- Amazon.co.jp ・電子書籍 (252ページ)
感想・レビュー・書評
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川崎に対するわたし自身のイメージは良くも悪くも実に貧困で、昔からのコリアンタウン、最近では多文化共生の街という印象しかなかったのだが、まったく知らなかった世界に案内してくれるルポだった。ある意味ではどんな街でも、同じ地域に住んでいる住民にさえ見えない世界が広がっているものなのかもしれないけれど…
最初の1,2章を読み始めたときこそ、小学生がギャングに出入りするなんてほとんど外国映画みたいで、なんだか嘘くさいようにも感じられたのだけど、さまざまな人たちへのインタビューを重ねて読むうちに、戦前から肉体労働者が集まる工業地帯という歴史をもつ街だからこそ、彼らを食い物にする暴力団が仕切り、未来に夢を描けない若者たちがそこに吸収されていく構図が、しだいに説得力をもって見えてくる。
本書の中では2008年のリーマンショックの影響がしばしば言及されていたが、日本の政治・経済・社会・教育をめぐる構造的変化がこの地域やその若者たちにどういう影響をもたらしてきたのか、社会学的な視点からの考察も読みたくなってきた。
もっとも、本書が強い魅力をもっているのは、この地域の人々を、調査や研究の対象、「問題」や「ダークツーリズム」の消費の対象として扱うのでなく、ラップミュージックやヒップホップダンス、ヘイトに対抗するカウンター行動、それに違法な活動まで含む、生き生きとした路上の文化を創り出してきた主体として、最大限の敬意をもって描いていることだろう。
音楽ライターであり一児の父親であるという筆者自身の立ち位置には、たしかに女性たちへのアプローチが弱いなどの限界もあるものの、相手を対象化する卑しさがない。そこがいい。
そしてこの書き手が引き出してみせる、すでに老成した感さえある川崎の若者たちの、真っ直ぐなまなざし。この歳になってさえ自分本位にしか生きていない自分が恥ずかしくなるほどに、彼らは傷つきやすい子どもたちのことや自分たちのコミュニティについて考えている。それは優等生的に押し付けられる郷土愛とはまったく違うものだ。こんな若者たちが生まれているのなら、きっと大丈夫。むしろ重要なのは、「川崎」を見下ろしている外の世界が、彼らから学べるかどうか、なのだろう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
内容は川崎南部のヒップホップカルチャーとその周辺住人たちに偏っていて、さすがに川崎という広いエリアを掲げたタイトルは看板に偽りありと思える。登場する人たちの考え方や暮らしぶりは興味深いけれど。それと、川崎の独特さを語る人達が何人も出てくるが、たぶん他の地域でも似たようなことは日々起こっているんだろうなと思うことも多い。
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2016年から2017年にかけて『サイゾー』に連載された記事「川崎」に加筆修正して出版されたルポタージュ。川崎市の中でも特に沿岸の川崎区を中心に取材を重ね、そこに生きる人々の姿を伝えている。
川崎区は労働者と外国人の街とも言われ、飲む・打つ・買うの場所が集まる「ガラの悪い土地」である。周辺地域の子供が「あそこには行くな」と言われて育ったという話はよく聞く。2015年には、中学生の少年が河川敷で殺されるという痛ましい事件が起きた。犯人も少年たちであり、改めてこの街の「闇」が耳目を集めた。
連載「川崎」はその殺人事件をきっかけに始められたものだが、事件の顛末を追うことがメインではない。朝鮮系やフィリピン系など外国にルーツを持つ子供や、不良からラップやダンスで身を立てた若者たち、そして彼らをサポートする大人たちの話が中心だ。歓楽街やドヤ街で生きる人々にも触れている。取材された人々は犯罪に手を染めた過去があったりして必ずしも善良な市民ばかりではないが、それでも懸命に生きている姿が眩しく感じる。
ラゾーナ川崎の建設などで駅の周りはきれいになった。それでもまだ、きれいではない街は残っている。全部きれいにしたらみんな幸せになれるだろうか? ここで生まれて抜け出そうとする者もいるけれど、流れ着いて住む者もいる。こういう場所もどこかには必要ではないだろうか?
私は過去3回川崎区に住んだことがあるが、さほど危なくない場所だった。本書で紹介されたエリアに対しては、他人事だと思って怖いもの見たさで覗いているに過ぎない。けれど、街のどこかに「きれいではない場所」が残されていることに、何か魅力を感じてしまうのは確かだ。