- Amazon.co.jp ・本 (172ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480687128
感想・レビュー・書評
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遊牧が基本の旧石器時代から定住の新石器時代へ。生活と建築の間を往復しながら、歴史を分かりやすく紐解いてくれる。石器時代、柔らかい針葉樹より堅い広葉樹の方が石器で削りやすいため建材として使われた、など面白かった。定住と集合的記憶の話なども、ああなるほどなぁと。良い新書だった。
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旧石器時代から現代に至るまでの人間と建築の歩みをまとめた一冊。
藤森さんらしい読みやすくて率直な文章。ところどころにある藤森さんの挿絵が魅力的。
人類の歴史、、教科書やらTVやら、今まで漠然と培ってきたつたない知識。それをきっちり復習しながら、その流れと建築がどう絡んで今に至ったのかをとてもわかりやすく書いてくれている。
建築史の本ではあるけれど、建築をやっていない人が読んでも絶対に面白い。
木を切ることができるようになったこと、
狩猟から農耕へ変わったこと、、
人類の技術や産業が前に進む度に建築は変化をみせる。
現代建築は本当に前に進んでいるのか、まだまだ答えはでないけれど。 -
すごく原始時代は、建築が宗教を語っていた。
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路上観察の藤森さん。著作を読むのは初めて。
目の前の箱庭の中でめくるめく早さで建築を中心とした人類の歴史が展開していくのを見ている感じ。とにかく面白くて一気に読める。
建築を軸として人類を見ると、新石器時代(日本の縄文時代)の頃までは画一化されていたのがその後さまざま文化宗教が発展しててんでばらばらな時代が2000年続き、現在また世界中がコンクリートとガラスで出来た四角い建造物にまとまってきている。ひとつのものが多様にふくらんでまたひとつになった。
【もしかしたら二十世紀をもって歴史が終わったのかもしれない】という著者の言葉に震えを感じる。
恥ずかしながら学んだこと。
・縄文土器は日本のもの
知らなかった。世界中のあちこちにああいう派手派手な土器があるのかと思っていた。
・神社と寺は違う
これもあんまりよく考えたことがなかった。ただお参りに行くって所なだけで。
もちろん神道と仏教が違うって事は知っていたが。
神社は地母信仰太陽信仰が発展した宗教で、世界中のあちこちにある自然を神とする宗教のうちのひとつ。
その後に新しく出来た文字を持った宗教、仏教儒教キリスト教イスラム教の四大宗教によって
地母神太陽神は衰退していった。
そのことを考えると日本に神道がこういう形で残っているのってすごいことなんじゃないかな。って、今私が感心しているのもなんだかいまさらな感じで本当にはずかしいんだけど。
装丁がクラフトエヴィング商会だった。一度気がつくと頻繁に見つかるね。 -
建築の初心者や初学者に向けて書かれた建築史の本。
人類が建築を生み出し、現代建築にまで変化させていく過程をダイナミックに追跡しています。 -
やさしい。
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なるほどこういう見方もあったのか! と唸ってしまった。人為的な石や木の柱が王者の魂を天に届ける発射台で太陽神に至る階段(太陽信仰)で、自然の樹や岩が水平な自然界に宿る地母神の一族が寄り集まってくる依り代(地母信仰)なのだ、という筆者の筆致が実に力強い。
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建築史を中高生にもわかるように易しく書いてある。あくまで藤森先生の視点で。「これは私の意見だが、君達はどう思うか」との問いかけが公平に思える。
人類の建築物は最初はだいたいどこも同じ。それが多様化して、近代に入ってまた同じになっている。飴玉のように。なるほど。 -
主に、石器時代を中心に人類が建築とどのように出会ったか、そしてどのように変革していったかが述べられている。
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とてもわかりやすく建築の歴史を紐解いてくれている。物質の世界も、建築の世界も飴玉を袋でぎゅっと絞ったような形をしている。生命の相、鉱物の相、数学の相。外観から人間の内なる見えない抽象的なものへと造形の対象は変移してきた。今はさらにさらに透明な、抽象的なゼロの世界へと向かうべく建築界の主流は進んでいる。しかし、人間が肉体を持つことから切れないように、建築も限りなく抽象に近づきはしてもゼロにはなりえない。物質性というものについて、さらに人間との見えない繋がりを模索していく必要がありそうだ。