批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く (ちくま新書)

著者 :
  • 筑摩書房
3.79
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本棚登録 : 1444
感想 : 124
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480074256

作品紹介・あらすじ

「精読する、分析する、書く」の3ステップを徹底攻略! チョウのように軽いフットワークで理解し、ハチのように鋭い視点で読み解く方法を身につけましょう。

感想・レビュー・書評

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  • 日々、本を読むたびに、つらつらと覚書をこのブクログに投稿してはいるけれど、はて、そもそも批評とはなんぞや、批評って自分にも書けるのかしら……?という興味から手に取った本書。
    シェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評を専門とする研究者である著者は、「批評はコミュニケーションの一種」であるとする。
    作品からどの要素を受け取り他のどの作品と関連づけるか考えること(対作品のコミュニケーション)、見出した要素から1つを選び出し批評を書き他者と共有・議論をすること(対人のコミュニケーション)、だろうか。
    そして、基本的な批評の考え方や書き方を知る過程で、前提として膨大な作品のインプットと丹念な精読が必須であることも理解する。
    いやー、プロの批評家の方々って、すごい。もちろんすごいと今までも思っていたけれど、1つの批評がどれだけの時間と労力をベースに成り立っているかを、この本を読んではっきり認識したことで、改めて尊敬の気持ちがわいてくる。
    とはいえ、私を含めて作品を読むペースがゆっくりな人でも、他作品との比較や、書かれていないことを意識するなど、いくつかのポイントを意識するだけでも、本を読む時間がさらに豊かになると思う。
    批評のこと、批評的な読み方のこと、もっと知りたいと思いつつ、読み終えた一冊でした。

  • 批評を書きたいわけではないのだが、たまたま最近「批評ってなんだろう?」「批評ってなんのためにあるのか?」と疑問に思う機会があったため、読んでみた。本気でその問いに取り組むにはもっと系統だった勉強が必要なんだろうけど、そこまでやる気のない自分にとって、こういう新書で気軽にエッセンスを学べたのはありがたい。で、私なりにこの本から学んだこと↓
    批評を書くのは、まずは自分の読みを深めるため、豊かにするため。それから、その読みを周り(ごく少数の友達でもいいし、同好のコミュニティでもいいし、その対象がメディアとなれば千差万別)にシェアして、楽しさを広げるため。わりと純朴な喜びを目的・出発点として大丈夫そうだ。ただし、読みやすくする工夫や間違いを書かない努力などは当然必要で、そのための勉強や調べ物はそれこそキリがなく、そのあたりは自分がどのレベルを目指すかによって調整すればいいんだろう。

    アドバイス・教訓の一例:P163より引用「自分特有の見方を前面に押し出そうとして、かえって作品の印象と全然違う説明になってしまうことがあります。」

    実際の批評が少ないぶん、読み物としては、同じ著者の『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』のほうがボリュームたっぷりに楽しめたけど、TENETのネットワーク図の端っこにあった「太陽がいっぱい(金持ちの船遊び)」には吹いた。実践篇の教え子との批評合戦も興味深い。『あの夜、マイアミで』今度観てみよう。
    私は本や映画の感想を書く時、既存の作品を安易に引き合いにだすのって勝手に失礼な気がしていたのだが(オリジナリティに欠けると言ってるみたいで&自分の語彙力説明力のなさから逃げてるみたいで)、そんなことはないんだとわかったのも収穫。まあでも自分の感想では年寄りの思い出話みたいに「アレを思い出した」「コレに似ている」とやたらと書くのはなぜかやっぱり後ろめたいな、書き方論じ方広げ方が大事ですよね。

  • Commentarius Saevus
    https://saebou.hatenablog.com

    筑摩書房 批評の教室 ─チョウのように読み、ハチのように書く / 北村 紗衣 著
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074256/

