- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784560071830
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
教養として読んだ。「待つ」ということについて考えさせられる。エストラゴンとウラジミールは本当は「ゴドー」なる救世主はどれだけ待っても現れないことは心のどこかで分かっていたのかもしれない。ただ今日来なくても明日は来ると信じて、「待つ」ことが彼らにとって唯一の生きる希望になっていたのかなと感じた。
2人の噛み合っていない会話とか喧嘩したと思ったらすぐに抱き合って仲直りする所とか、コントをしているようで面白かった。
解説にも書いてあった通り、この作品は全体的に抽象的すぎるのと、矛盾が多い。例えば二幕は一幕の翌日のことなのかもっと後のことか、2人はポッツォとラッキーに会ったことがあるのかとか、ゴドーを待つこと以外は、幻想のようにフワフワしている。全てはウラジミールの妄想なのかなとも思った。2人はどこで出会ってどれくらいの付き合いになるのかとか、時代背景とか、その辺も分からない。それなのに何故か魅力的に感じてスラスラ読み進めてしまったからすごいなと思った。抽象すぎるが故に人によって、感じ方や解釈が全く違うものになるんだろうな。 -
これ本で読むもんじゃねえな…。
個人的に映画化やアニメ化されたものは原作から読みたいタイプだが、この作品に関しては「芝居」が原作なんだと痛感した。ぜひ舞台で見てみたい。
この本は原作というよりどちらかというと解説本に近い。
ただでさえ哲学的で行間が広い物語なのに単調なト書きと注釈を往復するため没入感が薄れて情緒がなくなる。だがそれを読まなければ解釈が自由すぎて理解できない。 -
思い立って読んでみたけど、解説読みながらも、会話とテンポにどんどん読み進めてしまった。
不条理、色んなものが風刺されている?
人生ってこんな感じかな。おかしな人と会い、自分も痛みや不条理に合いながら、毎日救世主を待つ…。一見現実には起きなさそうな不条理に見えるけど、こんなこと、こんな人、断片をよく見かけるよね。
実は私もこれらの登場人物と同じところを持っている。
劇で見たいな…、 -
町田康の『ホサナ』って、メシアが来ないという点で、ベケットの『ゴドーを待ちながら』とおんなじところを目指しているんじゃないかと思い読み始めた。すごく似ている。
創作物の中に登場する人間たちって、人の話をよく聞いている。でも、人の話をよく聞く他人、という設定じたい、現実的ではない。人って基本、人の話をよく聞かないものなのでは?
例えば村上春樹の小説に登場する人物たちは、すごく物分かりの良い人たちばかりだけれど、人の話をよく聞かない人が登場する小説のほうが、世界観に広がりがある。ような気がする。
本書は『ホサナ』よりも過激だ。だって、誰一人、ちっとも意味を目指していない。本書が『ホサナ』ほどの長さがあったら、どれほど苦痛か。想像すると笑える。 -
戯曲の傑作として名高く、かねてより本書を読みたく手に取った。わけがわからないようで、わかる。つまらないようで面白いという不思議な戯曲である。解釈が無限に可能であるが、どれも真贋を得ないというものになると感じられる。実際の劇を見てみたい。
-
-
「臭い話好きなんです。」
顰め面になってるところを想像しちゃっいました。
細かなところは忘れてしまいましたが、延々続く会話に圧倒されました。...「臭い話好きなんです。」
顰め面になってるところを想像しちゃっいました。
細かなところは忘れてしまいましたが、延々続く会話に圧倒されました。。。2013/06/13
-
-
解らんといえばもう全然わかりませんが笑
森脇真末味のブルームーンシリーズって、あれゴドーを待ちながらだったんじゃないかな、など思った。ゴゴとディディの、支配と被虐の関係は二幕で逆転する。どうなろうともこの2人は共依存なのだが、ヴラジーミルがエストラゴンに依存するほどにはエストラゴンはヴラジーミルに救われてない。エストラゴンはゴドーすら待たなくなる。
舞台=人間のありのままの生
役者は板から離れれば消えてしまう。
ヴラジーミルは舞台に残り続けたがる(もちろん2人で) だがエストラゴンは舞台を超え、ゴドーを待つのを辞め、無意味さえも超えた「どこか解らない世界の外」まで出ていこうとする、暗い自暴自棄を持っている。舞台の外もおそらくは死か無意味であり、
ゴドーもまた死であるように感じる。
そしてまたゴドーは「何もせぬ芝居」を会得してしまった監督かもしれない。
ゴドーはおそらく何ももたらさないが、ディディは必死にゴゴを繋ぎ止め、ゴゴは繋ぎ止められる。
イカサマ博打の賭場の様に。 -
