歴史とは何か (岩波新書 青版 447)

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  • / ISBN・EAN: 9784004130017

感想・レビュー・書評

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  • ぎこちない日本語に装飾された随筆(読み物)ですが、(今読むとしたら)歴史哲学としてもどの程度の重要性があるのかは分からない。

    【目次】
    はしがき(一九六二年二月 清水幾太郎) [iii-vi]
    目次 [vii-x]

    I 歴史家と事実 001
    歴史とは何か/事実尊重の時代/歴史的事実とは何か/歴史的事実が生まれる過程/無智の必要について/文書が語るもの/十九世紀の歴史観/歴史家が歴史を作る/先ず歴史家を研究せよ/想像的理解の必要/現在の眼を通して見る/懐疑主義とプラグマティズム/歴史家の仕事ぶり/歴史的事実と歴史家

    II 社会と個人 041
    社会を離れた個人はいない/個人崇拝の時代/過去は現在を通して/保守主義者ネーミア/時代の流れと歴史家/歴史の産物としての歴史家/歴史研究の対象/個人の行動をどう扱うか/歴史における数の重要性/人間の行為が生む不測の結果/叛逆者をどう見るか/偉人をどう見るか

    III 歴史と科学と道徳 079
    歴史は科学であること/歴史における法則の観念/道具としての仮説/科学と歴史との間/一般化の意味/歴史と社会学の関係/歴史の教訓について/未来に対する予言/歴史研究の主体と客体/物理学的世界との類似/歴史における神について/歴史家は裁判官ではない/道徳的判断の規準/死骸の山を越えて/超歴史的な価値があるか/価値の歴史的被制約性/もっと科学的に

    IV 歴史における因果関係 127
    歴史の研究は原因の研究/原因の多様化と単純化/ポッパーとバーリン/自由意志と決定論/思想上の「未練」学派/クレオパトラの鼻/歴史における偶然とは何か/ロビンソンの死/現実的なものと合理的なもの

    V 進歩としての歴史 161
    過去に対する建設的な見解/歴史における進歩の概念/生物的進化と社会的進歩/歴史の終りということ/進歩と非連続性/獲得された資産の伝達/歴史における方向感覚/過去と未来との対話/「存在」と「当為」/「最も役に立つもの」/真理の二重性

    VI 広がる地平線 199
    現代の新しさ/自己意識の発展/ヘーゲルとマルクス/フロイトの重要性/現代の歴史的転換/理性の役割の拡大/理性の濫用をめぐって/世界的バランスの変化/地平線は広がる/孤立するものは誰か/それでも――それは動く

    原注 [235-254]

  • 2012年4月8日の読了時から改めて再読。

     事実はみずから語る、という言い慣わしがあります。もちろん、それは嘘です。事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものなのです。いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのです。(p.8)

     歴史の書物を読む時は、歴史家の頭の中のざわめきに耳を傾けた方がよろしい。何も聞き取れなかったら、あなたが聾であるか、あなたの読んでいる歴史家が愚物であるかなのです。実際、事実というのは決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。むしろ、事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕らえるかは、偶然にもよりますけれども、多くは彼が海のどの辺で釣りをするか、どんな釣道具を使うか―もちろん、この二つの要素は彼が捕らえようとする魚の種類によって決定されますが―によるのです。(p.29)

     「歴史を研究する前に、歴史家を研究してください。」今は、これに附け加えて、次のように申さねばなりません。「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的および社会的環境を研究してください。」歴史家は個人であると同時に歴史および社会の産物なのです。歴史を勉強するものは、こういう二重の意味で歴史家を重く見る道を知らねばならないのです。(p.61)

     私が大切だと考えますのは、偉人とは、歴史的過程の産物であると同時に生産者であるところの、また、世界の姿と人間の思想とを変える社会的諸力の代表者であると同時に創造者であるところの卓越した個人であると認めることであります。(p.77)

     歴史から学ぶというのは、決してただ一方的な過程ではありません。過去の光に照らして現在を学ぶというのは、また、現在の光に照らして過去を学ぶということも意味しています。歴史の機能は、過去と現在との相互関係を通して両者を更に深く理解させようとする点にあるのです。(p.97)

     歴史は、歴史の外部にある或るものに根本的に依存していて、それによって、他のすべての科学から分離されるというようなものではないのです。(pp.122-3)

     偉大な歴史家―というより、もっと広く、偉大な思想家と申すべきでしょう―とは、新しい事柄について、また、新しい文脈において、「なぜ」という問題を提出するものなのであります。(p.128)

     人間が先輩たちの経験から利益を得ることが出来る―必ず利益を得るというのではありません―ということ、それから、歴史における進歩は、自然における進化とは違って、獲得された資産の伝達を基礎とするということ、これが歴史というものの前提であります。(p.174)

     歴史とは過去と現在との間の対話であると前の講演で申し上げたのですが、むしろ、歴史とは過去の諸事件と私大に現れて来る未来の諸目的との間の対話と呼ぶべきであったかと思います。過去に対する歴史家の解釈も、重要なもの、意味あるものの選択も、新しいゴールが私大に現れるに伴って進化して行きます。(p.184)