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      作品の読み方、書き方、そして批評の読み方も学べる一冊! 北村紗衣『批評の教室』より - wezzy|ウェジー
      https://wezz-y....
      作品の読み方、書き方、そして批評の読み方も学べる一冊! 北村紗衣『批評の教室』より - wezzy|ウェジー
      https://wezz-y.com/archives/93460
      2021/11/14
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      なぜ今「批評の仕方」なの? 本や映画に触れるときに意識したいこと【北村紗衣】|ウートピ
      https://wotopi.jp/archives...
      なぜ今「批評の仕方」なの? 本や映画に触れるときに意識したいこと【北村紗衣】|ウートピ
      https://wotopi.jp/archives/123859
      2022/01/28
  • 批評対象の例がいろいろ取り混ぜてあって飽きないし、こっちがついていけるぶんだけ書いてあると感じた。読書案内も付いていて親切。廣野由美子先生の『批評理論入門』は知識を入れて整理する本だったのに対して、北村先生のは「ではやってみましょう」って紙と鉛筆を渡される感じ。タイトルどおり教室だった。

    第四章「コミュニティをつくる」の内容は、レビュー系同人誌を作っている人たちは実践しているのだろう。楽しそうだ。自分はそこの部分を読書会でもっとゆるい形でやっているのかもしれない。読んだ本の感想を話すのは毎回発見があるから。

  • それを専門としていない読者を対象に「批評」をレクチャーする入門書。

    ①精読し、②分析し、③書き、④他者と意見を交わしブラッシュアップ
    それぞれのステップで具体的な作品やセンテンスを用いて説明してくれるので非常に親切でわかりやすい。

    精読においてはまず「間違っていない」レベルを目指すこと。繰り返し/長い時間をかけて/自然では無い形で描写されるものには意図があると考えること。文脈やコンテキストを踏まえて(作者ではなく)作品を語ること。

    分析においては批評理論を基にするのも良い。そのほか、図に起こす/タイムチャートを作る/他作品との比較のためのネットワーク図を利用する/早見表で作家性を見つける等で深掘る。作品が何を達成したか、何に自分は心を動かされたか、言語化する。

    書く際には必ず対象を想定する。批評は一種のコミュニケーションである。切り口を決め、それをタイトルで示せれば初心者でもぶれにくい。

  • 読んだ作品について掘り下げ、他の人と考えをシェアするために、自分の分析をうまく言語化できるようになりたい!そんな思いをずっと抱いていた。
    そのためにはまず精読する。知らない単語に出会ったら、その都度、辞書を引く。その作品に関連するものの背景を調べたり比較したりする。そして突っ込むポイントをひとつ決めてから書き始めることが大事です。

    「作品の中から一見したころところではよくわからないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質がどういうものなのかを判断すること(価値づけ)が、批評が果たすべき大きな役割としてよくあげられるものだと思います」。

    SNSや読書会で本を紹介する時にも役立つポイントが満載でした。

    p9
    ちゃんとした批評をするにはある程度フットワークの軽さが必要です。ある作品に触れたら、その作品に関連するいろんなものに飛び移って背景を調べたり、比較したりすることにより、作品自体について深く知ることができるようになります。

    (前略)作品を批評しながら楽しむ時は何か一箇所、突っ込むポイントを決めてそこを刺すのがやりやすい方法です。

    p10
    優れた作品というのは(中略)展開が速すぎたり、巧妙な作戦を隠していたりして、我々ひとりひとりの目ではその全貌をうまくとらえられないことがあります。作品と対戦する批評家は、それでもとりあえず何かを見てそこに針で突っ込む打撃をいれなければなりません。見えないものは打てませんが、なんとか全体像が見えるようにするために批評があります。

    p12
    (前略)作品の中から一見したころところではよくわからないかもしれない隠れた意味を引き出すこと(解釈)と、その作品の位置づけや質がどういうものなのかを判断すること(価値づけ)が、批評が果たすべき大きな役割としてよくあげられるものだと思います。

    p18
    批評するからには、対象をしっかり読む必要があります。しっかり読むというのは、ものすごく細かいところまで注目するということです。我々は登場人物の一挙手一投足はもちろん、小説の地の文に出てくるちょっとした描写とか、映画の色の設計とか、舞台芸術の小道具とか、いろいろなところまで気を配って、作品が隠しているものを暴く必要があります。普段の暮らしよりもはるかに注意深く対象を見つめなければいけません。

