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感想・レビュー・書評
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芥川龍之介が、自殺したあとにみつけられた、短編小説。
陰鬱な精神状態の中で、絞り出した文章で重々しい。
度々でてくるセンテンスで、綺麗だなぁと感じるものがあった。
『彼女の顔はかう云う昼にも月の光の中にゐるやうだつた。』
きっと、美人女性なのだろう。
翳りのある、憂いを帯びたような女性なのでしょうか。 -
健康第一に生きようと思いました。
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まだまだ読解力が足りていない。断章51章からなる自叙伝。何度も何度も読み直しましたが、理解出来ない部分が多かったです。
彼の妻や恋人に対する愛情が垣間見れる章が好きです。時間をおいて再読すれば、他にも惹かれる章があるかもしれません。 -
或る阿呆の一生が面白おかしく語られる、というものではなくて、ちょっと何が言いたいのかわからない系のバカと天才は紙一重的なやつ。もちろん本人はワタクシは阿呆でござい、なわけだけど、いやここまで来ると確実に嫌味なわけで、ゴメン、お前がすごいことはよく分かった、でも無理。ってとこだろうかね。
うん、そういうやつは読むな、と言われれば、謝るしかないけども。 -
芥川龍之介が旧友の久米正雄に宛てた作品で、彼(芥川)が語る生涯の記憶の断片を51章で綴られています。自死に臨む覚悟が節ぶしに現れ、憂鬱な悲壮感が漂ってきます。狂人を収容する病院と母親の記憶、養父母と叔母との確執、耳を切ったゴッホの自画像、医者から受けた23の診断(胃酸過多・肋膜炎・神経衰弱・慢性結膜炎・脳疲労・・・)、青酸カリ・発狂のことなど、死を匂わせる内容が目立ちます。「では さようなら」の冒頭の挨拶文に、ひとしお寂しさを感じさせる昭和2年6月の遺稿です。
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文章が重々しい。追い詰められて行ったんだろうな、と感じ取ることができる
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散文の繰り返しで途中から飽きてきた。自殺前の精神的な疲れが思いやられる。
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美しい表現と、確かな狂気。
もう少し背景知らないと理解したと言えないかなぁと思った。
芥川もう少し読んでから再読したい。 -
初めて読みましたが読んだと言えるかどうか。これほどの有名人なのに著者に関する知識はほとんどなし。作品の背景など、何の準備もなしに頁を開きましたが字面を追っただけ。もう少し勉強してから再挑戦します。
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太宰治の『葉』みたいな感じで大分好き
いつか再読しよう -
作中にもあるが、自叙伝のようだ。
自叙伝というには、あまりにも瞬間的だけれど。
思い出す作業を頭に浮かべれば――記憶がふっと脳裏に蘇り、長いこと留まらない――リアルとも感じる。
また、『歯車』を読んだあとでは、明晰な思考で驚いた。
表現も詩的で、私はこちらの方が好きだ。
細く神経を土に這わす唐黍、虫に食われた羽をぶら下げる剥製の白鳥、芥川に自分を思い起こさせるそれらの光景は、なんとも侘びしく、心に刺さる。
しかし『歯車』を読んで、相当精神が参った状態かと思えばこういう文に出会い、『歯車』もある効果を狙ってあんな風に書いたのか、それとも正直なところの感覚なのか、判断がつかなくなった。 -
芥川ヤミスギィ!イクイクイク…お薬増やしておきますね。ヒョイパクーグエー死んだンゴで宜しいかな。
書いていることが断片的、そして、人に見せしめる為のものではないので断絶した芥川の自伝に近い。陰々滅々と陰鬱とした心持ちを取り留めもなく吐露し、生きることや社会に冷淡として一笑とする一貫とした態度は不安に苛まれ追い詰められ、磨り潰された心の叫びとも押し潰された呻き声とも言える。
「ええ。──いえ、死にたがつてゐるよりも生きることに飽きてゐるのです。」 -
"彼の前にあるものは唯発狂か自殺かだけだつた。彼は日の暮の往来をたつた一人歩きながら、徐ろに彼を滅しに来る運命を待つことに決心した。"
「彼」の死へと向かって行く様が断片的な文章によってに綴られていく。それぞれの節は本当に断片的な文章ではあるが、切々たる苦しさに満ちている。 -
自伝、と言っていいと思う。
自己弁護はしなかったつもり、という文が既に自己弁護になっている。それが芥川という人なのだろう。 -
芥川龍之介が自殺間際に自叙伝を「詩と真実」で書いたもの。ストーリーはない。ただ断片ごとの印象だけ。どうにも生活が窮迫していく様子が淡々と臨場感をともなってかかれている。
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文豪の書いた断片的な日記。自殺後に発表された文章。
当たり前なんだけど、史実の人々って本当に存在していて、人間なんだなあ、と思った。歴史に残るような人々って、どこか存在が神話めいていて、記号的・ブランド的にしかみれなかった。
でも、これを読んで、ああ人なんだなあ、と感じた。
現実の人間だから、交友関係もある。
谷崎潤一郎がでてきて、「先輩」といわれてたり、
「先生」として夏目漱石がでてきたり。
考えてみれば、同じ作家の世界なのだから人も繋がっているんだけど、不思議な感覚だった。
以下、冒頭文引用。
僕はこの原稿を発表する可否は勿論、発表する時や機関も君に一任したいと思つてゐる。
君はこの原稿の中に出て来る大抵の人物を知つてゐるだらう。しかし僕は発表するとしても、インデキスをつけずに貰ひたいと思つてゐる。
僕は今最も不幸な幸福の中に暮らしてゐる。しかし不思議にも後悔してゐない。唯僕の如き悪夫、悪子、悪親を持つたものたちを如何いかにも気の毒に感じてゐる。ではさやうなら。僕はこの原稿の中では少くとも意識的には自己弁護をしなかつたつもりだ。
最後に僕のこの原稿を特に君に托するのは君の恐らくは誰よりも僕を知つてゐると思ふからだ。(都会人と云ふ僕の皮を剥はぎさへすれば)どうかこの原稿の中に僕の阿呆さ加減を笑つてくれ給へ。
昭和二年六月二十日
芥川龍之介
久米正雄君 -
雰囲気を堪能できた。空気感が胸にしみる。
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遺稿。痛ましい