創世記(旧約聖書) (岩波文庫 青 801-1)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003380116

作品紹介・あらすじ

罪を犯して神から追放を受けた人類とその人類に対する神の救いが聖書全体をつらぬく問題であるとすれば、旧約巻頭のこの書こそ、その問題への出発点である。天地の創造、人類のはじまり、楽園追放、ノアの洪水、その子孫の増加、そしてイスラエル民族の祖先たちの罪と罰の記録。次々に壮大な神と人類の物語が展開されてゆく。

感想・レビュー・書評

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  • 思ったより読みやすかった。シンプルな文で、わりと淡々とでもすごいスピードで。
    始めのほうは、知られている聖書の話!の短編集のように進んだけれど、アブラハムから最後までは、その子孫の話、男女、家族、兄弟の人間関係にまつわる話。

  • 聖書再読キャンペーン。天地創造、アダムとイブ、カインとアベル、ノアの方舟、バベルの塔、ソドムとゴモラなど、初期の挿話は物語としてとても興味深い。

    途中からイスラエルの部族発祥の由来譚ともいえるアブラハム、イサク、ヤコブの三代の一族の話になって、まあこのへんも物語として波乱万丈な面白さはありつつ、それって人としてどうなの?というエピソードも満載(苦笑)嫉妬による兄弟殺しはもとより、近親相姦、一夫多妻、さらに妻の侍女は愛人にしてOKとか、なんじゃそりゃ。割礼も、神様がやれって言ったからやるだけで、どういう意図があるのかよくわからないしなあ。

    オナニーの語源になったオナンくんも、理由は兄の嫁と寝るのがいやだったからなので、そんなに批難されるようなことでもない気がする・・・。

  • なぜヤコブは父を出し抜いたのか。なぜヤハウェはここまで贔屓をしたりと万人に平等ではない人間的な神なのか。後から多くの疑問が湧いてくる傑作であった。
    その他、登場人物たちの複雑な血縁関係(それも、妾の子供も入ってきてさらにそれを複雑にしている)の細かい描写から、旧約聖書が書かれた頃の社会はよほど血筋といったものを大事にしていたのであろうことが想像できた。有名なノアの方舟・ソドムとゴモラの炎、バベルの塔の描写は原作ではあまりにもあっさりとしていて意外であった。

  • 旧約聖書最初の5つの書『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』は「モーセの五書」と呼ばれる。

    モーセはなぜこの5書を書いたのか?それはエジプトを脱出し、これから約束の地カナンに入る前に、現在の若者たちにこれまでの歴史を知ってもらいたかったからである。当初エジプトで囚われた世代はもはやおらず、現在エジプトでのみ生まれ育った若者は、アダムとイブも、ノアの方舟もアブラハム契約も知らない。

    旧約聖書の神は契「約」の神である。特に創世記はユダヤ人に関してというよりは人類全体の始まりを解説している。なぜ神が畏れるべき存在なのか、それはこの世界の創造者であるからだ。神の声を聞いたことのない人々にはそれを伝える必要があったのだ。

  • 神々は大洪水を起こすことを決めた。人間には内緒。しかし知恵の神エアが、人間ウトナピシュティムに船を作らせて生命の種を救わせた。神々に選ばれたウトナピシュティムは不死を与えられ、楽園ディルムンに住むことを許された。▼ウルク王ギルガメッシュ。友人エンキドゥの死を経験し、死の恐怖を抱く。不死を求めて旅立つ。楽園ディルムンに辿り着いたギルガメッシュ。「自分も不死にしてください」。しかし、ウトナピシュティムが出した「7日間寝てはならない」という課題がクリアできず不死にはなれなかった。『ギルガメッシュ叙事詩』BC1200年 シュメール