    p20
    一方、作品の登場人物は現実の人間とは違い、受け手の探索を通して理解されるための存在として提示されています。たとえ登場人物が作中で何かを隠したがっているとしても、作品は我々を受け手がその秘密を暴くことを望んでいます。このため、作品世界で提示されるものにはすべて必然性があり、偶然出てきているものなどはなく、何らかの意味合いがあってそこにあるのだ、と考えねばなりません。登場人物が息をするなら何か意味があるし、動くなら何か意味があるはずなのです。(中略)虚構の世界と向き合うにあたっては、受け手は注力を研ぎ澄まさなければなりません。

    こういう対象をものすごくじっくり細かいところにまで気を配って読むやり方を「精読」(クロース・リーディング)と呼び、あらゆる批評の基本とされています。

    p23
    批評をする際、あまり作品の細かい表現に注意を払わないまま、ただ社会問題や作者の人生とつなげてしまうような読み方をする人はけっこういますが、これではダメです。まずは精読しましょう。

    p25
    読んでいる本や映画の台詞、字幕などに知らない単語があったら、その都度、辞書を引きましょう。これは初歩的なことですが、実はとても重要で、実はよくわかっていない言葉があるのに気がつかないうちに読み飛ばしてしまっていることがあります。

    p34
    第一幕で壁にかかっているピストルが出てくるのならば、それなら終幕には銃が発射されなければならない。
    (Quoted in Donald Rayfield, Anton Chekhou: A Life, p.203) 次の引用は、ロシアの劇作家アントン・チェーホフの作劇術についてまとめたものです。演劇や小説の技法としてよく言われる「チェーホフの銃」という概念はここから来ています。これは、作中で登場しているものには全て必然性がなければならないということです。

    これは便利な概念ですが、メディアや作風によってかなり特性が異なってくることもあるので、注意して使う必要がある概念でもあります。

    p35
    通常チェーホフの銃というと大きな展開の伏線を意味するものとして使われることが多いのですが、批評を行う時はおそらくもうちょっとこの概念の意味を広くとらえて、登場するものにきちんと意味を持たせることの重要性の話だと考えた方がよいでしょう。第一節で述べたように、作品というのは受け手に理解されるためのものとして提示されているはずです。基本的に作中に出てきているものには全て意味があると考え、とくに複数回出てきているもの、しつこく時間をかけて描写されているもの、通常であればそこに出てこないはずのものには注目しなければなりません。作品に何かの描写が入っているということは、物語を語る上で何らかの意味があるはずです。

    p40
    何度も出てきているものをノートに取ったり、付箋でチェックしたりして、どういう意味を持つものとして使われているのかを考えてみるといいかもしれません。

    p41
    (前略)フィクションは現実の人生と違って展開に必要なことだけ描写するからです。(中略)物語の世界で何かが描かれれば、それは後の展開に関係があるということです。(中略)現実とフィクションは違うことを認識しつつ、登場人物が誰かに親切にした時は深読みしましょう。

    p44
    身も蓋もない話になりますが、批評する時は自分の性的な嗜好や趣味をきちんと理解しましょう。これは批評する側のバイアスを認識するという問題にかかわることです。

    p50
    批評であまりやらないほうがいいのは、人を信じることです。この場合の人というのは、作品に出てくる人のことです。登場人物、あるいは小説の場合は地の文ですらウソをついている可能性があります。

