チェルノブイリの祈り――未来の物語 (岩波現代文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (318ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784006032258

感想・レビュー・書評

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  • チェルノブイリ事故が国家という巨大なものに蓋をされた状態にあり、亡霊のように再び現れる可能性を残しているということがわかった。人は手に負えないものを開発してしまったのだ。見ないふりをしてもチェルノブイリはそこから消え去ることはない。でも、どうすることもできないので、核について知識のある者は口を閉ざし、そうでない者は知ろうとせず、みんなで蓋をしている。もう一つこの本からロシア人の気質を少し知ることができた。これまで普通に暮らすロシアの人々を題材にした作品に触れることがなく詳しくは知らなかったが、驚くほど国家に従順な国民性を持っている。他国に対しては信念を曲げようとしないが、国家に対しては黒であっても白と言われたら従うような国民性に思えた。文化や国民性は尊重されるべきであり他国がとやかく言うものではないが、弱者が虐げられる社会は人間が成長していない証拠だろう。日本はどうなのか。今の世界はどうなのか。チェルノブイリ事故の被災者からの声はとても貴重で私たちに多くのことを教えてくれる。

  • 同じことが福島でも起きていると想うと、原発の再稼働はあってはならないでしょう。作者は最近来日した折に、日本人はもっと声を上げたほうが良いと仰っていました。次々と再稼働していき万が一大きな原発事故が発生したら、日本人は日本を棄てなければならないかもしれません。何処に行ったら良いのでしょうか。そのような事態が起きないことを祈ることしかできません。いや、私たちの声で再稼働を阻止しなければならないと考えるのですが。皆さんはこの本を読み終わった後で、どのように考えられるのでしょうか。経済より命のほうが大事です。

  • ふだん、文学賞などはあまり気にしていないので、この本を読んでいる途中で、昨年のノーベル賞受賞作家だったと気づきました。そして、日本が村上春樹さんが受賞するかどうかと恒例行事的に話題にしていた時、こんな人が、こんなすごい作品が受賞していたのかと静かに驚きました。

    この本は、チェルノブイリ関連のインタビューをまとめて一冊にしたもので、作者自身の声はまったく出てきません。
    でも、ただのインタビューの寄せ集めではありません。
    巻末に、フォトジャーナリストの広河隆一さんという方が、「同じ人にインタビューしたことがあるが、自分が書きとめた言葉は事実の羅列に過ぎず、アレクシェービッチの作品とは全く違う」と深い敬意をもって解説されています。

    常々、ドキュメンタリー、ノンフィクションに関しては、映像は文章より多くのものを伝える、百聞は一見に如かず、とずっと信じていました。
    でも、この本は、今までいくつか見たチェルノブイリに関するドキュメンタリー映像のどれよりも深いインパクトがありました。
    ある出来事を伝える上で、言葉が映像を凌駕することがあるなんて、と、ただただ驚いています。

    ほとんどすべての言葉、すべてのページが忘れ難いのですが、特に、現在罪を問われている(らしき)地方委員会の元第一書記官と、ベラルーシ科学アカデミー核エネルギー研究所の元所長と、「チェルノブイリに盾を」の副理事長、この3人の話が、私には思い及ばなかったことだったので、印象に残りました。読みながら、胸をえぐられるような痛みを感じました。読むだけでこうなのだから、言葉にするのはどんなに辛いことだったろうと思います。
    彼らの言葉に共通するのは、国家の大義とそれに守られたマジョリティを前にすると、人間の命なんて無に等しいものなんだなということ。これは別に旧ソ連だから、とか、共産圏だから、という話じゃないと思います。多かれ少なかれ日本にも言えることではないかと。
    つい先日読んだ英語の参考書「英文標準問題精講」のラストに引用されていたイギリスのジャーナリスト、ジョン・ボーエンの文章が思い出されました。
    「人間はずっと、神よりも、国家よりも、思想よりも重要ではなかった、そしてそれを受け入れるよう規格化されていた("Conditioned")」と。

    でも、もちろん、そういうことを言いたいだけの本ではありません。無知であるのがどういうことかとか、生活の糧だとか、恐ろしいことにも人はあっさりと慣れていくのだとか、あきらめだとか、勇気だとか、いろんな考えるべき要素が詰まっています。

    とりあえず、原発問題、エネルギー問題については、この本を参考図書として読了した上で、議論・検討すべきなんじゃないかなぁと思います。

  • 繰り返し読みたい本だ。
    地球上で起こっていることには全ては即時に伝わることはないんだよ、という戒めとして。
    人間として生きることの過酷さと美しさを感じるものとして。

  • 人は愛の飾らぬことばにおいては・・・とさけびが印象的。
    日本と違い、神への信仰心と国家への忠誠心が強く感じられる。神を信じるものは孤独ではありえないーこの一言がグッときた。

