「利他」とは何か (集英社新書)

  • 集英社 (2021年3月17日発売)
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コロナの状況下で「利他」というキーワードが急浮上した。しかし言葉の意味をあいまいにとらえて安易に使ってはいないだろうか。
本書は、利他が注目される今だからこそ、その可能性や負の側面も含めて考えなおしていこう、という趣旨でまとめられたものである。

本書では、東京工業大学未来の人類研究センターに所属する各メンバーが、それぞれの研究分野から「利他」について考える。
メンバーは、美学分野で身体論を研究する伊藤亜紗氏、政治学者で近代日本政治思想史、南アジア地域研究を行う中島岳志氏、批評家、随筆家の若松英輔氏、哲学・現代思想を研究する國分功一郎氏、小説家の磯崎憲一郎氏である。

伊藤氏は、さまざまな「利他主義」の考え方を紹介しつつ、効率化、数値化が行き過ぎると予測可能なもののみを認める社会、他者をコントロール下に置く社会につながる、と警鐘を鳴らす。
研究上障害者と接することの多い伊藤氏は、「善意による支配」の構図をよく目にするそうだ。それを踏まえ、利他とは、他者の潜在的な可能性に耳を傾けると同時に、自分が変わることも受け入れることだとする。

中島氏は、志賀直哉の小説『小僧の神様』やパプアニューギニアの例を挙げ、「贈与」という行為から利他を考える。すなわち、贈与という行為は与えることで自分に返ってくると思った時点で利己的なものであり、純粋な贈与とは、「思わず」「ふいに」行ってしまう、人知を超えたメカニズムであるとする。

若松氏は、柳宗悦の民藝運動から利他を考える。柳は、民芸の器には主張すべき「我」がないからこそ美しく、用いられることで美が生まれる(深まる)とする。これは利他に通じるもので、個人が主体的に起こそうとするものではなく、他者によって用いられたときに現出するのが利他であるとする。

國分功一郎氏は、「中動態」から利他を考える。能動態が外に向かうもの(例えば「与える」)であるのに対し、中動態は内に向かうもの(例えば「欲する」)で、近代の概念では能動的な「意思」が重要視され、「意思」に基づく行為の責任は自己に帰属される(「自己責任」の論理)。しかしそれは無理のある考え方で、中動態における責任は「義」、つまり意思の概念によって押し付けられた責任ではなく、ある状態を前にして何か答えなければならない、と考える気持ちに近い、とする。

磯崎憲一郎氏は、自身のデビュー作の表現が敬愛する北杜夫氏の小説と意図せず酷似したことから、個々の作品が小説の歴史を作るのではなく、小説の流れや歴史が先にあり、後からその流れに作家が入り込むのではないか、とする。また、小島信夫の小説を例に挙げ、あらかじめ作った設計図に基づいて書くのではなく、書いている間にどんどん予期せぬ流れが作られていくような作品には大きな力が宿っている、とする。

最後に中島氏が各メンバーの考えを総合し「うつわになること」というキーワードを提示する。つまり、利他とは、自己コントロールの外側にある意識で、その行為の結果も含めて受け入れるもの、ということになるだろうか。

各研究者の主張を自分なりに整理してみたが、すべて完全に理解できたかどうかは心もとない。ただ、さまざまな立場から一つの事象を考えていくという試みは面白く、個々の研究内容をもう少し深く理解したいという気持ちになった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学・宗教・倫理
感想投稿日 : 2023年8月6日
読了日 : 2023年7月6日
本棚登録日 : 2023年8月6日

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