- Amazon.co.jp ・本 (193ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003360132
感想・レビュー・書評
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2013 12/30読了。Amazonで購入。
元は「シュンポシオン(饗宴)ってなんだ?」という疑問から、その題がついている本を読んでみるべ・・・と思い手にとった本。
その意図は達成された。なるほど、宴会の余興に即興で演説やったりするんだね古代ギリシア。
ソクラテスが招かれた友人宅での宴会で、酒の余興として愛の神エロスを賛美する演説を一人ずつやっていこうという話になり、ソクラテスを最後に置いて7人がそれぞれ演説をぶつ。
最後にはさらにソクラテスに焦がれる若人が入ってきて、ソクラテスを讃える演説を打つ・・・という筋。
他の6人が専ら、愛によってもたらされるものとか、こんなに凄い、というようなエピソードを盛ることで演説をするのに対し、ソクラテスは愛とはなにか、その真実を述べるとして話はじめていく。
ソクラテス自身もまた別の女性との問答の中でそれを教えられてきた、というエピソードを語り、そもそもこの宴の様子も宴そのものの描写ではなく、数年後に参加していたある人が語った話、という演出がなされていて、もちろんそれらすべてプラトンが人々の口を借りて、ソクラテスを描写しつつ自説を述べるものでもあるわけで・・・と複層の入れ子になっている。
・愛=善いもの(美しいものも=善)を永久に所有したいという欲求
←・欲求とは現に自分が持たないものに対するもののはずなので、エロス自身は美しくも善でもない
⇔・美しくも善でもないことは醜く悪しきことを意味しない、中立、真実と誤りの間にはどちらともはっきりしない「意見」がある
・神は美しく善であるはずなのでエロスは神ではなく神霊
・少年愛が当たり前、かつ善きものとして扱われていることに慣れてないと読んでてぎょっとするかも。シーンを想像するとエグく思えるのだが、それもまた偏見詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
池田さんの影響。1971版。読めない漢字が多くて大変だった…
こんな風にギリシアのポリス市民は宴会をしていたのだと思うと、こんな素晴らしい宴会はないと思う。
倫理か何かの教科書だったか参考書に、この本について「同性愛か異性愛どちらがすばらしいかについて対話している」みたいなことが書いてあったが、全くのでたらめだ。そんな小さな一手段を書くためにプラトンは言葉にして書き起こしたのではない。
演説として数名の人物が愛(エロス)について述べたところはなんだか難解で小難しく思われたが、ソクラテスの発言(ターン)になると途端にすっとわかってしまった。池田さんが書いていたように、ソクラテスは哲学そのものだから何度でも蘇る。
ソクラテスの発言で終わったかのように思われるが、最後に乱入(?)してきたアルキビヤデスによってソクラテスについて語られる。善く生きる彼の為人があますとこなく語られる。彼は考えたことをきちんとその魂で体現していた。徳孤ならず、必ず隣あり。とても言い当てている。 -
饗宴・・・まあ、今風に言えば「飲み会」でしょうか。
それで、酒を飲んで酔っぱらいながら、「エロース」(恋、恋の神)について真面目に(?)哲学していくわけです。
といっても、当時のアテナイの恋の対象は美少年(!)
