子どもの話にどんな返事をしてますか? ―親がこう答えれば、子どもは自分で考えはじめる

  • 草思社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794214515

感想・レビュー・書評

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  • 子供と接する時にどういった対応ができるか。
    私の場合は歳の離れた姉妹にどういったことができるかを考えて購入した一冊。
    若干理想が高いかもしれないけれど的を射ている内容だと思います。

  • 子どもを育てている親にとってこれ以上の指南書はないと思います。普段の何気ない言葉が子どもをキズつけていたり、不安がらせていたり。溢れるほどの愛情があるのに子どもに伝わらないのはなぜか、言葉のもつ力に気づかせてくれます。
    「愛だけでは十分ではなく、直感だけでも不十分である。良い親は子どもとの関わりの中で特別なコミュニケーションのスキルを必要とする」と筆者は語っており、子どもとの様々なやりとりの例を具体的に挙げて、その時の子どものふるまいと感情にどの様な差があるか、親はその時にどう受け止めどんな言葉で伝えるべきか、を指南してくれています。
    読んでいると”あぁ、あれはこういうことだったんだ!”と気づくことが必ず見つかるハズです。
    自分も子どもの頃に感じたことのある気持ち。それに気づかせてくれ、子どもの目線でしっかりと考えられるようになります。
    素晴らしい子育てのバイブルです。

  • 本当に納得できる内容だし、一生懸命読んだけど、どのくらい実行できるかは、自信ないなあ・・・
    かたい頭を変えるには、なんどもなんどもかき回す事!

  • 子どもが不作法なふるまいをする時、心にわずらわしい感情がわだかまっている場合が多い。従ってふるまいを改善させるには、まず感情をどうにかしてやらねばならない。子どもは気持ちが落ち着いている時だけ明晰に考え、正しく行動することができる。感情は払いのけても消えない。聞き手が共感と理解を持ってそれらを受け入れてやると、緊張がやわらぐ。
     子どもが家に帰ってきて、友達や学校のことについて不平を言ったら、事実を確かめようとするより、子どもの気持ちに反応した方がよい。”不愉快な1日だったのね”

     ほめる対象は子どもの努力や成果であって、性格や人格ではない。”あなたはいい子ね”というのは全く的外れで不適切。親が子どもの何を評価しているのかを具体的に述べ、子どもがそれを聞いて肯定的な自己イメージを作り上げていくことが、心の健康を支える土台になっていく。
     利口だとほめられた子が、自分の高い評価を落としたくないばかりに、難しい課題に挑戦しなくなる、ということは珍しくない。反対に自分の努力をほめられた子は困難な課題にもっと取り組むようになる。

     親が子どもを批判するのは子どものためにならない。批判は怒りと恨みを生む。子どもに口やかましく言ったり押しつけたりしても無駄であることを、親は肝に命じなければならない。
     子どもにとって”どうして?”は親の失望や不満をあらわす。”どうしてそんなことしたの?”という単純な質問さえ、”一体全体なんでそんなバカなことをしでかしたんだ?”という含みがある。
     すでに答えのわかっている質問するのはよくない。”部屋の掃除はしたの?”ではなく、”部屋の掃除はまだね”の方が好ましい。
    批判するのではなく導いてやる。可能な解決策を提示する。

  • 著者にとって都合のいい会話シュミレーション」が続き、
    裏づけが乏しいがゆえに「本当にそうか〜?」
    と思ってしまう。

    実際に子育てをしている人には共感できる部分
    があるのかもしれない。

  • 今まで読んだ教育書の中で最高の教育書でした。

    ●すべては不安から始まる。
     不安→不満→不信→反逆の経路。サタンが神様に反逆するまでの経路だ。すべては不安からはじまる。この不安を如何にキャッチできるかにすべての人間関係がかかっている。
    「捨てられた子供の数はどれくらい?」=「自分は捨てられるのではないか?」
    「このきたない絵、誰が描いたの?」=「きれいに描けなかったらどうしよう?」
    「だれがこのおもちゃ壊したの?」=「壊してしまったらどうなるのだろう?」
     不安から心理を読み解く。それを解消するように答える。
     感じているままに受け止めて受け入れてあげる。同じ言葉、同調→安心

     一方は批判と指示、一方は否定と懇願。
     「分かってもらえない」という思い→怒り、非協調を産む。
    子供たちはその瞬間に感じていることを理解してもらいたがっている。行動ではなく気持ちに反応しよう。
     子供は対処しきれなくなると怒りだす。苦境を人のセイにして責める。それが親を怒らせる。怒った親は子供を責める。結局問題は解決せず、双方に嫌な気分だけが残る。
     子供の怒りの背後には不安、恐れ、絶望、無力感という感情がある。そこに共感と理解を示すと緊張が和らぎ、とげとげしさが消える。

    ●責めるんじゃなくて理解する。
    例)「私、算数ができないの?」なんと答えるか?
    ×「そうね、あなたは数字に弱いものね」
    ×「もっと勉強しなさい」
    ○「算数ってむずかしいよね。」

    例)「ぼくはバカだ。」
    ×「おまえはバカじゃない」
    ○「そう思うのか?」

     子供は、親を愛すると同時に恨んでいる。愛されたいという思いと愛されなかったという思いは表裏一体だ。そうした相反した感情があってもいいのだと受け入れてあげることが必要。

