- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004120391
感想・レビュー・書評
-
むづかしい
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
それぞれ独立した四章からなる。
第一章の後半から第二章はほとんど理解できず……。2回読んでも同じことだったので、読み方が悪かったのではなく単に前提知識がなさすぎたということだろう。
第三章から第四章は講演が基になっているので比較的理解しやすかった。
日本のアカデミーが各分野で独立し、分野間の交流がない「タコツボ」型になっているのは、すべての学問の根っこたる哲学がない故という説明に納得。西欧ではまず哲学があり、そこから様々な学問が発展していったが、日本は明治以降にその各分野のみを輸入した。
第一章も、「機軸たる伝統思想のない日本」を説いている前半はわかりやすかった。
伝統思想がないから、逆になんでも吸収してきた日本。しかし「何もないのが神道であり、やまとごころである」といって漢意(からごころ)を排除しようとした国学者たちの矛盾を指摘した部分がおもしろかった。
明治の偉い人たちが西欧列強に肩を並べんとする新しい国の機軸として編み出したのが天皇制だった。個人的にはこれはあながち間違ったことではなかったと思うが、残念なことに著者がその誤謬を説いていくあたりから内容が理解できなくなってしまった。
さて、戦後またもや日本は「機軸」を失ってしまった(新憲法下における天皇の求心力的な意味で)。
戦前の天皇制に代わる機軸とは何だろうか?
漠然としたイメージでしかないが、個人的には「人と人とのつながり」がそれではないかと思っている。 -
さすが丸山先生や
-
sugoi
-
本書との出会いがなければ,おそらく私は政治学を志そうとはしなかったでしょう。そんなきっかけとなった本の一つです。
-
Ⅳ.「である」ことと「する」こと印象的だった。
憲法第12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」。自由「である」という状態に安住するのではなく、日々自由になろうと「する」という努力によって、初めて自由でありうる。自由は与えられたものではなく、獲得していくものと強く感じました。 -
図書館で書庫から出してもらったら、古文書のようなクタクタの本が出てきました。
内容は、ところどころ言っている事が分かる程度の理解で、全体を通してはまったく歯が立ちませんでした。でも、最後まで目を通した自分を評価したいです。 -
(1999.02.11読了)(1998.10.01購入)
(「BOOK」データベースより)
現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。 -
著者による論文4本からなる新書。内容は我が国の思想の根底を探ったものである。
コメントとしては、第一に、これが新書か!と言いたくなるほど、文章が難解である点である。確かに、内容が抽象的かつ高度なので、仕方ない面がある。しかし、一文が長く、主語が把握しづらいなどの、いわゆる悪文も含まれていたので、何とかならなかったのか、と思った。第二には、現代でも当てはまる主張が含まれているという点である。例えばには、組織や専門領域がタコツボ化し易いという主張である。具体的に、時が経つにつれ、専門領域や組織の細分化が進むようになるが、専門領域や組織の交流がなくなり、タコツボ化してしまう。これについては、現代の我が国においても言えること(例えば、いわゆる原子力ムラ)であり、これを打開するにはどうすべきかは、悩ましいことであるが、考えないといけないことであると言えよう。 -
[2013-01-16]
1回目読了。
Ⅳの「『である』ことと『すること』」は、Ⅰの「日本の思想」をより平易な表現で分かりやすく説明している。
■
日本の思想=神道の「無限抱擁」性と思想的雑居性。
つまり、あらゆるものを受け入れつつ、なにものをも受け入れない。
→cf 柄谷行人「日本精神研究」によれば、分裂症的気質になる、とのこと。
■
「開国」による押しつけられた「近代化」
上のような日本の「寛容の思想」を原理的に否認したものが、明治におけるキリスト教であり、大正末期からのマルクス主義。
=思想の雑居的寛容という伝統ゆえに、日本が持つ寛容性を否定する近代思想に対する激しい不寛容というディレンマ。
→日本は近代化しきれずにきた国家。
■
「動物化するポストモダン」の以下の記述を参照。
⇒「十分に近代化されていないこの国は、逆にもっとも容易にポストモダン化されうる…日本では近代的な人間観が浸透していないがゆえに逆にポストモダン的な主体の崩壊にも抵抗感なく適応することができる。」(p28)
→60年代に入り、和辻や三木等が世界の最先端を行く思想だとして再評価された歴史。