罪と罰 1 (光文社古典新訳文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • ものすごい表現力に衝撃を受けました。
    ・思想の胚珠 ・人生は永久の研究だ
    ・思想の発酵
    この言葉を見る限り主人公は罪に対する思想やその後の人生を必死に考えている様子が伺えます。
    また殺してしまった時の極度の緊張状態の熱っぽさの表現はリアルすぎてハラハラしました。
    そして人殺しの後に主人公の友人とも言える人の死に際を見るという恐ろしい展開。
    更には最期に派手な服(娼婦)を着た娘に許しを乞う……とことか悲しすぎました。
    神のように純粋であるがためにこの父は娘を崇めたのでしょうか……
    また、主人公が罪の意識から抜けれたほんの一瞬の表現も好きです。
    ・力強い生命が波のように寄せてきて、その限りない偉大な新しい感覚が、彼の全身にみちあふれた
    →死刑宣告を受けたが特赦をしてもらった感覚
    表現力がすごすぎて言い方は悪いですが犯罪者の実体験のようにも見える素晴らしい?恐ろしい?作品でした。

  • コペイカってお金の単位かわいい

  • 【1.読む目的】
    ・時間のあるこの期に、世界の名作を読み、教養を深める。 (実はドストエフスキー読んだことない)

    【2.気付きや気になった点、面白かった点等】
    ・この手の本は時代背景と合わせて読むのが大事→後ろに解説もあってGOOD

    【3.感想】
    ・亀山郁夫版は賛否両論あるけどすらすら読めて面白かった。

  • 貧乏青年ラスコーリニコフの独り言「人間ってのは全てを手中に収めながらそれをみすみす逃してしまう。それももっぱら臆病のせいで… 人間が最も怖れるものは何か?新しい一歩、自分の新しい言葉、人間は何よりもそれを怖れているんだ…」

  • 今年こそ読みたいと思っている作品のうちのひとつに着手。なんだかドストエフスキーの小説って読みながらあんまりその人の姿が浮かんでこない。ラスコーリニコフとか、なんとかとか、そういう記号が、うわーっと、思想とか実験的な何かをめいっぱい体現している感じ。ロシア文化に対する理解が乏しいからなのか、作風なのかわからないけど、だからこそ記号化された人物の放つ人間らしさ、だれもが陥りかねない鬱屈した気持ち、暴力的衝動、自暴自棄等が自分のものかもという思いにとらわれ、だんだんと足場が狭まっていくような思いになる。

  • “たとえいっときでも、たとえどんな場所でもいい、いつもとは別の世界で息がしたかった。”

  • 2020.5.19読了
    本書が、それまで本を読まない人間にとってめくるめく読書遍歴の第一冊目となるのはよくわかる。

    若さゆえの皮膚感覚の鋭敏さによって、むき出しの外界(かつての学友、酒場のざわめき)を強く感受する主人公の自我は、肉の牢獄のような特異な生理環境の中で、一人で考えたい、という反社会的な欲望を優先させる。そして神経を酷使しながら、まるで熱にうなされるように何事かを考え、時にうわ言のように思想の片鱗を突拍子もなく見ず知らずの他人に漏らしながら、思想の体系化を図ろうとする。肉付けていく。この孤独な精神の格闘、青年期ならではの揺らぎが、古典文学の傑作という重々しい観念を超えて、読み手に伝わるからだろう。たとえ読書嫌いの青年にとっても。

    主人公の二面性について、金貸しを構築途中の思想信条に従い(あるいは飲み込まれ)殺害する時は冷徹だが、娼婦の娘が稼いだ金を酒代にあて、精神の自傷行為を繰り返すように酒におぼれた地方官吏の最期に立ち会うと、その哀れさにほだされなけなしの金を葬儀代として遺族に渡す。そこには素直な優しさが現れている。
    また、教育、福祉といったソフトインフラの網目から零れ落ちた自身の境遇をふまえ、どう克己するか自省していく主人公は冴え冴えとしたものだが、ロージャと愛称で呼ぶ家族と対面したときには、思わず人間的な感情が沸き上がる。
    こうした青年らしい心の揺らぎは「赤と黒」のジュリヤン・ソレルの内面描写にもみられるが、ロージャに社会的な野心はない。一人で考える、という思想の立脚点の内外に貧困層の集まる都市空間と人間的な感情が遠く控えている。

