- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478008881
作品紹介・あらすじ
未来予測を切って捨て、経済学とファイナンス理論を根底から揺さぶり、ベル型カーブでは扱えない不確実性の核心に迫る。
感想・レビュー・書評
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内容自体が難しいのと、著者独特のシニカルな表現のため、読みづらい。
大まかなメッセージは上巻と同じなので、無理して下巻まで読まなくても良いかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
印象に残ったところメモ。
・企業の内部で起こる成長は有機的で予測不能なものだ。草の根レベルから立ちのぼるものであって、上からばら撒くものではない。
・私たちは他人の欠点は見えるが、自分の欠点は見えない。やっぱり、私たちは自分をだますことにかけては素晴らしくできた機械のようだ。
・明文化できないけれどもおさえこむこともできない知識を暗黙知と呼んだ。
・床屋に髪を切ったほうがいいと思いますかなんて聞いてはいけない。
・私たちは何が間違っているかについては確信を持っていいが、自分が正しいと思うことについては確信をもってはいけない。
・判断を差し控えるなんて人に教えることはできない。人間はものを見れば必ず判断がついて回るようにできている。私は「木」をみない。私が見るのは美しい木や醜い木だ。
・とるべき戦略は、可能な限り超保守的かつ超積極的になること。
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『喉がかれるまで何度でも言おう。社会科学で仮説の命運を握るのは伝染するかどうかだ。正しいかどうかじゃない。
ガウス流で修行を積んだファイナンスの教授たちがビジネススクールとMBAの授業を占拠して、アメリカだけでも毎年10万人近い学生を、片っ端からインチキポートフォリオ理論で洗脳して世の中にばら撒いていると、私は後になって知った。実証的な観察結果をいくら積み重ねても伝染病は止められない。』
(上)でブラック・スワンの概念を説明しきってしまっているので、あとはおまけの感じかな。でも、一つ一つ、私たちが依拠する判断の根拠を解体して行く知的論考は面白い。
素晴らしい作品。素晴らしいけど、これを読み終わったら、いつも通りの日常に戻ってしまうんだろうなぁ〜。 -
統計学。確率論。哲学。心理学。
本当に難しいが、面白い。
恐らく上下巻通して理解できたのは2~3%程度。
自分たちが暮らしているのは「果ての国」。
起きる確率がどのくらいかではなく、もし起きたらどうなるかを考えることが大事。
とにかくリスクを気にして投資に臨みたい。 -
さっぽろ図書館本。実践では問題から本へたどりつけても逆に本からは問題へはたどりつけない。予測なんて所詮出来ないのだから学者やらエコノミスト、政治評論家、CEOその他専門家のもっともらしい話には疑いを持てと。本書を出し直後のリーマンショックを当てたらしい。
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上巻では僕らのものの見方の狭さ、不確実性に対する認識の歪みを暑かった本書ですが、下巻では主に「科学的」と言われさまざな場所に顔を出す、ガウス分布の濫用を批判する。
ガウス分布はあくまで「月並みの国」、つまり大きなばらつきが起こりえないデータにのみ有効なもの。それにも関わらず多くの「果ての国」においてガウス分布が謝って利用され、その「有意性」が「証明」されている。
ここで描かれていることはデータを真摯に見ると、出てくる疑問ばかり。「実はガウス分布=正規分布ってそんな信用できない」、そうわかれば結構楽になる。
「ないよりマシ」より、ちゃんと分析できる人間になろう、数字に責任を持とう。責任を放棄したガウス分布はやめよう、と思いました。不確実な世界で、確実なものなんて少ないんですよね。
数字の意味、単位の意味を理解する上で、実は金融の人たちよりも、僕と同じような工学系の実務者にもぜひ読んで欲しい、と思いました。不確実性を、スッキリしない数字を、受け入れましょう。果ての世界はそういうものだから。 -
賢い人が書いたっていうかんじ。最後の方の表?の人物像は参考になる。面白かった。あと数回は読もうと思う。あと思うことは結局のところ知識の積み重ね?。経験から、それを説明した本や論文はないかなーと探して論理づける。これかな?
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数学、統計学、行動経済学、哲学等のあらゆる分野の初歩に関して、不確実性とは何かが書かれている良書だ。この世で予測不能なことは起こるのだが起こっても慌てずに何を意味しているかそこから学んでいく姿勢が大事と教えてくれる本だ。運は準備を怠らない者に味方する、バタフライ効果、アンカリング、予測のおかげで進化をだまくらかせる、ランダム性、ロングテイル、ガウスのベル型カーブ、フラクタル、マンデルブロのべき乗測、自己相似性、等を統計的に考えてみること、現実として考えてみる柔軟性が大事だと感じた。
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下巻は、哲学などを引用したり、上巻の話を蒸し返したり進むも、その冗長さに挫折したことを思い出しながら読み進むと、未来予測の意味の無さ、それゆえの果ての国での不確実性を説く。また、欧州での失敗の許容度が低いのに対して米国の失敗の許容度の高さを絶賛する共に、我が日本はボラティリィ(変動幅)がとても小さいが、大きな損失が出るリスクのある戦略をとり、大きな損失を出した人が自殺すると指摘している。
失敗しても問題無い(恥はかくけど)範囲でボラティリィの大きな不確実性にチャレンジして幸運を引き寄せるのが成功の秘訣との結論。
それにしても日本への言及は耳が痛い、製品やサービスをリリースする際、日本人は完璧を求めて初期投資をし過ぎて、失敗したら元も子も無くすパターンが多そうなのは、心当たりがあります(苦笑)。 -
本書の基本的なコンセプトである「ブラック・スワン」の特徴や、本来は確率が低くても甚大な影響が出ることを考慮しないといけないのに、多くの人が影響は少ないがそれなりの確立があることばかりを気にしてしまっているという問題など、多くは上巻で述べられており、下巻ではその論拠の補完と共に、「ブラック・スワン」が存在しない世界のみでその理論が構築されている統計学・モダンファイナンス・哲学などの空虚さを、独特のブラックユーモアで暴き出し、そうした空虚さに声を上げて反論することの大事さを教えてくれる(もちろん、空虚とはいえ、複雑な仮定のもとげ現実世界を矮小化することにより成立したモデル化/理論に対して、反論するのがとても大変だということも。やはり、ある理論の存在を主張するよりも、その理論が存在しないことを証明することの方が遥かに難しい)
つまるところ、リスクと不確実性を巡る議論は、個々人の世界認識の問題そのものであると思う。ブラック・スワンを気にする人と気にしない人の間にある差異は、単にリスクの許容度の高低という「量」を巡る差異なのではなく、この世界をどのように認識するかという「質」を巡る差異である。見ようとすれば見えるし、見ようとしなければいつまでもブラック・スワンは見えず、認識されない。
下巻も非常にスリリングで、大阪から札幌へ向かう飛行機の中でずっと読みふけってしまった。極めて高い知的興奮を与えてくれる充実の上下巻だった。