精霊に捕まって倒れる――医療者とモン族の患者、二つの文化の衝突

制作 : 江口重幸 
  • みすず書房
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感想 : 12
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784622090267

作品紹介・あらすじ

◆生死の瀬戸際に関わる医療現場における異文化へのまなざしの重さを、感性豊かに、痛切に物語る傑作ノンフィクション。
◆ラオスから難民としてアメリカにきたモン族の一家の子、リア・リーが、てんかんの発作でカリフォルニア州の病院に運ばれてくる。しかし幼少のリアを支える両親と病院スタッフの間には、文化や言語の違いゆえの誤解の積み重ねが生じて……。
◆このたくさんの苦しみと悲しみは、本当に避けられなかったのだろうか。モン族の家族の側にも医師たちの側にも、少女を救おうとする渾身の努力があった──だがその努力が、ことごとく衝突していた。
◆著者は、アメリカの医師たちが「愚鈍で感情に乏しい、寡黙」と評したモン族の人々から生き生きとした生活と文化の語りを引き出し、モン族の側から見た事件の経緯を浮かび上がらせる。その一方で、現代的な医療文化や、それらが医療従事者に課している責務の意識が、リアの症例の成り行きにどう影響していたのかについても、丹念に掘り起こしている。
◆本書の随所に、異文化へのアプローチの手がかりがある。原書はアメリカで医療、福祉、ジャーナリズム、文化人類学など幅広い分野の必読書となっている。西洋医学の疾病概念とは異なる「病い」の観点も広く紹介し、異文化の患者へのケアの意識を塗り変えたとも評される。待望の邦訳。

感想・レビュー・書評

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  • 精霊に捕まって倒れる。この不思議なタイトルは、モン語の〈カウダペ〉の直訳だ。突然けいれんして失神する事象を指す。それはつまり、医学用語でいう「てんかん」のことである。

    1982年、ラオス難民のリー家の末っ子で生後3カ月のリアが、てんかん症状で病院に運び込まれた。その日から繰り返される入退院。その度に医師たちは、投薬をはじめ近代医学を駆使して懸命に救命を試みる。一方で、モン族の父と母は、悪い精霊に娘の魂を奪われたのだと理解する。そして、自分たちの儀式や伝統医療を認めないアメリカの医師たちに不満を抱き、彼らの薬こそが娘の回復を阻んでいるのではないかと不信感を募らせる。やがて、両者のすれ違いは、リアの悲劇へと結びついてしまう。

    モン族。もしかするとミャオ族というほうが聞き覚えのある人はいるかもしれない。読み始めは難民であろうが何だろうが無償で最新の医療を施すアメリカという国の懐の大きさを感じた。ところが読み進めるうちに、それは大きな勘違いで、矛盾だらけであることに気づかされる。ラオス難民を生み出したのもまたアメリカ自身なのだ。

    医療者と患者の関係性はいかにあるべきか。本書にも登場するクラインマンの著作は医療関係者の必読の書となっている。医療者と患者の関係がある種のパターナリズムに陥りやすいのはよく指摘される。本書の場合、さらに相手は「未開の」難民なのだ。この「上下関係」に異文化の衝突という図式が加わり、事態は複雑となる。

    筆者のファディマンは、モン族、医療・福祉関係者たちから丁寧に聞き取り調査を行い、この事件の意味を深く掘り下げていく。第18章で紹介される、命こそ救われるべきとする医師と、いや魂こそ救われるべきとする心理士のやり取りは重い。どちらが正しいということでも間違っているということでもないのだ。

    「15周年記念版に寄せて」という後日談で、その後数10年を経て、社会や病院施設では明るい兆しが見えていることが著者から語られる。異文化間の調停者こそが求められている。

  • 「精霊に捕まって倒れる」-いささか変わったタイトルだが、原題"The Sprit Catches You and You Fall Down"の直訳である。さらに元をたどると、モン語の"qaug dab peg"(「カウダペ」)の直訳となる。qaugは「倒れる」、dabは「精霊」、pegは「捕まえる」を意味する。大きな物音などに驚いて身体から抜け出た魂が、悪い精霊によって捕らえられ、身体の方は倒れてしまうことを指している。
    何だか詩的な感じだが、実は、この現象は、現代医学の立場から見ると「てんかん」の症状なのだ。
    本書は、モン族のある少女が「精霊に捕まって倒れ」た際、それを「てんかん」として捉えたアメリカ人医師と、少女の属するモン族の家族たちとの、2つの文化の衝突を描くものである。原語初版は1997年。その後、15周年記念版が出て、邦訳版はこちらに基づいている。
    予想を超えておもしろく、同時に胸を締め付けられる1冊である。

