考文献。

  • ジャーナリストらしい筆運びで 読みやすい。
    言い古された悲観論が 最初と最後にくっついている。
    とにかく 食経済の『終焉』を 
    最初から結論づけたいので
    無理矢理そこにもっていこうとする。

    石油の高騰 1バレルが 
    200ドルもしくは250ドルになると言う。
    現実は 2017年の段階で 53ドル。
    どうして、石油が 高騰しないのだ 
    と著者は言うのだろう。
    上がるはずだが、上がらないと困る。
    なぜなら終焉の根拠がそこになるからだ。

    そのため トウモロコシも困ったことになっている。
    著者によれば 
    バイオエタノールの原料であるトウモロコシは
    値があがらないといけないはずなのだ。
    トウモロコシ価格も以下の通りだ。
    2007年 1トン 163ドル
    2008年 1トン 223ドル
    2016年 1トン 169ドル
    この本が書かれた時には トウモロコシは 急騰したのだ。
    しかし、現実には 上がっていない。
    2015年は トウモロコシは豊作で
    過剰状態で値が下がっている。
    おかしいな、どこかが違っていると著者は言うだろう。

    終焉 の根拠は、ますます なくなっていく。
    そして、肉を食べたら困る と言っているが
    この本が出された時に 
    中国人は 世界の50%の豚を食べていたのだ。
    肉とは 牛肉のことしか考えていないようだ。
    穀物がどうのというまえに 現実は都合の良いように
    塗り替えられている。
    悲観論という結末の『終焉』を語る。

    2070年には 人口が100億人を超えてしまう。
    どう養うのだという。
    これは、レスターブラウンが言ったように
    中国人を誰が養うのだ といった言葉につながる。

    とうぜん 中国人の大きな胃袋を狙ったのは、
    カーギル、ネスレ、タイソンであり、
    アグリビジネスの雄たちが 狙っていたのだ。
    レスターブラウンの『養う』という発想自体が 
    上から目線で、
    ビジネスチャンスを狙っていることは確かなのだ。
    それの延長戦で 著者は 
    『誰が100億人を養うのだ』と問いかける。
    笑わせるばかりの『終焉論』である。
    地球の温暖化、石油の高騰、気候の異常、水不足、
    そしてバンデミック。それに 肥満。
    悪いことだらけ、猫灰だらけで 
    『終焉』がやって来るという。
    科学的な根拠が 薄いものばかりをとりあげて、
    脅してまわる。
    あぁ。こういう著者がいるから 世も末だね。

    アイガモ農法、単一ではない栽培法、地産地消の考察、
    遺伝子組み換えの限界、
    そして アメリカの手厚い農業保護
    などが かかれているだけすこしほめても良さそうだ。

  • 私達が普段食べているものには添加剤・保存剤・着色剤等、様々な用途に応じて使われています。私達が毎日食べている、米や小麦等も様々な品種改良がなされています。

    遺伝子組み換え食品などがそれに当たりますが、それらを提供している会社、お店は「危険である」という事はできますが、この本の凄いところは、そのようなことを全部解説したうえで、そもそもそれを求めている我々が一番問題あるのでは、という提起をしています。

    正にその通りだと思いました。食物にカビが生えたり傷んだら自分の目で選んで処分して以前と比べて、消費者はカビの生えない、傷まない、形の綺麗なものを求めているからこそ、それに対応した結果が今の状況を招いていると気づきました。しっかりとした作り方をした穀物・料理には手間もお金もかかっています。

    今まで食べていた量をそのまま、良いモノ安全なモノに置き換えることは経済的な面から難しいですが、幸か不幸か年齢を重ねて必要最低の摂取エネルギーが少なくなってきた今、ダイエットと美味しいモノを食べたい趣味も兼ねて、美味しいモノを少しいただいて満足する、できるように今後の生活を少しずつ見直していこうと思った契機になった本でした。

    以下は気になったポイントです。

    ・現代の食品産業で成功を収めるカギは、食品をほかの消費財のように動かす能力にかかっていると言っても過言ではない。(p23)