やべwwおもしろいんだけどこれ。
それでいて真面目で美しいお話。
エロースというのは、どんな性質の神であるかについてみんなで意見を出し合っていきます。
ソクラテス、最初召使が呼んでも、外でたたずんでるwww。彼の悪い癖だって。
まずは、エロースというのは偉大な神であり、驚嘆すべき神であるということ。
醜いものに関して恥じ、美しいものに対しては功名を競う心。
次に、少年への恋(パイデラスティアー)に関するものと、愛知やその他すべての徳に関するものと、この二つを合わせてひとつのものにしなければならない。
エロースの肉体的なものと、精神的なものに対する二面性が語られる。
ここで、医学について。
美しい恋と醜い恋を診断し判別する者が医学に最も秀でた者である。
一なるものとは、弓やリュラ琴の調和(ハルモニアー)のごとく、分裂抗争しつつもそれ自身それ自身と一致合一しているようなものであること。
エロースとは何か。
本来の姿が二つに断ち切られたので、皆それぞれ自分の半身を求めて一緒になったということ。それは人間の昔の本然の姿へと結合するものであり、二つの半身を一体にして人間本来の姿を癒し回復させようと企てるものである。
完全なものへのこの欲求と追求に、恋(エロース)という名がつけられた。
エロースは、一番幸福で、美しく高貴で、年若い神である。
では、エロースは何ものへの恋(エロース)でもないものか、あるものへの恋なのか。
あるものへの恋である。
エロースが欲求し恋求めるのは、その対象を持っていないときのものである。
欲求するものは自分に欠けているものを欲求するのか、あるいは欠けていないときには欲求しないのか。
彼らが現に持っているものはすべて、かれらは欲求すると否とにかかわらず必然的にそれを持っていなければならない。
つまり、エロースは1.あるものに対してであり、2.自分に欠けているものに対してである。
どんどん謎が深まっていく。
エロースは、美を欠き美を持っていないということになる。
では、美を欠き美を所有していないものを美しいというだろうか。
エロースが何者であり、いかなる性質のものか。次にその働きについて。
エロースは偉大な神であり、美しいものに向かう。それでいて、エロースは美しいものでもよいものでもない。
しかし、神はすべて幸福であり美しいものである。
では、エロースは神でないのか。
死すべきものと不死なるものの中間にあるのだ、という。それは偉大な神霊(ダイモーン)である。
エロースは、美である女神アプロディテに従い仕える者となった。生まれつき美しいものを恋する者であり、しかもアプロディテそのものが美しい。半面父の血をうけて美しいものとよきものとを狙うものである。
恋(エロース)とは、よきものが永遠に自分のものであることを目指すものとなる。
また、妊娠、出産という行為は、神的な行為である。死すべきものである生物のうちに、不死なるものとして内在しているからである。
死すべきものは、永遠に存在し不死であることを、出生において求める。
肉体に関する美は些少なものとなる。
目的は、永遠に存在して生成も消滅もせず、増大も減少もしないもの。また、あるところでは美しいが、あるところでは醜いというものでもない。
恋の道は、つまり地上のもろもろの美しいものから出発して、絶えずかの美しいものを目的として上昇していくが、その場合階段を使うように、ひとつの美しい肉体から二つの美しい肉体へ・・・最終的には、ほかならぬ美そのものを対象とするところのかの学問に行きついて、まさに美そのものを遂に知るに至る。
・・・あとは、なんかみんな酔っ払ってべろんべろん・・・なような気がするのは私だけ?笑 -
「エロス」について智者たちが各々の能力の限りをつかってプレゼンテーションする。
最後に登場するのはもちろんソクラテス。
演説教本として使えそう。
ちなみに、ソクラテスの考えるエロスとは・・・
「それはすなわち地上の個々の美しきものから出発して、
かの最高美を目指して絶えずいよいよ高く昇り行くこと、
ちょうど梯子の階段を昇るようにし、
"一つの"美しき肉体から”二つの”へ、
二つのからあらゆる美しき肉体へ、
美しき肉体から美しき職業活動へ、
次には美しき職業活動から美しき学問へと進み、
さらにそれらの学問から出発してついにはかの美をのものの学問に外ならぬ学問に到達して、
結局美の本質を認識するまでになることを意味する」 -
イデアの一形態である美へと向かうエロスについての書。
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良いこと書いてあるんだけど、なんだかんだで、少年愛がらみの記述に目がいってしまう、ついつい。普遍的な価値について語ろうとするギリシア人たちが、こと「その話題」のときだけは、特殊な文化的背景にもとづく性癖を擁護しまくりというのがね。それが、苦笑をとおりこして、可愛くみえてきた。
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とりあえずもう一度読み直したい。