治りませんように――べてるの家のいま

著者 :
  • みすず書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622075264

感想・レビュー・書評

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  • 社会

  • 日本は指揮官の采配やフォーメーションに重きを置きすぎるという指摘は面白い。

  • 極限状態を知りつくしている者の、乾いてひょうひょうとした、人を食ったような、しかし逆説的で鋭利なメッセージは、どれもとても示唆に富んでいる。
    ひとという生き物は、どんなであれひととのつながりによってのみ救われることが、きれいごとでなくすっと腑に落ちる

    <blockquote>P19 以来、べてるの家では幻聴に”さん”をつけ、死ねバカ系の原始的な幻聴にはていねいに対応し、洗練された幻聴に成長するよう育てていこうというメンバーのくふうが重ねられている。

    P19 お客さんというのは、頭の中に浮かぶネガティブな思考全般のことである。

    P45 「前までは薬が重たいとか、身体が動きにくいとか、頭が働かないとか、そういう苦労ばっかりだったんですけど、ここにきたら、陽だまりに移ったら、生活をする苦労に変わって…病気の症状は楽になったんですけど、なんか人間みたいな感じがしてきて、自分が人間ぽくなってきた感じがして、ちょっと人間って大変だぞって部分で、また苦しくなってます。」

    P76 「自分の置かれている状況と自分の病状とをみて、あ、これは健常者として生きて行くのとは、いろんな意味で違うかなって思ったんですよね。なんかこう、生活するためにお金を稼ぐこととか、生活することとか、そういうことを単純に追求しては生きていけない生きづらさを持っているなあって。」お金や仕事を「単純に追求して」いると、つぶれてしまう弱さ、生きづらさを抱えた自分がいる。

    P79 「健常者、いつもリスパダール飲んでるようなもんなんだろうか」健常者はよくも悪くも、自分たちと違っていつもまどろんでいるようなものなのだろうか。(中略)もしそこで、感情をすりつぶして生きているのが健常者といわれる人々であるならば、健常者とはいったい何者なのだろうか。

    P117 わきまえと同時に、爆発の中の「たいせつなもの」がここにおぼろげながら見えて来るのではないだろうか。それは「ひとの評価とか、ひとの目線というものから自立」するということ、言い換えれば、「他人の評価に生きない」ということと深くかかわっている。(中略)
    人の評価に生きない。たいせつなことを大事にする。人のかけがえのなさ、当たり前のことを取り戻していく。それはほかのすべてを越えた「たいせつさ」なのかもしれない。それが受け入れられないところで、爆発は自らを主張しているのかもしれない。

    P145 ”真剣ではあるけれど深刻にはならない”のがべてる流である。

    P192 しかし病気が治ったら毎朝7時に起きて仕事に行かなきゃならない、だから治らないほうがいいという時、その奥底のどこかに、この病気は治らない、自分は健常者の人生を生きることはできないという深いレベルでの悲しみがある。そして同時に、あえて言うならばそこには、なおかつ自分はそのような病気でよかったという安心がほの見えている。

    P196 あなたは生きていてもいいのだというメッセージをうけとめた当事者は、そこで一度は救われたようにみえながら、しかしのがえようもなく、ではどう生きていくのかという問いに直面しなければならない。そして生きていくことの現実にさらされながら、再びバリアーの後ろに戻り、そこからまた現実に戻ろうとする動作を繰り返している。

    P199 分裂病のような病気がよくなるかどうかは、「何よりも平々凡々たる事態、すなわち、私たちのありふれた人間仲間との接触」によってきまるという見方は、今日べてるの人々が言うこととほとんど違和感がない。

    P236 苦労は、この世界とつながるための窓であり、通路であり、方法であるということだった。それもただ過酷な環境でつらい想いをすればいいと言うのではなく、「人間としての苦労」をすること。すなわち人間は人間であるからこそ苦労するのであり、その苦労を経て人間になるのだということ、苦労は自らを高めるためと言うような自己完結的なものではなく、また単なる人生訓にとどまるものでもなく、自分を他者に開くために行われるのだという認識が、そこにはあるのではないだろうか。

    P250 けれどこの不安は、登りゆく人生を目指したころに抱いていた不安に比べて、なんと心安らぐ不安だろうか。深い不安を抱くということが、こんなにも人間を安心させるものだということを、私はべてるの家に出会うまで知らなかった。</blockquote>