    ・高価な加工食品の販売に頼る食品会社のターゲットは、欧米やアジアの急成長国た対象で、貧しい国は相手にしていない。このため食品価格が半値になり世界全体の食糧供給量も人口一人当たりのカロリー要求量を20%上回っていても、栄養過多とほぼ同数の栄養不良の人がいる(p27)

    ・大量の肉を生産するためには、飼料生産のためにとてつもない広さの土地が必要になる(p29)

    ・アウストラロピテクスは、草食に適応していたが、300-240万年前に、地球が寒冷化して乾燥化が進み、ジャングルの中にモザイク状に森林と草地が広がり始め、私達の祖先は木から下りて新たな食糧戦略への変更を余儀なくされた。(p48)

    ・他の肉食獣が残していった動物の死骸を食べていた、脚の骨や頭蓋骨を石器で砕いて、高カロリーで栄養豊富な骨髄や脳を食べるようになった(p49)

    ・人類の進化における肉食の本当の意味は、カロリー量ではなく、そこに含まれる栄養素の種類。動物と人間の組織は同じ16種類のアミノ酸を持っているため、動物の肉は植物よりも容易に人の肉に転化される。私達の祖先の体が大きくなった原因のひとつ(p50)

    ・人類の消化器官はほかの霊長類の60%程度にまで縮小した、消化器官のエネルギー消費が激しいため、消化器官が小さくなるほど、脳に回せるカロリーが増える(p51)

    ・クロマニヨン人は小型動物を捕まえるために、新たな狩猟技術や武器(弓矢)を発明した、ネアンデルタール人は大型動物を追って絶滅へと向かっていった(p53)

    ・収穫した穀物は傷みや害虫から守る必要があった、未加工の穀物は肉食に適応した人間の消化器ではほとんど消化できないため、食べやすく、栄養価も高い形に変えて食べる必要があった(p55)

    ・集中的な食料生産が意味したことは、人類がもっと大きな、もっと人口密度が高い社会で生活す能力を持っているという事である(p57)

    ・ローマの軍事力の衰退に歩調を合わせるかのように、その食システムが同時に崩壊したのも偶然ではなかった(p58)

    ・1600年にはすでに、イタリア、フランス、オランダの人口密度が各国の農地で養える限度をこえてしまい、中国やインドもその後を追った(p61)

    ・大英帝国の最盛期だった1880年、平均的なイギリス人男性の寿命は40年だったのに対して、貧困労働者層のそれは20年だった、これは旧石器時代と同程度(p65)

    ・土地の肥沃力を回復させるためには、有機肥料と転作という伝統的な方法では、成長の早い新種の作物が栄養素を吸い取る速さに栄養素の補給が追いつかなかくなった(p70)

    ・1900年までは、農場の総面積の半分くらいが飼料作物や被覆作物の栽培に充てられ、換金作物は残り半分の土地でしか栽培できず制約であった。しかしハーバーボッシュ法を使った窒素を含む化学肥料により穀物生産は爆発的に増加した(p72)

    ・1900年、平均的なアメリカの家族は世帯収入の約半分を食費に充てていたが、1980年には15%未満となった。食料生産の近代化が人類史上最大の富の転換の一つであることを示す(p77)

    ・商品価格が下がり続けると、新技術の購入コストや資本を分散させ続けるだけの規模を持たない、小・中規模の農場は押し出され、価格面でのマイナスを量と効率で穴埋めする巨大な工業的農業が参入した(p80)

    ・ネスレがインスタントコーヒーを考案したのは、消費者が手軽に入れられるコーヒーを望んでいたのではなく、コーヒー豆の価格が安くなりすぎたから(p92)

    ・1950年には、食品の小売価格の約半分が農家や生産の取り分だったが、2000年にはこれが20%以下となった。生産者の儲けを減らしながら、食品加工業者と食品メーカが付加価値を増して自分の利益を維持した(p95)

