「利他」とは何か (集英社新書)

  • 集英社 (2021年3月17日発売)
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【感想】
あるとき、背の高い食券機の前に車いすの人が並んでいた。機械は座ったときの身長に対してゆうに2倍はあり、明らかに手が届かなそうだ。それを後ろから見ていた私は「手伝いましょうか?」と声をかけた。すると車いすの人が、「普通にできるんで大丈夫ですよ」とややぶっきらぼうに答え、車いすを支えにして半立ちの姿勢になり、器用に機械をタッチし始めた。
「意外と自分でできるんだ」という驚きと同時に、「せっかく手を貸そうとしたのに」と少しいらだっている自分の感情に気づき、情けなく感じたことを覚えている。

本書でも述べられているとおり、利他的な行動には、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれている。人間はどうしても見返りを求めてしまう生き物だ。寄付、ボランティア、学習支援といった取り組みの裏にも、「それが相手のためになるから」という慈善の感覚がある。問題はその感覚を「利己的」な動機として行動してしまうことだ。それと同時に、上の立場から相手に感謝を強要してしまうことでもある。

――「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配することにつながってしまう。

本書で述べられているこの言葉が、「施し」と「感謝」という呪いの関係を上手く表している。相手が実際にどう思うかなんて分からない。善意でやった行為がおせっかいに受け取られることもある。そうした不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合には暴力になる。

食券機の例もそうだが、まずは目の前の人の力を信じることが大切なのだと、本書を読んで改めて思った。車いすの人でも、環境に合わせて自分の身体をアジャストしている。アフリカに住む貧困者に必要なのは、金銭ではなく「自力で生きていくことができる環境」に他ならない。
人間だれしも、何かしらは独力で行わなければならない。不自由な人が健康な人と違う点は、その独力の範囲が狭いことだ。であるならば、私たちにできることはまず相手の力を信じ、「できること」の範囲を広げてあげることなのだと思った。
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【まとめ】
1 まえがき
新型コロナウイルスの感染拡大によって世界が危機に直面するなか、「利他」という言葉が注目を集めている。深刻な危機に直面したいまこそ、互いに競いあうのではなく、「他者のために「生きる」という人間の本質に立ちかえらなければならない、と。

科学技術も、社会の営みも、本来は利他的なものであったはずだ。にもかかわらず、私たちがこれほどまでに問題を抱えるようになったのはなぜなのか。そのためにはただ「利他主義が重要だ」と喧伝するだけでは不十分であるように思う。利他ということが持つ可能性だけでなく、負の側面や危うさも含めて考えなおすことが重要になってくるだろう。


2 利他の心と相手への支配
・合理的利他主義…「他者に利することが、結果として自分に利する」ということを行為の動機とする。
・効果的利他主義…「最大多数の最大幸福」を実現するため、幸福を徹底的に数値化して行為の動機とする。地球規模の目線を持つため、行為に対する共感の影響を排除する傾向にある。

効果的利他主義は数値化によって寄付先や援助先を決めるが、金銭や物資の寄付という数値化しやすいものが優先され、現地の人への就労支援といったプログラムがなおざりにされる傾向にある。インセンティブや罰が、利他という個人の内面を数字にすり替え、利他から離れる方向へと人を導いてしまうのだ。

全盲になって10年以上になる西島さんは、「障害者を演じなきゃいけない窮屈さがある」と言う。晴眼者が障害のある人を助けたいという思いそのものは、すばらしいものだ。けれども、それがしばしば「善意の押しつけ」という形をとってしまう。障害者が、健常者の思う「正義」を実行するための道具にさせられてしまうのだ。
ここに圧倒的に欠けているのは、他者に対する信頼である。目が見えなかったり、認知症があったりと、自分と違う世界を生きている人に対して、その力を信じ、任せること。
やさしさからつい先回りしてしまうのは、その人を信じていないことの裏返しだともいえる。相手の力を信じることは、利他にとって絶対的に必要なことだ。

利他的な行動には、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれている。
重要なのは、それが「私の思い」でしかないことだ。そう願うことは自由だが、相手が実際に同じように思っているかどうかは分からない。「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」が「これをしてあげるんだから相手は喜ぶはずだ」に変わり、さらには「相手は喜ぶべきだ」になるとき、利他の心は、容易に相手を支配することにつながってしまう。
つまり、利他の大原則は、「自分の行為の結果はコントロールできない」ということなのではないか。やってみて、相手が実際にどう思うかは分からない。分からないけど、それでもやってみる。この不確実性を意識していない利他は、押しつけであり、ひどい場合には暴力になる。

利他とは、「聞くこと」を通じて、相手の隠れた可能性を引き出すことである、と同時に自分が変わることである。そのためには、こちらから善意を押しつけるのではなく、常に相手が入り込めるよう、うつわのような「余白」を持つことが必要だ。
さまざまな存在が入ってくることのできるスペースをつくること。計画どおりに進むことよりも、予想外の生成を楽しむこと。そうすることで、「利他」の「他」は人間世界を超えて、生類すべてに開かれていく。


2 贈与
インド独立の父・ガンディーは、「贈与」と支配の関係に非常に繊細で、どんな者に対しても、何千もの人が見ているなかで食物を与えてはならない、つまり、慈悲とは尊厳という問題と絶対にペアでなければ成立しないものである、と言っている。
しかし、尊厳を持って行った慈悲であっても、その後に行為者に「嫌なきもち」が生まれることがある。これは哀れみによる支配的な立場からくる感情だ。

贈与に対しては返礼が発生する。ここにおいて一方に負い目と従属が生まれ、もう一方には権力的支配が発生する。贈与を返さなければいけないという義務感が、ある種のヒエラルキーの根拠になってしまう。
負債感、あるいは負い目を通じた贈与が持っている非常に残酷な面も、私たちはしっかりとみておかなければならない。

利他は私達の中にあるものではなく、利他を所有することさえできない、常に不確かな未来によって規定されるものである。大切なのは意図的な行為ではなく、人知を超えた「オートマティカルなもの」であり、そこに「利他」が宿る構造こそが重要なのだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2022年8月6日
読了日 : 2022年8月6日
本棚登録日 : 2022年8月6日

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