- Amazon.co.jp ・電子書籍 (224ページ)
感想・レビュー・書評
-
駄々猫さんリリース
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
先輩小説家と共にミャンマーに取材旅行にいった際の旅行記。2004年当時の軍事政権やミャンマーの歴史などを江戸時代の幕府にたとえて面白く書かれており、ガイドと称して常にぴったり護衛?案内してくれる人たちは柳生一族と称されている。ミャンマーのことをあまり知らない人にも、ミャンマー通の方にも面白く読めると思われる小説だった。この本とともに、「アヘン王国潜入記」を読むとより面白いと思われる。
-
よく「思考の補助線」のような表現を見かける。なかなかイメージすることが難しいが、自分の頭の中で起きることはこういうことかも。
-
ミャンマーという国を江戸時代の日本に例えている旅行記。ノンフィクションなのに面白い。誰にもできない旅。
-
2004年に高野秀行が船戸与一の取材旅行に同行した記録を、当時のミャンマー軍情報部を柳生一族に、ミャンマー軍主流派を徳川家になぞらえて語る異色の旅行記。
まず驚きなのは、高野秀行のビザが下りたということだ。世界で唯一ワ州に長期滞在しアヘン栽培を記録した『アヘン王国潜入記』の著者である高野は、てっきり民族独立派のシンパと認定されて入国を拒否されるものと思っていたが、あっさりビザが下りてしまい拍子抜けとなる。
独裁を維持する独自の情報部、それもアジアというと北朝鮮の保衛部のように冷酷な印象を持ちがちだが、意外と緩い。ガイド役の情報部員は英語も不得手でむしろ愛らしい位だし、アウン・サン・スー・チーにまつわるセンシティブな話もしてしまう。
鉄の掟や、厳しい内規の存在は感じさせない。素朴なのだ。現状の軍主流派の所行からは想像もつかない牧歌的な光景である。
2000年代初頭までは本当にこうだったのかもしれない。高野秀行の文章は、現地の言葉で現地の人と話すことでしか得られない生活感がある。
柳生一族というのは突飛な比喩であるが、生活感が「柳生一族」という比喩に説得力を与えている。こういう比喩を思いつける人間になりたいと思う一冊だった。 -
高野秀行のこれまでの著作に比べて、船戸与一の取材についていった感じなので、体験よりもミャンマーの政治情勢についての解説が中心。(僕は船戸与一の本も読んだことがないので、余計に興味が持てない。好きな人なら違うはず)
それなりに面白いけど、アヘン王国潜入記や幻のアジア納豆に比べるとだいぶテンションも違うし、その2冊を先に読んだ方がいいので点数は低くなる。
Kindleで手に入りやすいのはありがたいけど... -
ミャンマーを知り、共に旅をし、出会い、何度か爆笑!大推薦!
-
いつもながらに面白かったし、本作ではとても勉強になった。本作のミャンマーへの旅はいつもの辺境旅行記とは少し趣が違うのだが、そこは高野秀行。絶妙な自虐ネタとか、るツッコミが読んでいて吹き出してしまうような面白さは変わらない。それに加えて、本作では今では民主化しつつあるミャンマー軍事政権とかアウン・サン・スーチー女史の関係について、あろうことか戦国末期から徳川幕府に喩えて、日本人にはとても分かりやすい説明を提供してくれています。さらに情報機関の人たちが柳生一族。報道を見聞きするだけだと、軍事政権に民主化を目指す1人の女性が戦っているような程度でしか理解していなかったけど、すっかり認識が変わった。なるほどそう言うことか。歴史は繰り返す。しかも日本とミャンマーで。高野秀行は喩え上手なんだなぁと思う。
-
徳川幕府と柳生になぞらえる高野氏の手法はここから始まったと思われるが、のちの(先に読んだ)『謎の独立国家ソマリランド』での鎌倉幕府になぞらえることで花開いた感じ。その続篇の『恋するソマリア』ともどもオススメ。
-
高野秀行が「ビルマ・アヘン王国潜入記」、「西南シルクロードは密林に消える」 (未読)に続いて世に問うミャンマー旅行記第3弾。今回は船戸与一のカバン持ち旅行ということもあり、冒険譚的な魅力には乏しいが、いつものように周到な調査と現地現物の肌感覚に基づいた先入観のない評論は的確。何かと話題になることの多いミャンマー軍事政権に対する独自の考察は見事だ。また、後に「謎の独立国家ソマリランド」として結実する、現代日本から圧倒的にかけ離れた辺境の実情を日本史上にマッピングする手法が確立された書としても記憶されるべきであろう。ただし、ノンフィクション作品としての完成度はアヘン王国や謎の独立国家に遠く及ばない。
-
普通の国になってしまったミャンマー。
少し残念。 -
読ませる文章が上手。おもしろく、かつためになる。