軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い

著者 :
  • 東洋経済新報社
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  • Amazon.co.jp ・本 (365ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784492223802

感想・レビュー・書評

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  • 2005年JR西日本福知山線脱線事故で、妻と妹を失った浅野さんをモデルに、事故を起こした運転士よりもその会社体質正すことに費やした10年間。重大事故の対応として江戸の大火の昔から変わらずの個人責任追及主義、無関係者からの誹謗中傷を読んで憂鬱になった。

  • JR福知山線脱線事故のルポルタージュ。

    読んでいると、どうしても人に焦点を当ててしまいたくなった。
    「会社の体質」が見えにくいものだからこそ、形を取る個人に責任を求めていってしまう。

    淺野さんは「なぜ起きて、どうすれば起きなくなるか」を、この見えにくいところから見えるところに持ってきた方なんだと思う。

    日勤教育についても、焦点は「その人が更生するか」にあり、「なぜその過失が起きたか」ではなくなっていた。
    そして本質が見えないままの「更生」は、ただの懲罰でしかなく、権威を持つ人ほど、自分がそこに晒されないため手離したがらなくなる。

    これだけ凄まじい事故が日本で起きることに、当時の私はただ震撼したというか、大きな会社であっても致命的な事は起きるんだと思っていた。

    けれど、大きな会社とか、凄まじい事故という形容を外した時に見えるものは、自分にも分かるような「体質」と呼ばれるものだった。

  • タイトルの通り、福知山線の脱線事故後のルポルタージュです。特筆する点は、一つに遺族の一人、淺野弥三一氏の側からの視点で書かれていること、その淺野氏がJR西日本に対する責任追及よりも、JR西日本と一緒に今回の事故を検証して再発防止に繋げていけないかを模索した点です。紆余曲折ありながらも、最終的には、JR西日本、遺族側、第三者機関が同じテーブルについて、話し合いが行われることになりました。可能な限り冷静に客観的なデータに基づいて議論していく姿勢に感銘を受けました。また同時に「遺族の責務」という言葉が重くのしかかってきました。

    リスクアセスメントの考え方によれば、ヒューマンエラー、今回の件で言えば、運転士のスピード超過がカーブを曲がり切れず脱線に至ったわけですが、それは「原因」ではなく「結果」とします。もっと大きな視点に立って組織風土や環境要因など様々なファクターが複雑に絡み合って、今回の「結果」が生じたのだと。日本は昔から個人にその責を負わせる風潮があるようです。もちろんヒューマンエラーが主要因かもしれませんが、現代社会では事件・事故が大きくなればなるほど、その原因は複雑化します。個人に「原因」を集中させることは、ともすれば、複雑化した原因解明を遠ざけてしまう可能性があります。

    淺野氏は事故で妻と妹を同時に亡くしました。遺族としての辛い気持ちや葛藤も抱えながら、一方で氏のエンジニアとしてのプライドをもって事故の本質を詳らかにしようと、何度もJR西日本と交渉を重ねます。その姿勢はJR西日本を糾弾するのではなく、問題をオープンにして、一緒に考えていこうという非常に成熟した発想に思えました。

    3者で開催された「課題検討会」のオブザーバーであった柳田邦男氏がその報告書に寄せた一文があります。
    「私はこの社会に人間性の豊かさを取り戻すには、被害者(1人称の立場)や社会的弱者(同)とその家族(2人称の立場)
    に寄り添う視点が必要だと感じる。『これが自分の親、連れ合い、子どもであったら」と考える姿勢である。もちろん、専門家や組織の立場(3人称の立場)に求められる客観性、社会性の視点は失ってはならない。そういう客観的な視点を維持しつつも、被害者・加害者に寄り添う対応を探るのを、私は『2.5人称の視点』と名づけている。課題検討会におけるJR西日本の遺族たちに対する応答の仕方に、私は『2.5人称の視点』に近づこうとしている姿勢を感じた」
    柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)ーわが息子・脳死の11日(文春文庫)』の中では1人称、2人称、3人称の死について述べられていました。相反する発想や価値観、立場を自らのうちに留めて、決して安易な結論に流されないよう、その葛藤に身を置く姿勢と解釈しています。それが、本質に近づける手段のように思えます。