     情操教育とは、自分の情、感じていることをはっきりとわかることを教えること。すなわち同じ情を感じて共感してあげることによりそれがわかるようになる。分かってこそコントロールできるようになり、混乱が少なくなる。
     その反対は、情操教育をしないということは、自分がどんな感情を抱いているか気づけないような教育である。憎しみを持てば、好きになれといわれ、恐れを持てば、恐れるなと言われ、痛みを感じると我慢しろと言われた。偽りの感情を持つように言われたのである。
     子供は鏡に映った姿を見て、自分の外観を知る。感情も同じである。あるがままに受け入れてあげることにより、自分の情を知るのだ。それは親の役目である。ひどければひどい姿が映る。それをどうするかは本人が決めるだろう。親は子供の感情の鏡となってあげることが百の説教より必要なことだ。

    「おまえはとても怒っているようだ。」
    「おまえは彼を嫌っているようだ。」
    「おまえは何もかも嫌になっているようだ。」

     思いやりのあるコミュニケーションでは、感情という癒しの鎮痛剤が、批判、説教、忠告にとって代わる。しかし多くの場合、子供が悩んだり、恐れたり、混乱したり、悲しんだりすると、急いで判断を下し、忠告する。そこには批判が込められる。それはすでにある苦しみに、さらなる辱めを加えているのと同じなのだ。

    ●褒めることは薬と同じ
    「おまえはいい子だ。」「すばらしい」とは言わない。それはいい子でなくてはならない、すばらしくなくてはならないというプレッシャーを与えることになる。そうした言葉は不安を生み、依存を招き寄せ、防衛的にさせる。自主性や自信は他者の判断によってではなく、内的な動機や評価によってはぐくまれるものだからだ。でないとその子供は他者からの承認を常に必要とする存在になってしまう。

     褒めることは薬と同じ。ルールや注意を必要とする。
    褒める対象は子供の努力や成果であって、性格や人格ではない。
    いいことをしたからといっていい人間ではない。
    いい人間とは、いい子とか、いい娘とか軽はずみに言ってはならない。
     人の評価は自分にとって何にもならないということだ。自分の評価、確信がすべてを決める。

     親が子供の何を評価しているかを具体的に言う。子供はそれを聞いて自分に対する肯定的イメージを創っていく。そのことが心の健康を支える土台となる。自分に対する肯定的な見方が、周囲や環境や社会に対する肯定的な見方を創りだしていく。

     小さな不運は小さな不運として指摘する。些細なことで大げさに叱らない。それが価値観を教えることに繋がる。
     子供を批判するのは子供のためにならない。批判は怒りと怨みを生む。頻繁に批判された子供は自分を非難するようになり、他人や回りを非難するようになる。非難を学んでしまうのだ。自分の価値を疑うことを学び、他人の価値を見くびることを学ぶ。人を疑い、他人の不幸を期待することを覚える。

    ●罵倒は毒矢である。
     醜いとかバカとか不器用と言われると、心と魂に反応が起きる。怨み、怒り、憎しみが湧く。そして復讐したいという幻想を抱く。その結果、問題行動が起こる。
     言葉による攻撃は、親子を共に惨めにする連鎖反応を生み出す。
     親や教師に繰り返し「頭が悪い」と言われると、子供はそれを信じるようになり、自分をバカだと思い始める。すると、知的な努力をあきらめる。他人に嘲られないよう、競うのをやめようと思う。挑戦しないことによって自分の安定を得ようとする。「挑戦しなければ失敗もない」と考えるようになる。
     その破壊的効果に気づかず、子供を否定しけなす親は多い。

     子供を教育するときに、親の怒りが重要な役割をする場合がある。怒るのが必要な瞬間がある。関心があるがゆえに怒りがある。
     親も怒りをあらわにしてもいい。ただ、感情をはっきりと言葉で述べる必要がある。「私は怒っている。」「嫌な気持ちがしている」とか「私はイライラしている」など。過去の不満を持ち出したり、古傷にふれたり、ののしったり、批判したりせず、ただ自分が怒っていることを述べればいい。その時は愛がなくなっても、愛の喪失が一時的なものだとわかるだろう。
     
     子供は親が映し出す自分のイメージを疑う理由を持っていない。親はしばしば子供に、怠け者、軽率、わがまま、無神経、無責任、といったレッテルを貼るが、子供たちは親のそうした否定的な評価さえ受け入れる。親の否定的な描写は、子供の自己イメージを簡単にゆがめてしまう。
     子供たちに自分は特別だと感じさせることの大切さ。「おまえは驚異だ!おまえは奇跡だ!この世が始まって以来、おまえと同じ子供は一人もいない!」「おまえはこういうことができるんだなあ、こういうことが感じられるんだなあ。」子供は自らの能力を自覚する。
     
     責任感は長年かけて、ゆっくりと習得される。しかし、それはかなり幼いうちから始められる。大切なのは、いろいろな物事で子供に選択を任せ、出来るだけ自主性を身につけさせること。

    ●食べ物の好き嫌いについて

    ●服装について
     服装の趣味について口を出すべきでない。10代の子供は挑発的な服を着たがる時があるが、そんなときは、服装のもつメッセージを考えよるよう、うながすのがいい。

