表紙裏のあらすじの、「時間」とは何かを問う、エンデの名作、という言葉そのままの、素晴らしい物語だった。
この本、児童文学であるにも関わらずブクログユーザーさんの本棚でよく見かけて気になっており、実際に勧めてもらったことも重なり読了。
〈前半〉
「モモのところに行ってごらん!」
そう言われてモモと話した村人たちはみなすっきりして帰っていく。でも、モモはなにか助言をしたりしたわけではなく、ただしっかりと話に耳を傾けている。
きっと、自分の問題の答えは必ず自分の中にあって、解決する力は人それぞれに持っているのだろう。
しかし、人から何かを相談された時、相談する側が答えをもらおうとしてしまうこと、された側が自分の尺度で口出しをしてしまうこと、多々ある。大いにその経験はある。
できそうでなかなかできない、「傾聴」の大切さをモモから教えてもらった思いだ。
〈後半〉
時間どろぼうによって、人々の時間は搾取され、「暇」というものはなくなり、街全体がせかせかとしてゆく。モモは1人ぼっちになってしまう。
「そんなひまはない」「時間が足りない」「忙しい」
自分も幾度となく口にしたことのある言葉だし、社会の中でもこれでもかというほど溢れている言葉だろう。時間どろぼうによって暇という暇を搾取されたまちは、まるで現代社会の風刺画のようだと感じた。
だとすると、時間どろぼうは、何にあたるんだろう。
これは私の考えだが、きっと主体的に使っていない時間、見栄のためであったり、世間体のためであったり、そういったもののために使われる時間が値しているのかなと思った。
働いているとしても、勉強しているとしても、誰かのために使っていたとしても。主体が自分にあるのなら、その時間はどろぼうに奪われてはいない。ということなのだろうと、私は思った。
- 感想投稿日 : 2024年3月18日
- 読了日 : 2024年3月18日
- 本棚登録日 : 2024年3月17日
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