- Amazon.co.jp ・本 (280ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022645241
作品紹介・あらすじ
馬込光代は双子の妹と佐賀市内のアパートに住んでいた。携帯サイトで出会った清水祐一と男女の関係になり、殺人を告白される。彼女は自首しようとする祐一を止め、一緒にいたいと強く願う。光代を駆り立てるものは何か?毎日出版文化賞と大佛次郎賞を受賞した傑作長編。
感想・レビュー・書評
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「さて、誰が悪いのだろうか?」がテーマなのかな。
一人一人の表と裏の顔が気分悪かった。
また信じてもらえない、寂しい、置き去りにされる、という弱い心が人を間違った行動に走らせるのだろうか。
人の言動は時には人を傷つける凶器にもなる。我々も気をつけねばならないし、影響されてもいけない。家族間で、職場で、地域で。
中でも、増尾の親友がおかしいぞと気付いたところ、被害者の両親と加害者の祖母が「馬鹿にされるもんか!」と気を取り直し立ち上がろうとしている姿が痛々しくも勇気づけられ、少しだけ救われた思い。
やっぱり佳乃が嫌い。増尾も最低。
(その他)
一つの犯罪に、辿れば大勢の人が関連していた感じは、宮部みゆき著「理由」、貫井徳郎著「乱反射」を思い出す。
(余談)
ミステリー小説に灯台とかフェリー乗り場とか出てくると、やっぱりろくな事がない(;_;)w
舞台になりやすいんでしょうね。
湊かなえ著「ユートピア」(←表紙が似てる)
角田光代著「八日目の蝉」(←母子の逃避行。フェリー乗り場が出てくる)など。 -
吉田修一さんの15年以上前の著書。
作品は九州を舞台に起きた殺人及び逃走ミステリーなのだが、非常に純文学的で人間の心情の凄く深い所が描かれている。
昔読んだ夏目漱石さんの「こころ」を彷彿させる。現代的思考と豊富な情報が入り交じった現代版の「こころ」のような作品だなと感じた。
それにしても出てくる登場人物が生々しくリアルで、過去に自分も出会った事のあるタイプの人々ばかり。良いところもあるのだが、嫌なところもそれ以上にあるタイプの人々。かといって嫌いな人でもない。それは良いところがある事を知ってるという理由で嫌いになってないだけの人。もしくは利害関係的に嫌いになる必要性とその決定打がない人。
少しずつは違うのだが、佳乃もしかり、増尾もしかり、祐一、光代も似た感じ。現代人の若者の風刺のような人物像にも見える。対人関係において偽物の自分を作り上げている、器用さと不器用さで自分自身を構成している。
周りから見られる自分がとても大事で、本心と言動行動が伴わず本人は器用に立ち回っているつもりだろうが、ぎこちない不器用さに見ようによっては見えてしまう。
最終的に追いこまれた所で本心が出るのだが、その時は大体が手遅れ。後悔が遅い。その後悔にも深さがあるのならば浅いだろう。
凄く純文学的で久し振りにこういう作品に出会い興奮している。
「今の世の中、大切な人がおらん人間が多すぎったい」
「大切な人がおらん人間はなんでもできると思い込む」
「自分には失うものがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる」
「失うものもなければ、欲しいものもない」
「そうやってずっと人の事笑って生きて行けばよか」
奇しくも佳男の言っていた事が…
娘を殺したその張本人である祐一が、佳乃の殺害後に光代に出会い、欲しいものと失うものに生まれて初めて出会う。
自分の現在、過去、未来に苦悩するとは。登場人物の運命の巡り合わせも苦しいほど読み取れた。
「悪人?」そこを掘れば悪の正体の話ではないのだろう。何に対して誰の何を誰が見定めるかによっての見る角度の話なのだろうから。その見る側と見られる対称側の人物が変われば、角度が変わり全員が悪人になる対称面を持ち合わすであろう。感受性による所の物で、的確で直接的な言葉としての言語とは違うもの、遠回りした比喩的な言葉として「悪人」という作品タイトルなのだろうと捉えられる。
