ラッセンとは何だったのか?  消費とアートを越えた「先」

  • フィルムアート社
3.63
  • (9)
  • (20)
  • (19)
  • (3)
  • (1)
本棚登録 : 257
感想 : 21
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784845913145

作品紹介・あらすじ

癒しの「マリン・アーティスト」なのか?究極の「アウトサイダー」なのか?初のクリスチャン・ラッセン論。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 基本日本アート市場の病理カルテだが、ラッセンが日本で受け入れられた経緯は面白かった。

  • 千葉雅也氏の文があるので手に取る

    千葉雅也:「美術史にブラックライトを当てることーークリスチャン・ラッセンのブルー」

    ラッセンの絵を見かけるたびに、水槽に夢中だった中学生の頃を想起させられる。

    毒々しいブルー。紫に近い、ブラックライトのようなブルー。
    ラッセンに特徴的なあのブルーは、南洋と空そして星雲を、深夜の歓楽街の片隅に直結させる。・・・ラッセンの画面は、紫煙に満たされた自然の密室である。

    ラッセン作品の謎は、ぞんざいにあしらわれるということの謎であるだろう。

    「美術手帖」2012.10月号に掲載のものを加筆修正したもの。

    ラッセンは頒布会の新聞チラシで知っている。千葉氏が言ってるように、紫がかったブルーがやはりその広告でもインパクトがあった。でも美術界ではちょっと異端らしい。そうなのか。あとヒロ・ヤマガタという名前もこの本で挙がっていた。きいたことあるようないような、と思い検索してみると、カラフルな暖色系の絵が出て来た。けっこういいかも。・・でも正統?な美術界ではヒロ・ヤマガタも異端らしい。ふ~ん・・ そういう立ち位置・・。

    ラッセンは1989年にアールビバン社と販売契約を締結、とあった。このアールビバン社は昔池袋西武にあった、アール・ヴィヴァンとは無関係らしい。西武にあったのは美術書専門店で、アールビバンは版画などの販売を行う会社らしい。

    2013.6.25初版 図書館

  • ふむ

  • ラッセン、心的外傷まで言われていて吹き出してしまった

  • 日本のバブル期以降、商業的に成功をおさめたクリスチャン・ラッセンはしかし「美術」サイドからは蛇蝎のごとく嫌われていたらしく、そのこと自体を客観視しようという試みに揺れる美術な人達。美術に疎いド素人目線で言えばラッセンに限らず美術の評価基準はさっぱりわからないのだが、ここまで理屈をつけて語れるのか、と素直に驚く。自分がビジネスで関わる業界も、ともすると内輪の論理で互いを評価しがちなところがないかと省みながら読まされた。

  • ヒロ・ヤマガタやラッセンと美術界のスタンス、日本での美術の受け入れられ方などを、各々が書いた本。

  • 作品よりも先に、批判の多い商売方法について知ってしまっていたせいか、SNSで見つけた何気ない『ラッセンが好き』という発言に驚き、美術作品として見ていなかった自分に気がついた。

    ゴッホ、ピカソ、モネの作品の価値の違いがわからない自分に、ラッセンだけを下に見ることができるのか?
    ラッセンに数十万払う若者は騙されていて可哀想で、ゴッホに数億払う長者は可哀想ではないのか?

    そもそも美術に一つも明るくない身としては、名声ありきでコンテキストばかりが俎上に上るようにみえる世界を斜めに見ていたわけだが、当然ながら美術界においてはそんな事は当たり前に議論され尽くしているわけで。
    本書においても、ラッセンは新しいコンテキストを作ったのだと過剰に褒められるわけではなく、技法も心情も陳腐で幼稚だと無為にけなされるわけでもなく、ただその位置の特異性から見出される景色を多くの美術関係者が語るという形式をとる。

    しかし、さすがは美術界といったところか。ここに載せられているのは、ラッセンを歴史や数値で分析するというよりも、ラッセンについて何が語られうるかの探求であり、一つ一つの語り口が特殊で、それぞれのエッセイが全て"作品"に見えてくる。

    中には意識高い系も驚くような専門用語の羅列で、難解な言い回しにこそ芸術性が宿るのだという上から目線が聞こえてくるような自己陶酔型の胡散臭い論もあるが、そういう作風なのだと"作品"を眺めるつもりで見ると、逆に味わい深くもある。

    本書以外の美術本はほとんど読んだ事はないが、ゴッホやピカソについても同様だとしたら、美術というものもなかなか面白い。
    語られる内容の論理を解釈して愉しむのが"読書"なのだとしたら、語られる概論の意外性を感情的に楽しむのが"美術鑑賞"なのではないだろうか。

  • なんだったんでしょう?

  • ラッセンの絵は下世話である──子供時代にラッセンの絵に触れた体験をその後心的外傷的問題意識として抱え続ける若手美術家を中心に総勢15名の論者による多角的な論考は、その下世話なラッセンを“白雪姫の鏡”として自らが依って立つ現代美術の有り様を逆照射し下世話に展開される。その下世話が美術をめぐる人々の有り様の多義性を炙り出して実に興味深い。中でも大山エンリコイサム氏のエッセイは、ラッセンが現代美術の文脈中でオーソライズされた凡そ40年後の日本を仮想しそこから現在に疑義を投げてよこす離れ業に唸らされる。ラッセンを忌み嫌う美術界隈の態度は果たして「リア充爆発しろ」レベルのやっかみなのか、それとも己の黒歴史や矛盾やあれこれの不都合を見せつける同族への嫌悪なのか。ラッセンを通して現代美術が孕む病巣が透し見えてくる。

  • ラッセンは嫌いなのだが妙にひっかかるものがあってあれは何だったんだろうという思いはあった。これを読んで、徹底的にマーケティングを追求していった結果の表現だったんだと腑に落ちた。原田氏の論考ではしかもそれを日本の郊外化と繋げているところが面白い。加島氏は購入システムに関して言及しているが、日本の既存の画廊と絵画販売の在り方もあったら面白いのにと思ってしまったが。。それはまた別の話か。。

全21件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

斎藤環の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×