    ●宿題について
     宿題は子供の責任においてなされるものであることをはっきりと伝える。
    「あなたみたいに注意散漫でなければ覚えているのにね」「先生の言うことをちゃんと聞いていれば分かるはずよ」と言ってはいけない。(あなたは注意散漫で先生の言うことを聞いていないという批判になる)
     子供は旅行者である。親は自力で目的地にたどり着くのを手助けするだけだ。

     アンドルーは勉強が遅れていた。学校からも指摘があった。父はこっぴどく怒った。
    「今日から毎日宿題をしろ。土日も勉強しろ。テレビもゲームも禁止だ。友達の家に遊びに行くのもゆるさん。ちゃんと勉強してるかどうか、父さんが毎日確かめるぞ」
     アンドルーの反抗は増し、言い逃れや隠し事の名人になった。

     父は態度を変え、脅しや罰をやめた。そしてこう言った。
    「私はおまえにもっと見聞を広め、知識を身につけてもらいたいんだ。世界は有能な人間を必要としている。まだ解決しなければならない問題がたくさんあるからだ。おまえもきっと役に立てるはずだ。」
     アンドルーは心を動かされ、これからはもっと真剣に勉強にとり組むと父に約束した。

     多くの有能な子供たちが、親の期待に対する無意識の抵抗として、勉強に遅れ、悪い成績を取っている。親が子供の成績にあまりこだわりすぎると、子供の自尊心が脅かされる。若き反逆者は親の目標を達成しないことで、自立の感覚を達成しようとする。自立と独自性を求める欲求が、子供を失敗へ追いやる。親はテレビやこずかいをとりあげることはできても、落第点は取り上げられないと。

    ●お小遣いについて
     お小遣いは、行儀良く振る舞った褒美や、雑用のお礼として渡してはならない。
     お小遣いは、お金を使って、選ぶことや、責任をとることを学ぶための教育の道具である。
     お小遣いの額は、どういう出費をカバーするのか取り決める。
     無駄遣いが発覚したら、解決法を話し合う。
     お小遣いは、子供を支配し、プレッシャーをかけるための道具にすべきでない。気分であげたりあげなかったり、罰として取り上げたりすべきでない。

    ●習い事について
     習い事を間違いを批判するためのものとしてはならない。楽器なら楽器を習得するスキルを身につけるためには、間違いを責めるべきではなく、努力を褒めてあげる必要がある。間違いは直すためにあるのであって、子供の能力を攻撃する材料ではない。
     懇願もせず、脅したりせず、何をすべきか(「もっと練習しなさい」)も言ってはならない。
     「もうやりたくない」と言ったときにけちをつけない。
     親が子供の気持ちや意見を尊重してやると、子供はしばしば親の願望を考慮するようになる。
     練習するのは子供の責任だと考える。
     子供は自分の困難が理解され、評価されていることがわかると、最も勇気づけられる。

    ●しつけについて
     しつけの基本は、罰に代わる効果的な方法を見いだす事にある。
     親が子供を罰すると、子供は腹を立てる。自分自身や親を憎みはじめる。
     怒りに満たされ、怨みを抱いた子供は、何も聞くことが出来ないし、集中できない。
     したがって、しつけは怒りを生み出すものは避け、自分や他人を敬う気持ちや自信を高めることを育むようにしなければならない。
     多くの親は、自分たちが吐くどんな言葉が子供を傷つけるのか自覚していない。懲罰に頼るのは、智恵(子供を攻撃せずに困難な状況を扱う方法)がないからである。

     子育てには、子供が感じていることを理解する能力、すなわち共感の能力が非常に大切な要素となる。子供はスキルと知識を持った親を必要としている。しつけは外科手術と同じように正確さを要する。でたらめな手術をやってはならない。不注意な攻撃は避ける。
     ある母親は言った、
    「私は子供にやめさせようとしていることを自分がしていることに気がつきました。騒ぐのをやめさせるのに、声を荒げて騒いでいる。

     親に罰せられた後で、「行いを改めよう。罰してくれる親を喜ばせたいから、もっと責任を持ち、協力的になろう。」と自分に言い聞かせる子供はいない。

    ●寛大と甘やかしの違いとは?
     寛大さとは、子供たちの子供っぽさを受け入れる姿勢である。それは、「子供が子供であること」を受け入れることだ。寛大さの本質とは、子供はあらゆる種類の感情や願望を抱く権利を生まれながらにしてもっているという事実を受け入れることだ。
     子供は自分がどう感じるかをコントロールできない。しかし、それらの感情を表現する方法には責任がある。子供は自分の感情には責任を持てないが、自分のふるまいにだけは責任を持てる。
     甘やかしとは、好ましくない行動を許すことである。あらゆる感情を許し、受け入れることは、子供に自信をもたらし、気持ちが考えを表現する能力を高めていく。しかし、甘やかしは不安をもたらし、かなえられない特権を求める要求をエスカレートさせていく。
     感情を許し、行動を制限しよう。ほとんどのしつけの問題は怒りの感情と怒りの行動からなっている。この二つは別個に扱わなければならない。感情は認めてやり、処理する。行動は制限し、方向を変える。
     例)壁に絵を描いてしまう子供。なんと言い、どうするか?
    ◎たたくかわりに、「だめよ。壁は絵を描くところじゃないの。絵は紙に書くのよ。ほら、この紙をあげるから。」
    ×たたく。或いはこう言う。「何してるの!壁を汚しちゃいけないくらいわからないの!ほんとにどうしようもない子ね!」