    神は天や地を生み出した。地理の記述は中近東のみ。▼神は土の塵から自分をかたどって人を創造した(1:27)。人よ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地上を這う生き物を支配せよ(1:28)。▼アダム(ヘブライ語で土)とエバ。狡猾なヘビにそそのかされ、知恵の実を食べて神怒る。アダムは労働の苦しみを、エバには出産の苦しみを与えられる。エデンの園から追放される(2:9)。▼追放後アダムとエバはカイン(農耕)とアベル(遊牧)の兄弟をもうける。しかし兄カインが弟アベルを殺害。兄カインは放浪の罰を受ける。アダムとエバはその後、新たな息子セトをもうける。セトの子孫がノア。▼人間たち堕落。神怒って大洪水。一番高い山(アララト山)も水に浸かる。人類は絶滅。ノアだけは事前に箱舟を作れと命じられ、助けてもらう。神「わたしを崇めるなら、二度と洪水は起こさない。あの虹が約束のしるしだ」。ノアの息子たち、セム(中東)、ハム(北アフリカ)、ヤペテ(欧)。※その他の民族のことは書かれていない。▼昔々、世界中の人間は同じ言語を話していた。人間、天まで届く塔(バベルの塔)を作ろうとし、神怒る。言語をばらばらにされる。▼ノアの息子セムの子孫アブラハム(ユダヤ人の祖)、一族(父テラ・甥ロト・妻サラ)を連れてウルからハランに移住。神「私が示す地へ行け」。カナンに到着。ある日、90歳の妻サラが息子イサクを生む。アブラハム、息子イサクを溺愛。神「アブラハムよ、イサクを殺せ、神に捧げよ」。アブラハム、息子イサクをモリア山へ連れて行き、殺そうとする。と、その瞬間、神の使い「止めなさい。お前の信心はよく分かった」。息子の命は神から頂いたもの。その命をどうするかも神次第。人間は神に従うのみ。神「セムの子孫、アブラハムよ、カナン(パレスチナ)の土地を、お前とその子孫に与えてやる。だから、わたしを敬え、崇めよ」▼ 神、堕落したソドムとゴモラの人々を町ごと炎と硫黄で皆殺しにする。神の命令に従わないから。ソドムに住んでいたロトは天使から後ろを振り返らないで逃げなさいと命じられるが、ロトの妻が振り返ってしまい塩の柱になる。『創世記』

    イサクの息子ヤコブの時代、飢饉が起きたので一族を連れてエジプトに移住。当時、エジプトはヒクソス族が支配しており、ヒクソス族の近縁イスラエル民族もエジプトに移住。しかし、エジプト人はヒクソス族をエジプトから追い出し、イスラエル民族は奴隷に。過酷な強制労働はもう嫌だということで、ヤコブの子孫モーセがイスラエル民族を連れてエジプトを脱出。シナイ山へ。預言者モーセを通じて、神は言った。以下の契約(十戒)をまもれ。他の神はない(最重要ルール)。神を敬え(像を造るな、神の名をみだりに唱えるな、安息日は休め※エジプトでの奴隷労働の記憶)。道徳まもれ(父母を敬え、殺すな、不倫すな、盗むな、嘘つくな、隣の家をほしいと思うな)。『出エジプト記』

    年に1回、山羊(ヤギ、goat)を荒野に放つ。ユダヤ人の身代わりに罪のつぐないをさせる。scapegoat『レビ記』

    神はアブラハムとその子孫にカナンの地を与えると約束された。アブラハムの子孫モーセの死後、モーセの従者ヌンの子ヨシュアがモーセの後継者となり、カナンの地(約束の地)に向けて出発した。カナンの地の都市イェリコ(ヨルダン川西岸)には先住民族がいたが、皆殺しにした。「町にあるものは、男も、女も、若い者も、老いた者も、また牛、羊、ろばをも、ことごとくつるぎにかけてほろぼした」。神の命令に従い、アイの住民も同じく、皆殺しにした。ヨシュアの名声はあまねくその地に広がった。『ヨシュア記』