    著者は元神戸新聞の記者で、現在はフリーランスです。文書構成もさることながら、非常に読みやすく、その文章力についつい引き込まれていった部分も否定できません。秀逸なルポルタージュには間違いありませんが、史実を元にしたドラマのような感動も覚えました。

  •  事故後13年以上もたって、初めてこの事故についての詳細な事実を確認することとなった。とにかく安全システム、安全設計について多くを考えさせられる本。リスクアセスメントの学習を始めたところで本書を知ったのは良かった。まずは浅野氏の凄さにひれ伏すのみ。せめてその足元でもがける程度にはなりたい。
     本書に示されるJR西日本安全フォローアップの資料をJR西日本のサイトから入手した。こちらもじっくりと読んで学習し、今後の糧としたい。

  • 遺族を少し変わった視点から描いたドキュメント。
    妻と妹を亡くし、娘は重症。
    考えただけで気が遠くなります。
    読み応えが重すぎて読むのが辛くなるほどです。

  • 【2本のレールが交わるところ】2005年4月25日に発生し、107名の死者と562名の負傷者を出したJR福知山線脱線事故。当初の会社側の無機質な対応に風穴を開け、JR西日本と共に事故の原因究明と安全対策に乗り出した遺族を軸に、事件のその後を描いた作品です。著者は、神戸新聞の記者を経てフリーランスで活躍している松本創。

    月並みな表現ですが、組織や社会の根幹はやっぱりどこまで行っても人なんだなと教えてくれる一冊。JR西日本と遺族との話し合いを通じ、読み手の側も、組織論や危機管理論を超えて幅広い教訓を得ることができるかと。

    〜「被害者と加害者の立場を超えて同じテーブルで安全について考えよう。責任追及はこの際、横に置く。一緒にやらないか」〜

    事前の前評判を裏切らない素晴らしい作品でした☆5つ

  • 2018/10/22

  • JR西日本の福知山線脱線事故。
    平成17(2005)年4月25日のこの事故を知らない人も多いだろう。
    けれど私は今でも覚えている。
    テレビで見た、マンションに激突して大破した列車を。
    どうやったら線路を走る電車がマンションに激突できるのか、どうしても理解できなかった。

    これは、妻と妹をこの事故で亡くし娘も重症を負った、淺野弥三一(やさかず)氏の、被害者感情をひとまず横に置いて、事故の原因を究明し、再発防止策をJR西日本と考えていくまでの闘いの記録である。
    もともと淺野氏は都市開発・都市計画を生業としていたのだけれど、その時に軸足は計画をする側ではなく生活する人の側に置くことを決めていたのだという。
    だから雲仙普賢岳の噴火の際や阪神淡路大震災など多くの災害復興にもかかわってきた。
    そんな淺野氏が、今度は当事者として、JR西日本に事故原因を究明し、再発防止を促すのは遺族の責務だと思った。
    なんと強い人なのか。

    JR西日本はあくまで運転士個人のミスであるとの見解を崩さなかった。
    それこそ何年も。
    しかし、人的ミスは結果でありそのミスを引き起こしてしまった原因こそが問題なのだということを、遺族たちのネットワークグループの要求だけではなく、各国の事故検証なども踏まえたうえで対応を変えていく。
    聞く耳を持とうとしていく。

    分割民営からのJR西日本は、利益追求、効率重視路線のうえ、会社に君臨するひとりの存在があり、ある意味独裁状態だった社は、ものをいうことのできない風通しの悪い職場だった。
    井手正敬という発足時の副社長(事故当時は会長)、ゆるぎない権力者が頑なにヒューマンエラーを口にすれば、それが遺族の心を逆なでしようとも、社を挙げてその路線に進むしかなかった。
    そんな中、多分尻拭いさせるつもりで、JR西としては初めての技術者出身の社長が現れる。