     親が子供に制限を課すのは怒った言い合いの最中で、一貫していないことが多い。子供が親の言うことを聴ける状態でないときに、屈辱的な言葉で、反感を招くようにしつけがなされる。それで子供たちは行動を既成されたとは思わず、人間として否定されたと思うのである。

     子供たちは、許される行為と許されない行為をはっきり決めてもらう必要がある。許される行為の境界を知っていると、安心する。
     許容される行動・・・子供の未完成からくるところの失敗、過ち。将来改善が見込まれる場合。特別なストレスから来るもの。事故、病気、引っ越し、友との離別、家族の死、離婚など。
     許容できない行動・・・家族や周辺の健康と安全、経済的な安定を脅かす行動。法律、道徳に反する行動。

     子供は反社会的衝動を持つ。親はそれを制御する子供の闘いに味方しなければならない。境界を定めることにより、子供に手を貸すことになる。衝動を恐れるな、私が守る。
     制限を課すときは、本気であることが伝わるように、毅然として言い渡す。
     ノーというプロセスは、侮辱ではなく、権威を伝えるべきだ。具体的な出来事を扱い、子供の性格をとやかく言うべきでない。
     
    例)子供とデパートに行った。母親が買い物をしている間、子供はおもちゃ売り場を歩き回り、こういいました。「おもちゃが欲しい!」何と答えますか?
    ◎「欲しいのは分かるけど、だめよ。でも風船かアイスクリームならいいわ。」(方向を変える)
    ×「ウチにいっぱいあるでしょ。あなたは見るものは何でも欲しがるんだから。我慢しなさい!」
    (あなたは○○という人格否定)

     子供の願望を傷つけないようにしながらノーという智恵が必要。
     空想の中で願望を叶えさせるという知恵。こうしたいと思っているんでしょう。人は理解されると愛されていると感じる。

     子供はエネルギーを発散する健全なはけ口を必要としている。走る、はねる、登る、スキップする。これは制限し、身体的活動を禁じると、精神的ストレスとなり、攻撃性を生み出す元となる。運動によってエネルギーを発散する適切な環境を整えてやる必要がある。

     子供が制限を破ったときどうするか?厳しく対処する。
     決められた限界からはみ出すと、子供の不安は高まる。罰を恐れるからだ。そんなときは子供の不安を増幅させるのは良くない。子供が面目を失わずに、衝動を制御するのを助けてくれる大人を必要とするのは、このようなときなのだ。
     限界を定めるとき、意地の張り合いにならないよう注意しなければならない。

    ●親子間の暴力について
     子供が親をたたくのを、決して許してはならない。子供にとって有害である。親に身体的攻撃を加えた子供は報復を心配し、恐れる。良心の呵責を感じ、罪の意識を感じ、不安となる。
    ×子供に蹴られているのに、手にしてくれと懇願している親。「ぶってもいいけどいたくしちゃだめ」
     
     効果的な子育ては、親が大人の役割を放棄せずに、子供との間に尊重しあえる関係を築けるかどうかにかかっている。

     親が子供をたたくこと。それは交通事故と同じである。たまに避けられないこともあるが、子育ての処方箋とはならない。子供が挑発的な態度をとったり自分がいらだったりしたときに体罰に頼るのはよくない。子供はそんな親を見て、こう学ぶのだ。
    「怒ったり、イライラしたら、解決策を捜す必要はない。たたけばいいんだ。親がそうしているように。」
     
     それは普通、脅しや説得が通じないときの最期の手段として用いられる。計画的に子供をたたく親はいない。たいていは我慢の限界に達し、怒りに駆られてたたく。
     一瞬は効き目があるように思える。親は緊張を解き放ち、しばらくは子供を従順にさせる。ある親はこう言っていた「スッキリする」
     たたくことに効果があるなら、なぜ後ろめたさを感じるのだろう。体罰に長期的効果があると思っていないからだ。「もっとましな解決法があるはずだ」と思うのだ。
     ある親はこう言う。「たまに息子にとてつもない怒りを感じ、殺人者のような気分になるんです。そんなとき、殺すかたたくかという選択だったら私はたたきます。」
     
     ほとんどの親は上の子が弟や妹をたたくのを目撃すると、怒りに駆られる。そして上の子をたたく。しかしそのとき、上の子が下の子をたたく許可を与えてることに気づいていない。
     ある父親は8歳の息子が4歳の妹をたたくのを目撃した。父は息子をたたき、こういった。
    「いいか、自分より小さいものをたたくんじゃないぞ」

     体罰の最悪の副作用の一つは、子供の良心の発動を阻む可能性があるということだ。子供はたたかれると罪の意識から解放される。悪い行いの代償と考えるからだ。そしてそれを繰り返してもいいと思うようになる。時には自分から罰を求めるために親を挑発したり、自分で自分を罰したりする(自傷行為)ようになる。