    モン(Hmong)族は、中国からベトナム・ラオス・タイの山岳地帯に住む少数民族である。独自の文化を守り、氏族間のつながりを大切にしながら、大国に屈せず存続してきた。
    ベトナム戦争の際、ラオスのモン族がアメリカにより兵士として雇われる。米軍敗戦後、彼らは激しい迫害を受け、難民としてタイに逃れた後、約30万人がアメリカに亡命した。
    主題となる少女、リアの一家もこうしてアメリカに逃れてきた人々であり、リアは1982年、アメリカで誕生している。

    モン族の亡命者は、移住以来、アメリカのコミュニティと摩擦を起こしてきた。米側から見れば、モン族は無知蒙昧で頑固に見え、儀式に動物の供犠を行うことも理解できなかった(町から犬が姿を消すのはモン族のせいだと囁かれた)。モン族の方では逆に、アメリカに行けば仕事につけず、自分たちの宗教を禁じられ、ギャングに襲われたり殴られたりすると悪い噂が流れていた。
    医療に関しての齟齬は特に深刻で、そもそもモン族には身体の内部構造の概念がなく、外科手術などもってのほかと思う者が多かった。身体の一部を取られてしまえば、何度生まれ変わっても不具な身体のままになってしまう。
    投薬のコンプライアンスも芳しくなく、効くと思えば倍量を飲んだり、ちょっとしたことで勝手に服薬を中断してしまったりする。
    病院側としては「扱いにくい」患者で、しかも言葉の壁もある。
    そんな中、リアは重度のてんかん患者として病院にやってくる。両親のリアへの愛は疑いようがないが、彼らはリアが「精霊に捕まって倒れている」と思っている。そこにアメリカ式の医療はどうにも収まりが悪い。受診のたびに、彼らは問題を引き起こす。同時に、彼らは薬をきちんと飲ませていないのではないか?との疑いも生じる。衝突が高まって、業を煮やした医療側は、児童保護サービスに通報し、リアは両親から引き離されて里親のところに預けられることになる。
    結果的には仲介者の働きもあって、リアは両親のところに再度戻されるのだが、家に戻ってしばらくした後、重大な発作に見舞われる。

    リアの病状の合間に、著者は一家の辿ってきた道や、モン族の歴史を織り込む。
    一方で、米側の医療者や、モン族とアメリカ人を結ぶ通訳から見た顛末も丁寧に掬い取られる。
    当初は頑迷な少数民族と見えていたものが、徐々に医療側の問題もあぶりだされる形になり、問題の複雑さも見えてくる。

    異文化と異文化が出会い、理解し合うとはどういうことなのか。
    医療が患者に与えるべきケアとは何か。
    1人の少女の事例に学ぶべきことは予想を超えて大きい。

    リアの両親は一貫して愛情深い。
    決して扱いやすい子ではなかったはずだが、心をこめて世話をする。里親に預けられた際には嘆き悲しみ、しばしば面会に訪れる。
    重大発作の後、リアは植物状態になってしまう。病院側はもはや余命いくばくもないと告げるが、憤慨した両親は半ば強引にリアを家に連れ帰る。以後、リアは手厚い看護を受けながら、生き続ける。

    病院側から見れば、リアの症例は、投薬コンプライアンスにしたがわなかったために、症状が悪化して植物状態に至ったものだった。
    だが、リアの家族から見れば、里親のところにやられたり、いらぬ薬を投与したりしたために、リアの魂は身体に戻らなくなったことになる。
    (実は、ある意味、両親の思っていたことは正しかったのかもしれない。リアが重大な発作後に脳に損傷を受けたのは、てんかん自体というより、感染による敗血症ショックのせいだったと見られるようだ。しかも、それまでに投与されていたてんかんの薬のために免疫系が弱まっていた可能性があるというのだ。)

    著者は終盤近くで、患者の側の「説明モデル」を引き出す、クラインマンの「八つの問い」を紹介している。
    1.この問題をなんと読んでいますか?
    2.この問題の原因はなんだと思いますか?
    3.そうなったのはなぜだと思いますか?
    4.この病気は何をすると思いますか?
    5.この病気はどのくらい重いですか? すぐ治るものですか。それとも長引きますか?
    6.患者はどんな治療を受けるべきだと思いますか? その治療を受けることでどうなれば一番いいと思いますか?
    7.この病気のせいでおもにどんな問題がありますか?
    8.この病気で一番恐れているのはなんですか?