これは最高の作品、そして最高の文学だと思う。 -
読了して改めて題や副題の秀逸さを理解した。
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一気読みした。
誰が悪人だったのか?同じ人間でも、関わる人が違えば悪人にもなるし、かけがえの無い人にもなる。
後半、言葉や情景が少しずつ重なりながら様々な人の状況や心理が表現されてる所は…とっても良かった。
祐一と光代、幸せになってほしいな泣
博多弁…懐かしかったぁ -
なんか……今までの事が全てなんだけど…
なんだろう…最後に問いかけられるのが
…切なすぎる・・・。 -
下巻は、心揺さぶる言葉が多かったです。そして祐一の光代に対する最後の行いの意味とか考えると、読み終えてからもしばらくいろんな想いが駆け巡って。ふいに涙が溢れたり、心臓がドクドクしたりするんです。
きっと。
心に何にもない者同士がストンと堕ちちゃったんだと思うんです。それは恋に、体に、寂しさに。
祐一は、誰かを求めると傷つくことが分かっていると思うんです。それでも求めずにいられなかったんでしょう。
そして、何にも欲しいものもない。行きたいところもない。会いたい人もいない。そんな自分に堪えきれず声を上げて泣いていたのは光代です。
2人は急速に愛を深めていきます。こんなの愛じゃない、雰囲気に酔ってるだけ、まやかしだよっていう人もいると思うのですが、わたしはやっぱり愛だったと信じたいのです。
一日でもいいから一緒にいたい。自分を待っていてくれる人がいる。愛してくれる人がいる。
2人は先のない未来に寂しくて寂しくてたまらなかったはずなのに、それでもこの瞬間、傍にある確かな温もりに幸せを感じていたはずだと思うからです。
そして。
光代を守るために、光代がまた笑えるように。
祐一はそのために悪人として彼女の前からいなくなります。
悪は日常のそこかしこに転がっています。うまく避けることが出来ればいいのだけれど、人はそれらに簡単にぶち当たってしまい、躓き転倒してしまうのではないでしょうか。そんな時、倒れたままでいるのか、同じ色に汚れてしまうのか。このやろうと蹴飛ばしてしまえるのか。それとも痛みを我慢して拾い上げてやれるのか。いろんな選択肢があると思うのです。
祐一の祖母も、被害者の父親もそれぞれのやり方で彼らの悪に対峙しました。祐一にあっても、自分の犯した悪から逃げることをやめました。大切な人を守りたい、大切な人が頑張るから自分も頑張れる、自分を信じてくれる人がいる、これらの強い気持ちがあったからこそ悪に挑むこと、また悪に向き合って立ち上がることが出来たのだと、わたしは胸に刻み込みました。
出会えてよかった小説でした。 -
audibleにて読み直し
映画を先に観て読んだ
様々な悪が出てくる
僕が悪と思った事も人によって違う
判断も悪かもしれない
なんなら悪は、誰にでも内包されているモノかもしれない
表面化されてるか、どうかなだけで
映画は出演者全員が良かった
悪人達が胸糞悪い感情を与えてくれた、最高 -
うーん、重たい、重たいが読ませるなあ、あとは博多弁が秀逸、どうしようもない悲しさ
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読み進めると、どんどん切なくなる。
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殺人犯、被害者、被害者の両親、殺人犯の身内、そして殺人犯と一緒に逃げた女・・・
殺人を犯すのは決して許されない行為、しかし、結局のところ最後まで読むとだれが悪人なのかは判然としなくなる。
でも、この本を読んで一番印象に残った文といえば、被害者の父親のことばである。
「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。・・・」
この本を読むことで何かが弾けたようにふっと変わる瞬間がある。
乙女シリーズも並べて、美術館にしますね!
乙女シリーズも並べて、美術館にしますね!