    ・付加価値少なくブランド化の可能性も低い果物、野菜、肉、鶏、魚などは、消費者食糧支出の41%を占めながら、広告費は全体の6%未満(p98)

    ・ネスレの研究者は、アイスクリームの舌触りが脂肪だけでなく、その脂肪と氷の結晶、砂糖、たんぱく質等との間の化学的な分子配列によって決まることを発見した(p99)

    ・中国において、西方の州の消費者は香料を多用した肉料理を好む、北京の消費者は、濃い味付けや小麦を主とした食品・塩辛さを示す(p121)

    ・低価格への執着は、品質と栄養価が低下した食品を次々と生み出したため、お買い得感のある価格設定と、分量のみに依存したものとなった(p129)

    ・ウォルマートの売り場の床面積の約3分の2は、衣料品等の非食料食品(利幅高い)で占領されているおかげで、食品をさらに低価格で販売可能であった(p133)

    ・食肉会社は、PSE(色が淡く、組織柔らかく、水っぽい肉)問題に対して、塩とリン酸塩を肉に注入して保水力を高めることで事後対処している。安上がりだけでなく、肉の販売重量を10-30%も増量できる(p155)

    ・私達の体は、外部のカロリー経済(食料環境)に適応するために、まずそのカロリー経済を体内で構築した。それは、ホルモン・神経物質を駆使して摂取するカロリーと燃やすカロリーを巧みに均衡させる複雑な計算システムであった(p168)

    ・エネルギーバランス的には、運動量が少し減るだけでも著しい体重増加につながる。アメリカ人の体重増加は、毎日20分も歩けば消費できる、約百キロカロリーというカロリー不均衡がもたらした結果である(p184)

    ・殆どの糖分は消化器で消化されてブドウ糖に変換されるが、果糖は肝臓に達するまで完全に消化されない。他の果糖よりも脂肪に変換されやすい(p189)

    ・中国山東省では、温室が増えた分だけ、小麦やトウモロコシを育てられる土地が減少、養豚・養鶏の急成長に呼応してトウモロコシ需要が高騰しているにもかかわらず、1995年以降生産量は20%も減少。中国第二位の生産を誇るが不足のため近隣州から購入している(p211)

    ・補助金の金額は、地価・種子・肥料などへの投入費の上昇に追いついていないため、生産者の利益マージンは小さくなっていっている(p224)

    ・アメリカで実際に消費される穀物の量は、アメリカの農家が生産する総量の5分の1にすぎない(p225)

    ・1998年、韓国・タイ・マレーシア・インドネシア・台湾・フィリピンはIMFへ救済措置を求めたが、IMFは今よりも多くのアメリカ産穀物を買う約束をするまで救済資金は支払われない条件があった(p232)

    ・先進国の生産者は政府から補助金を受けていたが、開発途上国ではIMFや世界銀行の融資条件によって、補助金は廃止された(p235)

    ・アメリカや欧州の食肉加工業者が好んでブラジルに進出する理由は、安価な穀物や労働力に加えて、ブラジルに汚水処理の規制がないことが大きな一因である(p240)

    ・アメリカの補助金は全農業収入の22%、欧州は32%、日本は半分以上である。アメリカの農業生産者は、補助金により生産コストよりも安く(トウモロコシ:27%、小麦:33%、牛乳:39%、砂糖:56%)輸出できる(p244)

    ・現在、アメリカがトウモロコシと大豆でブラジルに対して比較優位にあるのは、1)優れた農業技術、2)良い道路・線路などの輸送設備、である。アメリカには絞り出せる無駄なコストはないが、ブラジルやアルゼンチンにはまだまだある(p253)

    ・世界人口の7分の1に当たる約9億人が栄養失調状態にあり、さらにもう1億人が慢性的な微量栄養素不測の状態にある。かつてないほど食料が安く手に入るにも拘わらず、飢餓の人が増えているのは、原題の食経済が破滅に向かっている証拠(p261)

