- Amazon.co.jp ・本 (42ページ)
- / ISBN・EAN: 9784034253700
感想・レビュー・書評
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窓ガラスに映る自分の目と外の風景を同時に描いてしまうほどの繊細な絵。
輪郭や色をはっきり描いた絵本、ぼんやりと描かれた絵、筆を振ったような技法で描かれていたり、滲んでいたり、主人公の心のなかが様々な描き方で表現されている。
キラキラした川面。希望を見出した主人公の心のようだ。
心の動きをこんなに多彩に描くことができるなんて!
そうか、「朝、目をさますと、まわりは、ことばの音で あふれている。」そうなのだ!
ぼくの話し方
「川というのは、永遠に、自分より大きなもの、広い場所をめざして、気負わず、たゆまず流れていきます。ところが、川の流れていく途中でどもることがあり、それはぼくも同じなのです。」
「父がぼくを川へつれていったのは、ぼくだけじゃないと感じさせるためでした。」
「吃音によって、ぼくは人と深く結びついていると感じ、同時に、ほんとうにひとりなのだとも感じます。吃音は怖いくらいに美しい、ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、「上品な」(流暢な」と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません。ぼくは川のように話すのです。
紹介
https://www.kaiseisha.co.jp/books/9784034253700
https://www.kyobunkwan.co.jp/narnia/archives/weblog/31988
書評
https://kaiseiweb.kaiseisha.co.jp/a/review/rev2106/
訳者インタビュー
https://jyasakka.wixsite.com/jyasakka/post/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC-%E7%BF%BB%E8%A8%B3%E5%AE%B6%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%94%B0%E5%8B%9D%E3%81%95%E3%82%93-%E3%80%8E%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%AF%E5%B7%9D%E3%81%AE%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AB%E8%A9%B1%E3%81%99%E3%80%8F%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%80%81%E5%B9%BE%E5%8D%83%E3%82%82%E3%81%AE%E6%B0%B4%E9%9D%A2%E3%81%AE%E5%85%89%E3%81%AB%E7%85%A7%E3%82%89%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%8C%E3%82%89%E3%80%81%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%82%92%E4%B8%80%E7%B7%92%E3%81%AB%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%A6-%E3%81%93%E3%80%81%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E3%80%8C%E3%82%A8%E3%83%A2%E3%81%84%E3%80%8D%E3%81%A7%E3%81%99%EF%BC%81
受賞
https://www.kaiseisha.co.jp/news/29125
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000113.000026693.html詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
作者はカナダの詩人。幼い頃から吃音があり、学校でも苦労をしたようだ。でも、父親は温かく見つめ続け、川のように話すのだと言ってくれた。そんな自分の気持ちを絵本にした。
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吃音への不安、それを優しく見守るお父さん。とても温かい気持ちになる。言葉の表現が詩的で、絵がまた瑞々しく線の一本一本に色の全てに命が躍動している。
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彼のお父さんのように、子どもの悩みに寄り添い大切な一言をくれる人が一人ひとりのそばにいますように…
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この人の、不思議な絵。
写真のようなのに、全体がゆるい感じが、すごくふしぎ。 -
吃音のぼくを救ってくれたのは、あの川の流れだった。学校に行くと、先生から当てられませんようにと、いつも思っていた。おとうさん川に連れて行ってくれて、川を見ろ、あれがお前の話し方だ。川を見ると、川は泡立って、渦巻いて、波打ち、砕けていた。思いどおりに言葉が出てこない時はどうどうとしたこの川を思いうかべよう。川だってぼくと同じように吃っている。ぼくは川のように話す〜
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吃音の本を調べていたら、偶然図書館のリストに上がってきた1冊。
カナダの詩人が書いたという。彼も吃音者。
私も吃音持ちである。
だから、彼の描く世界とメッセージに胸が震えて涙が出た。
私たち吃音者は、言葉がスラスラ流暢に話せないことを非常に悔しく思っている。
そして、自分の努力ではどうにもならないことを、なんとかしようとしてもがいている。
恥ずかしいから、知られたくない。
だから隠そう。
それは偽りだ。
本当はみんなに知って欲しい。
吃音はこういうものだと。
でも勇気がない。過去に経験した バカにされた瞬間、からかわれ笑われた屈辱的な体験が、素直になる自分に蓋をしてしまう。
もうあんな経験はしたくない。
そんな思いから、、気持ちも行動とどんどん下を向いていく。
曇った表情、気持ちは川に流そう。
主人公が父親と訪れた川を見て、
父親は彼に言う。
「お前の話し方は川のようだ」と。
彼の言う、川は澱みなくスルスル流れているという意味ではない。
川の水をよく見ると、突き出した岩にぶつかり砕け散ったり、枝や高低差を流れて泡立ったりしている。
滞りなく流れているばかりではないのだ。
私たちの話し方も同じようなものだ。
スラスラ話せる時もあるけど、連発で同じ言葉を連続して言ったり、最初の音が言えず詰まったり、伸ばしてしまったり。
あなたのその話し方はおかしくない。
と、人そのものを丸ごと尊重する彼の父親の姿に、とても感銘を受けた。
あとがきの「ぼくの話し方」
の中に、
吃音、それは言葉と音と体が絡み合った、とても個人的な苦労の塊です。
とある。
そうだ。苦労の塊なんだ。
頭では言いたいことがちゃんと浮かんでいるし、口もその言葉の形をしているのに、なぜか音だけが出ない。出せない。言えないのだ。
その言葉、たった一音言うために、10秒、ましてや数分必要とする人もいる。
挨拶ですら、ちゃんと言えるかなと過度に心配して背中に汗をかく始末。
私たちは苦労しながら言葉を出している。
毎回毎回、喉の奥から言葉が出るのを待っている。
そんな吃音者の苦悩と絶叫したいほどの叫びが込められていた。
作者は最終的に、吃音である自分自身を受け入れたのだな。
川のように話す自分でもいいんだと。
これからずっと付き合っていく自分だから。
私も、いつか自分を丸ごと受け入れられるように。 -
朝の気持ちが痛いくらいに、響いてくる。
「川のように話す」は流暢にスラスラはなすのではない。
川はあわだって、うずまいて、なみをうち、くたけていた。
「川のように話してるんだ」 -
悩みを抱える子どもへの接し方が素敵な一冊
大丈夫だよ、と安心感を与えてくれる
そんな大人がそばにいる事がどれだけ心強いか
絵も光の描写がとても素敵で、じっくり見入ってしまいます -
今まで読んだ絵本で上位にはいるくらい感動的な絵本でした。
私も思い出します。
『川のように話そう』