- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784750515441
感想・レビュー・書評
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ケインズを誤解してた、というか理解してなかったんだな
おれw -
非ゼロ和ゲーム。ピザはみんなでシェアできたほうがいいし、そのピザが大きければもっといい。欧州左派に学ぶ経済のデモクラシー。分配と成長の両方、反緊縮政策について考える本。
理想と現実の両輪を回さないと左派は勝てない。マイノリティの権利や性差を埋めることは大切にしてきたけれど、経済を大事にしてこなかったからこそその格差が新しい差別を生んでいる事実。イギリスではチャヴ、日本ではB層やロスジェネ、成熟社会モデルじゃ救えないよな… -
東2法経図・6F開架 331.6A/B71s//K
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経済運営で何とかいっている安倍政権。ただ、消費増税圧力に抗うことは難しく、東京五輪後の景気後退に対処できないとの予測は明快。では、対抗勢力は何をすべきなのか――という一考に値する内容。
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うーん、俺Leftだから、当然反緊縮だよ?
弱者だからこそ保護が必要だと思う側だ。
だから、この本でいうLeft1.0的なことを、この本で言う「日本型リベラル」が主張してないとも、ましてや緊縮を主張してるとも思ってないんだけど、
いわゆる「フツーの人たち」がLeftを批判している文脈が理解できたのは良かった。
Leftは緊縮を主張してると思われてるんだな。そりゃ排斥されるわ。
ぼくとしては「安倍政権はセイの法則だよりで、金融で反緊縮してるけど、効くわけがない。使う人間に直接分配しなきゃ、需要は喚起できない。成熟社会で、供給が需要を生む筈ないだろ?」ってこと
また(若干の違和感はあるけど)右派は人々を左右に分けて区別し、Leftは上下に分けて区別をしてる。というのも、なんとなくわかった。
この本の主張は「もう安倍政権はこのまま完全雇用まで走り抜けるから、Leftは出る幕ないね」というもので、ぼくもトキすでに遅し。と覚悟せざるを得なかった。 -
【版元】
http://www.akishobo.com/company/
【メモ】
・松尾さんサイトから。
http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__180709.html
【簡易目次】
第1章:下部構造を忘れた左翼
第2章:「古くて新しい」お金と階級の話
補論1:来るべきレフト3.0に向けて
第3章:左と右からの反緊縮の波
第4章:万国のプロレタリアートは団結せよ!
補論2:新自由主義からケインズ、そしてマルクスへ
【抜き書き】
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はじめに 経済にデモクラシーを!
ブレイディみかこ
昨年、クリスマス前の英国の書店に堆く平積みされ、多くの人々が友人や家族にプレゼントしていた本があった。わたしも目の前で、大学生ぐらいの若い女の子が三冊まとめてレジに持っていく姿を見た。その本の題名は『Talking to My Daughter About the Economy : A Brief History of Capitalism』といい、著者はギリシャの元財務相で経済学者のヤニス・バルファキス。一〇代の娘のために彼がやさしく経済について語るというコンセプトで書かれた本だ。そのまえがきには、こんなことが書かれている。
「誰もがきちんと経済について語ることができるようにするということは、善き社会の必須条件であり、真のデモクラシーの前提条件だ」
他方、スペインには「欧州の新左派」と呼ばれるポデモスという政党がある。その党首、パブロ・イグレシアスは「経済にデモクラシーを」という言葉の提唱者だ。この言葉のとおり、欧州の左派の間ではデモクラティック・エコノミーというコンセプトがさかんに議論されている。
「きっとそれは左派っぽい経済改革のことで、貧困対策の分配をきちっとやって弱者を救いましょうとか、ブラック労働をなくしましょうとか、そういうことを言っているんでしょう」ぐらいに思っていると、ポデモス提唱の経済政策を見るとびっくりするだろう。「EUの安定・成長協定にフレキシビリティーを要求する」「欧州中央銀行の財政ファイナンスを妨げるルールの変更」「スペイン憲法の財政均衡ルールの廃止」と、がっつりマクロなことが書かれているからだ。
前述のヤニス・バルファキスもポデモスと同様の経済政策を唱えているし、ついに支持率で与党を抜いた英国労働党の党首ジェレミー・コービンも彼らと志を同じくしている。