  • 苦労の哲学
    ピア・サポートの章が良かった。

    精神障害者への偏見・差別の象徴的な事件が神奈川県相模原市で起こった。
    障害があるから不幸だ、かわいそうだという考え方は現代でも残っている。障害と向き合うこと、考えることが必要だと感じ、この本を手に取った。障害者として生きることと自分の思いを吐き出せる場がべてるの家にはあるのだと思う。


    自己承認は他者との関係性から生まれてくる。自然体でいること相手を認めることー3度の飯よりミーティングーに繋がっている。

    社会福祉、精神保健福祉など分野に精通している・障害になった(本人・周囲)場合がないと障害を理解しがたい面もある。また、余裕のない社会だと他者に寛容であることも難しい。
    メディアではNHK Eテレ「バリバラ」やハートネットTV、民放のドキュメンタリー番組など取り上げられる場が増えてきた。知ることから少しずつ始めていくしかないと感じる。

  • 当事者研究は自分の障碍(しょうがい)を客観視することで自ら立つことを目的としているのだろう。学者や医者に研究を任せていれば、実験モルモットのような存在になってしまう。当事者には専門家が気づかない「日常の現実」が見える。精神障碍を治療すべき病状と捉えるのではなくして、長く付き合わねばならぬ特性と受け止めれば、具体的な対処の仕方も明らかになる。現実を克服しようと力めば力むほど苦しくなる。それは我々も同じだ。
    http://sessendo.blogspot.jp/2016/09/blog-post_5.html

  • 精神障害者施設べてるの家で生活する人達をつづったドキュメント。「「治りませんように」この言葉にどれだけの「思い」が込めれているだろう。うまく言葉にできないけど心に突き刺さるような衝撃的な本でした。斉藤 道雄さんの「もうひとつの手話」も含めて多くの人にぜひ読んでいただきたいなと思う本です。

  • 死にたいといっても、あわてることもなく、死ぬなというわけでもなく、そのままの自分をみんなが受け入れている

    重苦しさや絶望感に打ちひしがれ、弱さとみじめさを思い知らされ、怒り、引きこもり、爆発し、逸脱し、そのありのままをことばにし、仲間に語り、ひたすら聞きまた語り続ける

    人がこわくて、人から逃げるために浦賀にやってきたのに、人と交わることが自分を助ける

    自分ってものが、ひとりぼっちのときには見えなかった。まわりにいっぱいいろんな人がいて、いろんな人を通してくる自分ってものが見えたとき、はじめて自分ってこんなものかなってぼやっと見えてきた

    病気を苦しんでいるときは、すごくつらかったし、マイナスなことしか考えられなかった。でもいまは、ちっともむだじゃなかったっていうかね。

    病気をもっているわたしでもそのままのわたし

    必死で考えたあげくに、自分自身について考え抜くことをあきらめ、しがみつくことをあきらめたすえに、月並みなんだけれど、人間関係のなかで、人とのコミュニケーションに自分を放り込むことによって

    ひとりで悩んでいるころは、考え抜けば答えが見つかると思っていた。今は思わない。ひとりで考えても答えは見つからない。おおらく人との関わりのなかにしか見つからない

    あきらめること、自分自身についてもがき苦しむのをあきらめること

  • ネガティブな考え→お客さん
    幻聴→幻聴さん

    という言葉を使うことだけでも現象を客体化できる。など興味深い。
    希望を抱いては絶望し、あきらめ、しかし、あきらめすぎずに…という難しくて辛いことを、仲間と手を携えることによって継続しようとしている。
    そこで大事なのはちょっとしたゆるみなのかな。

  • 社会福祉援助技術論B

  • 369.2
    病気との共生
    アウシュビッツで1人生き残った少年が家族に向けて言った「大丈夫、ぼくは幸せになりませんから…」

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著者プロフィール

ジャーナリスト。1947年生まれ。慶應義塾大学卒業後、TBSテレビ報道局の記者、ディレクター、プロデューサー、解説者として取材、番組制作に従事。ワシントン支局時代に、ろう者の世界と出会う。2008年開校時から明晴学園校長を務める。著書に『原爆神話の50年』(中公新書1995年)、『もうひとつの手話』(晶文社1999年)、『悩む力-べてる家の人びと』(みすず書房2002年、第24回講談社ノンフィクション賞受賞)『希望のがん治療』(集英社新書2004年)『治りませんように-べてるの家のいま』(みすず書房2010年)などがある。

「2010年 『きみはきみだ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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