積読こそが完全な読書術である

著者 :
  • イースト・プレス
3.38
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本棚登録 : 1001
感想 : 69
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784781618647

感想・レビュー・書評

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  • 前半は辛抱。
    後半ようやく楽しめた。

  •  「ビオトープ」が本書の数あるキーワードのなかで、最も合点がいった。ビオトープとはウィキペディアによれば「有機的に結びついた生物群。すなわち生物社会(一定の組み合わせの種によって構成される生物群集)の生息空間」と位置づけている。別の表現をするならば「周辺地域から明確に区分できる性質を持った生息環境の地理的最小単位」とのこと。
     ビオトープの中にいるのは「生物」である。このことが改めてポイントだろう。生物はそれぞれが運動するがゆえに影響しあうということ。積読状態にある書物群をビオトープに喩えているということは、ビオトープを構成する生物が一冊ずつの本であり、本は静的なモノではなく動的な運動体である。
     読んだかどうかではなく、あなたの本はビオトープの中で運動しているか? が問われている。運動しあうように積読をデザインすることが重要。運動するかしないかはビオトープをデザインする主体であるわたしたちの手にかかっている。わたしの知的世界が積読ビオトープであり、積読ビオトープがわたしの知的世界に刺激を与え続ける。
     そのようなものがビオトープだと考えると、今自宅の約3,000冊からなるビオトープは運動をやめることなく、いまだ干渉しあっている。読んでいない本はおよそ半分。著者が言うような読んでいない本へのうしろめたさはない。うしろめたさと決別するには本を読まねばならぬものととらえるのではなくビオトープの一部ととらえること。であれば、折に触れてビオトープを手入れするのが最低限必要なことだとあらためて思えた。

  • 割と面白かった

  • これまで私が読んだ読書論や読書観とは異なるアプローチで読書を解説してくれる本だった。参考文献等が豊富でよく勉強して考察をしている事が伝わってくる。ただ少し脱線したり本筋とズレるところもあったような印象は受ける。読書観について半学術的な見方をしてみたい方、考えてみたい方、読書観を広げたい方にオススメ。次にどんな本を読もうかなと考えるきっかけにもなった。

  • 情報の濁流の中で

  • 屁理屈

  • 読書や本についての話から、積読への繋がりを示すために様々な本が引用されていて、それだけでも面白い(参考文献リストだけでも面白い)。

  • (01)
    さしあたり最新の読書論として愉しく読むことができる.書店で購入した後,積んでおくことなく,即,読んでしまった.
    本書で用いられる隠喩(*02)のひとつに建築的な言い回しがある.同様に建築的に譬えるのであれば,本書は,間口は広く,奥行が深い構成をもっている.タイトルに読書「術」としてあるように,読むことや積むことの技術のほかに書物がもつ魔術性についても触れているが,ハウ・ツーの体裁をもって読者に広い間口を通じて呼びかけ(*03)てくる.
    しかし,広い間口に誘われ,この書物に入り込んだところで,それなりの奥行の深さがあることに気が付き,嬉しくなる.書物の害悪をめぐってソクラテスとプラトンとの矛盾する立ち位置や,近代の印刷技術と製紙技術が可能にした紙ベースの以前にあった重量感のある書物の物性など,歴史的なパースペクティブもきいている.また,ショーペンハウアー,ジッド,アドラー,小林秀雄らによって提起された近代の読書とその環境をめぐる所論や異論を紹介しながら,21世紀の幕開けにおいてベストセラーとなったバイヤール『読んでない本について堂々と語る方法』のよい解題にもなっている.本書を手がかりとして,読書界のさらなる深みへと入り込むこともできるだろう.

    (02)
    本書のキーワードであり,主要なテーマとして取り上げられたのは「積読」である.この「積読」に眠る積極性を惹起し,積んでいることに関連する状態をさすために,さまざまな比喩や言い換えが用いられている.
    ビオトープ,森,山,いけす,自律的積読環境,新陳代謝(メタボリズム!*04),庭といった語彙がその言い回しにあたる.また,「情報の濁流」というたとえが,積読に対立しつつ,積読という術の前提となり,積読を脅かす不安の根源ともなっている.濁流の濁(だく)は,ノイズの他律性を印象させつつも,読み進めるうちに,読書の読(どく)と通じはじめる.そのセンシティブな言葉遣いが,本書の大胆な着想をわたしたち読者のうしろめたい地平に着地させていることにも驚く.著名な作家,哲学者,論者の面々を引きつつも,それらの言説へのスタンスや位置取りには公平さがあり,フェアネスや中庸なバランス感覚にも新時代の読書を予感させるものがある.
    ビオトープは,ランドスケープ批評に慣れ親しんだわたしたちにとっては馴染み深い概念でもあるが,このような文脈でいきいきと語られ,泳ぎ出すことを想像していた者はいなかったであろう.

    (03)
    本書の140ページには,未読や積読にある書物が「いまあなたに呼んでほしい」と語りかける様子について論じられている.この「呼んで」は,後段の同様の文脈からすれば,「読んで」の誤字であるかもしれないが,意図的な誤りなのかどうかは定かでない.世代を超えて存在する重要書や古典は,確かに,読まれるとともに「呼ばれる」べき書物でもあり,本の側からすれば,読者をいまも呼んでいる積もりであるのだから,という弁解も成立しそうなところが面白い.
    悪貨と良貨の関係にある流通や貨幣経済の原則を,悪書と良書に置き換え,濁流と積読との関係にもフローとストックを示唆しつつ,ファストとスローの時間性の議論に持ち込んでいる点も興味深い.エピグラフ?として引用されたデリダにも読み取れそうな,「読むこと」と「書くこと」の時間的な断絶と,時間の堆積の高低による「崖」を考えるきっかけになるのかもしれない.

    (04)
    新陳代謝は,日本近代の建築において主唱されたメタボリズムを想起させる.自律性に擬えたその建築運動は,本書に照らし出されたショーペンハウアーの「自前」や,自己言及性あるいはメタ言及のようノリツッコミ,オートポイエーシスの問題にも踏み込んでいるようにみえる.
    自己の言説によって自己のまさにその言説に楔を打ち込むようなノリとツッコミは本書にも散見され,にやりとさせられる.つまり,積読を推奨する本書が,閉じられたまま読まれずに積まれてしまうのではなく,まさにいま読まれているという読者側の情況を皮肉のように炙り出す効用がここにある.
    自身(セルフ)の積読環境である蔵書に直面し,都度,走査(スキャン)をかけながら自律的に蔵書を代謝させ,本たちの位置づけをマッピングすることで得られる自身は,生態的でもあり未来的な主体でもある.本棚や蔵書の顔ぶれを変容させ,外界や他者との距離を日々更新するようなマッピングによって,わたしたちはどんな事態を招来するのだろうか.メタモルフォーゼする積読環境に映されているのは,自身そのものの姿なのかもしれない.

  • イキりすぎ

  • 積読を正当化してる暇があったら、さっさと後ろに積んである本を読んでけ、というのが感想。今の自分に刺さるものはなかった。

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著者プロフィール

永田 希(ながた・のぞみ):著述家、書評家。1979年、アメリカ合衆国コネチカット州生まれ。書評サイト「Book News」主宰。著書に『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス)、『書物と貨幣の五千年史』(集英社新書)。

「2023年 『再読だけが創造的な読書術である』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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