     4歳のマーシーは寝ている間に自分の髪を抜いてしまうと病院に連れてこられた。実は母親は娘に怒りを感じたとき、こう言っていた。「全く頭に来るわ。髪を全部引っこ抜いてやりたいくらいよ。」マーシーは自分が悪い子だと思いが潜在意識の中に埋め込まれ、寝ている間に母親の願望を叶えていたのだ。

     親が子供が持つ感情を心から理解してやれば、子供は感情豊かに育っていく。その一方で、子供の受け入れがたい行為に限界をもうけ、丁寧にそれを守らせるようにすれば、社会生活のルールを尊重する知恵を身につけていくだろう。

    ●気持ちよく1日のスタートをさせる
     親は朝、子供を起こすべきではない。子供は自分の眠りが妨げられれば恨む。自分で目覚まし時計で目覚めるのが一番いい。
     なかなか起きず、ベットから出てこない。起こされ、ふてくされながら朝食をとり、遅れて学校へ行く。毎朝母親と口論になり、母親は疲れ、怒りっぽくなる。
    ◎「今朝は起きるのが辛いのね。」「もう5分、横になっていなさい」
    ×「起きろ!この怠け者!」「まったく、いつまで寝てれば気が済むの?」

    これも問題がある。
    「具合悪いの?どっか痛いの?頭、お腹?」優しい思いやりをかけてもらうには病気になればいいんだという考えを子供に吹き込む可能性がある。

    ●子供は、「早く!」に抵抗する。
     子供たちは急かされると、ゆっくり時間をかける。親に「早く!」と言われると抵抗してスローダウンする。だから子供を急かせるべきではない。現実的な時間制限を与え、間に合うように準備させるべきだ。

    ●朝食時にしつけはしない。
     朝食時は、子供に普遍的な理念、道徳原理、礼儀作法を教えるのに適した時間ではない。親にとって栄養ある食事を準備し、子供を学校に間に合うように送り出す時間だ。朝はあわただしい。眠くて不機嫌だったりする。その結果ちょっとした口論が、非難の応酬に発展する。
     ある朝の風景。
    娘:「食べたいものが何にもない!お母さん私の好きなもの全然買ってくれないんだから!」
    母:「ちょっとそれどういう意味?いつも買ってるわよ。文句言ってないで目の前の物を食べなさい!」
     怒った母親は別のことでさらに娘を怒って応酬し、親子共々最悪の気分で家を出た。

     朝は子供気分に左右されないようにすることが重要だ。楽しい朝の気分が保てるように!

    ●子供の不平不満に対処する方法
    例)「お母さんは私に何も買ってくれない。」
    ◎「何か買ってもらいたいものがあるのね?」
    ×「先週買ってあげたばかりでしょ!感謝もしないで!」

    例)「父さんは何処にも連れて行ってくれない。」
    ◎「どこかへ行きたいんだね?何処?」
    ×「いけるわけないだろ!父さんは忙しいんだ。」

    例)「お父さんは私がどうなってもいいのね?」
    ◎「そばにいてほしかったんだな」
    ×「何でそんなこと言うんだ!どれだけしてやってきたか分かってるのか!」

     子供は極端な世界に住んでいる。「ぜったい」とか「いつも」を好んで使う。簡単に白黒付けられない事を知っている親は、そうした表現を慎むことで子供たちにそう教えることが出来る。

    ●服を汚すことについて
     子供に、だらしないとか、汚いとか、シャツを洗ってアイロンかけるのはうんざりだとか言うのは良くない。子供がきれいさより楽しさを優先するのは自然なことである。だから子供たちの服がきれいなはずがないと思うべきなのだ。子供が服を汚したとき、汚さないように説教するより、質素でも洗濯しやすい服をたくさん用意したほうがはるかに子供の心の健康のためになる。ましてや、高価な服を着せておいて汚して怒るのはナンセンスである。

    ●時に叶った接し方(登校時・下校時・夕食時・就寝時)
     朝はあわただしいので、子供はよく忘れ物をする。そんなときはだらしないとか説教せず、忘れ物を渡してやるのがいい。その方が子供の助けになるからだ。
     「面倒を起こすんじゃないわよ」と警告するより、「楽しい一日をね」という方が別れの言葉にふさわしい。「寄り道すんじゃないわよ」と言うより、「2時に会えるわね」という方が寄り道しないで帰って来たくなるものだ。
     また、帰ってきたら、「学校どうだった?」「一日何をしていたの?」というより、学校での試練や苦しみを理解していることを伝える言葉をかけてやった方がいい。
     「大変な一日だったみたいね。」「学校が終わるの待ちきれなかったでしょう」「嬉しそうね」
     質問するよりコメントする方がいい。
     親が家にいて温かく迎えてあげるのが好ましい。しかし仕事で家にいなくても、愛情に満ちたメールや置き手紙を残しておけば、愛情が伝わり、親がいないさびしさをやらわげてくれるだろう。
     
     仕事から帰ってきた夫に玄関のドアを開けるやいなや不平不満や要求や非難を浴びせるべきではない。静かなほっとする時間、質問しない時間を与えることを学ぶべきである。
     夕食は会話の時。食べるより会話を楽しむことに力点を置くべきだ。子供が何をどう食べるかについては、あまりうるさく言わないほうがいい。しつけは最小限にして、会話に花を咲かせるのだ。
     子供と一対一で食事をし、関心あることについて語り合うのもいいだろう。
     
