- Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488596019
感想・レビュー・書評
-
「ねじの回転」、好きなんだなあ、私。
読んだことない翻訳版を目にすると
必ず読んでいるから!
翻訳によって、また読んでいる私の気持ちによって、
印象が違うのがこの小説の良いところ。
今回は主人公の家庭教師の女の人が
「本当にあったことを
ちょっと脚色して話していると
興奮してきてどんどん話が大きくなり、
しかもそれを自分でも信じてしまう」
というタイプの人、みたいな印象を受けました。
(たまに出会いますよね、こんな人…)
一番最初に読んだ時には、
「…え?(ポカーン)」となったのだけれど、
今となってはそれがこの小説の良いところと
わかっています。
この本にはあと四つ、怖い話が入っているとのことで
最大級の期待をもって読んだのですが、
どれもこれも怖くないのよ。
特に「古衣装の物語(ロマンス)」なんて、
「おいおい、一人の男をめぐって姉妹が争ったとして、
絶対にこんな風にはならないよ、ヘンリー君!
君って姉妹とか従姉妹とかみたいに、恋愛や結婚と『関係ない部類』の女の人が身近にいないんだね?」って言いたくなるほど。
他の作品もさあ…なんて文句言っていると、
文学に詳しい方に肩をそっと叩かれ、
「これは怖い話というよりもっと深遠な意味が隠された…」と優しく教えられても恥ずかしいのでこの辺で…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
難解で有名ながらも、現在も4つの出版社から(!)文庫が出ているほど今日性のある表題作。どの出版社の文庫で読もうかな~と迷ったすえ、「ヘンリージェイムズのゴースト・ストーリーもの」としてまとめられた東京創元社の本版を選んだ。そして、この判断は正解だったように思う。「ねじ~」だけを読むと、私の理解力ではおそらく、「で、結局何なのだ?」と言いたくなってしまっただろうと思うから……。
私は先に辻原登さんの『東京大学で世界文学を学ぶ』を読んでおり、辻原解釈が先に頭にあって読んだため、「なるほどこれはいろんな解釈ができるな」、と思いながら読んだ。他の収録作の方は「ねじ~」と比べるとかなりわかりやすく、ストーリーもかなり楽しめた。
ただ、それでも全体的に薄気味悪い感じはある。取り調べ中の容疑者を、マジックミラー越しにじっと眺めているみたい。その人が無実なのかそうでないのかはわからない、でも、その人が取り調べされていて不安だったりいらいらしているのだったり、帰りたいと思っているのは痛いほどわかる、そういう感じだった。
でも、つまるところ、何がそんなに不気味なんだろう。考えてみて、こういうことなのでは?と思う。つまり、目に見える事実が、本質的なものの媒体に過ぎないんじゃないか、私たちに見えているのはその「媒体」でしかないんじゃないか、いうところ。
誰にも真実はわからない。表面的なものしか私達はとらえることができず、本質的なものというのはそもそも「存在しない」とさえ言えるのではないか……だとしたら、私達が見ているものは、私達が見ていると思い込んでいるだけ?
何かが見える/見えないは、世界のある/なしに直結しているのでは、ということ。見えない世界は存在しない。可視化できるものが全てではないことを、この人は逆説的に書く作家なのかもしれない。 -
表題作について。
たしかに難しい…。「怪奇小説の傑作だが難解」を痛感。いろんな見方ができる作品なのは確かだけど、ひとつの解釈がしっくりくるかというとそうでもない。
一人の視点・主観(しかも感情に左右されていたり、もしかしたら妄想が含まれてるかもしれない)であやうさのある状態で始終物語られており、第三者の明らかな反応が乏しいのがモヤモヤと難解さの原因か。
とはいえ「幽霊とおぼしき何者かがいる」という第三者の反応も皆無ではない・確実にあるので、1人の妄想だとも言い切れない…それもまた難解さのひとつ。
怖いのは幽霊か、人間心理か、あるいかその混合か。
ほかの作品もゴーストストーリーながら、肝心の幽霊は最後の最後。それまでの人間描写の積み重ねがなかなか。
始終幽霊の存在を感じる作品も面白いが、最後にピリリと効いた幽霊というのも面白い。
日本語訳も読みやすくて、サクサク楽しめた。 -
創元推理文庫版だったので表題作以外の短編も読んだけど凄い!
『テヘランでロリータを読む』でも言及されていた通り曖昧な描写から何通りも読み方があり、読者に解釈を委ねる構造が見事。
久し振りに大学時代に戻ってぐるぐる色々なことを考えながら本と向き合えたのが嬉しかった!
『丘の屋敷』もそうだったんだけど幽霊いるのいないの?
