文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

制作 : 倉骨彰 
  • 草思社
4.03
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本棚登録 : 3628
レビュー : 264
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784794218797

作品紹介・あらすじ

世界史の勢力地図は、侵略と淘汰が繰り返されるなかで幾度となく塗り替えられてきた。歴史の勝者と敗者を分けた要因とは、銃器や金属器技術の有無、農耕収穫物や家畜の種類、運搬・移動手段の差異、情報を伝達し保持する文字の存在など多岐にわたっている。だが、地域によるその差を生み出した真の要因とは何だったのか?文系・理系の枠を超えて最新の研究成果を編み上げ、まったく新しい人類史・文明史の視点を提示した知的興奮の書。ピュリッツァー賞・コスモス国際賞受賞作。朝日新聞「ゼロ年代の50冊」第1位。

感想・レビュー・書評

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  • 上巻は総論、下巻は各論といった感じでしょうか、他の方のレビューにあるように冗長と感じる部分もありますが非常に勉強になる一冊でした。
    私は地域ごとの文明の発展の差、比較も面白く感じたため下巻も楽しく読み進めることが出来ました。
    ただ途中、日本への鉄砲伝来、そして鉄砲がすたれてしまった経緯の描写がビックリするほど日本人の知らない(唱えている方がいらっしゃらないような)説でして、この本の各国歴史史料の信ぴょう性も疑ってしまった次第であります。
    それでもこの著者の主張するところは納得することも多いですし、得るものも多い書物だと思いますので(上巻のレビューで書きました)ヤリ氏のような疑問をもったことがあるという方にはお勧めしたいと思います。

  • 下巻は文字と人類の関わりや、各地域論など話題が現代に近くなってくる。

    私は、こういう世界全体を相手にしている本は、その中での日本の位置づけがどうしても気になるのだが、戦国時代に渡来してきた銃を、江戸時代に作らなくなってしまったことが「せっかくの技術を捨ててしまった例」として挙がっているのがとても印象的だった。この本の中で「これはよく知られていること」として書かれているのがまた自分には新鮮で、果たして自分は何を勉強してきたのだろう?と思ってしまった。鉄砲伝来は1543年(以後予算なく…)と覚えていたのを思い出し、そういえばその後の歴史でしばらく鉄砲は出てこないんだ!、といろいろ思いを巡らす。

    論点を網羅するためか、オーストラリア近辺、アフリカ、中国にまで考察が及ぶ。論点が広すぎて個別に見るとひょっとすると突っ込みどころがあるのかも?と思っていたが、そういう読み方は野暮というもんなんだろう、と思う。

    「知」の在り方のようなものも自身よく考えることだ。各カテゴリへ分割された諸学問を精緻に掘り下げていく手法も大事なのだと思うけれど、広い視点というのも必要なのだろうと思う。ある精緻な分析が世界全体のことを結局語ってしまっているような書物(なんとなく『資本論』とか?)もあるけれど、そもそもの視点の広さ、というのも必要に思われる。そしてお互いを補完しあうような関係になればいいのだという気がする。