     多くの家庭では就寝時間が近づくと親も子もいらだちをつのらせる。子供はできるだけ遅くまで起きていようとするし、親はできるだけ早く寝てもらいたいと願う。だからその時間になるとどうしhても口やかましくなるし、子供はなんとか逃れようとする。

     就寝時間は親密な会話をする時間である。そうすれば子供は就寝時間を待ちこがれるようになる。子供は父や母と「二人きり」で過ごすのが好きなのだ。労を惜しまず耳を貸してやれば、子供は
     年長の子供の就寝時間は柔軟であるべきだ。寝る時間は何時〜何時の間とし、いつ寝るかは本人に決めさせる。

     親の特権。子供に許可をもらいながら行動すべきではない。

    ●テレビとのつきあい方
     子供はテレビやゲームが大好きだ。親はテレビに二通りの感情を持っている。テレビが子供の面倒を見てくれるという思いと、有害な影響がないだろうかという思いだ。
     テレビは暴力を助長し、人間関係を希薄にし、固定観念を支持し、社会的行動を減少させる。それだけでなく、子供の一日の大切な時間を食いつぶす。親子の会話より多くの時間がテレビに費やされる。より建設的行動から遠ざけられる。
     テレビが成長につながる最適経験をすることはほとんどない。成長にもっとも適した状態とは、「人が自分の能力に見合った挑戦に没頭しているとき」なのである。成長や真の満足は、ぼんやりテレビを見るより、集中した努力をすることによってもたらされる。
     時間を決め、テレビが薬と同じように適量だけ与えられるべきである。

    ●子供の「嫉妬」にどう対応するか?

     子供の中の嫉妬心を最小限に食い止める方法。子供は嫉妬を知っている。新しい赤ん坊の誕生をねたむように。ねたみ、羨望、競争心はどうしようもなく生じる。それにショックを受けるのは無知である。そんなときに何と話すか。「私たちはおまえを愛している。おまえはすばらしい子だよ。だからおまえのようなすばらしい子をもう一人持つことにしたんだ。」これでは、夫が妻に「おまえをとても愛している。本当にすばらしい女性だ。だからおまえのような女性をもう一人連れてきて、一緒に暮らすことにしたよ」と言っているのと同じであり、全く不正直で説得力がない。

     大切なのは、親が子供のそのような感情を理解していることを伝えることだ。

     子供たちの嫉妬を押さえたり禁じたりすると、それは別の形で表現される。弟を突き落とすなど恐ろしい夢を見たり、喘息の発作、咳き込み、皮膚炎、おねしょ、破壊的行動、弟妹を噛みたい、傷つけたいという気持ちを覆い隠すために、爪をかむ、髪を抜く、などである。このような子供たちは、言葉で感情を表現させる必要がある。親は子供たちが自分の感情を解き放つのを助ける重要な立場にいる。

     親は子供の中にも嫉妬があることを知らなければならない。ねたみはいろいろな形となって現れる。何でも競い合ったり、厚かましいほどうぬぼれたり、意気地がなくなったり、極端に寛大になったり、貪欲になったりする。
     子供時代の対抗意識が生み出した苦い果実の痕跡は、大人になった私たちの周囲にもある。路上のあらゆるクルマと競争せずにいられない人、スポーツで潔く負けられない人、自分の正しさを証明するために全財産をかける人、あらゆる競争から逃げる人、戦う前に負けたと感じる人、いつも後ろで目立たない用にする人、正当な権利があっても立ち上がらない人など。
     兄弟間の対抗心は、ほとんどの親が気づいている以上に、人の人生に影響をおよぼしている。それは消し去ることの出来ないしるしを人格に刻み、性格をゆがめることもあるのだ。

     嫉妬は親の「最愛の人」になりたいという幼児の欲求に根ざしている。この欲求はきわめて独占欲が強く、いかなる競争相手も認めない。子供は両親の愛を独占するために張り合う。この戦いが公然と行われるか、心の中で密かに行われるかは、子供の妬みに親がどんな態度で接するかにかかっている。

     一部の親は兄弟間の争いに腹を立て、少しでもその兆候が見られると子供たちを罰する。あるいは妬む理由をなくそうとみな平等に言葉や物を与えようとする。しかしこうしたことをしても子供が妬みから解放されることはない。同等に罰しても、同等にほめても、愛を独占したいという欲求を消すことはできない。嫉妬の炎を安全に燃やさせるようにしなければならない。
     
     親のえこひいきが子供の嫉妬を強める。たとえば、親が上の子の自立性よりも下の子の無力さを好むと、嫉妬が強まる。子供の性別、容姿、知性、才能ゆえに過大評価すると嫉妬が強まる。親の接し方によっては、兄弟間の情け容赦ない競争へのエスカレートする可能性がある。
     