    p51
    小説の語り手や、演劇や映画の視点人物については
    「信頼できない語り手」という有名な概念があります。これは作品の語り手あるいは視点人物が話していることを読者が額面通りに受け取ることができないないような場合に使われる言葉です。(中略)信頼できない語り手が出てくる作品に対しては、受け手は注意をして挑む必要があります。
    語り手が信用できなくなる理由はたくさんあります。何か隠しておきたいことがあるので意図的にウソをついている場合もあれば、無意識にイヤなことなどを飛ばして読者に教えない場合、語り手が子供だとか、病気だとか、現地のことがわからない旅行者だとか、酒や薬をやっているとかいうような事情で物語内の事情が理解できていない場合、昔のことを思い出しているので記憶がはっきりしない場合など、いろいろなケースがあります。読者は本来であれば最も重要な情報の供給源であるはずの語り手が正確な事情を教えてこないので、語り手が無意識にポロっと漏らす情報から何か不穏なものを感じ取って事態を判断しなければなりません。

    p54
    語り手が信頼できない状態は、受け手のほうとしては唯一の情報源が正確でないわけですから大変なのですが、一方で「信頼できない語り手」というのはけっこうよく知られた概念で、批評でも警戒すべき対象として真っ先に出てくるもののひとつなので、わりと気付きやすいということがあります。他の登場人物の証言からしてどこかでウソをついているらしいとわかっている語り手や、不自然に自信満々の語り手、いかにも病気で具合が悪そうな語り手などは真っ先に警戒しましょう。意外と厄介なのが、「語り手ではない登場人物がウソをついている場合」です。これは明確な語り手がいる小説よりは、むしろそれぞれの登場人物が独自に行動している演劇や映画などで起こりやすいのですが、最後までウソをついているのかそうでないのかがはっきりしないまま終わるというようなものも多くなっています。

    p56
    シェイクスピア劇というのはこういう登場人物が何を考えているのかわざと曖昧にされているような箇所が多いのですが、とくに『アントニーとクレオパトラ』のクレオパトラはなかなか食えない政治家で、恋愛でもいろいろな手管を使うため、本気で言ってているのか、腹に一物あって口から出任せを言っているのか、よくわからない場面が複数あります。「これはウソかな?本気かな?」と一つひとつ考えながら見るのがシェイクスピア劇の醍醐味のひとつです。
    登場人物がウソをついてるのか見分ける時の便利なポイントとして、特定の場所に出かけると言っていなくなるのにその場所で過ごす様子が明確に描写されていない場合、たぶんその人物はそこに行っていない、というのがあります。ミステリではこれはよくありますが、ミステリ以外でもけっこうよくこういう疑いを誘うような描写は見かけます。

    p58
    このように、フィクションにおいては語り手やら登場人物やらがウソをついていて、私たちに本当のことを教えてくれないことがあります。なんでそんな面倒くさいことをするんだろう、フィクション内の事実だけストレートに教えてくれればいいのに・・・と思うかもしれませんが、実際のところ、受け手を探偵の位置において挑戦してくるようなこうした物語は、謎めいていていろいろな解釈を誘うので、むしろ人を惹きつけるところがあります。こういう物語は私たちの読む力を信用して煽っているのだと思いましょう。フィクションを楽しむ場合に限っては、煽られたら常にそれに乗るのが得策です。

    p60
    テキストはそれを生み出した時代の社会に根ざしたものだというところに注意する必要もあります。作者が意識していなかったバイアスや社会的背景などが反映されており、それを読み取れることがあります。

    p68
    (前略)テクストを社会背景の中で考えるという手法は現在では精読とともに批評研究では必須の手法のひとつとなっています。精読だけで社会背景を調査しないとよく意味がわからない場合も多いですし、一方で精読なしに社会背景だけ見ると結局、誤解が発生して薄っぺらい読解しかできないことにもなり得ます。精読と背景の調査は批評における車の両輪のようなもので、どちらも大事であり、お互いに補いあうようなものだと考えたほうがよいでしょう。

