西洋美術とレイシズム (ちくまプリマー新書)

著者 :
  • 筑摩書房
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480683908

作品紹介・あらすじ

聖書に登場する呪われた人、迫害された人を、美術はどのように描いてきたか。2000年に及ぶ歴史の中で培われてきた人種差別のイメージを考える。

感想・レビュー・書評

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  •  中世やルネサンスの宗教画や彫刻に黒人、ユダヤ人、ジプシー(ロマ)として描かれているのはどのような場合にどのような意図であるものなのか、多くの作品を見ながら解説したもの。逆に「本来は黒い肌であった人をことさら白い肌に描くことで、黒い肌に聖性を与えることを拒むかのように」(p.173)描かれた作品、というのもある。
     キーワードはロマン主義、オリエンタリズム、「神と黄金」(西洋の植民地主義)、世界宗教的(エキュメニカル)といった感じだろうか。「下心」、「脚色」、あるいは暗黙のうちに、あるいは無意識的に不当な他者化する例というのを色々見ることになる。読み終わっても強烈な印象を残しているのは、「静物」として描かれる黒人(p.50)、「まだらの黒人」(p.51)、そして最後の「黒い脚の奇蹟」(pp.182-3)だろうか。最後の「黒い脚」の主題は、「このテーマ自体が残酷にしてレイシズム的なのだが、最初に見たビロルドの彩色浮彫は、エチオピア人の脚が生きたまま切りとられ移植されるという点で、特異かつ冷酷この上ないもので、もともとバリャドリードの修道院に飾られていたというから、当時の修道士たちはどのような目で眺めていたのかと、その感性を疑いたくなるほどである。」(p.184)というのは全くその通りで、悪趣味というか犯罪的かつ悪魔的な感じがする。後の時代によってナチによって利用される「頭蓋計測学」というのは、18世紀末に唱えられ、さらに「ルネサンスの画家たちが解剖学に並々ならぬ関心を示した」(p.59)ことからも、美術に「ひとつの着想源があったと考えることもできる」(同)というのは意外なつながりだけど納得した。そして、「置換神学」と呼ばれる、「キリスト教のルーツがユダヤ教にあることを軽視したり隠蔽したりするような言説が幅を利かせるようになる」(p.117)という、そういうことまであるのかと呆れてしまった。あとはもっと具体的なことで印象的だったことのメモ。ハウステンボスっていうテーマパークがあるけど、オランダのデン・ハーグにハウステンボス宮殿というのがあるらしい。そしてそこには日本の鎧兜が頂点に描かれた、搾取した品々(黒人の女性も)を誇示?する作品というのがあるらしい(p.50)。あとはジプシー(ロマ)について、「インドの北部からおそらく十一世紀ころに西方に移動をはじめたとされるジプシーが、はるばるヨーロッパ各地に出現するのは十五世紀のこと。それ以来、彼ら流浪の民は、基本的に定住を当たり前としてきた社会にとって、ひとつの驚異にして脅威とみなされることになる。そのジプシーの代表的な仕事のひとつが占いで、そのすきを見て、何も知らない無垢な客たちからまんまと金や宝石をくすねるという手口が、十七世紀には人気の絵画のテーマになっていたのである。」(p.93)という、そんなものが人気の絵画のテーマって、本当に何が主題として選ばれるのかよく分からないなあと思った。そんな中で、ハガルとイシュマルを描いた絵画で、p.106のマッティア・プレーティという人の描いた「ハガル母子の追放」の「毅然とアブラハムを見つめる彼女の顔」(p.107)や、「みずからの運命を自分の意志でしっかり受け止めようとしているようにさえ見える」(同)イシュマルの表情は、「まさしく救いにして恵みのように見える」(p.109)と著者は言うが、本当に暗い絵が並ぶ中で救われた気になった。
     テーマはとても興味深い。日本美術とレイシズム、というテーマでは本が出来ないのかなあと思う。(21/09/19)

  • 西洋美術や文学には宗教観がつきものである。レイシズムという観点から書かれたこの本、驚きの連続である。理解は出来なくとも知ることで、現在進行形の時事を咀嚼する手助けにはなる。キリスト教の発祥はパレスチナであり、その地に暮らした人々の民族・人種は忘れずにいたい。