     年齢の違う子供を同様に扱うのはよくない。年齢は新しい特権や責任をもたらすべきである。年長の子供が下の子よりも多く小遣いをもらい、遅くまで起きていることを許されるには当然だろう。そうすれば自分の成長を楽しみにするようになるだろう。
     このとき、年下の子供は上の子をうらやむだろう。それは事実を説明するのでなく、そのうらやむ感情を理解してやることで、子供がそのような感情に対処するのを助けてあげるべきである。
    「あなたも夜遅くまで起きていたいのね。気持ちは分かるけど、もう寝る時間よ。」
    「6歳じゃなくて9歳だったよかったと思ってるのね。」

     幼い子供はあからさまに嫉妬を表現する。下の子を押したり、蹴ったりすることもある。私たちは親として体への攻撃や言葉による加虐的な攻撃は止めなければならない。被害でも加害でも害を及ぼす。しかし、上の子の感情を否定したり、攻撃したりする必要はない。いじめているのを見たら、すぐにやめさせ、動機をオープンにさせるべきである。
    「あなたがどれだけ怒っているか、見せてごらん」
     そういって、人形か紙とマジックを与える。子供は人形に文句を言ったり、攻撃したりするかもしれないし、紙に何か書き殴るかもしれない。子供が凶暴な感情をいだいたからとって驚く必要はない。感情は正直で、攻撃は無害だ。生きていないものに対して象徴的に発散させるのがいい。
    「あなたがどれくらい怒っているか、これで分かったわ。」
     こうした言葉は、罰したり辱めたりするより、嫉妬をやわらげる効果がある。

    ×「何やってるの!赤ちゃんを殺したいの?そんなことしたらケガするでしょ!もう赤ちゃんに絶対さわらないで!!」
    ◎「赤ちゃんは痛めつけるためにいるじゃないのよ。引きずりたければ、人形をにならいいわ。」

     親の秤にかけられた公平さほど自滅的なものはない。心にしろ、物にしろ、それを測り続けることは、人を疲れさせ、いらだだせ、いつか怒りとなる。だいたい子供たちは愛を等しく分かち合うことなど望んではいない。一律公平にではなく、独自に愛する必要があるのだ。重要なのは平等ではなく、質である。
     子供はよく、「不公平だ」と言って不平をもらす。親はそれを気にし、知らずのうちに防衛的になる。子供の主張を真に受けるべきではない。ましてや情状酌量してもらう理由など述べる必要もない。親の決断が公平か不公平かについて、際限のない口論に巻き込まれてはならない。愛を公平に与えようなどと思わないようにしよう。
     それぞれの子供には、公平さや平等性ではなく、特別だという感覚を与えよう。子供たちの一人と何時間かでもいっしょに過ごすときは、全身全霊を傾けてその子と共にいてやろう。一人息子、一人娘のように。その子といるときは、他の子を忘れよう。他の子の話をしたり、他の子の贈り物を買ったりしない。心に残るその瞬間、意識を分散してはならない。
     分割されていない愛を受けると、子供は安心する。その欲求が理解され、思いやりを感じると、子供はほっとする。子供は独自の存在として大切にされると、強くなれる。

    ●子供の「不安」にどう対応するか?

     親は子供がたくさんの不安、恐れを抱えているのを知っている。しかしそれがどこから来るものなのか、よく知らない。「どうしてうちの子はこんなに恐がりなんだろう」という。父親なら「何も恐れる物などないだろう!」と言うかもしれない。
     
     子供の最大の恐怖は、親に愛されず、捨てられるという恐怖である。
    「子供が持ちうる最大の恐怖は愛されないということだ。拒絶は子供が恐れる地獄である。拒絶は怒りを生み、怒りはある種の復讐劇を生む。渇望する愛を拒まれた一人の子供はネコを蹴り、自分の罪を押し隠す。別の子供は、お金で自分を愛させるために盗みを働く。三番目の子供は、世界を征服する。そしていつも罪の意識に責めさいなまれ、復讐を企て、さらなる罪の意識に悩まされる。」(「エデンの東」)

    ◎子供を脅かすことの有害性
     親は捨てることを匂わせて子供を脅かすべきではない。
    「早く来ないと置いていくわよ。」
     このような言葉は子供の中に潜む捨てられることの恐怖を呼び覚ます。だったら言葉で脅かすより引きずっていった方がましだ。
     親が家にいないときも、このような恐怖を覚える。居場所を教えておく手紙やメッセージだけでも不安から守られる。のっぴきならない理由で幼い子供と長期に離れる場合は、よく説明しておく必要がある。

    ◎不必要な罪の意識の有害性
     親は子供に不必要な罪の意識から来る不安を抱かせないように注意すべきである。社会や道徳のルールを守らせることは大事である。破れば非難されてもしかたがない。良い整備士が壊れたクルマを扱う時のようにすべきである。整備士は壊れたクルマを見ても、所有者を責めたりしない。直すべき所を指摘するだけだ。子供たちがどんな考えを抱いても親の愛を失う危険がないことを知るのは、大きな安心である。
     もし同意できないことがあるなら、こう言えばいい。
    「おまえはそう思うだろうが、私はちがう。」
    「おまえの意見は自分にとっては正しいと思うだろうが、私の意見はちがう。」
     親は言い過ぎたり、不要な説明によってうっかり子供の中に罪の意識を生じさせることがある。子供を常に同意させなければらならないと考えている親がこれに当てはまる。