    ・ケニアを初めとするアフリカ諸国は、補助金を与えて収穫量をふやしていたが、膨れ上がった借金(利息で国内生産の4分の1)のため、それまでの農業計画を放棄して補助金プログラムを中止せざるを得なかった(p270)

    ・1970年には40歳だったケニアの平均寿命は、1990年代後半には60歳近くまで延びたが、近年は毎年1年ずつ短くなり、今ではまた40歳前後となっている(p303)

    ・ハンバーガーは各段階で繰り返し混ぜ合わせが起きるため、最終的にできるハンバーガーには、数十頭から数百頭の肉が混ざっている。(p313)

    ・狂牛病の発生以来、血液・内臓・くず肉をそのまま牛の飼料にまぜることは違法になったが、牛の血液や内臓を、鶏や豚の餌に混ぜることは違法ではない。鶏舎にたまった、鶏の羽、こぼれたトウモロコシなどのゴミを集めて牛のエサにすることは合法である(p321)

    ・病原性大腸菌は、正式に汚染微生物に指定されているが、サルモネラ菌、リステリア菌をはじめとする病原菌はまだ指定されていない。食品業界のロビー活動のおかげ(p323)

    ・平均的なアメリカ人は現在、1日9オンス(255グラム)の肉を食べているが、政府が推奨するタンパク質摂取量の4倍であり、肥満上昇率の主要因である(p358)

    ・牛は体重の60%は食用できない、骨・内臓・皮である。牛肉1ポンドを得るのに、20ポンドの穀物が必要となる。鶏は4.5、豚は7.3である。牛肉消費量が1トン増えれば、飼料需要が20トンふえる(p360)

    ・開発途上国でも、農業の工業化がすすむと、各国の固有作物や伝統的な作物にかわって、スーパー作物:小麦、トウモロコシ、コメ、大豆が作られるようになる。高収益をもたらしてくれる一方で、それまでに経験したことのない害虫や菌類、ウィルスに晒される(p374)

    ・肥料、補助金、安価な石油という追い風があったとはいえ、20世紀の気候が安定していなければ、アメリカが穀物大国にならなかっただろう(p386)

    ・穀物の栽培には、1トン当たり、平均千トンの水が必要となる。農業は人類が使う淡水全体の約4分の3を消費する(p388)

    ・遺伝子組み換え作物は、除草剤やハイテク農薬、種子の購入が可能な、アメリカ・アルゼンチン・ブラジル・カナダ・中国・南アフリカの6か国でしか栽培されていない(p436)

    ・合鴨農法は、最終的には、コメ・合鴨・卵・魚、をあわせて販売することができる(p456)

    ・消費者がオーガニックフードに乗り換えれば、1世帯当たりの食費は31%増加するだろう(p476)

    ・ソ連は1990年初めに石油や肥料、殺虫剤など、大規模農業に必要な資源を供給していたが、突然止まった。農産物の多くは、すでにキューバ人が作ることをやめている人間用の食物であった。(p499)

    ・一番のワルは、食品メーカやスーパーマーケットと思いきや、ファーストフードとの戦いをしている。最後の黒幕が、実は私達一般の消費者だというのが、この壮大な物語のオチである(p529)

    2016年4月16日作成

  • 151226 中央図書館
    「食のシステム」という表現がいたるところに出てくる。そもそも、食が、なぜシステム?と普通の人なら思うだろう。一人ひとりにとって、食はあまりにも毎日の行動に溶け込んでいるので、それが世界的なサプライチェーンで駆動しているということをほとんど意識しなくなっている。
    もともと多かれ少なかれ自給自足を意識したスモールなシステムで食が賄われていたころ、マルサスの『人口論』が陰鬱な未来を予言した。しかし、グローバリゼーションによる食システムの効率向上、窒素固定化の技術などで、世界の人口は成長し、巨大な穀物商社や食品工業の企業が、世界の食を牛耳るようになった。彼らは、ますます効率を追求し、単一化や無理な改質を押し進めている。
    そのことが、食の安定性や安全性、そして世界の地域によっては不当に苦境へと追いやられるというリスクを高めている。だが、訳者の解題にあるように、これらはすべて、消費者である私たち自身が招いていることである。