    ヘブライ人は、ペリシテ人(体格が大きく鉄製の武器をもつ)の軍に苦しめられていた。そこに現れた怪力サムソン(ヘブライ人)。サムソンはペリシテ人の軍を圧倒した。ヘブライ人側が優勢に。そこで、ペリシテ人の美女デリラは、サムソンを誘惑して弱点(髪の毛を切ると怪力が出ない)を聞き出し、サムソンの髪を切って怪力を奪う。捕らえたサムソンは両目をつぶされ、ペリシテ人の神殿に連れていかれる。しかし、サムソンが神に祈ると、髪の毛が伸び、怪力が復活。サムソンはペリシテ人の神殿を破壊した。『士師記』

    ヤコブの子孫ダビデはペリシテの巨人戦士ゴリアテの眉間に石を当てて倒す。▼ダビデ王はある美女に一目ぼれ。兵士ウリヤの妻という。ダビデ王は人妻と知りつつも、美女を愛人にして妊娠させる。ダビデ王は、兵士ウリヤに手紙を持たせて戦場へ送り出す。この手紙を現地の将に渡せ。中は見るな。「ウリヤを敵の精鋭の中に孤立させ討ち死にさせよ」。ウリヤは死ぬ。『サムエル記』

    イスラエル王国、ダビデの子ソロモンは他の神を拝むようになった。重大な契約違反。イスラエル王国は南北に分裂して衰退。南のユダ国の民はバビロニアの奴隷に(ユダヤの敵・新バビロニアのネブカドネザル2)。これは神によるイスラエル民族への罰。『列王記』

    財産と妻子を失い人生どん底のヨブ。神は人々に幸福とともに、苦難も与える。悪いことをしていなくても。どんなに不幸でも神を信じて生きなさい。『ヨブ記』
    ※海獣リヴァイアサン

    ペルシアで暮らすユダヤ人の美女エステル。ペルシア王に気に入られ、王妃になる。ユダヤ人であることは内緒。ペルシア王の大臣ハマンはユダヤ人が大嫌いで、ユダヤ人を皆殺しにするよう王に迫る。そこで、ユダヤ人エステルは、王と大臣を宴会に招待。上機嫌の王「エステルよ、お前の望みを何でもかなえてやろう」。エステル「ユダヤの敵ハマンを死刑にしてください」。ハマンは死刑になる。『エステル記』

    ************************
    ※旧約聖書。 BC5。ヘブライ語。アラム語。
    ※日常生活のルール本(タルムード)。日常生活のルールに詳しい先生(ラビ)。集会所(シナゴーグ)。
    ※シナイ山。現エジプト領。
    ※肉体は神から与えられたものなので、(神の命令でない?)他殺・自殺は罪。人間の生き死にを決めるのは神。

  • 読んでみて驚いたのは、有名な「(天地)創造」や「ノアの方舟」が、『旧約聖書創世記』冒頭のほんの一部分だったことでした。むしろ、それ以外の記述の方が断然多かったです。「ノアの方舟」など、一部の話だけが有名になっていたことに、本当に驚きました。
    また、登場する人間の寿命が異常に長いです。亡くなった時に200歳くらいの人もいたと思います。本当にそうだったらすごいなぁ、と思いながら読みました。

