- Amazon.co.jp ・本 (135ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003360118
感想・レビュー・書評
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毎月1冊、古典にチャレンジしようと1冊目に選んだ本書。
最後まで信念を貫き通し、死さえも甘んじて受け入れるソクラテスの生き様はかっこいい。
自分は何も知らない「無知の知」を自覚し、常に謙虚でいること。いつの時代も変わらない普遍の真理だと思います。
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無知を知ること、正しく生きることの勇気を学んだ。
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「無知の知」についてソクラテス自身がどのように考え、説明していたのかがわかる本。
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あくまでも是々非々で似非識者を摘発してはぶった斬った結果、多くの敵を作り、結果、要するに嵌められて死刑となったソクラテス。至高の精神的問題については国法に逆らってあくまでも自身の正しさを主張した『弁明』と、しかし、自身の身命については愛する祖国の法に従って死刑を受け入れる『クリトン』(脱獄を勧めにきたお友達の名前)の二篇。
空気を読まずに正しいことは正しいと言い続けるか、しかし、そこの一員である限りはそこのルールに従うのか、現代でも変わらない何が正義かという話。
しかし、ソクラテスの裁判を生で聞いていたとはいえ、その言葉をしっかり本に残したプラトンすごい。 -
何か知ったような気になってしまっているときに読むと刺さる本。無知の知が響く。
詳細は下記。
https://note.com/t06901ky/n/n37b5ea8d5e29 -
ソクラテスが裁判にかけられて「アテナイ人諸君」に向けて自らの正当性を主張する場面を描いた『ソクラテスの弁明
』と、ソクラテスと同い年の友人クリトンが、死刑執行を待つソクラテスを説得して脱獄させようとするけど拒否される『クリトン』という、弟子プラトンが構成した物語。物語といっても何割かを除いては一応、実話。
知行合一、福徳一致というのは分かるし、ロジカルで頭いい人なんだなあ、というのは分かるけど、訳者注にも書いてある通り、この「峻厳なる懲戒的言辞」(p.111)を聞くというのは人をイライラさせるかもしれない。自分のバカが浮き彫りになることへの恐れか、あるいは頭いい人への妬みか、たぶんそんな感じで、排除されてしまうという様子が理解できた。「懲戒的言辞」と言えばキリストもそんな感じなんだろうか。その訳者注のところで、最後の弁論部分は創作かもしれない、という話で、創作にせよ何にせよ、その部分があるのは「『永遠という見地から見れば』正しい」(同)ということになるらしい。正しさが現実に行われたことを上回ることがある、ということを示した言葉で、新鮮に思えた。
で、本編で納得した言葉は「賢明と自惚れながら賢明でない人達が吟味にかけられるところを傍聴することを彼らは興がるのである。」(p.52)ということだから、これを大きく捉えれば、古畑任三郎みたいに成功者が落ちていくのを喜ぶ大衆、という構図はいつの時代も変わらないらしい。嫉妬という感情は人間特有の本来的なものなのだろうか。そしてその続く部分で、「私にとっては、私の主張するように、この使命は神託や夢想やその他およそ神意が人間に何事かを命ずるあらゆる方法によって神から授けられた」(同)とあり、あの有名な「デルフォイの神託」の話が結構書いてある。高校の倫理で勉強した時には、結局神託って何なんだ、と思っていたが、思っている以上に宗教的だし、あとがきには「ソクラテスは熱烈な熱烈なる理性信奉者であると同時に宗教的神秘家でもあった」(p.126)とあって、納得した。なんか理性と神秘が相容れないことのように思っていたので。で、これは「名詞化された形容詞daimonia」(p.105)の働きによるものらしい。「神からの徴、または上からの合図ないし暗示」(p.106)ということだから、モハメッドや釈迦と同じような現象が起きている?ということになるのか、と思った。あとは、あとがきにも書いてあったけど、これを記憶に基づいて構築したプラトン、というのもすごい。
100ページくらいの本編なので、思考したりしながら読めばいくら時間はあっても足りないのだろうけど、とりあえず読むだけならすぐ読める。こういう忙しい時期にも、これくらいの古典は読めるなあと思った。(20/08/18) -
ゼミの参考文献として『クリトン』を再読.ソクラテスがアテナイの国法を遵守する理由が,国法から怒りを抱かれるからと,ハデスの国法が親切に迎えてはくれないから cf. p.88 というのは理性主義のソクラテスらしい. 初めて『弁明』を読んだのは4年前なのだな.感想を読むと全く読めていないことがわかる.やはり哲学書は読み方を教わらないとなかなか難しい.あとステファノス版のsection表記が無いのがとても不便.
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こんな人が近くにいたらたまらない。
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「無知の知」を人々に説いたソクラテスが、「弁論を用いて若者を悪に誘った」として大衆に捉えられた後の裁判で語った弁明。および、死刑確定後の投獄後、脱獄を勧める友人クリトンとの議論を、弟子のプラトンが書いた本。
『弁明』ではソクラテスを悪と断じた大衆に対し、最後まで「無知の知」を説く。
あなたは何を知っていて、何を持って悪と断じるのか?と大衆の正義を問う。そして、大衆側の論を崩し、その裏には何ら正義がないことを暴く。
ソクラテスは以前「ソクラテス以上の賢者は一人もない」という信託を受けていたが、その後自己の無知を知り得た事で、その矛盾に悩んできた。
しかし、数々の人に弁論を挑み続ける中で、無知を知ってるからこそ賢者なのだという考えに到達している。
それにより、この信託を理解し、自身の天命として受容したのだろう。
裁判では「今後黙るならば釈放すると言われても、私はそれをやめず死刑を受け入れる」と、自らが成すべき天命を貫く事で、「無知の知」があるべき姿なのだと500人余りの大衆に示し、足掻くことなく判決を受け入れる。
『クリトン』では、脱獄を勧める友人クリトンに対し、国宝に則り死刑を受け入れる意義を説く。
生を受けて以降、好きな諸外国へ移動もせず、国法に守られて来た身として最期に投げ出すとはどういう了見かと論を展開する。
刑の受容を持って、「ソクラテスは善く生きた」姿を示すことに意義がある。
ソクラテスはこの時70歳で、「天命」を受けてからも長らく活動してきた。
誰彼構わず弁論を挑み、相手に無知を説こうとした結果、多くの敵を作り、大衆により裁判に追い込まれた。
最期は自ら毒薬を服し、死刑を受けいれたが、その姿は正に「善い」と言えるだろう。
本文は演説と議論なので、比較的軽い。ソクラテスに心酔した弟子プラトンが、師が自己の「正義」を貫く姿を如何に正確に、雄弁に書こうとしたかが伝わってくる。
『自省録』に引き続き、何年経っても人間がやってる事は変わらんなと感じたいい本でした。