    ◎効率性を要求することの有害性
     子供は自分の活動に没頭することを妨げられたり、心の準備ができているのに責任をとることを妨げられると、内面に怨みや怒りを抱く。こどもはあらゆるスキルをゆっくりと、試行錯誤しながら身につけていく。効率的ではない。靴のひもを結ぶこと、コートのボタンをかけること、瓶のふたを開けることなどができるようになるまで、長い時間がかかるのだ。
     だから親がしてあげられる一番の助けは、忍耐強く待つことと、物事の大変さについてコメントしてあげることだ。「○○するのは楽じゃないんだよ」このようなコメントは、子供が努力して成功しても失敗しても助けになる。成功すれば満足し、失敗しても慰めとなる。
     子供は親から共感とサポートを得、親子を親密にさせる。
     子供の人生が効率性を求める大人の欲求に支配されないことが肝心なのだ。効率性は子供の敵である。効率性は子供の心にかなりの負担をかける。子供のエネルギーを枯渇させ、成長を妨げ、興味を窒息させ、精神的破綻に導く可能性がある。子供は急がされたり、辱められたりせずに、実験しながら学んでいく機会を必要とする。

    ◎夫婦げんかの有害性
     両親がけんかすると、子供たちは不安になり、罪の意識を覚える。自分が争いの原因だと考える。親同士の内戦で、子供は中立を保てない。父親か母親のどちらかにつくことになる。そのことが人格の発達に有害な影響を及ぼす。
     決裂した夫婦が子供を愛すると、それぞれが子供の愛情を勝ち取るためにわいろ、おべっか、ウソなどの手段がが頻繁に用いられるようになる。子供は分裂した忠誠心の狭間に立たされ、収まることのない葛藤のなかで成長する。片方の親からもう一方の親を守る必要性が出てきたり、片方の親に気を遣いながらもう一方の親と会うようなったりするので、複雑な心理状態におかえ、性格的にも影響する。 
     夫婦の仲が悪くなると、親同士が競うため、子供の価値がつりあがる。それを自覚した子供は、他人を利用すること、陰謀を企むこと、人をゆすること、陰口をたたくことを覚えていく。彼らにとって誠実さは不利益であり、正直は障害であるような世界に生きることを学んでいくのだ。
     離婚した両親が子供を互いの手先として使うようになる事が起こる。一方の親をスパイしてくるよう言ったり、相手の不平を言って自分の味方に付けようとする。不快なメッセージを伝えるパイプ役として使われたりする。そのようなことが起こると、子供の生活は乱れる。

    ◎死(愛するものの喪失)をどのように助けるか?
     死んだペットを取り替える親がいる。子供は何を学ぶか。むしろ愛する対象を亡くした時は、思い切り悲しみを感じる自由を与えるべきだ。
     子供たちが愛するものの喪失に向き合うのを助けるには、恐れ、空想、感情を存分に表現するのを許すことだ。安らぎや慰めは、思いやりをもって聞いてくれる人と深い感情を分かち合うことによって生じる。また、子供が感情を表現できないでいるのを言葉にしてあげるものいいだろう。
    「おばあちゃんが恋しいのね」
    「おばあちゃんがいなくてすごくさびしいのね」
    「おばあちゃんにまだ生きてて欲しかったのよね」
     子供は事実を簡単に告げられ、そのあとでやさしく抱きしめられたり、愛情のこもった表情を見せられたりすると、安心する。人生の重要な出来事では、言葉よ態度が多くを語るのである。

    ●性教育について
     性教育は情報と価値の二つの部分からなっている。情報は学校で与えれるが、価値を教えるのには家庭が一番だ。子供たちは親のやりとりを観察することによって、性的な関係や愛する関係を学んでいく。
     性教育においては、親はあまりに早く多くを与えすぎないように注意しなければならない。

    ●親は拒絶の言葉を捨て、受容の言葉を学ぶ必要がある。
    「話すことは文明そのものだ」(トーマス・マン)
     親が思いやりを持って子供に応じる努力をすれば、その報いは大きい。
     子供に口やかましく言ったり押しつけたりしても無駄であることを、親は肝に銘じなければならない。強制的は手法は恨みや抵抗を生むだけだ。外からの圧力は反抗的は態度しか生み出さない。子供に影響を及ぼすには、子供の立場を理解してやり、問題を解決するのを助けてやらなければならない。
     親は重要なルールだけを選び、できるだけルールの数を少なくした方がいい。

  • ●「どうしてそんなことをしたの?」と聞くのは意味がない●子どもは急かされると、ゆっくり時間をかける●脅したり口やかましく言うと、かえって事態は悪化する●子どものいうことには隠れた意味がある●子どもが感情的になっているときは、どんな理屈も耳に入らない●子どもの気持ちをわかってやるだけで、問題行動は自然に改善する●批判や説教や罰は、子どもの怒りと恨みを生むだけ●子どもの感情は何であれ受け入れ、行動だけを規制しよう

  • こういう本って、買って読んで実践する人はどれぐらいいるんだろう? 著者自身、果たして記載したことと自分の実践がどの程度一致しているんだろう? という疑念がぬぐいきれないので、たいてい買わずに済ませてしまうのだが、この本は「でもやっぱり読んでみようかな」という気持ちにさせる文句がちりばめられている。

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