- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750515113
作品紹介・あらすじ
私たちはインターネットに何を夢みてきたのか?
80年代のパソコン通信の時代から、インターネットの黎明期を経て現在まで。インターネットの「現場」を知り尽くした著者が、その歴史を総ざらいする! 愛と笑いの決定版インターネット・ヒストリー!
津田大介さん推薦!(帯文)
〈「インターネット民俗学」の泰山と北斗が織りなす知られざるインターネット言説史。“失われた20年”のインターネットは、あまりにもいびつでチープ&アナーキーだったが、愛すべき混沌に満ちた豊穣な空間だった。〉
感想・レビュー・書評
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1980年代から2010年代までのインターネットの言説史。
ここ何年か、(俺の加齢もあるかもだが)ネットがつまらなくなったと思っていたがその答えが書かれていた。
ネットが広告収入に依存するようになりコンテンツの質よりPV数が優先されるようになっていったためコンテンツの質が低下した。またコンテンツそのものよりそれを使ってコミュニケーションすることがネットの主流になっていった。
最近はネットに費やす時間を減らして読書したり散歩したり音楽聴いたり買い物に出かけたりするようにしてる。 -
インターネット史、その理想と現実。
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・インターネット黎明期、ヒッピー全盛の中でアメリカが何をインターネットに求めていたのか、一方日本はどうだったのか、も描かれている。
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2020年10月28日読了。かつての「パソコン通信」の時代から、10年ごとの日本のインターネットをめぐる言説と人々の変化をたどる対談本。ウィンドウズ95発売とかADSLの搭乗とか、イベントは覚えてはいるのだが、インターネットを巡る肌感覚というか、「何を感じながらインターネットを使っていたか」という感覚は、10年もするとすっかり忘れているというか、実感が遠くなっているものだ、と感じる…。「世界がフラット化する」「国家がなくなる」といったフリーダム的な議論は今となっては懐かしいし「夢物語」「現実は格差と断絶を助長するだけ」と批判もできるが、当時は真面目にみんな議論していたし、インターネットに輝く未来を感じていたものだったんだよな…。過去は放っておいても忘れられたり改変されたりするものだから、記憶しておく努力、はしていかないといかんな。
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昔話話してるのを隣で聞いてるような感覚。さすがに生まれる前のことは分からないのでふーんと思って読んでたがあとはそうだよね〜的な感じだった。
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インターネットの技術的な歴史ではなく、インターネットについて何が語られてきたかが書かれている。80年代から、10年ごとに章立てしてある。数多くの情報を羅列するスタイルで、ひとつひとつを深く掘り下げることは少ない。以下内容メモ。
・アメリカにおけるインターネットは、サイバースペース独立宣言などに明らかなように、ヒッピー文化と関わりの深い思想的なものだった。
・一方、日本では思想的な側面はあまり注目されず、サラリーマンのホビー的なものとして受け入れられた。
・パソコン通信はインターネットではない。各サービスごとに閉じていて、それぞれに掲示板などがあった。
・日本でインターネットが一般化したころのメインのユーザ層は、音楽やサブカル好きみたいな人たちだった。エヴァの後あたりで、アニメオタクのユーザが急増した。
・インターネットはサイバースペースとも呼ばれるように、現実とは別の「空間」としてとらえられてきた。しかし東浩紀も指摘するように、インターネットに関して空間の比喩は適切ではない。
・疑似同期の話。ライブ中継ですら「疑似」である。
・インターネットは「バカと暇人のもの」になってしまった。「みんながプログラマ」みたいな理想は実現しなかった。
・初音ミクのPは、やる夫シリーズに見られたような匿名の創造性とは別物だ。昔ながらの音楽業界の成り上がりシステムである。
・MMO全盛期のゲーマは、ゲームという、現実とは別の空間を生きていた。ソシャゲではそういう感覚は薄い。現実にかぶさるひとつのレイヤーとしてある。
・PVを稼げばいい、動員すればいいという風潮は、さまざまな問題を引き起こしている。
・錯覚させるメディア。たとえばナタリーは、読む人によってperfumeに強いメディアに見えたり、電気グルーヴに強いメディアに見えたり、異なって見える。意図的にそのように作っている。
・海外のメディアは、「何々が選ぶ100枚」みたいな特集を組んで積極的に価値判断を打ち出している。日本ではメディアは価値判断をあまり前面に出さずフラットでいようとしがち。
・各アプリで情報が閉じていて、グーグルが検索の対象にできない領域も大きくなってきている。相対的にグーグル検索の重要性が低くなっている。the web is dead.
