失敗の本質: 日本軍の組織論的研究 (中公文庫 と 18-1)

  • 中央公論新社 (1991年8月1日発売)
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次の大東亜戦争・太平洋戦争における日本軍の各軍事作戦(読んでいくと、”作戦”と言って良いものなのか疑問を感じたが・・・。例えば敵を殲滅する作戦とか・・・)は、日本軍が破れた中でも名が知れたものであるが、その経緯を追い、何が悪くてそう言う結論となったのかを分析する。そして全体を俯瞰し、戦略や組織における日本軍の失敗を分析し(第二章)、最後に、失敗の教訓(第三章)では、日本軍の失敗と今日的課題と称し、現在の政治・官僚組織・企業の中に落とし込んで、そのDNAたるものが未だに潜んでいることを主張する。

山本七平氏の”「空気」の研究”と言う書籍には、日本には誰もいないのに誰よりも強い「空気」というものが存在し、人々の行動を規定しているというようなことが書かれてあったが、空気が場を支配していること、また”ごちゃごちゃ言わずに気合を入れてやれ"的な精神論が未だに巾をきかしていることも、(いつの頃から始まったのか不明だが)未だに世界有数の経済大国となっている今でさえ、企業風土として残っているように感じる。そしてそれは、米国とは大きく違うである点であることも。
最初は形勢不利だった太平洋戦争開始時から、米国は常に失敗から学び、そして多数の意見・見方から最適な戦略を選択していくと言う手法をとり、結局勝利したのではないかと感じた。
また日本に足りないことは、improveは得意だが、createは不得意なのだろう。これは身に染み付いたDNAだろうし、なかなか自己変革は難しいかもしれないが、世界の潮流にとり遅れないためにも、意識変革が必要ではないのだろうか。

ノモンハン事件
ミッドウェー作戦
ガダルカナル作戦
インパール作戦
レイテ海戦
沖縄戦

以下本書に書いてある日本企業の組織の特徴、
米国企業のような公式化された階層を構築して規則や計画を通じて組織的統合と環境対応を行なうよりは、価値・情報の共有をもとに集団内の成員や集団間の頻繁な相互作用を通じて組織的統合と環境対応を行なうグループ・ダイナミックスを生かした組織である。
その長所は、次のようなものである。
①下位の組織単位の自律的な環境適応が可能になる。
②定型化されないあいまいな情報をうまく伝達・処理できる。
③組織の末端の学習を活性化させ、現場における知識や経験の蓄積を促進し、情報感度を高める。
④集団あるいは組織の価値観によって、人々を内発的に動機づけ大きな心理的エネルギーを引き出すことができる。
しかしながら以上の長所も、戦略については、
①明確な戦略概念に乏しい、
②急激な構造的変化への適応がむずかしい、
③大きなブレイク・スルーを生みだすことがむずかしい

組織については、
①集団間の統合の負荷が大きい、
②意思決定に長い時間を要する、
③集団思考による異端の排除が起こる、
などの欠点を有している。そして高度情報化や業種破壊、さらに、先進地域を含めた海外での生産・販売拠点の本格的展開など、われわれの得意とする体験的学習だけからでは予測のつかない環境の構造的変化が起こりつつある今日、これまでの成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められているのである。とくに、異質性や異端の排除とむすびついた発想や行動の均質性という日本企業の持つ特質が、逆機能化する可能性すらある。さらにいえば、戦後の企業経営で革新的であった人々も、ほぼ40年を経た今日、年老いたのである。戦前の日本軍同様、長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。米国のトップ・マネジメントに比較すれば、日本のトップ・マネジメントの年齢は異常に高い。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。日本的企業組織も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである。

われわれにとっての日本軍の失敗の本質とは、組織としての日本軍が、環境の変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなかったということにほかならない。
戦略的合理性以上に、組織内の融和と調和を重視し、その維持に多大のエネルギーと時間を投入せざるを得なかった。このため、組織としての自己革新能力を持つことができなかったのである。それでは、なぜ日本軍は、組織としての環境適応に失敗したのか。逆説的ではあるが、原因の一つは、過去の成功への「過剰適応」があげられる。過剰適応は、適応能力を締め出すのである
近代史に遅れて登場したわが国は、日露戦争をなんとか切り抜けることによって、国際社会の主要メンバーの一つとして認知されるに至った。が同時に日露戦争は、帝国陸海軍が、それぞれ「白兵銃剣主義」、「艦隊決戦主義」というパラダイムを確立するきっかけともなった。その後、第一次世界大戦という近代戦に直接的な関わりを持たなかったこともあって、これらのパラダイムは、帝国陸海軍によって過剰学習されることになったのである。組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織を革新していかなければならない。このような自己革新組織の本質は、自己と世界に関する新たな認識枠組みを作りだすこと、すなわち概念の創造にある。しかしながら、既成の秩序を自ら解体したり既存の枠組みを組み換えたりして、新たな概念を創り出すことは、われわれの最も苦手とするところであった。日本軍のエリートには、狭義の現場主義を超えた形而上的思考が脆弱で、普遍的な概念の創造とその操作化ができる者は殆どいなかったといわれる所以である。自らの依って立つ概念についての自覚が希薄だからこそ、いま行っていることが何なのかということの意味がわからないままに、パターン化された「模範解答」の繰り返しに終始する。それゆえ、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識できず、責任の所在が不明なままに、フィードバックと反省による知の積み上げがで
フィードバックと反省による知の積み上げができないのである。その結果、自己否定的学習、すなわちもはや無用もしくは有害となってしまった知識の棄却ができなくなる。過剰適応、過剰学習とはこれにほかならなかった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
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感想投稿日 : 2024年3月28日
読了日 : 2024年3月28日
本棚登録日 : 2024年3月28日

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