この作品は一見シンプル、シンプルすぎてつまらないように感じられるが、いつも本を読む時のように起きる出来事に注目するのではなく、逆に起きない出来事に注目することで新たな視点や考え方を探ることができる。例えば、なぜこんな話が書かれたのか、登場人物はゴドーを待っているが一体ゴドーが誰なのか、なんなのか、なぜ待っているのかもわからないまま待ち続ける不条理さに面白さがある。不思議ながら内容が抽象的であるが故に物語の解釈が読み手に委ねられ、多様な見方ができる作品だ。
-
津村の読み直し世界文学の1冊。戯曲である。ゴドーGodotがgod(神)のもじりであることは解説を読むまでわからないほど、宗教に無知であった。演劇を直接みてからこの戯曲集を読めばよりわかるであろう。
日本だと万葉集か古事記であろう。 -
サミュエル・ベケット作、初演は1953年1月5日。
2人の浮浪者がゴドーを待ち続ける。ゴドーはやって来ない。
ただ待つ、反復される会話と劇的なことは何も起きない時間。
ゴドーとはだれなのか、ゴゴとディディは何故ゴドーを待つのか。
何も明かされない、彼らがゴドーと会えたのかさえ分からない。
読む側は、彼らの人生の通過点1日半をただ垣間見るだけ。 -
ゴドーを待ちながらにはゴドーは出てこないし、ゴドーを待ちながらの話をする人も大半が見たことのないゴドーを待ちながら。読まずに語るのもいかがなものかと思い読んだものの特に残るものはなく、一度も話に登場せずその一切を読者の想像に委ねられたゴドーの存在のように、この本自体読まないままで内容を想像し続けるのが正解だったのかもしれないと思わされた。
-
待ち人は来ないのではなく、来ているのに気づいていないのでは、とふと思った。
もしかしたら、ディディはゴゴを、ゴゴはディディを待っていた(待っている)のでは?しかし、互いに気づいていないのだとしたら、それはそれでなんと滑稽なのだろう。
一読してから読み返してみると、そう読めなくもないかなと。そして二幕の後にもう一度一幕から読み直すと、これループしてるのでは、とも思う。永遠に来ないものを待ち続ける…苦行でしかない。だから首を吊ろうとするのかな。
ゴドーは神、という解釈は面白くないのでそれにとらわれずに読んだ。注釈も煩わしいので途中から放棄。そういった余計な知識なしに読むのが一番楽しめると思う。 -
1984年→華氏451度→充たされざる者と不条理小説が続いたのでとどめに不条理と言えばやっぱこれだな、ということで読み返してみました。で、やっぱ意味がわからないけれどなんとなく変なうまく言えない後味がのこる作品だった。しかもよく読むと深い不快なことばがどんどん出て来る。読み切ることができない作品だと思います。
-
くしゃくしゃになってた
捨てるつもりの聖書を
ねえ かえっこしよ
はしゃぐポッツォたちに
驚いて落としてしまう人参
片っぽの靴を 脱ごうとしている繰り返しが好き
ねぇ ゴドー待とっか
神さまうらんだりしない男の子が ウラジーミルに
ほら 月がのぼった
今誰か使ってるの 木にぶら下げようと思った綱
こっから言えるかな
「踊れ、豚」って言った横で
「考えろ、豚」って言った
誰も気づかない客席の方
わたしたちはやっと起き上がる
木の裏に行きたい いっぱい
夕暮れの中で いっぱい
ふたりぼっちになる練習してるの
ズボンを上げる途中
行かない 行かない 行かない 行かない
神様は創りかけて やめてしまった
そんな気持ちわかんない ぜんぜん
ディディーとゴゴの蹴りがラッキーに触れた靴
脱げない 脱げない 脱げない
知らない人が声かけてくるの知ってたけど
あの夕焼けが 落ちるのを待っていた
ただそれだけで あったかくなれたの
だって抱き合っちゃうと
やっぱ鶏の骨しゃぶっちゃうからさ
黒い蕪返したりする
一緒に夜明けまで歩こうよ
「じゃあ、行くか」「ああ、行こう」
ホリゾント幕にからまった
もっと顔をあげて きっつく抱きしめるから
誰も選ばない神に選ばれて
わからないけどとうとうやって来た
盲と唖になっても 聾じゃなかった
この春一番あり余ってる空間が
ゴドーを待ってる夕暮れ 通りすぎる
会えない 会えない 会えない
「ゴドーを待つんだ」「ああそうか」
この宇宙抜け出した
「いい思い出化」できない夢を 信じていたい
真っ白だとためらいながら言う
わたしに会ったら新しくなれるの?
神様は創りかけて やめてしまった
そんな気持ちわかんない ぜんぜん
ウラジーミルとエストラゴンの手がズボンの紐をほどいた時
待てない 待てない 待てない
http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=64909 -
コメディとしての上演を考えつつ読んだ。
わたしはアダムの肋骨だけども、アダムの肋骨にも演れるかしら。
だとしても60になったらだね。 -
煉獄のループかしらと思いながら読み進める。
だが我々の待つという状態そのものでもある。暇つぶし。
しかし、言葉とテンポの面白さ、滑稽さと物悲しさがすごい。