・映像言語をどうとらえるかも重要である。インターネットについて語られることは文字情報にかたよっている。 -
大学図・1F開架 547A/B25b
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面白いが、知らないことが多かった。
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80年のインターネット前史から、
2010年代のインフラとなったインターネットまでを
二人の視点で語る。
コンピューターも通信も高価で、
コードを知っていることが前提にあるような頃に
インターネットが持っていた意味と、
ビジネスに利用され、誰でもが意識することなく生活の中で使う今では
まったく違っている。
生まれたときからネットが当たり前にある時代では
ネットは別の世界として独立したものではなく、
ネットそのものについて考えることもなく、
結局、数が多ければ勝ち、みたいな場所に
行きついてしまうというしょうもなさ。
倫理はどんどん見えなくなって、扇動が目的になっていく。
おもしろいから数が集まるのではなく、
数を集める(そしてお金が集まる)ために作られるという倒錯。
だったら嘘でもいいのかよ、
というところまでネットの質は落ちている。
一般の人でもネットから何かができる、という状態だったのが、
結局ネットの上でも、
突出した個人とそれ以外という構図が出来上がっていく。
ネタとして扱っていたものを、本気で信じる人が出る。
グーグルが検索できたワールドワイドな世界も、
TwitterやLINEという、検索で見えない閉じた世界が拡張していく。
ウエブの主体も文字ではなく映像や音楽へと移っている。
今後インターネットを倫理と設計の問題として
語れる世代は少数派となっていく。
確かに、ただの道具になった敷居の低い今のネットについて、
考えることはなくなっていくよね。
でも依然としてネットは、コンピューターやプログラムの知識で
何かを起こせるもので、
どんどん複雑になり生半可なアタマでは追い付かず、
影響力も広範囲で大きい存在でもあるはず。
考えもなく信用して気軽に使っているには
危険なものであることに変わりはないし、
とりあえず意識くらいはしておかないといけないよ。 -
んーーー。
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前半はつまらなくて、後半はモヤモヤして終わった
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さやわかさんは「さわやか」さんだと思ってた。読んでる途中で気付いた。ムーノーの頃からだからかれこれ十年以上も勘違いしてた。
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インターネットがどのように語られてきたかについて、その実感をメインに交えて語られた本。
大まかな流れのようなものを再認識できる。 -
インターネット史に対する人文的な考察。池田さんにしろこういう本は好物。
でも2017年に書かれた本、しかも言説史であるにも関わらず大統領選やフェイクニュースについてほとんど言及がない。この部分の考察をもうちょっと読みたかった。 -
これと「インターネットの教科書」は貴重本
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インターネットの40年を言説史の視点から振り返った一冊。メディア論として最高に面白い。膨大な資料を基にネットが商業化した先の弊害に辿り着く構成はIT業界で働く者として読んでいて苦しかった。でも読んで良かった。ウェブは本当に終わってしまうのだろうか?自分に出来ることを考えたい。
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主に文化の側面から見たインターネットの本。イベントでも言ってたけど、インターネットについて語る人、技術の人とビジネスの人しかいない問題があって、文化としてのインターネットを、しかも80年代から通貫して語れる二人は重要人物だと思う
今のネットの現象や人々の言動に感じる違和感が的確に言語化されてて納得する。
「人々がどんどん倫理観をなくしていきながらも、なぜか規範意識だけが高まるという謎の現象」とか。 -
【Amazon内容紹介から】
津田大介さん推薦(帯文)
〈「インターネット民俗学」の泰山と北斗が織りなす知られざるインターネット言説史。“失われた20年"のインターネットは、あまりにもいびつでチープ&アナーキーだったが、愛すべき混沌に満ちた豊穣な空間だった。〉
【簡易目次】
第1章 80年代編 インターネット前史
第2章 90年代編 アングラ・サブカルチャーとしてのインターネット
第3章 00年代編 商業化するインターネット
第4章 10年代編 インターネットにミネルヴァの梟は飛んでいるのか?