    これはもっと現実世界とか実務レべルでも思うことである。ゼネラリストとスペシャリスト。どっちがいいとか言うわけではなくて、お互いに補完しあえればいいのではないか。

    「あいつがこっちをやっているから、私はこっちをやろう」
    「こっちは私がやっておくから」
    「あれはあいつがやっているから任せよう」

  • かつて優れた文明を築き上げたアジアやラテンアメリカやアフリカの人々を、西洋文明が支配することになったのはなぜなのか。なぜその逆のことが起きなかったのか。
    素朴でストレートなだけに回答するのは骨が折れるこの問題に、人類学、科学技術史、生物学、地理学など幅広い学問分野の知見を総動員して答えるというスケールの大きな書物でありながらもたいへん読みやすく、朝日新聞の「ゼロ年代の50冊」で堂々1位に輝いたのもむべなるかな。
    で結論をまとめていえば、表題の「銃・病原菌・鉄」とは、非西洋社会を西洋社会が征服するのに直接貢献した要因――すなわち銃や航海船を生み出す高い技術力、馬を駆使した軍事、高度に発達した政治機構と文字による知識伝達体系、くわえて疫病に対する抵抗力を指す。しかしそれらは間接的な要因にすぎない。人間集団間におけるそれらの発達程度の違いをもたらした根本的な要因を一言でいえば、各大陸において人間がおかれた環境的要因だというのが著者の主張である。
    なんでそういうことになるのか。人類が上記の要素を発達させるうえで決定的なブレイクスルーになったのは、狩猟採集生活から食料生産への移行であったと著者はいう。食料生産をするようになって初めて、人の集団は多数の人口を維持し、さらには支配階級や官僚、軍人、技術者といった非生産人口を養う余剰を生み出すことができるようになったからだ。定住農耕民の平均出産間隔が平均2年であるのに対し、常に移動し続けなければならない狩猟採集民の出産間隔は、その倍の4年であるという(第4章pp.156-157)。
    しかし食料生産への移行は、それが可能であれば必ず起きるというものではない。狩猟採集よりも少ない労力で安定的に十分な食料が入手できるとわかって初めて、人はそれまでの生活様式を捨てるのだ。その決定には、当該地域における資源と技術の有無が重要な要素となるが、それに先立って何よりも、まずは栽培可能な植物や家畜化可能な動物がいないとお話しにならない。
    そして実際に、各大陸ではその条件に大きな違いがあったというのだ。地球上には何万種という植物が存在するが、人間が食べられるもの、その中で栽培可能なもの、さらに労力に見合う十分なカロリーを提供できる種は、穀物や豆類などいくつかに限られる。それら「起源作物」の多くは、自然環境にめぐまれた肥沃三日月地帯に集中していた。家畜化可能な大型動物となるとその数はさらに限られ、「由緒ある14種」のうちなんと13種がユーラシア大陸にしか存在していなかった(第9章)。
    いやこれは知りませんでした。著者が強調しているように、人間はどこでもあたえられた環境の中で、最もよさそうな動植物を選び出し時間をかけて技術を改良してきたが、その初発条件にはこれだけの違いがあったのである。
    さらに驚いたのは、中南米やアメリカ大陸にヨーロッパからの植民者たちが持ち込み、先住民族の多くをあっという間に死に至らしめた病原菌が、動物を家畜化する過程で生まれていたということだ。家畜から人間に感染した伝染病は人口密集状態で増殖するように進化し、人間もまた抗体を発達させてきたが、そうした環境になかった地域の先住民たちは、初めて出会う病原菌に対する抗体をもっていなかった(第11章)。そうだったのか…
    というふうに「初めの一歩」の違いはかなりの部分、環境の違いで説明がつくと著者はいう。他の集団に先駆けて定住食料生産に移行した集団は、より多くの人口を持ち、より早く技術と軍事力を発展させることができたゆえに、狩猟採集集団を武力で征服したり追い出すことができた。西洋諸国による植民地化に批判的なわれわれはつい、先住民族を自然と調和し争い事を話し合いで解決する平和的な人々だと理想化してしまう傾向にあるが、同じ民族から枝分かれして農耕定住生活に入ったマオリ族が、狩猟採集生活をしていたモリオリ族を虐殺してしまった第2章のエピソードを読むと、人類は、優位にある集団が劣位にある集団を暴力で制圧する歴史を繰り返してきたのだと思い知らされる。
    では初めの一歩をどれだけ早く踏み出したかが、その後の歴史を決定したと言えるのだろうか。ある程度まではそうだと著者は考えている。初めの一歩に続いて重要な要素となるのが伝播のプロセスだ。自然環境にめぐまれずに自力で栽培作物や家畜を生み出すことができなかった地域でも、他地域で生み出された作物や家畜、技術を取り入れることができれば、速やかな発展を遂げることは可能だ(そうすることが適切と考えられた場合には、だが。「進んだ技術」が必ずしも当該地域の環境で生活するうえで必要とされるとは限らない)。しかしここでもまた地理的条件が伝播のプロセスを左右する。大陸が東西に延びているか南北に延びているかが重要な要因だと指摘する第10章はあまりにスケールの大きな話でびっくりするが、著者が提示する豊富なデータにはたしかに説得力がある。
    とはいえ、「初めの一歩」を他に先駆けて踏み出した社会が必ずしもリードを維持するとは限らない。日本の江戸幕府がいったん取り入れた銃の製造技術を放棄した事例や、中国帝国がトップダウンで技術開発を止めてしまった事例にもみられるように、すべての社会が同じ経路と速度で発展するわけではない。そこには文化的要因や統治機構などのさまざまな要素が関わっている。中には移住先の環境にあわせて、ふたたび狩猟採集生活に逆戻りすることを選んだ人たちもいたのだ。
    こうして全体を通して考えると、本書は、人間集団の発展における環境要因の重要性を実に説得的に浮き上がらせえているが、同時に、個々の社会の発展経路の複雑さは、決して環境決定論では理解できないことも明らかになってくる。本書の魅力はなんといっても人類史始まって以来の何万年というスケールを扱っている点にあるが、とりわけ近代以降、それまで互いに隔てられていた社会間の相互交渉が増えてきたなかでの社会の発展経路の検証には、より多様な要因を考慮に入れることが必要だろう。特に帝国の統治体系や、資本主義という、他の経済システムを接合しつつ富を蓄積する特異なシステムをどう位置付けるかという問題は重要であるように思われる。と同時に、著者が最後に示唆しているように、早期に発展を遂げた地域における自然資源の枯渇という問題は、さらに真剣に考察されるべき重要なファクターであるかもしれない。
    それにしても各学問領域の専門性が高まれば高まるほど、これほど大きな問題を扱うのは誰もがしり込みするところだが、むしろ各領域からの最先端の知見を取り入れながらスケールの大きな問題に臆せず取り組んだ著者の手腕は見事というほかない。大いに刺激に満ちた本であった。

