- Amazon.co.jp ・本 (268ページ)
- / ISBN・EAN: 9784892571404
感想・レビュー・書評
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幼少期から昼の世界を偽物と感じ、夜の世界を豊かにして生きてきた「私」。両親の没交渉によって深い孤独を抱えた少女の心を描いた断章と、〈眠りの館〉で生成されては消えていく夢の世界が折り重なり、一人の女性の人生を浮かび上がらせる幻想小説。
読みながら連想したのはミヒャエル・エンデの『鏡の中の鏡』と山尾悠子だった。現実の不条理や理不尽がデフォルメされた夢の世界に『鏡のなかの鏡』と、氾濫するバロックかつシュルレアリスティックなイメージの連なりに山尾の『飛ぶ孔雀』や『山の人魚と虚ろの王』と共通するものを感じた。
まず色彩がきて、それがもこもこと形をもって風景や人物に変わっていったり、ただ色彩のまま漂っていたりする〈眠りの館〉の物語はクレイアニメのような質感。それでいて語りのリズム感が異様に良い。ほとんどが悪夢と言っていい内容なのに重さはなく、表層がひらひらと残像を残して駆け去り、連想の赴くまま、あるいはブツ切りで次の場面へ突然切り替わる。段落終わりがフラッシュバックのように途切れていくのも印象的だ。
夢の文法をそのまま文字に置き換えるため、カヴァンは映像のように語りをカットして編集している。カヴァンが1901年生まれなのを考えると不思議な感じがするが、むしろ映画自体が実験的なメディアだった時代だからこその表現なんだろうか。映像的であると同時に音楽を文字起こししたようにも感じるのが面白いところで、聴覚と三半規管が優れた人の書いた文章だと思う。
筋のなさも徹底しており、そこがどこか教訓めいているエンデより好きだ。両親との確執や孤独、官僚的な理不尽と戦争という現実の悪夢の取り込み方は映画『パンズ・ラビリンス』を思いださせる。
あえて言えば各章の頭に付された「私」の自叙伝的な部分がストーリーなのだろうけど、情報量は多くない。いわゆる夢日記みたいなものではないし、夢を題材にした成長譚でもない。夢をみるのと同じ感覚を呼び起こす小説。他人の夢に入り込む小説。夢を覗き込んでいくうちに、流れ去っていくイメージの向こう側に昼の世界を否定し夜の世界で生きてきた一人の女性像がゆらりと立ち上がる。けれどそれは陽炎のように儚い。この掴みきれなさが核だと思う。
この女性をカヴァンとイコールとみなすことに何の意味があるだろう。全ての作品は何かしらの意味で作者の自画像だという考えには賛成するけれど、だからこそ創作として提出されたものに「自伝的小説」と銘打っても何かを言い当てたことにはならないと思う。だからこの本の帯の惹句が嫌いだ。これこそが当たり前に昼の世界を優位とみなす昼人間の思考法に侵されている。 -
久々のアンナ・カヴァンは自伝的要素の強い比較的初期の長編で、連作短編としても読める。説明するのが難しいけれど、これはタイトル通り「眠りの館」で見られた「夢」の連作。
一応「夢」の前に、現実の状況の説明書きのようなものが入る。そのような時期にこのような夢を見た、というような形式と解釈したけれど、それで合ってるかどうかはわからない。彼女が「昼」と呼ぶ現実世界に、彼女はなじめない。夜の言葉で紡がれた夢の世界だけが彼女の居場所。
夢の中では、映画のようにカメラワークが意識されておりディテールがとても細かく、金井美恵子を読んでいるかのよう。主人公は少女時代の自分を遠くから眺めているように「B」と呼び、母親を「A」と呼ぶ。夢だから視点が俯瞰なのだろう。不条理なことが起こり、なにかを象徴しているようないないようなことが起こる。それらすべての言葉のチョイスや表現がとにかく美しい。これは翻訳者の力もあるかもしれない。
序盤のほうで、主人公の家には「日本人のハウスボーイ」がおり、彼がおとぎ話などを聞かせてくれる。その影響で彼女の夢に「プリンス・ゲンジ」が登場したりもする。アンナ・カヴァンはウェイリー版の源氏物語を読んでいたようだ。私も早く読まなくちゃ。