  • 食の工業化、遺伝子組換え食品、土壌流出、ジャンクフードなど米国が抱える問題を中心に食システムの問題点を解き明かしていく名著。
    数年前の邦訳された本なのだがドル円が76円くらいで一々計算されていてテーマ内容とは別に絶望的な気分になる。ドルはドル表記だけにした方が無難ですな。

  • いやんなっちゃうねもう。安すぎる食べ物って絶対なんかおかしいと思ってたんですよ。恣意的に操作された食材の不可解な事実に食欲をなくす内容。翻訳はプレジデントっぽい扇情的な文体。世間に出まわる食べ物に対して不信感が高まり気持ちが沈む。

  • 資料ID:W0167913
    請求記号:611.3||R 52
    配架場所:本館1F電動書架C

  • 経済合理性を食物まで拡張するとどういうことになるのか、読んでいる間は本当に食欲がなくなった。今の食べ物は安すぎる。
    そして、今食べているものが、一体どれだけの犠牲の上に成り立っているのか。生物として、来てはならない状態に来ている気がする。
    この問題は、誰が悪い、というものではなく、システムがもたらした結果である。皆、期待効用を最大化する行動をとり、結果として持続的でない状況になった。問題を解消するには、効用の式を変える、つまり価値観を変えるしかない。
    この点で筆者はドライである。外部の危機がなければ変わらないだろうと述べている。だがそれではあまりに諦観している。
    むしろ、本書で紹介されている古野さんの農法や、それに類する農法を最後の手段として、、皆で本気で取り組みたい。

  • 幅広く、深い内容と思います。

  • 究極的には、
    自分自身の食管理を
    自分自身の手に取り戻す事だ。

    森に移り住んでナッツやベリーを食べる生活を提唱しているわけでもない。
    産業化以前の食経済を目指すべきではない。

    食生産を他者に任せたことや
    食べるものの特性や優先事項を
    遠く離れた経済モデルによって決められてもかまわないと思ったがゆえに、食の衰退を加速させ、人生にとって重要な何かを失ったのではないか。

  • 食とグローバリゼーションについて書いた大著。
    500頁を越えるのに読みやすいのも良い。訳がいい。




    自分の食べているものがどこで生産され、どこからやって来るのか?
    自分はあまりにもそれに対して無知だったと思わざるをえない内容だった。
    同時に自分がなにも生産せず、生産できず、貨幣との交換を通じてしか生きる糧を得られない存在なのだと実感した。

    また「食」のほうも、いかにして貨幣と交換できるようにするか?つまり商品化の一途を辿ってきた。本書では「今や食品は、どんな高級食品でもただの一商品にすぎなくなり、これが価格の下落に拍車をかけてきたが、この傾向はその一方で、目に見えないコストも発生させていた」(p.129)と指摘している。「食」の商品化とは、「食」が経済活動を意味するということだが、このことに対して筆者は「食そのものは基本的に経済活動ではない」(p.23)という立場を取っている。

    ここでいう「食」とは、食事をすることだけではない。かつては生産し、加工し、調理していた全てを含んでいる。そうした広義での「食」である。

    グローバリゼーションと食の関係を取り上げた本書は巨大なサプライチェーンがいかに脆弱な構造になっているかを貿易、国際政治、公衆衛生、環境問題、人口学、遺伝子工学など様々な視点から切り取っている。

