トーキングドラム 心ゆさぶるわたしたちのリズム (わたしたちの本棚)
- PHP研究所 (2022年7月5日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784569880600
作品紹介・あらすじ
家に居場所がない万希奈が、楽器づくりと演奏を通して自分の心のよりどころを見つけて、自信を取り戻していく青春バンドストーリー!
感想・レビュー・書評
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家にも学校にも居場所がない小学校6年生のマッキーは「放課後こども教室」にいる数少ない高学年生。
ある日、高学年のタヌ、健太、愛ちゃんと一緒にドラムを手作りすることになった。やってみるとこれが楽しい。普段話さないみんなのことも見えてきた。
作ったのなら鳴らしてみよう。
最初はただの騒音だった。でも作ってるときは楽しかった。がんばって練習して演奏してみたら、きっともっと楽しい。やる前から諦めるなんてつまらない。
そこでみんなでやってみることにしたのが「トーキングドラム」。
西アフリカで、打楽器を使って、言葉のようにコミュニケーションをとること。
それぞれ家庭の事情や、悩みを持っている小学生たちが、なにかに打ち込み、居場所を見つける話。
マッキーの語りのテンポが良く、惹き込まれながら読めます。強気で見た目もヒップホップ系だけど、家庭や友達の悩みがあったり、それも一人で悩んじゃったりして、実は相手のことが見えていなかったことが分かったり。
大きな事件があるわけでも、明快ないじめがあるわけでもないけれど、誰でも心に抱えているものが、気持ちの持ち方で前向きになれたり、気持ちを通じあえるやり方が分かった、ということでスッキリするお話です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
正義感が強く“かみつきマッキー”と言われてしまう6年生の林万希奈(まきな)は、家にも居場所がないと感じ、学校がおわるといつも放課後子ども教室ですごしている
そこでいっしょになる6年生のタヌ、5年生の愛、健太もそれぞれに悩みをかかえており、あるできごとをきっかけに意気投合、4人で打楽器を作ることに
できあがった手づくりだけど本格的な楽器で練習を重ね、4人はトーキングドラムのストリートパフォーマンスに挑戦することになるが……
《想いがリズムにのって♪ みんなに伝わっていく!》──帯のコピー
『アドリブ』で日本児童文学者協会賞&児童ペン賞少年小説賞をダブル受賞したイタリア在住の作家による“青春バンドストーリー”、2022年7月刊
〈この楽しさをだれかに伝えたい。〉
居場所を見つけたマッキーの思いが読者の子どもたちにも伝わるにちがいない -
放課後子ども教室に通う6年生の万希奈。家には居場所がなく、思ったことはなんでもずばずば言う性格もあり、学校でも浮き気味。放課後子ども教室の高学年メンバーと楽器作り、そしてストリートパフォーマンスに挑戦していくことになり…。
(YA担当/なこ) -
市立南小学校の放課後子ども教室を利用している「かみつきマッキー」こと6年の林マキナが主人公。マッキーは放課後子ども教室を利用している。土日は図書館を利用している。マッキーは家に居場所がないのだ。その上親友だったさやかの家にも遊びに行けなくなってしまった。今はずっと話もしていない。
放課後子ども教室は低学年が30人くらい中学年が20人くらい、高学年はマッキーと通称タヌの田沼伸二の6年生2人と、愛ちゃんと健太の5年生2人合わせて4人だけ。高学年は多勢に無勢。
この4人が力を合わせて打楽器を手作りして練習して、子ども教室と中央図書館の広場で披露する物語。
性格の異なる4人が、それぞれアイディアを出し合ってやりたいことを見つけて進んでいく姿が眩しい。
最初、私は主人公に感情移入が出来なかった。兄と弟がいて2人が仲が悪いとか、両親は共働だが経済的には余裕がなく父母は兄と弟にそれぞれが関心があるが主人公に理解がないとか、家が物理的に狭くてとかで、居場所がないのだが、私には言うほど大変な事だとは理解ができなかった。しかし、テレビを観ていて(NHKのあさイチで親の離婚を子どもは何を思うのか)大人になると子どもの気持ちを忘れてしまって子どもの大変さが分からなくなってしまうのかもしれないと感じた。大人になると悲惨な事を見聞きするので、子どもにとっては大変な事もさほどと感じなくなってしまう。
子どもならとっては、家庭や学校が全てでそこが砦なのだ。 -
楽器が色々あって面白いです。
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トーキングドラムとは名の通り話し太鼓。放課後教室であった仲間とドラムを作って演奏する。読後はさわやか。
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児童書。
家に居場所のなかったマッキーが、放課後教室で仲間と共にトーキングドラムを作り、演奏する物語。悩みを抱えていても、夢中になれるものがあって、更に仲間もいれば、それがきっかけとなって自信が持てるのだと思う。
夢中になるものが受け身なものではなく、こういう生産的なものだといいなと思った。