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感想・レビュー・書評
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世界観戦争という用語を著者は使っている。正に相手の絶滅を目指した2つの怪物国家(ヒトラーとスターリンによる巨悪の国家と言い換えても良い!)の壮絶な死闘に驚き。その死者の数たるや日本の被害を桁超えではるかに上回る。なぜドイツがソ連との闘いにここまで力を注いだのか。スターリンの粛清により軍事力を損なっていたソ連の初期の敗北からなぜ反転していったのか。史上かつてない空前の大戦争は西側各国との戦争をしのぐレベルであったことを痛感する。二人の独裁者により両国の戦争遂行も錯誤の繰り返しで戦況が二転三転。ドイツ国民がなぜ戦争を終わらそうとしなかったのかを「収奪政策による利益を共有していた共犯者であり、その利益を失いたくなかった。また報復を恐れた」との説明は納得である。ソ連の崩壊により、事実が明らかになったことにより歴史解釈がさまざまに変更されてきたということも興味深かった。
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ネットで評判がいいので購読。
これまでの知識が大幅アップデートできた。ソ連の犠牲者は2000万人と聞いていたのが2700万人に増えた。ドイツはなんもかんも総統のせい、というのはドイツ人の責任逃れで、国防軍もソ連討つべしで同意していたと。伍長のマイクロマネージメントがどんなものかも割とわかった。
フランスを征服したドイツは続いてイギリスに手をのばすが、バトル・オブ・ブリテンでRAFに負けアシカ作戦は実質取りやめになる。欧州大陸は支配したがイギリスとそのバックのアメリカは気がかりだ。
この状況の打開策がソ連の打倒という発想がわからない。なぜイギリスに勝てないのがソ連には勝てると思ったのか。
楽観的展望がいかに人の判断力を鈍らせるか。
スターリンもドイツが攻め込むというシグナルを受け取っていたのに、「今戦争なんてマジありえない」と情報を握りつぶし、実際に攻撃が始まるまでほとんど何もできなかった。これも願望を現実と見誤った失敗事例。
ドイツの攻撃の情報は日本からゾルゲが送っていたものもあったと。この情報は不発だったが、開戦後、日本がシベリアに侵攻する予定はないという情報はソ連に有利に働く。対日防衛のために配置していた部隊を西に回し、フルスイングでドイツと対決できた。
ドイツは日本の援護も期待していなかった。真珠湾で対米戦が始まったことを、アメリカの力を太平洋に釘付けにして好ましいと思っていたという話。「ロシアなんて楽勝」と舐めプを決めてベストを尽くそうとしていなかった。
独ソ戦は開戦早々にT-34が投入されたので、技術的にはソ連が侮れない敵であることは容易に分かったはず。本書ではソ連の作戦術について詳しく書かれている。それを支えたのは「畑からとれる」と揶揄される豊富な人的資源と、木や鉄で製造する膨大な数の軍用機。さらに米英からのレンドリース。
しかし、理屈で始めた戦争ではなく、スラブ人を一掃してドイツ人の植民地を築くという戦争ではそういう敵の戦力に関する正しい情報は活かされない。
歴史上最も悲惨な戦争という知識を得るのもいいが、現在にも通用する様々な教訓が見られる。希望的観測に基づく舐めプの恐ろしさ。独裁者が民族の空気とのポジティブフィードバックで政策をエスカレートさせる様。戦争で勝ってしまったがために止めようがなかったソ連の増長。
なお、「戦争の悲惨さ」そのものの記述は最小限で、感情に訴えかける反戦本ではない。そういう描写は『不屈の鉄十字エース』あたりにたっぷり書いてあるので気になる方はどうぞ(しかしなんで絶版なんですかね)。 -
独ソ戦の通史として読んでみた。本書は、従来の大祖国戦争はファシストの侵略を撃退し、輝かしい勝利を手にしたというソ連の神話、一方ドイツにおいては、対ソ戦の責任はヒトラーの責任であり、国防軍はヒトラーになす術なかったという伝説を、一次資料等を用いてそれがプロパガンダ的に流布されたものと説明している。双方とも、通常戦争とは異なる世界観戦争となり、決して合理的でない作戦や非人道的行為を実施していたという指摘は参考になった。現在でも政治の場で利用される独ソ戦の歴史観を知ることができて良かった。
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日米戦については多くの書籍があり特に開戦時と終戦時のものについては読んできたのですが、独ソ戦についてはほとんど知らんなあということで新書大賞記念に購入してみました。
独ソ戦の開戦時からベルリン陥落までの約5年間を新書の長さにまとめたものです。戦争体験といえば戦場では飢えと内地では空襲で語られることの多い日本において想像を絶する世界でした。