  • 下巻では食料生産をキーとして国家の成立を語る。その後は地域的にどうしてある種の勢力が隆盛となったのかを、それまでのテーゼから応用して語っていく。つまり、オーストラリアのアボリジニやニューギニア高地民はなぜ取り残されたのか、中国はいかにして巨大な統一国家になり得たのか、中国南部からミクロネシア方面へのオーストロネシア人の広がり、アメリカ先住民、アフリカはなぜ黒人民族の大陸となったのか、となっている。

    本のタイトル、およびこの本の重要なテーマの一つは病原菌なのだが、実はそんなに病原菌の話は大きな役割を果たしていないように思われる。もっとも主要に語られるテーマは食料生産で、その土地に栽培可能な作物がどれだけあったのか、あるいは栽培可能な作物の伝播や持続がいかに可能であったかが、人間集団の隆盛を極めるのであって、それは決して民族の優位性(それが遺伝子レベルのものであれ文化レベルのものであれ)によるものではない、というものだ。例えば文明の発展に不可欠な文字の発明でさえ、食料生産という観点から見られることになる。ただし、食料生産は文字発明の必要条件だが、十分条件ではない(p.52)。アボリジニについて言えば、彼らが鉄器時代(金属器を使用する社会)にならなかったのは、オーストラリアが不毛の乾燥地帯で、しかも異常気象に見舞われやすい地域だったことに大きな要因があり(p.187f)、文化の未発達はアボリジニという人種の特性ではなくて「オーストラリアという環境の当然の帰結だったのである」(p.208)。

    食料生産によって人口の増加、密集が可能になれば利害関係の調整も必要であるし、何より食料生産は種蒔から収穫まである程度の長期に渡る時間管理を必要とするから、ここに管理体制の必要性が生まれることは容易に理解されるだろう。この食料生産と国家体制の確立・発展は相互に作用するものであり、社会の複雑性はこの相互作用で増大する(p.138f)。小規模血縁集団(band)、部族社会(tribe)、首長社会(chiefdom)、国家(state)という四段階の区分(p.109)と、他の集団による統合(征服)・外圧を目にした自主的統合(併合)という2パターンによる複雑性の増大の記述(p.145-151)はよく書けている。

    中国という地域の特異性についての問いの立て方は面白い。あの広大な中国が統一されていることは当たり前のことではなく、「驚くべきこと」(p.211)である。というのも、中国北部と南部は環境や気候も異なり、住んでいる人々の遺伝的差異も大きい。祖語が伝わってから6000年~8000年経って言語が多様に分化したヨーロッパ大陸とは違って、50万年前から人が住んでいることが確認されている中国ではほとんど単一の言語が話されている(p.213)(この中国の言語の統一性についてはやや自分は疑わしいと思うが)。著者はこの中国の統一性を、結局は北部の人たちがいち早く食料生産を始めたからであるとして、その人々が南部へ移行し、もともとメコン川地域にいた狩猟民たちを駆逐、オーストロネシアに広がっていったと説明する。鍵となっているのは食料生産、製鉄等の技術、文字システム、国家の発展(p.228)だが、どうも自分には説得力がない。ここまでの広がりのスピードと長期間に渡る維持がなぜ可能だったのか、また中国南部からさらにメコン川地域への展開の違い(p.301)についてもいま一つだった。