    p76
    伝記的批評というのは非常に昔からある読み方で、作品を作者の人生などに結びつけます。

    p104
    物語をある程度抽象化して要素に分解するのは、話の構造をつかむ上で重要です。作品に向き合う場合、最初は精読して細かいところに注目する必要がありますが、その後一度細部から離れて物語をざっくり要素に分解して整理することで、他の物語との共通性や差異などが見えてきます。そうすると、作品のどこが伝統的で、どこが独創的なのかが特定しやすくなります。これは作品を単体としてではなく、他の作品との関連で理解する時に役立ちます。斬新なお話に見えても、実は昔からあるモチーフをうまく活用しているだけだったりします。これはパクったとか独創性がないとかいうことではなく、昔からウケていて、みんなが面白いと思ってくれそうな展開のツボを押さえているということです。とくに娯楽的な作品を作りたい場合、定番の展開を押さえた上でどこをどう崩すか、どこにクリエイターの個性を入れるか、どこを新しくするかが大事になってきます。

    p106
    要素に分解するというのは、 一般的な批評よりもむしろ昔話研究や実作者向けマニュアルなどでとても重視されているプロセスです。世界各地の民話を類型ごとに分類したアンティ・アールネ、スティス・トンプソン、ハンス=イェルク・ウターらによるATUタイプ・インデックス(これは何度か改訂されています)や、ロシア・フォルマリズムの流れに位置づけられるウラジーミル・プロップの『昔話の形態学』などは基本的に昔話を整理で検討するための研究ですが、それ以外の物語の類型を考える際にも使われています。
    昔話のタイプ・インデックスというのは、主人公の行動とか物語の主要な展開を基本にしてお話に番号をつけて分類したもので、図書館で使われる十進分類法などに似た分類法です。

    p107
    神話や民話などを要素に分解する分析方法は批評や研究では昔から行われていましたが、おそらく一九七七年に始まった『スター・ウォーズ』フランチャイズの成功以来、クリエイターや観客の間でも広く知られるようなりました。『スター・ウォーズ』世界の産みの親であるジョージ・ルーカスは、研究者のジョーゼフ・キャンベルが神話の基本的な構造を分析した『千の顔をもつ英雄』から強い影響を受け、この本を参考にして多くの人の心に訴える英雄の物語を作り上げようとしたと公言しています。物語の類型を整理することは、これまでどういう物語が人々に愛されてきたのか理解することにつながります。

    p123
    芸術作品の評価は基本的に他の作品との関係や比較で成り立ちます。

    p124
    「友達」は原作と翻案のように直接の影響関係があるものでもいいし、(中略)はっきりした影響関係は認定できなくてもなんとなく受け手が共通の教養たして知っていて「お約束」を見て取れるような関係のものでもいいし、またモチーフに共通性があるだけで全然影響関係はなさそうなものでもかまいません。ひとつの作品には必ず友達がいます。友達を見つけることは、その作品がどういう社会的文脈の中でどういう影響を受けて成立したのかとか、似たような作品に比べてどう独創性があるのかを考える助けになります。

    p129
    ある作品を取り上げる場合、最低限分析に必要と思われる関連作品は押さえなければなりませんし、また自分が興味のあるテーマに関係しそうだと思った作品があればできるかぎり触れなければなりません。

    p135
    初心者が批評を書く時に大事なのは、メインの切り口をひとつにすることです。作品についてディスカッションをしている時はいろいろなことが思い浮かびますが、作品としての批評を各書く場合、全部を盛り込んではいけません。軸なしにいろんなことを書くと、雑然としてまとまりがない感じになってしまいます。

    p165
    批評を読んでもらうため、薦めたい作品に興味を持ってもらうために大事なのは、「感動した」とか「面白かった」みたいな意味のない言葉をできるだけ減らして、対象とする作品がどういうもので、どういう見所があるのかを明確に伝えることです。

    p216
    一般的には、原作のある作品については、変わった部分に注目するとチームのビジョンが見えやすいと思います。原作のプロットにある展開がないとか、逆に加わっているという部分ですね。

    p225
    (前略)映画を分析する時には、一曲一曲音楽を拾って分析するだけでけっこういろいろなことがわかります。小説家でもプレット・イーストン・エリスや村上春樹を分析する時には使えるでしょう。