     歴史上、「われわれの注意を惹くのは、一つの国家を形作るような民族だけである」というヘーゲルの有名な言葉が、社会組織の一つの形態に独占的な価値を認め、嫌悪すべき国家崇拝の道を開いたと批判されるのは当然のことです。しかし、原則から見ますと、ヘーゲルが言おうとしているのは正しいことで、歴史依然と歴史との例の区別を言い現わしているのです。自分たちの社会をある程度まで組織化するのに成功した民族だけが原始的野蛮人の域を脱し、歴史に登場して来るのです。(p.188)

     今日、ロシアの機械がもう原始的でないこと、これらの機械を計画し、組み立て、操作する何百万というロシアの男女がもう原始的な人間でないことを私たちは知っています。私は歴史家ですから、この後の現象の方が興味があります。生産の合理性というのは、それより遥かに重要なことを意味しています。すなわち、人間の合理化です。現在では、世界中で原始人が複雑な機械の使用方法を学び、それを通じて、考えることを、自分の理性を使うことを学んでおります。この革命は社会革命と呼んでも間違いではありませんし、私は現在の文脈の中で理性の拡大と呼びたいのですが、いずれにしろ、これはようやく始まったばかりなのです。しかも、それは、過去30年間における猛烈な技術的進歩に遅れまいとして、猛烈な速度で進んで来ているのです。これは、私たちの20世紀革命の重要な側面の一つだと思われます。(pp.215-6)

  • 『ある時代の偉人というのは、何か彼の時代の意思を表現し、時代の意思をその時代に向かって告げ、これを実行することのできる人間である。彼の行為は彼の時代の精髄であり本質である。彼はその時代を実現するものである。』
    ヘーゲルの古典的な叙述

  • うーん、わかんない。笑
    通勤電車でちまちま読んだのがいけなかったのか、そもそもこの本を理解するだけのキャパがわたしになかったのか……

    こりゃ両方だな。
    でも、大学時代に出会ったいろんな視点が、この本の中にもあった、感じがする。
    読み返す元気はないので、何かの折にちょちょっと見返したいと思う。

  • 〈事実をもたない歴史家は根もありませんし、実も結びません。歴史家のいない事実は、生命もなく、意味もありません〉

    事実は、歴史家が語ることで初めて歴史になる。
    という主張にかなーーり共感。
    歴史家の主観が入る以上、絶対確かな歴史なんてありえないのです。

  • 歴史哲学の名著らしいのだけど、自分には畑違い感もあり、正直敷居が高くて厳しかったか、短い本なのにの読み終わるまで数日かかった。何にせよ、示唆に富むフレーズもところどころあり、ふむふむといった感じ。しかし、このレベルのものを読み込むための、その土台となる教養的部分が不足しているのを気付かされる…。

  • オフィス樋口Booksの記事と重複しています。記事のアドレスは次の通りです。
    http://books-officehiguchi.com/archives/4199945.html

    「歴史学者E.H.カーといえば、「歴史は、現在と過去との対話である」というフレーズを思い出す人がいると思われる。私の今後の研究方針として、テロの事例の研究と事例から今後のテロ対策にどのようにいかすかという研究に取り組んでいきたい。この本で気になる箇所があれば、研究メモを配信したい。 」

  • 50年前の本。
    各地で勧められたので読んでみた。

    既読にしたけど厳密には1章しか読んでない。

    歴史と歴史家の相互関係。歴史は単なる事実の積み重ねではなく、歴史家を通じた過去との対話である、という筆者の主張は自分にとって新しく、おもしろい。

    現代ではインターネットの発達で過去の情報へのアクセス方式が大きく変わっているので、再度この内容を考察してみるとまた一回り面白いのかな、と思った。

    ただ文章が難しすぎて全部読むのが果てしなく時間かかりそうなので1章で一旦中止とした。

  • 「歴史ってなんだろう」
    そんな当たり前のような問いかけに、はっきりと答えることができるでしょうか。日本に住む我々も随分と歴史認識の問題という形で対立があることを耳にします。
    本書で紹介されているある著名な歴史家がその師について語った一文
    「彼はいつも不完全な資料では歴史を書かなかったし、彼にとっていつも資料は不完全だった」
    この言葉がとても印象的でした。歴史は実際に合ったことを対象にしているにもかかわらず、選択的であるということ。だからこそ複数の歴史家が同じテーマについて詳細に書くのであり、だからこそ本質的に対立は内在している。選択は価値判断を含みます。

    さて、このような難しい相手にカーはどう挑んで、「歴史とは、過去と現在の対話である」という名言にどう辿り着くのでしょうか。
    その道のりには、歴史と科学、歴史と道徳などの主要な論点がよく整理されて現れます。

    歴史との向き合い方、次の世代にどう教えれば良いのか、そして自分なりにどう歴史を残せば良いのか、
    考えさせてくれるすばらしい一冊です。

  • 歴史とは現在と過去との対話である。という言葉で有名なカーの講演。歴史は事実ではなく解釈である、というのが非常に面白いし、ああそうだなと思わせる深さを持つ。現在は物事の真理とか、原理とか、絶対性とか法則とか、そういうものを現実的に考えることがナンセンスになってしまっている。実際的なものというか、実用的なものというか、そういうことが第一であって、なんか躍動感というか平たくなってしまった今の世。
     サー・アイザイア・バーリンがとことんこき下ろされて、大体敬称までつけたフルネームで最後まで呼び続けるいやらしさも、そのキャラクターだった。読んでいて楽しかったけれど、流し読みも多かったのでとどまっているものが少ない。もう2,3度読んだら少しは深まるかと思うけれど、後は心と相談。今日はそんな気分。

    14/9/9

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