    上巻を読んだ時に疑問に思っていた、ユーフラテス川河畔の三日月肥沃地帯からヨーロッパへ覇権が移った過程については、肥沃三日月地帯が風化して砂漠地帯や灌木地帯になったこととされている。この過程と、中国があまりに政治的に統一されていて、皇帝の考えだけで明の遠征をやめてしまったことの比較が面白い(p.375-389)。政治的統一は時に発展を阻むという著者のテーゼは社会の発展に多様性がいかに重要であるかを物語っている。

    さて人間社会の隆盛に影響を与える要因を著者は4つにまとめている(p.367-371)。(1)栽培化や家畜化の候補となる動植物種の分布状況の違い。(2)そうした動植物種の伝播や拡散の速度を左右する、大陸の広がりや気候。(3)近隣する大陸との気候条件や地理の違い。(4)それぞれの大陸の大きさや総人口の違い。これからする結論は、たしかに「環境決定論」と呼べるようなものかもしれない。それについて著者は以下のエクスキューズをしている。
    「環境決定論という言い方には、人間の創造性を無視するような否定的ニュアンスがあるかもしれない。人間は気候や動植物相によってプログラムされたロボットで、すべて受動的にしか行動できないというニュアンスだ。しかし、それはまったくの見当ちがいである。人間に創造性がなかったら、われわれはいまでも、100万年前の祖先と同じように石器で肉を切り刻み、生肉を食べているだろう。しかし、発明の才にあふれた人間はいずれの社会にもいる。そして、ある種の生活環境は、他の生活環境にくらべて、原材料により恵まれていたり、発明を活用する条件により恵まれていた。それだけのことである。」(p.371)

  •  本書の主張を簡単に纏めるならば次のようになる。人に持つ者と持たざる者が現れたのは何故か、それは気候や風土などの地理的・生物学的な環境の差異によるところが大きい。家畜化可能な生物や栽培化可能な野生植物種の分布にはばらつきがあること。東西方向に伸びた大陸では気候の変化が少なく人や物の移動が容易であり、それゆえ農耕文化や冶金技術の伝達が速かったこと。異文化間の適度な人的交流があることで技術の発展を促す作用が生み出されたこと。など、人類の初期状態において環境要因から生じる些細な違いが、大きな影響力を伴い歴史の展開に作用する。
     とどのつまり本書を主張という視点で評価するのであれば、この本を読むことと、地理の教科書を買ってきて最初の一行ないしは一節を読むことは同義となる。上下巻合わせて800項を超える本書に書かれている内容はこの意味で自明なことであり、文章内で引用される数多くの文献や、紹介される地域毎の考察は、それを証拠付ける推論に過ぎない。私は上巻の感想において「銃・病原菌・鉄」は良く書かれていると評価した。確かに推論の展開は良く書かれており、その形式は見事だと思われる。だがこの大作を読み終えて得たものは上記に挙げた結論以外に何もなく、エピローグを読めばそれで十分という評価も頷ける。少なくとも上下巻を合わせて読む価値は低く、何故上巻だけの分量や内容で纏めることができなかったのかと疑問を呈さずにはいられない。
     この本の帯にはピューリツァー賞・コスモス国際賞受賞作とある。これらの賞にどれだけの価値と箔があるかは知らない。また文章として良く書かれているとも感じる。しかし内容的には賞を受けるほどの作品ではないと私は思う。著者はエピローグの最後で、歴史研究を科学的に行うことの難しさについて述べている。恐らくこの本を執筆するに当たり、科学的であろうと努力したに違いない。その努力も本文の書き方や文中の表現からよく伝わってくる。しかしその努力が認められ賞を受けることになったのだとすれば、偏りのある論理が私の想像以上に根強いものであると衝撃を受けることになる。私は科学者でも歴史学者でもないただの雑魚の一人に過ぎないが、本書が偏見と主観を完全に排除したものでないこと位はわかる。
     これまで否定的な意見ばかりであったが、この本に価値があるとすれば、それは人類史あるいは文化人類学における様々な視点を提供してくれる点だろう。食糧生産における野生種の分布や家畜化という視点から見た大型生物の分布という生物学的な視点、家畜がもたらす病原菌の拡散などの疫学という視点、山岳や平原、海域などの地形やそれに伴う気候などの地理的な視点、そして政治や宗教、言語などの文化的な視点。どの点を取っても深い考察が可能であり、興味の尽きない研究課題になり得る。扱う対象が人類であるからその範囲は膨大であり、全容を把握することは不可能かもしれない。それでもそれを追及することに社会的な意義があるのだと、この本は教えてくれるのである。