  • チェルノブイリの事故に遭った人びとのモノローグ。夫を亡くした妻、子ども、とどまるおばさん、科学者など様々な人びとが生の言葉を伝える。徹底して虚飾がなく、その分、生の証言を聞いているような感じ。繰り返しばかりでつまらないんじゃないかと読む前は思っていたが、言葉の純度の高さが半端なくすごい。旧ソ連の人たちの思考の豊かさというのも影響しているのかも知れないが、ひとつひとつのエピソードが胸を打ち、べつに本の構成なんてどうでもいいと思えた。こういう本の書き方もあるんだと感心し、そして胸を打たれた。すごい本。

  • チェルノブイリに関わった人のインタビュー。ノーベル文学賞。

  • これは読むのがつらい。

  • チェルノブイリと福島を並べると「放射脳」と揶揄する人がいるのかもしれない。しかし、福島を念頭に置かずに読むことはできない。人が住めない土地と故郷を追われた人がいて、廃炉と汚染物質といった次世代への負の遺産を残した日本では、ここに書かれた言葉と無関係ではいられない。死んだ土地と放射線の中で作業をする人は、日本の現実だ。
    恐ろしいのは無知と無関心、情報の隠ぺい、盲信とヒロイズム、コミュニティと自然の破壊、死をもたらす放射線。その中で愛を語り生を語る人々の人間性の輝き。本書が素晴らしいのは、語り手の率直な言葉が作家の「キモとなる言葉」を選び出す優れたフィルターを通して純化され、恐ろしいものと美しいものが並んでいるところだ。言葉の力が圧巻で、息がつまり難しいことは言っていないのにすらすらとは読み進められなかった。卓越したルポタージュ文学。

    しかし体言止めや倒置の多用など訳文がやや読みづらい。「戦争は女の顔をしていない」の文章も詩的な感じはあったがここまでではなかったと思う。原文のせいなのか翻訳のせいなのかは不明。
    あと、細かいことだが後書きで、原語の音には近いが日本語にないので「ヴ」を一切使わない、著者の表記も「ビッチ」にしたというが、今時「ヴ」が読みづらいということもあるまい。「アレクシェーヴィチ」と「アレクシェービッチ」では発音がだいぶ違うと思うのだが。

  •  1人の人間によって語られるできごとはその人の運命ですが、大勢の人によって語られることはすでに歴史です。2つの真実―個人の真実と全体の真実を両立させるのはもっともむずかしいことです。今日の人間は時代のはざまにいるんです。(p.32)

     事故の話でもちきりでした。家、学校、バスのなか、通りで。ヒロシマと比べていた。でもだれも信じていませんでした。わけのわからないことを信じることはできませんよね?理解しようとどんなに努力してもがんばってみても、結局わからないんですもの。私が覚えているのは、町をはなれるとき、空がまっ青だったこと。(p.120)

     ひとりひとりが自分を正当化し、なにかしらいいわけを思いつく。私も経験しました。そもそも、私はわかったんです。実生活のなかで、恐ろしいことは静かにさりげなく起きるということが。(p.190)

     戦争だといわれています。戦争世代の人々は比較している。戦争世代?あの世代は幸せじゃないですか!彼らには勝利があった。勝ったんですもの。私たちは?私たちはあらゆるものを恐れている。子どもの身を案じ、まだ、いもしない孫のことを心配している。みながうつ病気味で絶望感をいだいている。チェルノブイリは暗喩であり、象徴なんです。私たちの日常であり、ものの考え方なんです。(pp.218-219)

     私たちはこれから、チェルノブイリを哲学として理解しなくてはなりません。有刺鉄線で分断されたふたつの国、ひとつは汚染地そのもの、もう一つはそれ以外のすべての地域。汚染地を取り囲むくさりかけた杭には、十字架にかけるように白い飾り布がかけられている。住民がお墓参りをするようにここにくるのです。そこに葬られているのは彼らの家だけではない、全時代です。科学と、社会主義的平等思想を信じていた時代。偉大なる帝国は崩壊し、くずれ去った。(中略)世界中が私たちベラルーシ人のことを知ったのは、チェルノブイリのあとでした。これは、ヨーロッパ人のあとでした。これは、ヨーロッパへの窓だったんです。私たちはチェルノブイリの被災者であると同時にチェルノブイリの神官なのです。くちにするのも恐ろしいことです。(p.254)

    (解説)アレクシエービッチの本には、個人個人の生死が尊厳をまとって語られるだけではなく、実は世界が、歴史が語られている。それはなみたいていな仕事ではない。惨劇の生々しい姿を隠し、描写をやめて、抽象化した世界だけを述べれば、それは可能なのかもしれない。しかしそれではその惨禍を語ったことにはならない。アレクシエービッチにとっては、その肝心な惨劇そのものの姿を避けないで、生と死を伝えることが必要だったのだ。その深みの中から、世界と歴史が姿を現したのだ。だからこそ、言葉のもつ力、輝き、そして悲しみが彼女の作品にほとばしるように息づいていったのだ。(p.310)

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