こうした欧州の左派が主張するデモクラティック・エコノミーの概念は、経済活動に関する決定権を社会で広く分散し、人々が自らの人生に主導権を持って金銭的安定を確保できる経済を実現しようという考え方だ。政治制度としての民主主義がある程度確立されたとしても、経済的不平等が存在すれば、民主主義は不完全である。その経済的なデモクラシーの圧倒的な遅れこそが、トランプ現象やブレグジット、欧州での極右勢力の台頭に繋がっているとすれば、いま左派の最優先課題が経済であることは明確である。これが欧州の左派の共通認識だ。
さて、そうした認識を持った左派がダイナミックに活動している欧州に住むわたしが、日本に帰省すると違和感をおぼえることが往々にしてある。
まず、左派の人があまり経済に関心を持っていない。というか、経済を語ることは左派の仕事ではないと思っているように感じられるときがある。また、「経済成長は必要ない」という非常に画一的な意見を耳にすることが多い。
「では貧困や格差の問題には興味ないの?」と聞くと「分配は重要」という答えが返ってくるのだが、「成長とかもうあるわけがない」「これからの日本は内面を豊かにせねばならない」と彼らが言う社会で、どうやっていま苦しんでいる人々のために実質的な分配をおこなっていくのかは不明瞭である。
この経済に対するぼんやりした態度は、近年の欧州の左派とは真逆と言ってもいい。
まあそれでも欧州に追随することはないのだし、日本には日本独特の左派がいてもいいが、しかしそうも言っていられなくなるデータがある。スコットランドのグラスゴー大学教授アンドリュー・カンバースが二〇一七年に発表した、まさにデモクラティック・エコノミーの達成度合いを測る指数と言える「経済民主主義指数」のリストを見ると、日本はOECD加盟の三二ヶ国の中で、下から四番目なのだ。日本の下には債務と緊縮で疲弊しているギリシャがいて、その下にはトランプの米国がいる(ちなみに最下位はスロバキアだった)。
これは何を意味するのだろう。つまり、日本は世界で経済的に最も不平等な国の一つであり、「経済にデモクラシーを」後進国であるということだ。日本人の家計金融資産が史上最高の一八三二兆円と報じられている一方で、家庭を持ったり子どもをつくったりするのはエリートのすることだと思う若者たちが存在し、就職氷河期に社会に出ることを余儀なくされたロスジェネ世代が忘却され、シングルマザーたちが毎月の生理用品を買うために食事を抜いているということだ。
こんな社会に生きる左派を名乗る人々が「経済に興味がない」と言うのは、日本独自の風土とか歴史的事情とかいうより、単に無責任なのではないだろうか。
日本の左派の人々と話していると、彼らの最大の関心事は改憲問題であり、原発問題であり、人種やジェンダー、LGBTなどの多様性と差別の問題だ。こうしたイシューは社会のデモクラシーを守るために重要だと考えられているが、経済はデモクラシーとは関係のない事柄だと思われている。これは日本があまりにも長い間、なんだかんだ言っても自分たちはまだ豊かなのだという幻想の泡に包まれてきたせいもあるだろうし、豊かだった時代への反省と反感が強すぎるせいかもしれない。
だが、これほど歴然と経済にデモクラシーが欠如している国であることが明らかになっているのに左派が経済に興味がないという状況は、国内経済の極端な不均衡が放置されている事実ときれいに合わせ鏡になっているように思える。豊かだった時代は良くなかったと思う人々もいるかもしれないが、豊かだった時代を知らない世代もいるし、豊かだったはずの時代から現在まで一貫して貧しい人々もいる。
そして左派とは本来、社会構造の下敷きになっている人々の側につくものであり、不公平は不可避だという考え方を否定するものではなかったのか。
「誰もがきちんと経済について語ることができるようにするということは、善き社会の必須条件であり、真のデモクラシーの前提条件だ」とヤニス・バルファキスは書いた。
欧州の左派がいまこの前提条件を確立するために動いているのは、経世済民という政治のベーシックに戻り、豊かだったはずの時代の分け前に預かれなかった人々と共に立つことが、トランプや極右政党台頭の時代に対する左派からのたった一つの有効なアンサーであると確信するからだ。
ならば経済のデモクラシー度が欧州国と比べても非常に低い日本には、こうした左派の「気づき」がより切実に必要なはずだし、時代に合わせて進化を遂げようとしている海外の左派の動きを「遠い国の話」と傍観している場合でもないだろう。わたし自身にとり、間接的、直接的に『ヨーロッパ・コーリング』以降の執筆活動の核であり続けたこのテーマを、経済学者の松尾匡さん、社会学者の北田暁大さんと日本で語り合う幸運な機会に恵まれた。この本は、英国在住の市井のライターが、お二人から多くの貴重なことを教えていただいた時間の記録でもある。
本書が、日本に「真のデモクラシーの前提条件」をつくるための助けとならんことを祈っている。
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