以前に物語を語る語り手が一番信頼できないし、物語が進むにつれて語り手がどんどん不安に脅かされていくところが怖すぎて私が叫びそう。
他の短編も絶妙に嫌〜な後味が最高でした。 -
恐いかと言えば恐くない(笑)でも、この文体に身を委ねてこの世界に、深く沈んで行くのが気持ち良い。
この家庭教師の見た物は幻?それとも・・
この物語を紹介した男性の正体は?
謎は深まり、全ては朧に・・この味わいがたまらない。 -
1898年発表作で英国正調幽霊綺譚の古典とされている。
舞台は、ロンドンから離れた片田舎にある古い屋敷ブライ邸。両親を亡くした幼い兄妹の新しい家庭教師として、語り手の女が赴任する。依頼者は二人の子の伯父だったが、不可解にも甥マイルズと姪フローラとの直接的な関わりを嫌厭していた。子どもらは至って聞き分けが良く、以前から居る家政婦との仲も何ら問題が無い。次第に女教師は二人を溺愛するようになる。そんな或る日、見知らぬ男がマイルズの姿を遠くから窺っているのを発見して戦慄する。さらに湖畔へと散歩に出掛けた別の日、今度はフローラをじっと見詰める若い女に出くわす。この二人はブライ邸の者に声をかける訳でもなく、ただ子どもらを凝視するのみだった。奇妙にもマイルズとフローラは、敢えて気付かぬ振りをし、女教師の狼狽ぶりを楽しんでいる様子だった。家政婦によれば、その特徴は同邸の召使いの男と、前任の家庭教師の女と一致したが、その二人は既に死んでいると言う。疑心暗鬼に襲われた女教師は、子どもらを死人から守ろうとするが、恐怖の体験はなおも続き、悲劇的な終幕へと一気に傾れ込んでいく。
何でも誉めるスティーヴン・キングが「この百年間の傑作」と絶賛し、翻訳本の帯でも「物語の本当の恐ろしさを、今初めて知ることになる」などと煽っており、未読の読者には期待に胸弾む作品だろう。
あくまでも個人的な読後感だが、これらは全て裏切られた。ストーリーは分かりやすく、微塵も怖くない。難解とされる原文は格調高い代物なのかもしれないが、それが翻訳文を通して伝わることはない。神経症と思しき女が幻想の世界へと墜ちていく過程を綴った陰鬱な独白が延々と続き、物語を単純に捉えれば、語り手である女の狂気が生みだした妄想だと結論付けることができる。本作は、心理的恐怖心を覚える小説として評価が高いらしいが、どちらかといえば「奇妙な味」に近いテイストだ。結末も唐突で不自然。これも〝味わい〟如何だが、旨くない。
概して先駆的作品は過大評価されがちで、作家や批評家らは崇め奉りたがるが、現代の読み手に通じるか否かは問題とはされない。もし、過去百年間に発表された怪奇幻想を主題とする名立たる小説の中で、本作をベストとするのであれば、恐怖小説は19世紀まで遡る雰囲気重視のスタイルを継承すれば事足り、旧態依然の怪談には何も付け足す必要が無いことになる。だが、キングを代表格とするモダンホラーの旗手は、実作では真逆の道を歩んでいるのである。
以上はあくまでも私見であり、読み手の「解釈」により本作の印象は一変する。私は現代のカテゴリになぞらえれば一種の「サイコ物」として読んだが、シンプルに受け止めるならば異界の存在への畏怖/邪悪さに迫った幽霊譚、或いはより深く掘り下げるならば人間の恐怖心そのものを書き起こした心理小説、など多面的な読み方が可能だろう。作者は情況を曖昧に書き記しているが故に、様々な読解へと繋がるのである。いかにも英国的な渋い色調のゴシックホラーが好みなら、最適な作品には違いない。ただ、私にとっては「面白くない」のひと言で片付くのではあるが。また、先に紹介したスーザン・ヒル「黒衣の女」は、本作の主題を熟成し、モダンにアレンジした優れた作品であることも分かった。 -
古典怪奇小説として名高い表題作。ほおと思って読んでみたが今一つわかりにくくちっとも怖くない。解説を読むと「難解な」と注釈がついていた。家庭教師と幼い兄妹をおびやかす2人の亡霊の話なのだが、登場人物それぞれの心理が理解しにくく読んでいて意味が分からない。どうやらぼくの頭には難解すぎるようだ。併録されているいくつかの短編のほうがまだしもだった。
-
2018年の復刊フェアで復刊された本書。ゴーストストーリーを集めた中短篇集。
名作と前から噂は聞いていたのですが今まで読んだことなくて。今回読んでみてなるほど、と。普通に想像するオーソドックスなゴシックホラーストーリーとは一味違う味わいです。
陰鬱な屋敷やそれらしき逸話、ひと癖ある登場人物…とゴーストストーリーにはありがちなパターンの書き出しに引き込まれつつ、肝心の「そのものズバリ」をはっきりと書かないが故に発生する奇妙な読書感と言いますか…。この感覚が面白いし、物語に色んな解釈が発生するのも納得でした。