    また、冷徹になりきれない主人公の、一貫性のなさについて、たまにかわいらしいと思ってしまう。歳を取ると本の感想が変わるとはこういうことか。

    「それって血よ」「血だって…?」のセリフは、手塚治虫版罪と罰と照らし合わせてしまう。
    手塚版をkindleで購入し、十数年ぶりに再読。
    小学生の頃か、子供の足では長く退屈な帰り道に、手塚全集シリーズの一冊としてやたら分厚い「罪と罰」を、歩きながら読みふけっていた。家に着くのがあっという間に感じた。二宮金次郎みたいと近所が噂していたようだ。

    神経症的な発作や躁鬱の波を繰り返しながら、主人公の犯罪はある思想にもとづく確信犯的な行動ではないか、と読み手に匂わせ1巻は終わる。2巻では判事との対決のシーンだろうか。

  • 1865年、農奴解放令が施行されて4年目のロシアを舞台に、ある青年が殺人を犯す。

    巻末の読書ガイドにモデルとなった事件や、場所、人名、お金についての解説があって面白い。

  • 農奴解放運動が起こり帝政ロシアが近代化しようと社会が混沌としていた時代の話
    この本は、ドストエフスキーの生きた時代の激動ぶりがすごく伝わってきて、その当時の若者の価値観も現代の私には全く共感できないものばかりだった。(共感できない分1巻目は読むのに時間かかった)この時代に生きたらこんな風に考えるのかとか、人の価値観も性格もその時代の影響をモロに受けるなあと思った。価値観とか性格とかってまるで自分自身から生まれたもののように勘違いしがちだけど、社会からのreflectionそのものだなあと思った。

    2巻目の主人公が唱える「犯罪論」はとても衝撃的だった
    「犯罪論」によると、「すべての人間がグループわけされるってことにある、『凡人』『非凡人』のグループにね。凡人は、従順に生きなくちゃならない、法を踏み越える権利ももたない。…ところが、非凡人はあらゆる犯罪をおかし、勝手に法を踏み越える権利をもつ…」「その非凡人の思想の実行にあたって(ときにはそれが全人類にとって救済になるかもしれませんよ)その踏み越えが必要になるという、そういう場合に限ります。…たとえば法の制定者とか、人間に指導者とかは、太古の偉人にはじまって、リキュルゴス、ソロン、ムハンマド、ナポレオンに類する人間まで、みんながみな、ひとり残らず犯罪者だったんです、新しい法律をつくるという、まさにそのことによって、社会が神聖なものとしてあがめたてまつり、先祖代々受けついできた古くからの法律をぶっこわしたという、その点ひとつとっても、すでに犯罪者でした。…」

    だから主人公は殺人を犯したんだとなんというか納得がいってしまった。もちろん殺人は肯定できないけど彼の考えはわかったというか、なるほどって思った。世の中で過激派と言われてる人たちって割とこういう考え方してるんじゃないかって思う。イスラムのジハードとかもちょっとこれに近い考え方だし、常に罪を正当化しようとする思想ってあるんだなあと。

    この本を読んで、罪を犯すと言うことをが感覚的にやってはいけないんだと強く思うようになった。殺人をしてはいけないなぜなら…って常に何かには理由がある、そういう世界じゃなくて、あー本当にこれはやっていけないんだと思う感覚。普通に何かを学んだりするだけではなかなか味わえないものだったと思う。道徳的な本で高校生ぐらいの時に読んでおきたかったかなとも思った

  •  昔読んだはずなんだけど、こんなにラスコーリニコフの心の描写が重たくリアルに迫ってくるものであったかと驚いている。病的な主人公の心理描写を淡々と読んでいたはずが、「自分もそう考えても仕方がないかもしれない」になり、コトが起った後にはそれをどうしていいかわからない焦燥感までも共感できてしまうという。これは描写がすごいとしか言えない。時も国も文化も超えて人間に突きつけられるものを共にしている気がする。

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著者プロフィール

(Fyodor Mikhaylovich Dostoevskiy)1821年モスクワ生まれ。19世紀ロシアを代表する作家。主な長篇に『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』『悪霊』『未成年』があり、『白痴』とともに5大小説とされる。ほかに『地下室の手記』『死の家の記録』など。

「2010年 『白痴 3』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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