  • 「歴史は、民族によってことなる経路をたどったが、それは居住環境の差異によるものある。」という論で話が展開されていくが、生物科学者ならではの視点、知識が豊富で読み応えが充分にあった。そしてなにより、問いの立て方が絶妙であった。

  • いわゆる新世界と旧世界に差を産み出したのが、規模を決定づける広さ、東西に伸びるか南北に伸びるかとゆう違い、栽培や家畜化が可能なものがそばにあるかなどなどの環境条件によるものが大きいと。中国やアフリカの先史から今に至る概略の流れもわかったし、いろいろと面白い本だった。

  • 2013.09 人類の歴史を遡りながら、なぜ現代社会がこのような状況にあるのか。なぜ欧米主流の社会が出来上がったのかをのべている。人種間の能力差ではなく環境の違いがこのような差を生んだとのこと。

  • 読みごたえのある一冊。地球上に誕生した人類がどのように生活し、文明を築き、貧富の差が出来上がったのか。ifを頭のなかで繰り返しながら読み進める。アーモンドは人に栽培されるうちに、毒がなくなったという話が雑学的に面白かった。だから、青酸カリはアーモンドの匂いなんだね。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ifを頭のなかで繰り返しながら」
      何故と、どうしよう?の繰り返しが人間を此処まで連れてきたのは確かだけど、だんだん人間の手に負えなくなっ...
      「ifを頭のなかで繰り返しながら」
      何故と、どうしよう?の繰り返しが人間を此処まで連れてきたのは確かだけど、だんだん人間の手に負えなくなってきている。これから先は、どうなるんだろう。。。
      2014/04/08
  •  読了。人類と文明がなぜ地域ごとにこうも異なる発展の仕方をしてきたのか?という疑問に対して、地球全体を大陸別に分け、その環境を科学的に分析するアプローチによって謎を解き明かす壮大なドキュメンタリー。長いけど、超面白かった。
     地域というか大陸ごとに発展の差ができたのには大きく4つの理由があり、①農業に適した動植物の分布②情報が伝播しやすい地形の有無③異なる大陸間での交流の可否④大陸ごとの大きさや元々の人口の差 という要因によってその大陸の運命は決まっていったのだという。ふむふむ。
     これらの要因により、初期の方向性や、最低限の生活を送るのには余剰な人=非生産者であり文化的・軍事的活動をする余裕がある人の出現しやすさなんかが決定付けられ、バタフライエフェクト的にその後の発展に影響を与えていったと。
     その後、4つの理由を満たしていた地域の人々によって加工され、争いや農工の道具となった「鉄」、異なる大陸・土地の征服を容易にした「銃」、そして何よりも文明の繁栄と滅亡を決定づけた、「病原菌」の攻勢に対する免疫の有無、これらの道具により大陸間の差はより一層激しいものになり、これがタイトルにもなった発展の差を決定づけたものであると筆者は主張する。
     歴史や地理を科学的に、ややもすると理屈っぽく環境至上主義的に書いているので文化人類学者なんかには受けが悪いかもしれないが、素人が読むには本当に面白くて素晴らしい。さすが、名著と呼ばれる本にはそれなりの理由があると凄く納得できた。高校時代に読んどけばよかったなぁ(‘A`)
     一点気になったのは、農業や家畜の改良、免疫の獲得等様々なブレイクスルーを必要とする場面で万能的に「突然変異」という奇跡に理由を頼っていたこと。そりゃ途方も無い年月が経てば、積み重ねによる力技で突破できないことないだろうけど、なんだかなぁwとそこはちょっと笑ってしまったw

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著者プロフィール

ジャレド・ダイアモンド
1937年生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校。専門は進化生物学、生理学、生物地理学。1961年にケンブリッジ大学でPh.D.取得。著書に『銃・病原菌・鉄:一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎』でピュリッツァー賞。『文明崩壊:滅亡と存続の命運をわけるもの』(以上、草思社)など著書多数。

「2018年 『歴史は実験できるのか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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