    リアの両親ならどう答えたかも著者は推測するのだが、なかなか含蓄深い。

    15周年版のあとがきで、それぞれのその後が記される。
    時を経て、本書に関するパネルディスカッションの場で、担当医とリアの父親は心のこもった会話を交わす。「つらい思いをさせて申し訳なかった」と主治医は謝り、「リアのことを気にかけてくれていたことがようやくわかった」と父は礼を述べた。著者がいうところの「共通の言葉」での会話がようやく成立したのだった。

    さまざま考えさせられる好著である。

  • タイトル「精霊に捕まって倒れる」はモン族によって<カウダペ>と呼ばれる症状であり、西洋医学でいうところの「てんかん」がこれにあたる。本書はアメリカに難民として亡命した家族に生まれた幼児リア・リーが、「精霊に捕まって倒れ」たことを発端に、治療をめぐってモン族と西洋医学・アメリカ人とのあいだにおきた葛藤、衝突を伝える。1997年の著書で、著者による取材は80年代を中心になされている。

    モン族の少女リアの母フォア、父ナオカオと、病院の医師たちとのコミュニケーションの行き違いを軸として、リー家と同じモン族の人びとやソーシャル・ワーカー、リアを一時的に預かることになった里親など、数多くの関係者の声を集めてリアの身と周囲の人びとに起きた出来事を掘り下げる。リアの病状や治療にまつわる出来事は時系列に近いかたちで語られ、その結末も徐々に読み手に明かされていく。リー家が住むカリフォルニア州マーセド郡に著者が訪れてリー家と関わりをもつようになるのは1988年である。そのころ6歳頃のリアの病についておきた出来事はすでに収束しており、著者がその過程で引き起こされた葛藤を丹念に追いかけて形にしたのが本書ということになる。

    全19章となる各章の構成としては、リアの病状を中心に現在進行形で語る章と、モン族の歴史やタイの難民キャンプでのモン族の人びとに関する記録がほぼ交互に綴られている。モン族の難民であるリー家の背景として、モン族の歴史と独自性を描き出し、モン族が難民になるにいたった1970年代のアメリカによるラオスへの政治・戦争に関する干渉と、それによるモン族の過酷な戦争体験ついても言及する。このようにリアの病について起きた出来事の本質を理解するために、モン族の特性とアメリカ人との文化的な違いをあぶり出すことにかなりの紙数を割いていることが本書の大きな特徴であるとともに、モン族の自由を尊ぶ気風と、強大な権力に屈することのなかった民族の歴史に魅了される。

    キーワードとして「多様性」という言葉が取りざたされることの多い現代にあって、「アメリカ人が理想とする断固たる個人主義と、モン族が理想とする集団の相互依存との溝」を浮き彫りにすることで、多様性と直面することの難しさを背景込みで懇切丁寧に提示した好例だろう。リアの病をめぐって著者は取材をとおして最後まで「両者の溝は本当に埋められなかったのか」と思い悩み、その原因を異文化における考えの違いによるものと見据える。そして、治療において最も重要なこととは何なのか、著者なりの結論にたどりつく。

    本書を読み通すことで、リー家におけるモン族の儀式を描いた終章「供犠」と、巻末に収められた「15周年記念版に寄せて」の結びのシーンがとりわけ心に響く。

  • アメリカにはラオスやベトナム、タイ北部に住むモン族が難民となって住んでいる。
     モン族は中国では苗(ミャオ)族として知られる山岳民族である。無文字で、山地で農業、狩猟をして暮らしている。
    家も自分達で建てる。薬草で病気を治療する。
    そして精霊信仰をしており、生活の節々で精霊が顔をだす。
    この本はアメリカに亡命したばかりのモン族の夫妻に子供がうまれ、その何番目かの娘がてんかんの症状を発症しアメリカの病院に運ばれ、治療、退院を繰り返すなかで不可避的におこった文化の衝突のあらましを、多くの関係者者に9年にわたりインタビューをして書かれたものである。
     アメリカ人からみたら原始的で頑迷でコンプライアンスに欠けるモン族の両親が、実は愛情が深く、誰とでも分け隔てることなく接し、家族はみな喜びに溢れていることがわかる。
     モン族が決して言ってはいけないことをアメリカの医師は行い、決してやっていはいけないことを医師はする。一方医師からみたら呪術的な一見無意味な治療をモン族は望む。そしてその無意味な治療が実際効いたりする。
     この本はてんかんを発症した女の子リアを取り巻くひとびとがどう接し、どう変わったのか、あるいは変わらなかったのかを通じて、人類にとって文明とは、幸せとは何かを問いかけてくる。
     モン族には本来スーパーもいらない。ちょっとして農耕地や自然があればいいのである。
     日本でもアメリカでも社会の底辺の人には生活保護でお金を与えるという仕組みがある。そんな仕組みはここ数10年のことなのである。昔から人はなんとかして生きてきたのである。そのどうしようもなく見えてもなんとか生きるというその1点に人間の尊厳は収束しているはずなのである。