  • よくここまで書き方を知ろうとせず書評を書いてきてしまったなと、厚かましいとも苦々しいとも思ってしまう。本書は2022年新書大賞で11位。

    スカッと腑に落ちる経験をさせてくれる批評が好きで、自分でもそういう経験を人に提供できれば楽しいだろうと思っていたところ本書に出会い、本や映画の批評の方法を大いに学べた。私が書評を書く主な目的は、一つに書評の上達で、もう一つに知識の蓄積だ。著者の北村紗衣氏は、専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評で映画や小説の批評の指導もされている。

    本書は、四つの章、①精読する、②分析する、③書く、④コミュニティをつくる(実践する)、から構成されている。批評の役割は、作品の解釈と価値づけで、さらにその批評を他人と楽しくシェアすること。

    ①精読では、出てくる言葉の意味が全部わかっているのは最も基本的で、最も重要なこと。また読み終えた作品の数が増えると、自分独自の解釈を提示できるようになって、新しく読む作品が前より面白くなる。

    ②分析では、面白いか面白くないかをその根拠とともに他の人と共有するのは、重要で楽しい価値づけのプロセスである。作品の受け手が作品を見てどういう経験をするかは極めて重要であり、少なくとも自分が批評をする時はその話をしなければいけない。作品のコンセプトがどのくらい達成されているか、受け手がどういう経験をもらえるか、の2つのことは批評をする時には考えないといけないこと。とりあえずはたくさんの作品に触れて、要素を抽出し、ネットワーキングできるところまで持っていかなければならない。

    ③書く上では、まず作品情報で一段落、内容に関する説明で一段落。次に一つの切り口だけで書き、切り口に沿って要素を結びつけ、何を象徴しているのかとか、作中に出てきているこれはあれと類似するものと考えられるとか、そういうことを分析してまとめる。

    「巨人の肩の上に立つ」はニュートンの言葉で、先行業績の積み重ねをふまえることで、ものがよく見え遠回りしないという意味。この表現を使って本書には「巨人の肩の上に立てる時は必ず立ちましょう。それにより、あなたにもアリストテレスを超えるチャンスが生まれるのです」。「巨人の肩になってくれるもののひとつが批評理論で、読み解きというゲームの勝ち方を探す戦略を決める理論」「クリエイターも批評家も、巨人の肩の上に立つ必要がある。」「既存の型を学び、たくさん練習、巨人の肩に乗れるくらいの訓練」と様々表現されている。このように、批評活動に含まれる、精読にも、分析にも、書いたり実践したりすることにも、全て巨人の肩の上に立つことが重要なのだ。現代自然と巨人の肩の上に立つような環境になっている状況は多いと思うけれども、巨人の肩の上に立つことにもっと意識的になってより遠くを見たい。

  • 面白かった〜一気に読んでしまった。
    私は割と何見ても好意的に書いてしまう癖があるけれども面白くなかったらなぜ面白くなかったかを分析することでその作品を楽しめたりするというくだりや「批評はコミュニケーション」という言葉に勇気付けられる。
    何か書いてみたくなる一冊でした。

  • 初心者向けに、批評の基本的なことを整理してわかりやすく書いてあり、読みやすく、親切。時系列を書いてみるとか、図解してみるとか、人物表とか、ネットワーキングとか、「分析って何?」という初心者にも取り掛かりやすいのではないだろうか。逆に少し勉強したことのある人にとっては、既に知ってるよってことが多いかも。プロップなんて懐かしい名前も出てきた。後半は実際に書いてみるためのヒント、参考になることも多い。しかし全体に課題や引用が(ご本人も書いているし、意図的と思われるが)確かに偏ってるね。

  • 「批評」という言葉を聞いて、なにそれ最高!という印象を持つ人は少ないと思う。
    どちらかと言えばなんか映画や文学作品にあれこれと口を出す人、偉そうにジャッジする人というイメージを持つ人が多いのではないかと思う。
    「批評」とは本来どういうものか、何のためにあるのか。それらを説明してくれる本だった。