    例えば、食中毒事件などの食の安全に関するものである。
    本書で指摘していることを知ると安心・安全な食べ物を得ることが不可能なのではないかと思えてしまう。「人類の病原菌との戦いに関して何より驚くべきことは、それが大変困難な戦いだという事実よりも、そもそも私たちがそれに勝てると思っていたことだ」(p.311)とあるように、生鮮食料品だけでなく冷凍食品もやO-157サルモネラ菌の混入を防ぐことはできない、ということを指摘している。そもそもO-157は胃酸で死ぬあまり問題の無い菌だったが、牛を早く成長させるために餌が牧草から穀物に変わったことで耐酸性の菌、O-157が生まれたという過程がある。
    また食肉の解体も機械化され効率化されるが、個体差によってうまく処理できず内蔵が混ざることで大腸菌などに汚染されてしまう。鶏も胸肉が好まれるため胸筋が早く発達するように改良される一方、まともに成長できなくなっている。

    他にも食の工業化や工業化の前提である比較優位論の問題点も挙げられている。
    工業化の前提としての比較優位論とは、各国がそれぞれ得意な生産物に特化して生産し、お互いに貿易しあえば、世界全体の生産量が増え、より効率的になるというものだ。さらに工業化して、より生産量を増やすべきだというものだ。
    本書では「『国家は食料の自給自足を目指すべきであるという考えは薄れてきています。私たちもそうは思っていません。食料安全保障は貿易によって達成するのが一番だと考えています』とスミスは言う。スミスもまた、それぞれの国が一番うまく栽培できるものを栽培し、ほかのものを他国にまかせるべきだと言うのだ…しかし、スミスの主張はまた、開発をめぐる議論の中でも最も根深い矛盾を抱えている。そもそも公平な貿易など存在したためしがないのだ…自由貿易の恩恵は裕福な国へ一方的に流れていった。アメリカやEU諸国は、気候と土地の自然条件や多額の補助金を与えてくれる高価な農業プログラムによる人為的な条件(コストより安い穀物生産が可能)で他国より有利な立場にあることに加え、生産技術や研究、低利の融資など経済的な成功がもたらす数々の構造的な強みにも恵まれている」(p.296~297)
    ここで指摘されているのは、アメリカは工業的な農業に成功したがその要因は自由な貿易ではないし、現状、公平で自由な貿易は約束してくれないという問題である。
    「アメリカは世界で最もコスト競争力のある農業生産国だが、それはあくまで名目上の話だ。なぜ名目上かと言えばアメリカの安価な穀物価格は、政府の膨大な補助金なしではあり得ないものだからだ」(p.223)例えば、2005年には1兆5200億円もの補助金が投入された。また、大規模な工業的な農業が効率的でコストがかからないというのは、水の汚染や土壌侵食などの外部コストを除外して見ているからである。「農業通商政策研究所のスティーブ・サッパン研究部長は指摘する。『私たちは実際に安価な食料を生産しているわけではありません。多くのコストを外部化することによって、安価に見せているだけなのです』」(p.376~377)

    ミズーリ大学のジョン・イカード名誉教授は、「『工業化された農業が強調している高収量とは、本来は"一時的"なものだ。なぜなら、それは、長期的な生産性の基盤となる天然資源や人的資源を搾取することによって支えられているものだからである』」(p.378)と指摘し、「工業化された農業は、他の多くの工業化モデルと同様、『自然を使い果たし、社会を疲弊させる。そして、そうした自然資源と人的資源がなくなった後には、経済を持続させる手段は残っていない』」(p.378)と警鐘を鳴らす。こうしたことに対して「多くの生産者や政治家は持続不可能な食システムの上に生じた表面的な症状に対して、ひたすら対症療法を施すだけで、小手先の修正にすぎない」(p.397)そこで筆者は「自分たちが食べるものをどう考え、それをどう作るのかを、もう一度根本から問い直してみる」必要があるのではないかと主張している。

