日本の思想 (岩波新書 青版 434)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004120391

感想・レビュー・書評

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  • 読了というか、途中、読み飛ばし

    面白いけど、思想というのに、熱を持てない

    抽象に興味がないのではなくて、抽象化は、自分でするから楽しくて、聞いててもつまらん

  • 要精読。

  • 2010/10/01

  • 日本の社会、政治体質を語る上で丸山真男氏は引用されることが多い。しかし、その原著に触れたことがなかったため、氏の代表作である『日本の思想』を読む。

    ?章は戦前の「國體」(国体)思想の説明である。なぜ極度の天皇崇拝に陥り、戦争に至ったか、その背景には「國體」思想にあったことがわかる。

    ?章はなぜ日本の組織体が「タコツボ」なのかを説明する。

    ?章は「である」社会から「する」社会、つまり、身分社会から実力社会への変化を説明する。

    池田信夫氏が述べるように、日本は未だタコツボ社会からの脱却ができていない。また、真の実力社会は自由原理主義と揶揄され、身分社会(正社員と派遣社員の間の人材流動性は低い)が固着したままだ。

    ?章はなんだかよくわからなかったので割愛。

    やや難解につき、腹落ちさせるには、再読が必要かも。ちょっとつらいな。


    <目次>
    ? 日本の思想
    ? 近代日本の思想と文学ー一つのケース・スタディとして
    ? 思想のあり方について
    ? 「である」ことと「する」こと

    <メモ>
    ? 日本の思想
    日本思想史の包括的な研究がなぜ貧弱なのか
    無構造の伝統
    近代基本の機軸としての「國體」の創出
    実感信仰・理論信仰

    ? 思想のあり方について
    人間はイメージを頼りにして物事を判断する
    イメージが作り出す新しい現実
    ササラ型とタコツボ型
    近代日本の学問の受け入れかた
    共通の基盤がない論争
    近代的組織体のタコツボ化
    被害者意識の氾濫

    ? 「である」ことと「する」こと
    「権利の上にねむる者」
    「である」社会と「である」道徳
    業績本位という意味
    理想状態の神聖化

  • 【要約】


    【ノート】
    ・日経アソシエ7月

  • 日本の無中心性・・・・ってこと。結局。

  • タイトルが誇大なのは、新書あるあるなのでいいです。

    内容としては丸山眞男のエッセイ集みたいなもの。というか、法学とか、社会学みたいな人って、エッセイだかポエムしか書かない気がする...もうちょっと論考なりをしてくれるといいだけど。

    ただ、戦後直後あたりにどういったことが話題になっていたのかというのは分かった。

  • 日本の思想の本質を暴き、その上でどうすれば実効的に社会と関わりながら、生きられるのか?

    まず、Ⅲの「思想のあり方」で喝破された、日本は「たこつぼ型」社会であると受け入れることから始めるしかないだろう。これは今も地続きのあらゆる問題の前提である。

    Ⅰの「日本の思想」を読み、江戸時代だけでもあらゆる思惟方法のストックがあったことを思い返した。まさにあらゆる思想が泥沼にはまるのが、この日本だ。國体についての議論も面白かった。

    Ⅳの「であることとすること」は、平易な語り口で、実効的な関わり方、生き方を説く。

    Ⅱの「近代日本の思想と文学」は、晦渋だが、全体主義の本質、また、マルクス主義の本質と日本において果たした役割がわかる。

    1989年に購入し、読了。今回は久しぶりに再読した。約30年ぶりだが、内容に色あせた部分はなく、かえって新鮮に受けとめることができた。これが名著と言われるゆえんだろう。

    ・(日本の近代化が驚くべき超速度で進んだ)、その社会的秘密の一つは、自主的特権に依拠する封建的=身分的中間勢力の抵抗の脆さであった。
    ・自然権なき自然状態は日本文化の根底に潜むものかもしれないが、それが抽象をくぐらぬ具体である限り、権力の根拠を問う姿勢はそこからは形成されない。
    ・雑居を雑種にまで高めるエネルギーは認識としても実践としてもやはり強靱な自己制御力を具した主体なしには生まれない。
    ・人間関係がタコツボ型でその間の自主的なコミュニケーションがないところでは、おのずから国中が被害者ばかりで加害者はどこにもいないという奇妙な事態が生まれる。
    ・ササラ型の社会のように共通の基盤があれば、労働者階級の一つの組織が強大になり、あるいは一つの組織が前進するとすると、それは結局共通の根を通って他の組織化を促す。
    ・政治・経済・文化などいろいろな領域で先天的に通用していた権威に対して、現実的な機能と効用を問う近代精神のダイナミックスは、まさに「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重点の移動によってうまれたものです。
    ・およそタブーによって民主主義を「護持」しようとするほどこっけいな倒錯はありません。タブーによって秩序を維持するのは、古来あらゆる部族社会--「である」社会の原型--の本質的な特徴に他ならないのです。
    ・民主主義はやや逆説的な表現になりますが、非政治的な市民の政治的関心によって、また「政界」以外の領域からの政治的発言と行動によってはじめて支えられるといっても過言ではないのです。
    ・(することではなく)政治はどこまでも「果実」によって判定されなければなりません。

  • 18/03/25。

  • 前半についてはバックグラウンドの知識が少ないが故か、著者が全体として伝えたいことについて自分の言葉で何か言えるほどに理解できていない気がします。
    後半については講演形式で分かりやすいです。タコツボ化や「である・する」の混交など、現代の日本でも未だ引きずり続けている問題に関する鋭い指摘は読んでいて楽しめました。

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著者プロフィール

1914年大阪に生まれる。1937年東京大学法学部卒業。1940年助教授、1950年教授。1961-62年ハーバード大学特別客員教授。1962-63年オックスフォード・セント・アントニーズ・カレッジ客員教授。1971年退官。1975-76年プリンストン高等学術研究所員。1996年8月15日歿。主要著作『政治の世界』(1952)『日本政治思想史研究』(1952)共編『政治学事典』(1954)『日本の思想』(1961)『増補版 現代政治の思想と行動』(1964)『戦中と戦後の間』(1976)『「文明論之概略」を読む』(1986)『忠誠と反逆』(1992)『丸山眞男集』全16巻・別巻1(1995-97)『丸山眞男座談』全9冊(1998)『自己内対話』(1998)『丸山眞男講義録』全7冊(1998-2000)『丸山眞男書簡集』全5巻(2003-04)『丸山眞男回顧談』全2巻(2006)『丸山眞男話文集』全4巻(2008-09)『丸山眞男話文集 続』全4巻(2014-15)『丸山眞男集 別集』全5巻(2014-)『丸山眞男講義録 別冊』全2冊(2017)。

「2018年 『戦中と戦後の間[新装版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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