  • 分かっているのに理解は出来ないことって世界にはたくさんありすぎて。
    ヨセフのはなしで泣きそうになる。

  • 読了。まったく時間がとれなかったため、4か月ぶりの読書です。神話的要素の強い序盤はあまりに面白いと言わざるを得ないが、各所に散らばる多くの矛盾はどうしても突っ込まざるを得ない。アダムとイブの最初の子カインは、弟アベルを殺すが、神の元を放れ行こうとするカインは、「わたしを見つける者はわたしを殺すでしょう」と言う。この時点で、アダム、イブ、カインの3人しかいないはずでは、と思うとどう解してよいのか分からない。そのようなことがしばしば出てくるので困る。改めて最後まで読んでみると、大きく印象に残ったのは、創生部分を除けば、ゴッドファーザーそのもの、というもの。むしろゴッドファーザーが、創世記をベースに作られたのだとよく分かった。そのまんまだった。全体を通して、弟か、末の方の子が脚光を浴びる印象が強い。恐らく3回。まずは、殺されはするが、神に供物を受け取ってもらえるアベル(兄カインが何故供物を受け取ってもらえなかったのかまったく分からない)。後にイスラエルと呼ばれるヤコブ、ヤコブは踵の意味で、兄の踵を掴んで産まれたことによる、兄を裏切ってばかりなのに神には祝福される。最後にヤコブの子ヨセフは、12人の子のうちの11男、末っ子だと思っていたがベニヤミンがいた、ヨセフは王の位にまでついている。中盤のアブラハム辺りから、当時としても大分金持ちの家系であるような描写を感じられる。イスラエルの頃がピークなのかも知れない。人間は地位を築き余暇ができるほど、何故自身がこの地位につけたか自問し始めるものだから、その正当性を謳うために作成されたのであろうと思われる。実際的にこれらを記述したのは慣例的にモーセであるから、創世記を読んでそう決めつけてしまうのは怪しい。ところで、序盤の、ソドムを滅ぼすシーンの、神とアブラハムの問答は何度読んでも良かった。ソドムに50人の正しい人がいてもこの町を滅ぼされるのですかと問い、滅ぼさないと神は答える。それが10人でも、とアブラハムは言い、神は滅ぼさないと答えるが、ソドムは結局神の火で滅んだ。100万の都市だったと何処かで見た気がするが、正しいひとは10人もいなかったということだ。(しかし彼らのいう正しいひとが、我々の思う正しいひとであるかは疑問である)

  • 呼んでいる間じゅう、「男尊女卑」という言葉が浮かんでいた。読みが浅いのかもしれない。もっとずっと後に読んだらまた違うことを感じるかもしれない。

  • なるほどこれが世界一のベストセラーか‥‥有名なお話がこのように並んでいるのだなあと確認しながら読んでいる感覚。
    祭司資料、ヤハウェ資料、エロヒム資料の三つを組み合わせて作られているという。あれ?と矛盾を感じたりしたらそういうことなのかもしれない。神が与える試練を黙々と受ける人々。だから、選ばれた一族なのだろう。

  • 岩波文庫から出ている日本語訳(所謂「関根訳」)旧約聖書の『創世記』。ビブリア・ヘブライカ(1937年版)を底本としており、詳細な注釈を施している。
    本書の特徴は、高等批評に基づく聖書本文の詳細な注である。訳者は文章仮説に基づいて、本文の各節がおおよそどの資料に由来しているのか(或いはそう考えられるのか)を注で事細かに解説している。またそれに合わせて、文意が通るように一部節を入れ替えている箇所がある。無論本文の単語や語句、その背景にある思想についても説明がされており、学問的にもまた文学的にも読みやすいものとなっている。
    本書が訳されたのが1956年ということもあり、現代の聖書研究と比べ古い説を採用している可能性があるが(特に文章仮説の問題)、それでも手軽に本格的な聖書読解ができる書として有用だろう。

  • 原罪とは自己意識のことだ。分裂してしまった自己意識を備えた人間が宿命的に負わされることとなった苦悩、それが楽園追放という物語として表現されているように思う。神に意識の分裂は無い、神は自己反省しないだろう、自己超越する動機も無いだろう。ロゴス(論理/言語/理性/自己意識)の自己関係的機制の中に放り込まれて生きるのが人間だ。神は、自己関係的な在り方をしていない。

    ロゴスは神に由来すると云うが、ロゴスは、必然的に自己超越的・自己否定的な機制として在るのであり且つ同時に自己完結的である、という矛盾の中に在る。そして外部が存在しない。人間が生きているロゴスを投影し、同時にそこに孕まれている自己矛盾を抹消したものが――勿論それは本質的に不可能であるが――、神と云う観念か。

  • 序盤は、天地創造、エデンの園、ノアの方舟、バベルの塔、ソドムとゴモラなど寓意性に満ちている。
    神が人間を創ったことを悔いて悲しむという表現に、神学によって全知全能が強調される前の人間味のある神の姿を見ることができる。