    「食は何千年もの間、人間と物質界をつなぐ“へその緒”のような役割を果たしてきた。この消費と生産の間のつながりを細くしたことで私たちは、自分たちを現実の世界から遠のかせ、その働きや状況を理解して気遣うことができなくなっていった」(p.522)筆者は最後にこう語る。
    この“へその緒”こそ、現代ではグローバルサプライチェーンにとって代わられたものだ。世界中に結ばれているそれをわれわれ消費者が強くひきすぎたのかもしれない。いや、先回りした企業が引っ張ってくれたものに乗りすぎたのかもしれない。
    その鎖は一見強固にすら見える。実際非常に複雑で、いかに効率よくコストを下げて、安く消費者の下へ売るか?という目的のために創られてきた。
    売るための複雑さであり、生産のためでも、贈与のためでもない。
    貨幣との交換のためである。
    この交換のための鎖が異常な大きさになった結果、この鎖は貨幣以外のものも容易に運ぶようになった。
    それは病原菌やインフルエンザウィルスである。また、この鎖は大きすぎて止められない。止めてしまうと、そこから食料を得ている数千万人規模に混乱が生じるからだ。この鎖は様々な無駄を省きながら、地球を締め付けている。鎖を締め付ければ締め付けるほど、土地やその鎖に乗れない人は痛めつけられていく。そうした外部コストがいつ爆発してもおかしくないはずだ。ギリギリと「むこう側」と「こちら側」を結び付ける鎖は締められていく。

  • 人類のあるべき姿を現在の食のグローバル化に投影すると、かなりヤバい状況なことを思い知らされる。著者はそれでもこの危機的状況を乗り切る術はあると楽観的だが、根本的な部分で人類が進化しないといけないようにも思う。

  • 「食」の価値観、「お金を払う」ことの価値観
    これらを揺さぶる書物。
    こういう本を求めて読書を続けている気がする。

  • 500ページ以上の超盛り沢山&濃い内容。スーパーには当たり前ように食材が溢れているけど、それが簡単に崩れ去る日が来る可能性が高いことを実感。

  • 膨大なインタビュー、事実を基に世界の食糧、農業に関する問題についてまとめた良著。もっとも俯瞰的に諸問題を理解し、今後世界が進む方向性について考える上での必読図書

  • 経済のグローバル化がもたらした、食の危機的状況をレポートした本。
    消費者としては、世界中から一番安いものが供給される巨大サプライチェーンの恩恵を享受しているわけだが、その安さを実現するために農場から食品メーカーまで大変なことになっている。その付けは、最終的には商品を選択した消費者に回ってくるわけだが。
    食料自給率の低い日本にとって、今は何とか食料を確保できているが、産地が集約化されつつある現在、そこが不作だった場合、自国民を犠牲にしてまで輸出してくれるわけはなく、市況も高騰し、また円安に振れるリスクもあり、TPPがどうのこうの言っている場合ではない。そのような事態にも対処できるよう農業政策のビジョンが必要。
    また食品の中身についても、安全・安心なものを実現するには、それなりにコストがかかることを理解し、商品を選択していく必要がある。消費者も勉強が必要と思う。

  • 圧倒的な取材力のもとに、現在の「食」をめぐる様々な事象に多角的かつ深く切り込んだ本。
    かなり読み応えのある本。
    内容も濃いし、政治的な議題に関しても双方の意見を出して偏りをなくしつつ、自分のスタンスをきっちり表明できているのは見事。

    悲観的な予想が並ぶけど、それが的外れかと言えばそうではなく、むしろ現実に即しているように思える。
    その悲観的なシナリオを後押しする食のサプライチェーンでは、訳者の言葉にもあったけど、結局は「消費者」という実態の掴みにくい大きなモノが支配してるんやなーと実感。
    ここでも「システム」の大きさに圧倒される。
    やっぱりフードシステムの変換を促すのは、消費者一人一人の自覚を促していくしかないんかなー?
    果たしてそんな時間が残されているのかどうか。。。
    ひとまず、これまでのシステムの成り立ちを把握できたのがよかったと思います。

    『食物生産を他者に任せたことや、自分が食べるものの特性や優先事項やそれについての思いを、遠く離れた経済モデルによって決められてもかまわないと思ったがゆえに、私たちは食の衰退を加速させ、それと同時に、人生にとって重要な何かを失ったのではないかということだ。』
    (P522 エピローグより)

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