  • 返却期限内に読みきれなかったので途中まで。
    モン族の母親が子をずっと抱いていることが印象深かった。
    子どもと親の間には時代の進歩とともにさまざまな装置や他者、効率性、生産性が入り込んでくる。
    それを選び取らず受け取って適用したら、子どもは安定した情緒を育むことは難しくなると思った。

    進歩や発展こそが人間にとって全て良いものではないことを理解させられた。
    人間が、説明できないが大切にしているものを守っていく意味を考えさせられた。

  • 2019年にSlate誌「この四半世紀の最も優れたノンフィクション50作」に選ばれた作品。初出は1997年で、15年後の改訂版を日本語訳したもの。
    長距離フライトの往復で読み切った。初めて飛行機の中の時間が速く過ぎたと感じた。

    モン族という現在のラオスやタイ、ベトナムの山岳地帯を起点とする家族と、その家族の一人である「患者」を診る米国の医療者たちの関係が中心に描かれる。読み終わった後には、立場の違いなく、様々な登場人物に畏敬の念を抱いた。

    モン族の生活や背景、歴史事情、医療行為など、高度で入り組んだ理解が必要なテーマがいくつも折り重なっているのに、ほとんどの前知識を必要とせずにこの本を読むことができる(もちろん、事前に知っていることが多いほど理解できることは多いはずであるが、この本を読み通したり、面白いと思うためには前情報は必要ない)。それは、筆者が多くの背景を省略しており「かいつまんで描く」ことが上手であるためではない。むしろその逆で、例えばこの本では欠かすことのできないベトナム戦争(とモン族の関わり)について多くの部分を割いて説明している。それなのに、驚くほど読みやすいし、洗練されている。とはいえ、話は入り組んでいるし、長い時間と多くの登場人物を追いかけたノンフィクションなので、ページ数は多い。この分厚さと内容の割に読みやすく感じるのは、この筆者の持つユーモアのセンスだと思う。決して明るい話ではないのに、言葉選びと構成のおかげで時折くすっと笑ってしまうようなエピソードがたくさんある。
    最後に、この本を母語で読めることに感謝したい。いくら読みやすいと言っても、英語ではなかなか理解しがたかったと思う。色々な人の手に渡ってほしいと思える作品だった。

  • モン族移民の娘がてんかんになりアメリカで医療を受ける際の文化的衝突を描いた名作ノンフィクション。
    「グラントリノ」を思い出しながら読了

    この本みたいな文化的衝突が日常的に起こってるから、アメリカでは“多様性”って言葉が上っ面でなく実が伴ってるんだろう

    文化的衝突があっても最後にはイーストウッドはグラントリノをモン族少年に譲渡するし、ナナカオはニールに赦しの言葉をかける(この本の「15周年記念版に寄せて」より)

    そういや「クラッシュ」もそんな映画だったな。

  • とてもおもしろかった。前のめりで読んだ。

    最新刊、と思って読んでいたけど、これは「15周年記念版」の訳で、最初に出版されたのは、1997年なんですね。
    帰化や難民受け入れについては、ずっとほぼ鎖国の日本ではまだまだ実感すら追いついていないテーマなんですが、アメリカではもうおなじみのテーマなんだろうか。それとも、やっぱりアメリカでもまだまだなんだろうか。そんな疑問を感じながら読んだ。
    でもたぶん、こういうのはどこの地でもどの歴史でもどの民族にとっても、きっと永遠にいつまでも新しいテーマであり続けるんだろうな。