    中盤以降は、アブラハム以下4代の民族創建の物語だ。
    しばしばヤハウェの基準の不明瞭な態度のせいで、ときに兄弟で出し抜き合い命を狙い合う、血なまぐさい話が散見される。
    それは勧善懲悪的な通俗的道徳を示す説話的なものではない。
    むしろ、神のきまぐれこそが道徳であるというかのような、恐ろしくも絶対的な神の観念の称揚といえる。
    カインとアベルにしても、エサウとヤコブにしても、長子優先の秩序が、神の介入でいともたやすく転倒させられるのが興味深い。(「長子権」という概念はあり、本家の長子が一切を相続し領導するという観念自体はあるようだ。)
    古代社会において、明確で堅固な一族内の地位の序列が定めっていたほうが、社会は安定しただろう。そのような安定性を差し置いてまで、神に気に入られた者、ないし神にとって有能な者が、一切を相続するという思想には興味を引かれる。

    また、神のみならず、人の「祝福」という儀礼が非常に重視されていたことが分かる。

  • 諸宗教の源流となっている旧約聖書。これを読まずして今の世界を見ることはできない!ということで、まずは創世記から。

    まず思ったのは、これは今(ユダヤ教成立時)に至るまでに何が起きたのかを記す、歴史書のような構成になっていること。新約聖書のような"教え"の要素はかなり少ない。

    また、これも切に感じたのは、神はなかなかに気ままであるということ。「カインとアベル」「イサクの献供」など、人間の尺度ではあまり理にかなっていないと感じる場面が多くある。これは、努力した分だけ絶対に報われる、というわけではない世界の理不尽や不条理を表しているのだろうか?次に読む「ヨブ記」もその要素が強いはずなので、とても楽しみだ。

    「葡萄つくりのノア」には、黒人差別の正当化に使われているのでは!?と驚いた一説もあった。(本当の意味としてはおそらく、カナン人が神の民であるイスラエル人に滅ぼされることを示唆?)

  • ソドムの滅亡など神話として有名なシーンが盛り沢山。

  • ゲーム『ゼノサーガ』の考察のために購入。

    E.S.の名前の由来が、ヤコブの子の名であることが分かった。

    神がアブラハムにカナンの地を約束の地として、与えた。

  • 識字率も高くなかった、かつて、必ずしも教育程度の高くない人も知っていただけあって、非常に読みやすい。
    神話的要素が強い。

  • 2019.4.9
    非常に読みにくいと思っていたが、巻末の解説を読んで腑に落ちた。
    乱暴に言えば素材が同じでありながらも、成立の異なる資料を合体して1つに編纂した、という事なんだろう。
    そう考えると非常に面白い

  • "旧約聖書の創世記。
    地球上の多くの人が何かしら信じて信仰している宗教。
    その文化的背景を知る上でも読んでおくべき書。
    次は、出エジプト記"

  • 「終わりのセラフ」最終回を見て塩の柱のエピソードが気になったので読んだ。思えば聖書のきちんとしたものを読んだことはこれまでなくて,というかきちんとしたものは読んでいてもたぶん新約聖書だけだったので,なかなか興味深いものだなと思いながら読んでいた。と言っても,注釈との行き来があまりにもストレスフルだったので,本文だけ。解説はこれから読もうか読むまいか,というところ。
    昔はカトリックの幼稚園に通っていたし,旧約聖書・新約聖書(といっても分かりやすく書き下したもの)ともに何度か読んでいたし,そこまで抵抗無く読めると思っていたのだけれども,いつの間にかカタカナの名前がたくさん登場してくるとなかなか読めなくなってしまっていて,読み進めるのがなかなか困難だった。出てきた人たちのなかにも「どうしてそうなる! 納得いかぬ!」という感じの人が多かったけれども,読んでいても「なるほどわからん」がそれなりにあって,なんとも言えない気持ちに。あと,聖書と古事記ってそれぞれの性格が全く異なるものだなというのがよくわかった。
    なお,気になっていた塩の柱のエピソードは,気づけばあっさりと通り過ぎてしまっていて,全編読み終わってから改めて検索をかけて場所を確認するような体たらくだった。

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