    1冊を通して批評に必要なことやしてはならないことなどを丁寧に説明してくれているけど、著者の北村紗衣先生の言葉のチョイスがおもしろくて楽しく読めた。
    こういう新書系って当然と言えば当然なのだけど、小説と違ってエモさはあまりない。
    人間の感情の揺らぎとかって書かれないし。いや書いてあったらそれはそれでまずいんだろうけど。
    説明を読む感じで活字欲は満たされるけど、あまりおもしろいとかは思えない。
    でもこの本は北村先生の言葉がおもしろくて、今までの新書系とは違った読書体験ができた。
    一番おもしろかったのは第一章に書かれている精読のためにすべきではないことのところだ。
    前提として北村先生は批評のためには精読が必要だと説いてくれている。精読とは以下のように本書で定義づけられている。

    【こういう、対象をものすごくじっくり細かいところにまで気を配って読むやり方を「精読(クロース・リーディング)」と呼び、あらゆる批評の基本とされています。】『批評の教室』p21

    そしてこれ以降の箇所で精読のためにすべきこと、すべきではないことを書いてくれていますがそのなかの精読のためにすべきではないことに書いてあるひとつが「ええ!?」と声を出してしまいそうなほど、なかなか見ない一文でした。

    【とりあえず作者には死んでもらおう】『批評の教室』p59

    これは精読をする際に作者は何を伝えたかったのかを考える人たちがいるが、そもそも古い作品は作者が不明だったり手を加えられていることもある。
    また批評の対象は詩や小説だけではなく劇や映画などもあるが、そういった場合は監督や演出家、脚本家などのスタッフと意見を合わせて作っていくものでもあるし、詩や小説だって商業的な作品は出版者の編集者などが必ずあいだに入る。
    「作者」という言葉のイメージから、孤独な天才という像と結び付けられがちだが、作品が世に出るまで複数名が関わっていることが多く、作者が何を伝えたいのかというテーマ設定は適切ではないとのことだ。
    『とりあえず作者には死んでもらおう』という文字の並びを読んで、どういうこと!?と思ったけれど、こう書かれているとそれはそうだな…と納得してしまう。
    たぶんこれは国語で再三「作者の気持ちを考えましょう」的な指導を受けるからだと思う。
    あなたはどう考えた?みたいな問いかけをされることってあんまりないよなー。それこそ大学ぐらいまで。
    何となく受けが良い答えというか暗黙の了解的なものがあって、こんな感じの答えなら教師からいい評価がもらえるみたいなのって薄っすらあるよねえ。読書感想文とか。
    まあ読書感想文は感想文だから批評は違うのだろうけど。
    でもアニメや漫画や小説でも、何かを解釈するときに自分の解釈が合ってるかどうかを気にする人って本当に多いなとSNSを見ていて思う。あと二次創作。
    二次創作でもって自分の解釈が正しいということを評価という数字で欲しがる。自分の解釈って自分だけのものなのにね。
    また精読のためにすべきことではこんなことが書かれている。

    【自分に邪な性欲があることを自覚しよう】『批評の教室』p43

    これ、けっこうぎょっとしませんか?
    でもこれも読んでみると納得する。これは自分の性的な趣味や嗜好を理解することが、いわゆるバイアスに関わってくるということ。
    バイアスがあると何でもそうだけど冷静さが失われる。バイアスによって評価が高くなったり低くなったりする。批評に不要に影響を与えることになる。
    しかし北村先生によるとこれも自分の性的な好みなどを把握し、自覚しておくことで批評に有利に使うこともできると書いてる。
    好きな俳優さんが出てるからよかったとか、めちゃくちゃあるあるですよね。

    この本は批評を実際にするかどうかに限らず、あふれるコンテンツをしっかりと噛み砕き、自分のなかに還元するための助けになる。
    だから読書や観劇や鑑賞の体験をもっと深くしたいと思う人にはとても有用なんじゃないかなと思います。いつもただ読んだだけ、観ただけになっていて自分のものになっている気がしない…という方はぜひに。

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著者プロフィール

英文学者、批評家。

「2023年 『高校生と考える 21世紀の突破口』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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