    しかし、異文化受け入れに対して、自分は柔軟な方・・・と思いたいのはやまやまだが、この本を読んでいると「いや・・・モン族、私には無理かも・・・」などと大変に失礼なことを早々に思ってしまった。
    駐車場でブタの生贄の儀式するとか、想像しただけで、ひぃぃぃぃ!
    しかもリアのおうちの場合、何気なく読んでいたら場合によっては一カ月に1回くらいの頻度でその儀式をしている様子。
    もし私が隣人だったら、私は露骨に嫌わないで理解を示せるだろうか。
    示せる、と信じたいけど、正直分からない。引っ越すかも・・・

    この本に登場する医師たちには心底同情した。
    医師にもいろんなタイプの人がいて、異文化(モン族の患者たち)に対し、彼らの様々なリアクションが紹介されていたが、たとえ結果として間違ったふるまいをしていたとしても、彼らを責めることなんてとてもできないと思った。
    モン族が手首に巻いている紐を問答無用で切るのはさすがに必要ないんじゃない?とは思ったが、「ダが魂を盗んだから」とか言う話などは、私が医師だったら、緊急時に最後まで腹を立てずに冷静に耳を傾けることはできないような気がする。

    考えてみれば、異文化と言っても、アラビア数字くらいは分かるだろう、とつい思ってしまうので、数字も読めない人たちとの医療的なコミュニケーションは、今でもやっぱり難しいだろうな。異文化衝突についての理解が当時よりも進んでいる今でも。
    だけど、リアがイキイキつやつやとして30歳まで生きたことは無視していい事実ではないと思う。つまり、常に片方だけが間違っているということはないはず。
    リアが長生きしたことの裏に家族の献身(犠牲、と見る人もいるしれない)があることも無視できないが。

    以上はさておき、モン族の歴史、CIAとのかかわり、長い旅路の記録は、非常に興味深かった。
    しかし、CIAって、この手のエピソードが次から次へと無尽蔵に出てきますなぁ・・・。
    モン族の人たちが、この歴史的事実を伝えるよう尽力しているのはもっともな話だと思った。


    後日追記---------------

    NHKの映像の世紀の新シリーズ「バタフライ・エフェクト」の「ひとつの友情がアメリカを変えた」の回を見ていたら、アメリカのとある新聞社社長が、日系移民を評して書いた言葉が引用されていた。(たぶん戦前の言葉?)
    「日系人はすべての民族の中で最も同化しにくく危険な存在である。自分の民族に強い誇りを持つ彼らは融合するという考えをまったく持ち合わせていない」

    思わず笑ってしまった。
    この本のモン族と同じようなことを言われている・・・。(もっとひどい?)
    つまり、程度がどうあろうと、どんな文化だろうと、受け入れる側にとっては、異質なものはみんなつまりは等しくひどい厄介者だってことですね。
    きっと移民第一世代がある種の踏み台になるのは避けられない宿命なのかなぁ、と思った。そうした世代の必死の試行錯誤ともがきを経て、彼らの子供、孫の代で少しずつ融合していくのかな。
    こういうのは古くて新しいテーマの一つで、きっと紀元前からずっとそこにある問題なんだろうと思う。

    しかし、バタフライ・エフェクトのシリーズ、分かりやすくてキャッチ―でおもしろい。
    この友情の回は、ダニエル・イノウエがかっこよくてクラクラした。落ち着いた物腰が素敵すぎた。

  • 素晴らしいノンフィクション本。密度がすごいので結構読むの大変。小川さやか氏が書評していたので。

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著者プロフィール

作家、エッセイスト、編集者。1953年、ニューヨーク市生まれ。初の著書である本作The Spirit Catches You and You Fall Down(Farrar Straus & Giroux, 1997)で高い評価を得て、全米批評家協会賞(National Book Critics Circle Award)をノンフィクション部門で受賞(1997年)。本作はその後、米国の医学、看護学、文化人類学など幅広い分野の学生の課題図書となり、刊行から22年後の2019年にSlate誌の「この四半世紀の最も優れたノンフィクション50作」に選ばれている。編集者としては1998年よりファイベータカッパ協会発行の雑誌The American Scholarの編集長を6年半務める。ニコルソン・ベイカー、J・M・クッツェー、オリバー・サックス、ジョン・アップダイクほかの作家たちの出版に携わった。2005年、イェール大学初の終身待遇のライター・イン・レジデンスとなり、現在まで同大学を拠点に活動。ほかの著書に、Ex Libris(1998)〔相原真理子訳『本の愉しみ、書棚の悩み』草思社〕ほか。

「2021年 『精霊に捕まって倒れる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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