雰囲気はつかめたが、おそらくソ連側の情報が不足しているせいか、全貌はよくわからなかった。少し出てくる日本が関係するところの話が知っている話と異なっているのでどこまで信用してよいかもわからない。 -
第2次世界大戦のなかでも最も多くの犠牲を出した独ソ戦。東欧全域を巻き込む5年におよぶ戦役によって、ソ連側だけでも2700万人もの犠牲を出したという。
本書執筆の動機は、パウル・カレルをはじめとする独軍視点からの戦記ものが日本でなおミリオタに根強い人気を誇っていることへの憂慮からとのことで、巷間の俗説を正そうとする本書自体が、相当に軍事面に重点をおいた記述になっている。
新書では異例の大ヒットになったのも、まるで軍略を競う戦争ゲームをプレイするかのように独軍とソ連軍の対決を「楽しむ」読者が多かったからではと思われるが、著者も書いているように、軍事とは戦争の一側面に過ぎないことは肝に銘じておくべきだろう。一方で軍事面に明るくないわたしのような読者にとっても、学説の変化に関する解説など、ずいぶん勉強になった。
ヒトラーは政治的キャリアの初期から一貫して豊かな資源をもつ東欧・ソ連を征服して非アーリア人を絶滅・追放し、アーリア人が支配する東方植民地帝国を築くという計画を追求していた(このヒトラー個人の政治的計画を重視するのが「プログラム」学派)。
そのソ連と手を結んでまで抑制したかったイギリスとの戦争がなかなか有利に展開せず、また国民の支持をつなぎとめるために必要な海外資源を断たれそうになったことから、ヒトラーはついに不可侵条約を破棄してソ連の自然資源および労働力資源を収奪するための戦争に打って出ることを決断する。
一方で、全世界に優秀なスパイ網をはりめぐらせていたにもかかわらず、粛清と独裁によって自軍を弱体化させていたスターリンは警告に耳を貸さず独軍の不意打ちと初期の進撃を許してしまうが、独軍も決定打を放てないまま、両軍は多大な損害を出しながら長い消耗戦を強いられることになる。
互いに相手を倒す力もないままようやく立っている2人のふらふらのボクサーのような独ソの戦争に決着をつけることになった要因として、著者はソ連軍の優秀な「作戦術」を強調するが、これはどうなんだろう。純粋に軍事的な側面では重要な要因だったかもしれないが、アメリカの参戦が第二次世界大戦全体の帰趨にもたらした決定的な意味について十分に記述されているようには見えず、それこそ独軍の優秀さを強調する俗説にひきずられてしまっているのではないかという気がしなくもないのだが。
本書は、ナチスの対ソ戦を、純軍事的な「通常戦争」と、資源を奪い自らのものとするための収奪戦争、そして人種主義という非合理的イデオロギーにもとづく絶滅戦争という3つの性格をもっていたと論じる。だが、「通常の」純粋に軍事的な戦争、という理念はいったいどの程度まで「通常」といえるものなのだろうか。その「通常」という語には、国家が目標の達成のために合理的に軍事を手段として利用するという「正常な」合理的国家観が前提としてあるのではないか。作戦術や戦略論はそうした前提のうえで発展してきたものだろう。
戦争を歴史なき国家間の軍事ゲームのように見る見方は近年のミリオタの病理ではなく、ずっと根深いものなのだと、あらためて考えもする。 -
NDC / 391.2074
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独ソ戦はナチスのイデオロギーを背景に敵に対する情け容赦ない扱いと味方の降伏を認めない絶滅戦争といえる凄惨な事態をもたらした。本書は比較的最近の研究成果に依拠して、ドイツ国防軍無謬論やヒトラーのミクロ介入による失敗という戦後の神話を否定する。
戦局の全てを理解することは難しい。簡単にまとめると、ソ連への過小評価に基づくバルバロッサ作戦がスターリンによる敵が攻めてこないという願望・盲信によりたまたま成功したがドイツ軍はすぐに作戦遂行能力を失った。ソ連側の粘り強い抵抗は功を奏し、最後はバグラチオン作戦による攻勢で情勢は完全に決したという流れ。 -
第二次世界大戦の大きな舞台の一つである独ソ戦を、その始まりから終わりまで通史として書かれています。日本人にとっては、自国の太平洋戦争が主眼となりますし、戦後の情報の少なさなどもあって、多くがあまりよく知らない戦争になってしまっている部分もあると思います。実際、太平洋戦争については大衆向けの本も多くあり、割と詳細に知られていますが、独ソ戦について同様のものがなかったように思います。戦争がどのように発生し、どのような経緯をたどり、また実際の戦場はどうだったのか、個々の戦いの結果、捕虜や一般人の運命など、本書ではその要求に応えるかのようにリアルに書かれています。それを通して、この独ソ戦の悲惨さを知ることができる内容になっています。