    山崎正夫は遺族と直接話をすることで、会社の膿を出し、エラー防止のシステムを構築する方に舵を切る。
    人事も経営も知らない、右腕もいない山崎は、結局途中で社長の座を追われるような失態を犯してしまうが、彼の残した方針を基に、少しずつ会社と遺族が対話をしていく様は胸が熱くなる。

    組織は違えど私自身、個人で話すといい人なのに組織を守るためには冷酷な振る舞いをする人たちを身近に何人も見ている。
    だからこの山崎氏の行動や、そのあとに続いた人たちはすばらしいと思う。
    結果、ある程度の安全対策は行われたのだけれど。

    安全ではない列車に乗りたい人なんていないのだから、経営する立場としても安全は重要だ。
    が、当たり前になってしまった安全には、注意を払われないことが往々にしてある。
    社員一人一人の維持していく努力なしに安全はない、ということが忘れられてしまいがちだ。
    最後に書かれた新幹線の異音・異臭事件がそれを物語る。

    1951年の列車火災事故。ドアが開かず乗客が脱出できなかったため100人以上の死者を出す。→非常ドアコックの設置が義務化
    1962年、脱線多重衝突事故により死者160人、負傷者296人を出す大惨事→ATS(自動列車停止装置)の設置
    2001年ホームから転落した人を救助しようと2人が飛びありたところに電車が侵入し、3人死亡→ホームドアの設置

    当たり前のように設置されている安全のための設備も、こうした事故がきっかけになっている。
    起こしてはいけない事故ではあるが、起きてしまったらそれを二度と起こさないようにするのが起こした側の義務だ。
    それは、個人に責任を転嫁して厳罰を与える、ということでは決してない。
    そんなことをしても事故はなくならないということを訴え続けた淺野氏をはじめとする人々の胸の内を思うと、頭が下がる。

  • 2021年1月11日読了

  • 事故で大切な人を失った遺族について生々しい現実を教えてくれた。読んでいて本当に胸がつまる思いだった。同時に当時のJR西日本という企業に対しての不信感も込み上げてくる。

    不幸にも遺族となった浅野氏の懸命な行動が凝り固まった官僚主義の企業に変化をもたらした。自身も辛い中にあっても「遺族の責務」といい、ここまでの事をやってのけた。

    安全と利益追求のバランス。鉄道会社には強く求められること。安全なしでは鉄道を走らせる資格はないが、安全に投資するためには稼がなくてはならない。そのバランスを崩すと事故が起こる。安全が最も重要なことは当たり前なのだが経営者にとってこの両立は難しい事なのだろうと思う。

    しかし、安全に対する意識を磨くことは金がなくても出来る。本書で語られた元トップ井出氏の安全に対する考えは、現在の鉄道業界では非常識である。ヒューマンエラーは起こるものという前提に立たなければ事故は決して減らない。その前提がなければ人がミスしないでやれば良いの一言で片付いてしまう。だとするとヒューマンエラーをバックアップするハードメンの投資も行われるはずもない。

    鉄道マンは決められたことを正確に行うことを常に求められている。一方それを逸脱する事を躊躇してしまう。しかし、異常を感じた時、安全に対して不安に思った時、勇気を出してそれができるか。それができる鉄道マンであって欲しい。

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著者プロフィール

1970年、大阪府生まれ。神戸新聞記者を経て、現在はフリーランスのライター。関西を拠点に、政治・行政、都市や文化などをテーマに取材し、人物ルポやインタビュー、コラムなどを執筆している。著書に「第41回講談社本田靖春ノンフィクション賞」を受賞した『軌道 福知山線脱線事故 JR西日本を変えた闘い』(東洋経済新報社、のちに新潮文庫)をはじめ、『誰が「橋下徹」をつくったか――大阪都構想とメディアの迷走』(140B、2016年度日本ジャーナリスト会議賞受賞)、『日本人のひたむきな生き方』(講談社)、『ふたつの震災――[1・17]の神戸から[3・11]の東北へ』(西岡研介との共著、講談社)などがある。

「2021年 『地方メディアの逆襲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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