  • 同じ神をルーツにもつユダヤ教、キリスト教、イスラム教。その中で、公然とレイシズムを推し進めてきたのはキリスト教だけだ、と筆者は指摘する。その証左を宗教画に求める、というのが本書の趣旨。
    ただ、その様相はそんなに単純でもないらしく、黒い肌の人物へのリスペクトが感じられる作品も挙げられている。また、アフリカ大陸の人々への蔑視は確かに古くからあるものの、今日のような根深さや執拗さを増していくのは大航海時代であるらしい。しかも蔑視の眼差しはアフリカだけに向けられたものでもなく、さらに、オリエンタリズムやロマン主義とも相俟って、一言で纏めるのは難しい。
    ただ言えるのは、美術作品にはその当時の「当たり前」が抜き難く刻印されており、現代に生きる我々はその色眼鏡のままに作品を受け取らないよう気をつけなければならない、ということ。気づかないうちに白人至上主義的な視点に巻き込まれて、『黒い皮膚 白い仮面』で言うところの「乳白化」を無意識のうちに志向してしまわないように。「美白」「ブルベ」などという言葉に取り憑かれがちな女性は特に。自戒を込めて。

  • 宗教画に描かれた人物像に人種差別の萌芽を見出す。
    ここでは「ロトの子どもたち」や「東方三博士」などの画を例にとる。
    虐げられるものや、やっちまった人物がカラードで描かれるのは何故なのか。偏見はどこにでもいつでも存在するんだということに気づかされるよね。

  • 美術作品に見るキリスト教の負の側面。ノアの息子ハム、ハガルとイシュマエル母子など、呪われ、追放された聖書の登場人物の姿に、時代時代の忌み嫌われる対象が投影されてきた様子を解説し、今日にも残る差別の源流を探っていく。読んでいてあまり楽しい気分にはなれない内容だが、知らなければ見過ごしてしまいかねない視点。図像もカラーなのが良い。

  • 西洋美術と人種差別について書かれた本。聖書に登場する人物やエピソードが時代の変遷と共に意図的に解釈され、特定の人種で描かれた作品と背景について解説されている。

  • ノアの息子たちの話を知らなかった。三男が酔って寝ていた裸のノアを見つけて、長男次男に言いふらしたからノアに奴隷の運命を宣告されたなんて。ノアさんの不注意が原因でしょうが!
    それがキリスト教を宣教、黒人奴隷の言い訳として西洋に広まっていく過程を絵画で見ていくことができてとても面白かった。
    人種差別とはこんなにも根強く刷り込まれていたのだと思い知った。

  • 東方三博士等、黒人の姿で描かれているものについて
    「そういうもの(伝統)なんだろうな」で済ませていたものが、
    実は聖書にも記述の無いことだったり、
    奴隷や植民地への眼差しが含まれていたことを知った。

    女性・非嫡出子・難民…逆境に置かれない人を探すのが難しいくらい。
    赤く平たい帽子・「悪魔の縞」模様・聖母子との距離感等、
    意味を知らないと底意が分からないものも多く学べた。

    私にとっては違いが少なすぎて人種の違いが分からない絵も多数。
    そのあたりも感覚が違うんだろな。

    スコマスとダミアヌスのエピソード衝撃的なのに
    再読時には忘れていた。
    馴染みがなくて記憶に定着しなかったのだと思う。
    今まで「絵画って綺麗だよね」的な本を中心に
    読んできたからかな。

    カラー図版多数。
    しかしごくごく入門で量も少ないので、
    これを足がかりに関連本を読んでみたいと思う。

  • 「言うまでもない」ことだけれど、まぁ確かに宗教が西洋の人種差別の元っちゃ元だよなぁ。マッチポンプで正当化していったように思える節もちらほら。

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著者プロフィール

岡田 温司(おかだ・あつし):1954年広島県生まれ。京都大学大学院博士課程修了。京都大学名誉教授。現在、京都精華大学大学院特任教授。専門は西洋美術史・思想史。著書『モランディとその時代』(人文書院)で吉田秀和賞、『フロイトのイタリア』(平凡社)で読売文学賞を受賞。ほかに、『反戦と西洋美術』(ちくま新書)、『西洋美術とレイシズム』(ちくまプリマー新書)、『最後の審判』『マグダラのマリア』『アダムとイヴ』(中公新書)、『デスマスク』 『黙示録』(岩波新書)など著書多数。

「2024年 『人新世と芸術』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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